臆病は大人(ローズ)
9.
虚の討伐から陸が帰ってくると、ローズは陸を誘ってご飯に行った。二人でご飯に行くのは、もう何回もしている。
「お疲れ様〜。大変だったねえ」
乾杯をしながら、ローズは陸を労った。陸は相変わらず照れながらも、笑顔で応えた。
「この為に頑張りました」
「おや、期待してた?」
「へへへ」
陸はこうやっていつも、好意を伝えてくれる。悪い気はしない。いや、寧ろ嬉しい。だけどそれは、子供が大人に憧れるようなものなのか、恋愛感情なのか、ローズにも、おそらく陸にも分かっていない。
関係を進めるべきか、引き時を考えるべきか……。
二人は楽しく飲んで、早めに居酒屋を出た。
「今日はよく休んで」
暖簾をくぐりながら、ローズが優しく声をかけたが、陸の顔は不満げだ。
「……まだ」
まだ帰りたくない。と言う前に、ローズの手が陸の頭に乗った。
「明日も仕事でしょ。疲れているんだから、休まないと」
大人が子どもを諭すような、落ち着いた優しい声だった。
陸は悲しげな顔でローズを見上げた。
鳳橋隊長は私を、朝まで一緒に過ごす相手とは見ていないんだ………。
陸は、二人の関係の歩みが止まったのを感じた。
ここが限界なの?
ローズは優しい笑顔の裏で、自分を制していた。
僕が手を出したら、きっと君は喜んで受け入れてくれる。だけど、できないよ。僕の全てを見せるなんて、できない。お互いがお互いに夢を見合っている、今の関係が、きっと一番美しい。
「……送るよ」
「……いえ、大丈夫、です」
陸はローズの手からスルリと抜け出して、後ろに下がった。泣きそうな顔をしていた。
ローズは声をかけられないまま、陸の背中を見送った。今まで残酷な事をしてきてしまったと、自分の行為を恥じた。
前に進まなかった関係は、後退するしか無かった。
その夜以来、陸もローズもお互いにメールを送れずにいた。
陸は、ローズとの進まなかった関係に打ちひしがれていたし、ローズはこれ以上期待させる事ができなかった。
あんなにも幸せだった日常は、陸のたった一言で崩れ去った。言わなければ良かったと後悔しても、もう遅い。
ある日、また同窓会が開かれた。
毎年同窓会はあるが、陸の気が向いたのは久しぶりだ。今は映画を見ても、ローズとやり取りをしていたあの日々を思い出して集中できなかった。辛さを紛らわす為に、陸は同窓会に行った。
会場に入ると、旧友達の目が不思議そうに陸を捉えた。誰か分かっていないようだ。
「ソラちゃん」
安心する声がしてそちらを見ると、雛森が手を振っていた。向かいに吉良もいる。今は何となく、吉良と顔を合わせるのが気まずく感じたが、雛森に呼ばれたからには行くしかなかった。
周りは、ようやく荻野目陸だと分かったらしくザワついた。
「ソラちゃんが同窓会来るなんて久しぶりだね」
「うん。気が向いたから」
雛森の隣に座りながら陸が言った。
「あれ、ソラじゃねーか」
陸に遅れてやってきた恋次も、陸を珍しがって吉良の横に座った。
「どうなんだよ。鳳橋隊長とは」
座って開口一番に、恋次が不躾に聞いてきた。いきなり何を聞くんだ、と思ったが、この3人には言わなければいけない気がした。せっかく協力してくれたのに……。
「……限界を迎えた」
陸の答えに、3人の表情が固まった。
「…やっぱり、鳳橋隊長の性格、無理だった?」
吉良がおずおずと聞いてきたが、陸は首を横に振った。
「多分…候補には入れて貰えてたんだと思う…。毎日連絡とって、度々ご飯にも行ってたし。でも、『ここまでが限界』って、線引きされた」
「どうして…?」
雛森が残念そうに聞いた。
「『まだ帰りたくない』も、言わせて貰えなかった。遮られて、帰らされた」
「付き合ってもねえ女を、いつまでも連れ回せるかよ」
口を挟んだのは恋次だった。横で吉良も頷いていた。
