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羽化にはまだ早い(弓親)

14.大誤算

 蕎麦を啜りながら、真は先程の弓親の事を考えていた。
 弓親の事は、綺麗な人だと思っていた。男だと頭では分かっていたが、意識した事は無かった。だから、先程はじめて、弓親を男だと認識した。皮膚の感じや、筋肉の付き方が、女と全く違ったのだ。こんなに綺麗なのに、やっぱり男なんだ、と。
 弓親は、ガッカリしていた。あれだけ体を近づけて、首に噛み付いて、頭を抱いて、そこら辺の女なら必ず何か感じ取る行動をしたのに、真はどこ吹く風だ。
 蕎麦を啜る真からは、恥じらいなんて微塵も感じられなかった。
「…弓親さんは、手が綺麗ですね」
唐突に真が言った。
「手?」
「はい。ずっと、綺麗だと思っていました」
僕は全身美しいよ、と弓親は笑った。
「でも、さっき、驚きました。こんな綺麗な手なのに、凄い力が強くて」
弓親の笑いが止まった。それって…
「真。僕は、男だよ」
「はい。そう、思いました」
弓親は、嬉しいような、悲しいような複雑な気持ちだった。今まで男として見られていなかったって事?いや、でも、男として意識し始めた?弓親は、机に肘をつき、ため息をついた。
「まさか、男として見られていなかったなんて…」
弓親のガッカリする姿を見て、真が慌てた。褒めるつもりだったのに、嫌な気持ちにさせるなんて思ってもいなかった。真は身を乗り出して、弁解を始めた。
「ち、違うんです。男性とは思っていました、改めて思ったと言うか…」
弓親の浮かない顔は変わらない。真は、弓親が望む言葉が分からなかった。真は椅子に座り直し、言葉を探した。
「…多分、私の、育ちのせいなんです。男性を意識しないのは…」
「育ち?」
真の過去に弓親が食い付いた。
「生前の話です。とは言っても、10年も生きていないですが、小さい頃染み付いたことは、ずっと体に残りますね」
今度は弓親が体を乗り出してきた。もっと聞きたいという顔だ。
「あー…、失望するかも、しれませんよ」
「生前なんて、前世みたいなモンだよ。でも、真の前世には興味ある」
これで弓親の機嫌が直るならと思い、真は話そうと思った。その前に、ザルに残った最後の蕎麦を啜り、飲み込んだ。
「…私、禿だったんです」
弓親の顔を見ずに、真は独り言のように言った。弓親は驚いた顔をしていた。
「驚いたな。君は、色事とは無縁だと思っていたよ」
「あまりにも、当たり前だったので、男性がいても、近付いても、意識したり、緊張しないんです」
「ふーん。よっぽど、幼いうちに売られたようだね」
「はい。親の顔は、知りません」
弓親は、同情するでも、蔑むでもない顔で聞いていた。その顔で、真は少し安心した。
「…男を意識しないって、恋もしたことないの?」
「恋は…、相手を求める気持ちと、相手の領域に踏み込まないバランスが取れる人が、する事だと思っています。大変な難しい事ですから、私には、とても…」
真が机を見ながら言った。とても切なげな表情だった。弓親は思わず、その顔に見入った。
「何か、あったような口ぶりだね」
真が視線を落としたまま、苦笑した。目は遠いどこかを見ている。何かを思い出してるな、と弓親は思った。
「…私がお世話になっていた花魁は、外見だけでなく、内面も美しくて、優しく、温かい方でした」
真が遠い目のまま、語りだした。

 私は彼女を姉さんと呼び、懐いていました。姉さんは、暇な時は私に菓子をくれたり、読み書きを教えてくれました。私は、姉さんを実の姉の様に思っていました。大好きでした。
 ある日姉さんが、好きな人ができたと、私にコッソリ言ったんです。相手は商人で、見受けしてくれると、姉さんに言ったそうです。姉さんは見るからに幸せそうでしたが、恋の相手に会えない時は、酷く寂しそうで、苦しんでいました。幼い私は、姉さんを見て、恋がこんなにも人を苦しめるのかと、怖く思いました。
 1年、2年と経っても、見受けの話は、全く進んでいなかったようで、姉さんは日に日に焦っているような、イライラする事が増えました。私にも声を荒げる事が多くなり、私は恋で人が変わる事を知りました。
 ある日、恋の相手が店に来たとき、二人きりの部屋で、姉さんが見受けの話を早く進めてほしいと、言っている声を、隣の部屋で聞きました。すると、男が急に怒鳴って、姉さんを殴る音が聞こえたんです。
 私は咄嗟に飛び出して、姉さんを庇いましたが、男は私も殴りました。私は、その時無意識に、姉さんの簪を引き抜いて、男に刺したようでした。男は、血を流しながら、私の首を締めました。私は、姉さんを守りたくて、多分、何度も刺したと思います。でも、姉さんは、男ではなく、私を止めようとしていました。

「……私はそのまま死んで、こっちにきました」
弓親は、何も言わずに真を見ていた。
 この子は、鈍いんじゃない。そういう気持ちを全て、気づかないように、見ないようにして、傷つかないよう自分を守っているんだ。余程、恋をした花魁に失望したんだな…。守ったのに、守って貰えなかったじゃ、そうなるか…。
「……真は、恋が怖いのかな?」
真は、考える顔で首をかしげながら、弓親を見た。
「こわ……、どうでしょうか。恋をした時、自分がどうなるか想像がつかないのは、怖いかもしれません」
実際、乱菊も恋をして、苦しんでいる。真は、自分もそうなる様な気がしていた。だから、誰かに恋をするなんて、考えた事はなかったし、死んでからは、男は大抵自分の敵だった。だから、恋のしようがなかった。
 弓親は、暫く何か考えている素振りをしてから、真に向き直った。
「真が言い難い事を教えてくれたから、僕も秘密を教えてあげる」
真は少し驚いて、それには及ばないと言おうとしたが、遅かった。

「僕には、好きな人がいるんだ」
 
真の動きが止まった。
「恋をしても、冷静でいられる事を教えてあげるよ」
弓親が真に微笑んだ。真は何故か、胃がザワザワした。
「弓親さんには、幸せになってほしいです」
真は心からそう言った。いつも自分を優しくしてくれる弓親が、真は好きだった。なのに、どうして胃がザワザワするのか、分からなかった。
 弓親はありがとう、と言ったが、内心面白くなかった。若干でも真が、嫉妬なり、寂しそうにすると思ったからだ。
 弓親は苦笑いしながら、もう出ようか、と言って立ち上がった。

 帰り道、真は歩きながら弓親に言った。
「弓親さんに、好きな方がいるなら、もうこうやってご飯に行くの止めましょう。その方に悪いですから。弓親さん、今まで良くしてくださって、ありがとうございました。上手くいく事を願ってます」
弓親が何か言う前に、真は、では、と礼をして、先に行ってしまった。
 弓親は自分の大誤算に、頭を抱えた。
 
 真の胃は夜になってもザワザワしたままで、夕飯を食べても、風呂に入っても、消えることは無かった。それどころか、弓親と出会ってから今日までの事がまるで走馬灯のように頭を巡り、明日から弓親と過ごせる時間が減る事が寂しくて仕方がなかった。
「……弓親さんの、好きな人……………」
読書をしようと本を開いた時に、真はポツリと呟いた。
 頭の中に浮かぶのは、自分とは正反対の身なりが整っている美しい女性だ。美意識の高い弓親の事だ、彼の御眼鏡に叶う女性なのだから、そうに違いない。
 真は小さく息を吐くと、一度開いた本を閉じ、その日は普段より早めに布団に入った。
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