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羽化にはまだ早い(弓親)

1.期待と不満

 夏になった。精霊廷内の木々には、青々とした葉が茂り、一心に光をその身に受けている。窓からは、室内に籠もった熱を逃がす、爽やかな風が吹き込んでくる。
 十一番隊の隊舎は日中だというのに人はまばらで、他の隊と比べると静かだ。任務に行っていない隊士はほとんどが道場で鍛錬をしているか、もしくはどこかで油を売っているのだろう。
 静かな隊舎廊下に大きな足音が響いてきた。隊首会から戻った更木が、いかにもだるそうに帰ってきたのだ。すると、どこから嗅ぎつけたのか、窓からやちるが飛んできて更木の肩に乗った。
「ルキルキ、どうなっちゃうの?」
「死刑だ」
悲しみも動揺もなく更木は答える。反対にやちるは悲しそうだ。
「ルキルキ、死んじゃうんだね」
「誰でもいつか死ぬ」
「ふーん。そっかあ」
二人が話していると、後ろから一人の隊士が来た。
「隊長、副隊長、お話中すみません」
「あ!まこまこだ〜!」
霧島真四席は十一番隊の数少ない女性隊士の一人だ。長い黒髪を前髪から後ろにひっつめ、死白装の下には黒のタートルネックを着用し、袴の代わりに隠密機動と同じ、裾を絞った袴を履いている。
 彼女は、十一番隊唯一の女性のみで構成された班の班長を務めている。個人戦を尊ぶ十一番隊では異例の班だが、確かな統率力で班をまとめ、育成している。従って女性隊士からの信頼は厚い。更木も実力を認めている。
「朽木さんの処刑はいつですか?」
感情を表に出さない口調で真が訪ねた。
「25日後だ」
「よかった。それまでには帰りますので、隊長、申し訳ありませんが、有給をいただきたく…」
真は懐から有給の申請書を取り出した。隊長印が必要なのだ。
「有給?まこまこどっかいくの?」
やちるが更木の上から真に聞いた。
「流魂街の育ての親の命日なんです。墓参りに行きたくて」
ああ、と更木は納得した声を出し、書類をひったくった。
「処刑は、めんどくせぇが、俺とやちるは立ち会わなきゃならねえ。お前は、一角と弓親と隊を動かせ。処刑に邪魔が入らねえよう、双極周辺の警備をしろだとよ」
書類に目を落としたまま更木が言った。
「はい」
「休みでも怠けるな。お前が少しでも弱くなったら、代わりなんざいくらでもいるんだからな」
片目だけだが、更木の鋭い眼光が真に刺さる。しかし、真は眉一つ動かす、しっかりと更木を見返す。
「はい、隊長」
するとやちるが頬を膨らまして更木の頬を叩いた。
「もー!剣ちゃん!まこまこをイジメないで!!」
うるせえな、叩くな、と更木は言いながら、書類を懐にしまい、そのまま真に背を向け道場に向かった。
 真は黙って更木達の後をついて行った。
 
