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羽化にはまだ早い(弓親)

18.優先順位

 夜、真は日中出来なかった仕事を片付けていた。弓親を避けていたせいで出来なかったのだから、自業自得だ。
 ガランとした隊舎で、真が書類をめくる音だけが響いた。
「何やってる」
突然、入口から声がした。振り向くと、着流しに着替えた一角が、サッシにもたれながら、こちらを見ていた。
「…残業です…」
書類に目を戻して、真が答えた。一角の足音が近づいてきて、真の隣にドカリと座った。
「何で昼間にやらねえんだ」
一角の刺すような視線が痛かったが、真は敢えて目を合わせた。
「少々、忙しかったもので…」
「嘘つくんじゃねえ。弓親だろ」
真は口をつぐんだ。疑う目つきで、一角から目を離さなかった。
 この二人の中に秘密はあるのだろうか。
 何も言わない真に、痺れを切らして、一角が続けて喋った。
「お前が弓親をどう思っていようが、俺には関係ねえけどな。話を聞いてから、どうするか決めろ」
「…どういう事ですか?」
「俺と弓親は、明日の朝、現世に行く」
真の眉が動いた。一角は構わず続けた。
「現世にヴィストローデが出た。俺達は、一護達と合流して、破面との戦闘に備える」
真の目が大きく開いた。大きく息を吸って、動揺を落ち着かせようとした。一角が現世に行く面子を説明すると、明らかに真の表情が険しくなった。
「そ、そんな…どうして他の隊長達は行かないんですか…ヴィストローデ何て」
「藍染への対策に、隊長達はここを動けねえ」
真は舌唇を噛み、喉まで出かかった言葉を飲み込んだ。
「…俺達は死ぬかもしれねえ」
真が飲み込んだ言葉を、一角はいとも簡単に口にした。
「明日が最後かもしれねえ。お前に言いたかったのは、それだけだ」
一角はそういうと、放心状態の真をそのままにして、出ていった。
 一角が出ていってから、数分後、真は書類を引き出しにしまうと、隊舎の明かりを消して、夜の精霊艇を走った。


 「……珍しいわね、あんたがウチに来るなんて」
乱菊が扉を開けたまま、肩で息をする真を見ながら言った。
「どうしちゃったのよ。体力自慢が、そんな息を切らして」
乱菊が笑いながら、真を入れようとすると、真は乱菊の手を握って、悲痛な顔で乱菊を見上げた。
「……乱菊が明日現世に行くって聞いて……」
乱菊は一瞬驚いた顔をしたが、フッと微笑んだ。人を落ち着かせようとする時の笑顔だ。
「まあ、入んなさいよ」
乱菊は真の背中に手を回し、優しく戸を締めた。
 真を中に入れると、乱菊は真を抱きしめた。
「心配して来てくれたの?」
真も乱菊を抱きしめた。
「……乱菊……死なないで…………」
真の声は震えていた。
「……乱菊だけなんだよ、私には…乱菊を失ったら………」
乱菊は、ヨシヨシ、と真の頭を撫でた。真は乱菊の肩に顔を埋めて、涙を堪えた。
「だーいじょうぶよー!!パッと倒して、パッと帰って来るから!!」
ワザと明るい声を出して、乱菊は改めて真を強く抱きしめた。二人は暫くそのままで、時間だけが過ぎた。
「……本当はね、ちょっとでもギンに近づきたいんだ…」
静かな口調で、乱菊が呟いた。真は、ゆっくり顔をあげ、乱菊の肩から離れて、顔を見た。
乱菊は切な気な目で、真を見返した。
「なんにもやらずに、後悔するのは、もう辞めたいの。現世に行って、ギンに近づけるか分からないけど、やれる事は全部やりたい。だから、私の背中、押して?」
真は目に溜まった涙を拭い、決意の表情をした乱菊の顔をしっかり見て、両手で乱菊の両手を包んだ。
「…気をつけて…!」
「…ありがとう、真、大好きよ」
「私も…」
二人はまた抱き合い、お休みを言い合うと、真は乱菊の部屋を後にした。

 次の日の朝、真は早めに起床し、着替えると、部屋を出て、前に一回行った部屋を目指した。

 「嘘だろ…?」
弓親が、着替えを済ませて部屋を出ようとしたら、部屋の前によく知っている霊圧を感じた。その霊圧はずっと動かないため、確実に自分を待っていると分かる。
「…どうして?真…………」
扉を開けながら、ずっと話したかった相手に、弓親は疑問を投げかけた。
 真は、弓親を見るが喋らないため、弓親も扉を閉めて、黙って待った。
「……このままが嫌で…………」
ようやく、真はポツリと呟いた。
「正直、まだ、どうやって、弓親さんと話せば良いか分からないんですが………もし、弓親さんが破面との戦いで死んでしまったら………後悔するから………」
弓親は真に近づかず、その場で頭を下げた。
「ごめん」
真は何も言わず、頭を下げる弓親を見ていた。弓親も黙って、頭を下げたままでいた。真は、胸にずっとつっかえていた疑問を吐き出した。
「…どうして、あんな事を…?」
「君が好きだから」
弓親が顔を上げると、困惑している真がいた。
「…嘘」
「嘘じゃない。最初から好きだった。たった一人で虚に立ち向かう君が、誰にも知られずに力を付けていた君が、皆に認められようと努力する、美しい、君が、ずっと、僕は、好きだったんだ」
抑えていた感情が溢れたかのように、弓親は真への気持ちを雪崩のように口にした。真は圧倒されて、自分の手を固く握って聞いていた。
「あの日、君の中で、僕の立ち位置が変わったのを感じたんだ。そうだろ?」
真は、はい、も、いいえ、も言わず、弓親を見ていた。弓親は、真の応えを待たず、続けた。
「だから、調子に乗ったんだ。本当に、どうかしてた…」
悔しそうに俯いて、弓親は真から視線を反らした。
「…あんな事しなければ、こんなかっこ悪い告白せずに済んだのにな…」
弓親はそれ以上何も言わなかった。真は、応えの言葉を探した。何を言えば、弓親を傷つけずに突き放す事ができるのか、混乱する頭で必死に考えた。
「……弓親さんは、優しい先輩でした……」
弓親は一回真を見て、俯き、乾いた笑いをした。
「そういうの、期待を持たせるだけだから……」
弓親は、真の顔を見ないまま、踵を返して歩いて行った。
 弓親の足音が遠のく音を聞きながら、真は止めていた息を吐き出した。同時に、目からポロポロと涙の粒が落ちた。
 弓親との関係が、二度と元には戻らない確信が、真の心を切り刻んだ。

 たった一人の親友を、自分の側にいさせたい為に、真は初めての恋心を、新芽のうちに摘み取った。
 私には乱菊だけ、この言葉を、大きな犠牲を払って本物にした。
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