「僕もそう思うよ。隊長はそんな軽い人じゃないし、それだけ親しくしてたんなら、まだきっと脈あるよ」
ローズと同性の二人の励ましに陸は少しだけ気を取り直したが、また連絡をとる勇気は持てなかった。
「……ありがとう。でも、今日はちょっと休ませて」
陸はそう言って、運ばれてきた酒に手を伸ばした。昔の陸と違って、現実にぶち当たって悩む姿を3人は初めて見たし、その分心配もした。
宴会が進むと、陸の周りには男が集まりだした。無理もない。可愛いからだ。
だが、陸は誰と話そうが、緊張する事も頬を赤らめる事もしなかった。
次の日、隊舎に出勤した陸は、あのデカ眼鏡を復活させていた。
「どうしたんだよ。眼鏡に戻して」
恋次は思わず声をかけた。
「ん、コンタクト疲れたし。こっちのが楽」
「……おう」
陸はそれ以上何も言わず、自分の席に行った。
一方三番隊執務室で、吉良とローズが仕事をしていた。
「昨日、同窓会があったんですよ」
吉良が話を振った。
「へえ、陸ちゃんも来たかい?」
それはもう自然に、ローズは陸の名前を出した。吉良は思わず目を見開いて、ローズを凝視した。
「どうかした?」
「……いえ……。随分、親しくしていたそうですね」
それでも、ローズの穏やかな笑みは変わらなかった。
「うん。ありがたい事にね」
「今も、毎日連絡取り合っているんですか?」
ここにきてようやく、ローズの笑みが消えた。
「……そう。聞いたんだね」
「……彼女と隊長を出会わせる手引したの、僕らなんですよ」
今度はローズが目を見開いて、吉良を見つめた。
「……あの飲み会かい?」
吉良は黙って頷いた。ローズは脱力したように椅子に持たれ、口元に笑みを浮かべた。
「……ありがとうと言うべきか、余計な事を、というべきか……」
「すみません。お節介だったとは思っていましたが、荻野目さんが初めて他人に興味を持ったので、応援したくて」
「……本当かい?それ…」
ローズは、いつも楽しそうに話を聞いてくれる陸の姿しか知らなかった。
「…彼女のあだ名、ご存知ですか?」
「いや……」
「上の空の『ソラ』って呼ばれてるんです。最初は先生が言い出したんですけど。……彼女は、本や映画の空想の世界が好きで、現実には何も興味を示さなかったんですよ。勉強も、交友関係も、自分の容姿にも。でも、隊長に出会って、全てを覆したんです。現実に向き合おうとした。だから僕も、雛森君も応援しようと思ったんです」
「……健気な話だね。美談だ」
ローズは笑みを浮かべたまま、ため息をついた。
「でも、僕みたいな『オジサン』には、荷の重い話だ」
虚の討伐から陸が帰ってくると、ローズは陸を誘ってご飯に行った。二人でご飯に行くのは、もう何回もしている。
「お疲れ様〜。大変だったねえ」
乾杯をしながら、ローズは陸を労った。陸は相変わらず照れながらも、笑顔で応えた。
「この為に頑張りました」
「おや、期待してた?」
「へへへ」
陸はこうやっていつも、好意を伝えてくれる。悪い気はしない。いや、寧ろ嬉しい。だけどそれは、子供が大人に憧れるようなものなのか、恋愛感情なのか、ローズにも、おそらく陸にも分かっていない。
関係を進めるべきか、引き時を考えるべきか……。
二人は楽しく飲んで、早めに居酒屋を出た。
「今日はよく休んで」
暖簾をくぐりながら、ローズが優しく声をかけたが、陸の顔は不満げだ。
「……まだ」
まだ帰りたくない。と言う前に、ローズの手が陸の頭に乗った。
「明日も仕事でしょ。疲れているんだから、休まないと」
大人が子どもを諭すような、落ち着いた優しい声だった。
陸は悲しげな顔でローズを見上げた。
鳳橋隊長は私を、朝まで一緒に過ごす相手とは見ていないんだ………。
陸は、二人の関係の歩みが止まったのを感じた。
ここが限界なの?
