三服の香り(伊勢七緒)
6.その男危険につき
寒山は、僕にあらゆる事を教えてくれた。
子どもの頃は、虫や魚の捕り方、飛び込みが出来る岩場なんかを。ある程度歳がいくと、酒やタバコや博打を、女の誘い方も、寒山から習った。
彼は、戦えば百戦錬磨。言葉を交わせば、老若男女構わず彼に惹かれた。
若い頃は、そんなふうに何でもスマートにこなす寒山をかっこいいと思って、憧れていた。
寒山は、流魂街に住んでいる割に、羽振りが良かった。ある日、何故か聞いたら、女が持ってくるんだと、悪びれも無く言った。
その辺りから、寒山の異常さに気づき始めた。
彼は、自分以外の人間と虫や魚の区別がついていない。
自分一人が人間で、それ以外は食い物か、鑑賞物だと思っている。
女の捕り方は、熟知していた。
満足するまで遊んだら、後は道具にするのが、寒山の常だった。ただの少女が売女になっていくのを、何回も見ていた。
霊術院に入って寒山と離れられたのは、幸運だった。寒山とは真逆の、浮竹十四郎と出会えて、僕はかなりまともになれたと思う。
僕が八番隊副隊長になった頃、寒山の周りに人が集まりだした。必然だと思った。組織が大きくなるのを危惧した御艇は、寒山の討伐を計画した。だが、寒山一人に対して割に合わない被害が出た上、寒山に魅力されて死神を辞める者が相次ぎ、計画は中断された。
代わりに、寒山の力を利用した。寒山が50以降の地区を統治するのを見て見ぬフリをし、寒山の組が野盗や暴力団を潰すのに、武器を渡した。死神がするはずの、『汚い』仕事を寒山にさせた。おかげで魂魄の減少が緩やかになり、魂の均衡を保ちやすくなった。寒山の存在は大きかった。
その計画を発案したのは僕で、交渉も、武器の受け渡しも、全て僕がやった。昔のよしみで、寒山は殆どの要求を飲んでくれた。その代わり僕は、寒山が女を廃人にするのも、法外なみかじめ料も目を瞑った。
寒山の興味が精霊艇に向くのを、止めたかった。
寒山は、流魂街の自由な暮らしを気に入っていたから、死神に興味を抱かなかった。
だから、安心していた。予想外だった。
まさか寒山が、七緒ちゃんに興味を持つなんて。
寒山が七緒から言葉を引き出す前に、京楽は七緒の口を塞いだ。
「この子に、何をしたの。寒山」
「……春水」
七緒を挟んで二人は対峙し、寒山は嬉しそうに笑い、京楽は怒りを含んだ目で寒山を睨んだ。
「その子は、お前のだったか。それは悪かった。もう昔の様に貸し合えないからな」
「昔の話をするな。寒山」
京楽の言葉が強くなり、七緒を抱き寄せた。七緒の顔を自分の胸に押し付け、耳を塞いだ。
寒山は、狂気を含んだ笑みを京楽に見せた。
「伊勢さん。君は、春水の女だったのか?」
「寒山!!彼女に話しかけるな!!」
耳を塞がれている七緒には、ボンヤリとしたやり取りしか聞こえなかったが、京楽が異様に寒山を警戒しているのが伝わってきた。
「何故その子だけ守るんだ、春水。他の女は見殺しだったのに」
「駄目にしたのは、君だろ」
「同罪だよ、春水。君は助ける事ができたのに。彼女達を、道具だと思っていたんだろ?僕を扱う為の」
寒山の笑みは、ますます狂気を含んだ。京楽は答えず、黙って寒山を見ていた。
「伊勢さんに、闇を知られるのが怖いか?春水」
「……僕が知られたく無かったのは、君だ」
「何故だ。君の友達だろう、僕は。君がいつもそう言うじゃないか。だから、汚い仕事も引き受けたのに。」
「ああ、でも、これだけは駄目だ。七緒ちゃんに関わるな」
寒山は笑って、京楽の腕を掴んだ。無理矢理京楽の手を剥がし、七緒の耳を開放した。京楽が力を入れても、寒山の腕はびくともしなかった。
「聞いたか?今の」
寒山は京楽を無視して、七緒に話しかけた。七緒は怯えた顔をして、寒山を見た。
「君の男女交際は、隊長の許可が必要なのか?」
「寒山!!」
京楽がもう片方の手を、寒山の顔めがけて伸ばしたが、寒山が指を掴み、あり得ない方向に曲げた。骨が折れる音がした。
「伊勢さんと話しているんだ。邪魔しないでくれ」
寒山は七緒の頬に手をやり、目を見つめた。
「秘密を作ろう。二人だけの。その為に、来たんだろ?」
こんな状況なのに、七緒は寒山を拒めなかった。
この人は、隊長の指を折った。
隊長が警戒している。
この人は、危ない。
危ないのに……。
寒山の目に捕らえられて、七緒が動けないでいると、突然視界が動いた。
京楽が七緒を抱えて、瞬歩で逃げたのだ。
ある程度の距離に来ると、京楽は普通に走り出した。後ろから、寒山の声がした。
「また会おう」
それは、京楽に言ったのか、七緒に言ったのかは、分からなかった。
京楽は黙って走り続け、七緒は寒山に会いに行った後悔と、寒山から離れてしまった喪失感で、心がぐちゃぐちゃだった。