 道場に着くと、隊士達が木刀を戦わせて鍛錬をしていた。一角と弓親は端に座り、下の者達にアドバイスとも激ともつかない声をかけている。
 更木とやちるが入って来たのに気がつくと、隊士達は手を止め頭を下げて挨拶をした。
「おはようございます隊長!」
「おはようございます!」
更木はダルそうに、おう、とだけ反し、道場の上座に腰をかけた。
 遅れて真が道場に入ると、固まって話していた一部の隊士達から冷ややかな目線を向けられた。
「媚びて四席になったやつは、鍛錬もサボっていいんだな」
「また今日も隊長にしっぽ振ってきたのか」
ワザと聞こえる大きさで、真を中傷する。
 一部の隊士は、女の真が四席についているのが気に食わないらしい。
 他隊ならまだしも、十一番隊は御艇十三隊最強の「戦闘」集団なのだ。男が誇りを持って剣を握り、誇りを持って死んでいくこの隊に、男に媚びて男に酒を注ぐためにいる「女」が自分達「男」を顎で使うのが気に食わない。そんな思いから、真が四席についてから、彼女を目の仇にしている。
 真は入隊当初から差別を受けてきた為、今更外聞を気にする事は無いが、四席としての指示を聞き入れずに無視されたり、これみよがしな中傷や嫌がらせは隊の規律を乱すと感じ、流石に閉口していた。
 真は軽くため息を漏らし、木刀を取りに行った。
「霧島さん、気にしなくていいっすよ。あんな奴ら」
「そーですよぅ!四席の強さはあたし達が一番分かってます!」
班の女性隊士達が来て、真を励ました。彼女達はいつも真の味方でいてくれる。
「ありがとう。気にしてないよ。いつも心配かけてごめんね」
優しく笑顔で返し、彼女達の心配と不満を拭おうとする。
「もう、三席も何か言ってくれればいいのに!気づいてるはずだよね?」
「三席は仲裁役じゃ無いんだよ。それに斑目三席が入ったら、あいつらは今より怒るだろうね」
真が全く何もしない事に、部下たちの不満は募るばかりだ。真は彼女達の不満に気づいてはいるが、それには触れずにいた。
「ああ、そうだ。私今度有給でお休みを貰うんだ。なるべく早く帰ってくるけど、いない間よろしくね。引き継ぎはしておくから」
真が部下達に引き継ぎの話をしていると、真の話を聞いていた不満分子から、冷たい笑いが起こる。
「何あいつら、むかつく」
女性隊士一人が大きな声で言うと、笑いが止み、こちらを睨んできた。
「あ?何か言ったか?クソ女」
ガタイのいい男が一人近寄ってきた。
「実力じゃ霧島四席に敵わないからって、グチグチ嫌味しか言えない、腐った男だって言ってんだよイ○ポ野郎」
「あぁ!?」
二人が木刀を握り近寄る、今にも喧嘩が始まりそうな瞬間、真が二人の間に割って入った。
「私の名誉の為に部下が失言をした。悪かった。元は私のせいだ。代わりに謝る、許してあげてほしい」
自分をあざ笑っていた隊士に向い、真は頭を下げた。真の後ろでは、部下があり得ないという顔で真を見ていた。
 男は真を見下ろし、初めは驚いた表情だったが、次第に嫌な笑みに変わった。
「そうかよ、じゃあ、代わりに…お前が殴られろ!」
そう言うが早いか、男の拳が真の左頬に向かって振るわれた。
 ゴッと鈍い音がしたが、真は足を一歩引いただけで、倒れない。拳が頬に当たったまま、男を見つめていた。
「…気は済んだか?」
やり返す素振りもなく、男に尋ねた。いつしか、道場中の目が二人を注目していた。
 殴り倒すはずだった相手が、思っていた反応を示さない事に苛立った男は、更に真を殴ろうと構えたが、その腕は振り上げた所で掴まれた。
「もういいだろ」
男が振り返ると、一角が男の腕を掴み、鋭い目つきで睨んでいた。
「ま、斑目三席…」
男はそろそろと、腕を降ろし、媚びるようにヘヘッと笑った。
 一角は男が腕を降ろした事を確認すると、真の前に歩いていき、真の右頬を拳で殴った。今度は流石に立っていられず、地面に倒れた。後ろで見守っていた女性隊士が驚いて走り寄った。
「三席!私が始めたんです!霧島四席は私の代わりに…!四席は悪くないんです!」
真を支えながら、目に涙を浮かべて一角に懇願した。その後ろでは班員達が駆寄ろうか迷っていた。
「うるせえ!」
女性隊士に向かって一角が叫んだ。女性隊士の肩がビクッとあがる。一角は真にまた近づき、死白装の肩の布を引っ張り真を無理やり立たせた。
「班長なら自分の部下を殴ってでも止めろ!!安い喧嘩なんざやらせるんじゃねえ!」
一角が真に向かって吠えた。しかし、声の割に目は冷静だ。
「上に立つなら、部下を守れ。自分も犠牲にすんな」
低く、しっかりとした声だった。
「はい。すみませんでした。見苦しい姿を…」
ヨロヨロと立ち上がりながら、真は頭を下げた。一角は、もういい、行け、と真を救護に連れて行くように女性隊士に言った。真は殴られた頬を庇いもせず、一角と更木に頭を下げ道場を後にした。後から部下の女性隊士達が慌てて付いて行こうとしたが、一角は一人でいいと叱り、鍛錬するよう言った。
 一連のやり取りを見ていた、真に不満を持つ隊士達はニヤニヤ笑っていたが、それを見た弓親が近づいて行った。
「気づかないのかい?一角は君たちに上に立つ資格は無いって言ってるんだよ」
えっ、と言葉を失っている間に、弓親はさっさと道場から出て、真を追った。
「あの〜、斑目三席ぃ〜」
八席の男が、そっと一角に近づいて行った。
「あんな強く殴らなくても…女なんですし…」
「あ?女だからって特別に扱う訳ねえだろ。馬鹿にしてんのか」
「そんな!!三席を馬鹿にするなんて!!」
「ちげーよ、馬鹿が」
その男は一角の言わんとする事に気づいたらしく、すごすごと下がっていった。
 上座でやちるがアハハっと笑う。
「まこまこ好かれてるねえ」
更木はため息をつく。
「……男だの女だの、くだらねえ」
さて、と更木は立ち上がり、木刀を持った。肩を回しながら中央に進む。
「階の下のやつからだ。来い。準備運動にはなるだろ」

午前中は道場からは悲鳴がなり止まなかった。
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