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羽化にはまだ早い(弓親)

16.既成事実

 真は入院を勧められたが、今は荻堂から離れたかったため、無理やり出てきた。外はもう夕方だった。
 腿の傷はまだ完全には塞がっておらず、体重を掛けられないため、弓親が肩を貸した。
「全く…無茶して!」
弓親は空いている手で、真の脇腹をつねった。
「いたっ…痛いです…」
身をよじって逃げようとするが、腕を掴まれているため逃げられない。
「前に、自分を大切にしてって話したよね?」
「はい…」
「強さと、命を軽んじるのは違うんだよ」
「…はい…」
ため息をつく弓親の横顔を真が見上げると、夕焼けに照らされて、美しく光っていた。横からだと、まつ毛の長さがハッキリ分かる。男にしておくのが勿体ないくらいだ。
 弓親が真の視線に気が付き、訝しげに真を見た。
「何?僕がそんなに美しい?」
弓親が得意げに笑う。
「はい。本当に綺麗で…」
弓親から視線を離さず、真が呟いた。一瞬、弓親が照れた表情をした。しかし直ぐに、弓親の顔は真面目な表情に変わった。
「…僕からしたら、真も十分、綺麗だよ」
真の顔にかかるおくれ毛を、手ですくいながら弓親が言った。その時の弓親の顔が、あまりにも凛々しくて、真は改めて弓親の中の男を感じた。途端に、弓親の肩に腕を回して、体が密着している事が恥ずかしくなった。
 真は突然、弓親の肩から腕を外し、一歩後ろに下がった。弓親は突然の事に、真の顔を見た。
「どうしたの?突然…」
「あの…駄目でした。こんな…」
真の頬が赤らむ。今までに無かった反応に、弓親はおや?と思った。
「こんなとこ、誰かに見られたら…」
手で顔を隠しながら、真は周りを確認した。幸い誰もいなかった。
 明らかに動揺している真を見て、弓親は真の中で自分の立ち位置が変化したのを感じた。
「いいんじゃない?別に、見られたって」
弓親が一歩近づくと、真は一歩下がる。しかし、真が足の痛みに体が傾くと、弓親が瞬時に真の腰を支えて、自分の体に真の腰を引き寄せた。
「何が駄目なの?」
不敵な笑みで、真の顔を覗き込む。真は顔を真っ赤にして、弓親から離れようともがくが、もがけばもがく程、弓親の手に力が入った。
「離してください。弓親さん…。想い人がいるのに」
弓親から顔を背けながら、真は必死の拒絶をする。弓親を遠ざけようと、手を突っ張るが、弓親に呆気なく掴まれてしまった。力任せに振りほどけば、逃げれる強さではあるが、何故か出来なかった。
「今、それ、関係ある?」
何故関係ないと言えるのか、真は沸騰する頭で考えたが、もはやパニックになっているため、言葉は出て来なかった。
 徐々に弓親の顔が真の顔に近づいてくる。駄目だ、逃げないと…気持ちとは裏腹に、弓親の目を見てしまう。
 あと数センチで唇が重なる、その時…
「おーい、綾瀬川!今月の原稿なあー…!」
弓親の背後から檜佐木の大きな声がした。弓親の力が一瞬緩んだ隙に、真は弓親の腕から抜け出し、道を走った。
「あれ?霧島もいたのか…うぉ?!どうしたお前その怪我!?」
怪我を心配する檜佐木を無視して、真は足を引きずりながら脇を通り過ぎた。檜佐木は不思議そうに、真の後ろ姿を目で追った。
「何だあいつ?…そういや、綾瀬川…って」
檜佐木がまた弓親を見ると、弓親が今までに無い憎悪の目で檜佐木を睨んでいた。
「な、何だよ!!?俺が何したんだよ!!?」
「…うるさいな!!!お前が来たせいで、全てが台無しだよ!!!僕がただのタラシみたいになっちゃったじゃないか!!」
キスができたら、好きなのは君だって言うつもりだったのに…
 

 真は痛む足にムチを打って、できる限りの全力で自分の部屋に駆け込んだ。
 部屋に入り、扉を閉めると、扉を背にして、ヘナヘナとその場に崩れ落ちた。包帯には血が滲んでいた。息を整えながら、傷を押さえた。
「拒めよ……」
弓親の行動より、それをハッキリ断れなかった自分に嫌悪した。怪我はしているが、振り払えた。どうして弓親を受け入れようとしたのか、自分で自分が分からなかった。
 頭の中に、弓親の顔が、腰に感触がこびり付いて離れない。あの熱い視線を思い出すと、胸がドキドキして痛いくらいだ。だって、凄くかっこよかった………。
「……いやいやいやいや……だから、弓親さんには、好きな…人が……」
自分で言っておきながら、とたんに切なくなった。こんな感情は初めてで、何と言うのか分からなかった。


 「ちょっと!聞いてよ一角ー!!!もう、最悪!!!」
執務室のソファでお茶を飲んでいた一角の目の前で、弓親が勢いよく机に手をついた。一角は、何も言わず湯呑に口を付けたまま、弓親を見上げた。
「絶ッッッ対、真に嫌われた!!!終わった!!!檜佐木のせいだよ!!あの、クソ野郎!!!」
頭を掻きながら、弓親は檜佐木を口汚く罵った。いつも綺麗に整えられている髪が、ボサボサになった。
「明日から真に合わす顔が無い……消えたい……」
怒りが、自己嫌悪に変わり、弓親は床に座り込んで、顔を机に突っ伏した。
 一角は、弓親の感情の起伏を一通り観察してから、ソファにもたれかかった。
「何で霧島がお前を嫌うんだよ」
一角が冷静に問うと、弓親は顔をあげて、自分の手を見ながら舌唇を噛んだ。一角がまたお茶を啜る。
「もう少しで、口付けが出来そうだったんだ…」
弓親の言葉に、一角がお茶を吹き出した。
「な…!?は?」
「凄く良い雰囲気だったんだよ?!真が僕を受け入れたら、ちゃんと告白しようと思ってたのに……!!檜佐木のクソ野郎が、邪魔しやがって……」
弓親か親指を噛んだ。
「……受け入れようとしてたんなら、いいんじゃねえの?」
「違う!!真は雰囲気に飲まれて、受け入れようとしてたから、事実を作り上げようとしたんだよ!!」
「最低じゃねーか」
「そうだよ!!!最低だよ!!!だから困ってるじゃないか!!!」
「お前が悪い。諦めろ」
「嫌だーーーー!!!!!」
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