寒山は、僕にあらゆる事を教えてくれた。
子どもの頃は、虫や魚の捕り方、飛び込みが出来る岩場なんかを。ある程度歳がいくと、酒やタバコや博打を、女の誘い方も、寒山から習った。
彼は、戦えば百戦錬磨。言葉を交わせば、老若男女構わず彼に惹かれた。
若い頃は、そんなふうに何でもスマートにこなす寒山をかっこいいと思って、憧れていた。
寒山は、流魂街に住んでいる割に、羽振りが良かった。ある日、何故か聞いたら、女が持ってくるんだと、悪びれも無く言った。
その辺りから、寒山の異常さに気づき始めた。
彼は、自分以外の人間と虫や魚の区別がついていない。
自分一人が人間で、それ以外は食い物か、鑑賞物だと思っている。
女の捕り方は、熟知していた。
満足するまで遊んだら、後は道具にするのが、寒山の常だった。ただの少女が売女になっていくのを、何回も見ていた。
霊術院に入って寒山と離れられたのは、幸運だった。寒山とは真逆の、浮竹十四郎と出会えて、僕はかなりまともになれたと思う。
僕が八番隊副隊長になった頃、寒山の周りに人が集まりだした。必然だと思った。組織が大きくなるのを危惧した御艇は、寒山の討伐を計画した。だが、寒山一人に対して割に合わない被害が出た上、寒山に魅力されて死神を辞める者が相次ぎ、計画は中断された。
代わりに、寒山の力を利用した。寒山が50以降の地区を統治するのを見て見ぬフリをし、寒山の組が野盗や暴力団を潰すのに、武器を渡した。死神がするはずの、『汚い』仕事を寒山にさせた。おかげで魂魄の減少が緩やかになり、魂の均衡を保ちやすくなった。寒山の存在は大きかった。
その計画を発案したのは僕で、交渉も、武器の受け渡しも、全て僕がやった。昔のよしみで、寒山は殆どの要求を飲んでくれた。その代わり僕は、寒山が女を廃人にするのも、法外なみかじめ料も目を瞑った。
寒山の興味が精霊艇に向くのを、止めたかった。
寒山は、流魂街の自由な暮らしを気に入っていたから、死神に興味を抱かなかった。
だから、安心していた。予想外だった。
まさか寒山が、七緒ちゃんに興味を持つなんて。
寒山が七緒から言葉を引き出す前に、京楽は七緒の口を塞いだ。
「この子に、何をしたの。寒山」
「……春水」
七緒を挟んで二人は対峙し、寒山は嬉しそうに笑い、京楽は怒りを含んだ目で寒山を睨んだ。
「その子は、お前のだったか。それは悪かった。もう昔の様に貸し合えないからな」
「昔の話をするな。寒山」
京楽の言葉が強くなり、七緒を抱き寄せた。七緒の顔を自分の胸に押し付け、耳を塞いだ。
寒山は、狂気を含んだ笑みを京楽に見せた。
「伊勢さん。君は、春水の女だったのか?」
「寒山!!彼女に話しかけるな!!」
耳を塞がれている七緒には、ボンヤリとしたやり取りしか聞こえなかったが、京楽が異様に寒山を警戒しているのが伝わってきた。
「何故その子だけ守るんだ、春水。他の女は見殺しだったのに」
「駄目にしたのは、君だろ」
「同罪だよ、春水。君は助ける事ができたのに。彼女達を、道具だと思っていたんだろ?僕を扱う為の」
寒山の笑みは、ますます狂気を含んだ。京楽は答えず、黙って寒山を見ていた。
「伊勢さんに、闇を知られるのが怖いか?春水」
「……僕が知られたく無かったのは、君だ」
「何故だ。君の友達だろう、僕は。君がいつもそう言うじゃないか。だから、汚い仕事も引き受けたのに。」
「ああ、でも、これだけは駄目だ。七緒ちゃんに関わるな」
寒山は笑って、京楽の腕を掴んだ。無理矢理京楽の手を剥がし、七緒の耳を開放した。京楽が力を入れても、寒山の腕はびくともしなかった。
「聞いたか?今の」
寒山は京楽を無視して、七緒に話しかけた。七緒は怯えた顔をして、寒山を見た。
「君の男女交際は、隊長の許可が必要なのか?」
「寒山!!」
京楽がもう片方の手を、寒山の顔めがけて伸ばしたが、寒山が指を掴み、あり得ない方向に曲げた。骨が折れる音がした。
「伊勢さんと話しているんだ。邪魔しないでくれ」
寒山は七緒の頬に手をやり、目を見つめた。
「秘密を作ろう。二人だけの。その為に、来たんだろ?」
こんな状況なのに、七緒は寒山を拒めなかった。
この人は、隊長の指を折った。
隊長が警戒している。
この人は、危ない。
危ないのに……。
寒山の目に捕らえられて、七緒が動けないでいると、突然視界が動いた。
京楽が七緒を抱えて、瞬歩で逃げたのだ。
ある程度の距離に来ると、京楽は普通に走り出した。後ろから、寒山の声がした。
「また会おう」
それは、京楽に言ったのか、七緒に言ったのかは、分からなかった。
京楽は黙って走り続け、七緒は寒山に会いに行った後悔と、寒山から離れてしまった喪失感で、心がぐちゃぐちゃだった。