ローズは優しい笑顔の裏で、自分を制していた。
僕が手を出したら、きっと君は喜んで受け入れてくれる。だけど、できないよ。僕の全てを見せるなんて、できない。お互いがお互いに夢を見合っている、今の関係が、きっと一番美しい。
「……送るよ」
「……いえ、大丈夫、です」
陸はローズの手からスルリと抜け出して、後ろに下がった。泣きそうな顔をしていた。
ローズは声をかけられないまま、陸の背中を見送った。今まで残酷な事をしてきてしまったと、自分の行為を恥じた。
前に進まなかった関係は、後退するしか無かった。
その夜以来、陸もローズもお互いにメールを送れずにいた。
陸は、ローズとの進まなかった関係に打ちひしがれていたし、ローズはこれ以上期待させる事ができなかった。
あんなにも幸せだった日常は、陸のたった一言で崩れ去った。言わなければ良かったと後悔しても、もう遅い。
ある日、また同窓会が開かれた。
毎年同窓会はあるが、陸の気が向いたのは久しぶりだ。今は映画を見ても、ローズとやり取りをしていたあの日々を思い出して集中できなかった。辛さを紛らわす為に、陸は同窓会に行った。
会場に入ると、旧友達の目が不思議そうに陸を捉えた。誰か分かっていないようだ。
「ソラちゃん」
安心する声がしてそちらを見ると、雛森が手を振っていた。向かいに吉良もいる。今は何となく、吉良と顔を合わせるのが気まずく感じたが、雛森に呼ばれたからには行くしかなかった。
周りは、ようやく荻野目陸だと分かったらしくザワついた。
「ソラちゃんが同窓会来るなんて久しぶりだね」
「うん。気が向いたから」
雛森の隣に座りながら陸が言った。
「あれ、ソラじゃねーか」
陸に遅れてやってきた恋次も、陸を珍しがって吉良の横に座った。
「どうなんだよ。鳳橋隊長とは」
座って開口一番に、恋次が不躾に聞いてきた。いきなり何を聞くんだ、と思ったが、この3人には言わなければいけない気がした。せっかく協力してくれたのに……。
「……限界を迎えた」
陸の答えに、3人の表情が固まった。
「…やっぱり、鳳橋隊長の性格、無理だった?」
吉良がおずおずと聞いてきたが、陸は首を横に振った。
「多分…候補には入れて貰えてたんだと思う…。毎日連絡とって、度々ご飯にも行ってたし。でも、『ここまでが限界』って、線引きされた」
「どうして…?」
雛森が残念そうに聞いた。
「『まだ帰りたくない』も、言わせて貰えなかった。遮られて、帰らされた」
「付き合ってもねえ女を、いつまでも連れ回せるかよ」
口を挟んだのは恋次だった。横で吉良も頷いていた。
「僕もそう思うよ。隊長はそんな軽い人じゃないし、それだけ親しくしてたんなら、まだきっと脈あるよ」
ローズと同性の二人の励ましに陸は少しだけ気を取り直したが、また連絡をとる勇気は持てなかった。
「……ありがとう。でも、今日はちょっと休ませて」
陸はそう言って、運ばれてきた酒に手を伸ばした。昔の陸と違って、現実にぶち当たって悩む姿を3人は初めて見たし、その分心配もした。
宴会が進むと、陸の周りには男が集まりだした。無理もない。可愛いからだ。
だが、陸は誰と話そうが、緊張する事も頬を赤らめる事もしなかった。
次の日、隊舎に出勤した陸は、あのデカ眼鏡を復活させていた。
「どうしたんだよ。眼鏡に戻して」
恋次は思わず声をかけた。
「ん、コンタクト疲れたし。こっちのが楽」
「……おう」
陸はそれ以上何も言わず、自分の席に行った。
一方三番隊執務室で、吉良とローズが仕事をしていた。
「昨日、同窓会があったんですよ」
吉良が話を振った。
「へえ、陸ちゃんも来たかい?」
それはもう自然に、ローズは陸の名前を出した。吉良は思わず目を見開いて、ローズを凝視した。
「どうかした?」
「……いえ……。随分、親しくしていたそうですね」
それでも、ローズの穏やかな笑みは変わらなかった。
「うん。ありがたい事にね」
「今も、毎日連絡取り合っているんですか?」
ここにきてようやく、ローズの笑みが消えた。
「……そう。聞いたんだね」
「……彼女と隊長を出会わせる手引したの、僕らなんですよ」
今度はローズが目を見開いて、吉良を見つめた。
「……あの飲み会かい?」
吉良は黙って頷いた。ローズは脱力したように椅子に持たれ、口元に笑みを浮かべた。
「……ありがとうと言うべきか、余計な事を、というべきか……」
「すみません。お節介だったとは思っていましたが、荻野目さんが初めて他人に興味を持ったので、応援したくて」
「……本当かい?それ…」
ローズは、いつも楽しそうに話を聞いてくれる陸の姿しか知らなかった。
「…彼女のあだ名、ご存知ですか?」
「いや……」
「上の空の『ソラ』って呼ばれてるんです。最初は先生が言い出したんですけど。……彼女は、本や映画の空想の世界が好きで、現実には何も興味を示さなかったんですよ。勉強も、交友関係も、自分の容姿にも。でも、隊長に出会って、全てを覆したんです。現実に向き合おうとした。だから僕も、雛森君も応援しようと思ったんです」
「……健気な話だね。美談だ」
ローズは笑みを浮かべたまま、ため息をついた。
「でも、僕みたいな『オジサン』には、荷の重い話だ」