終の船
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「あーあ。早く次の島につかないかなぁ…」
「この前上陸したばっかだよ?」
「何言ってんの! もう二週間経ってるのよ!」
大きく言い切った後でイッカクはジョッキの中の酒を一気に飲み干した。いい飲みっぷりに笑いながら、フィリィは食堂の端にかけられている大きなカレンダーを見る。赤い丸が付けられている日から今日で二週間。途中で青い丸も付いているがあれは道中で見つけた無人島に降りた時の印だ。ログポースの通りに進んだから人のいる島に降りられるというわけではない。過去に人が住んでいた形跡だけが残る島、大きな獣達で生態系が作られた島に導かれる時もある。人がいる島でも完全に海賊嫌いの住民しかいない島もある。そういうところは停泊する事すら難しい。もちろん食料を分けてもらえるわけもなく、ログポースを溜める事も出来ずに島を離れるしかなくなる。無理矢理にでも居座れば最悪海軍との交戦にもなるからだ。
そんな一筋縄ではいかない旅の中だとフィリィは船の中の生活の方が幾分かマシだと思うようになっていた。もちろんそれは同乗している人間に恵まれているからでもあるのだが。
「あんた結構平気よね。潜水艦生活」
「閉じ込められるのは慣れてるからね」
「ブラックジョークが過ぎない?」
今となっては船員の中でフィリィの生い立ちを知らないものはいない。特にイッカクやペンギン、シャチとベポに至ってはどういう生活をしてきたかも知っている。自分の中では過ぎた話なので悲観することもなく話してしまったが、イッカク達には「それが逆に怖い」とのことだった。そういえば、ローには研究所での生活は話したことがない。あちらからすればロシナンテさんや海軍の話以外は興味がないだろうけど。
イッカクの呆れた様子に穏やかに笑っていると、ほろ酔い状態のシャチとペンギンが絡んでくる。相変わらずの絡み酒にフィリィはバレない様にジョッキを遠ざけた。
「ご機嫌ナナメだなァ イッカク」
「ストレス溜まってんのよ!」
瓶を持っていたシャチに自分のジョッキを差し出すイッカクは確かに最近よく体を動かしているのを見る。ハートの海賊団は全員が戦闘にも参加できるので、定期的に戦闘訓練の日が設けられている。全員で一斉にというのは難しいので何組かに分けられているが、イッカクは別の組の時にも参加していた。体を動かすことで溜まっているストレスを発散しているのだろう。だがいつも理性的に戦闘に関して学んでいるから、バランスを見誤っていない姿には感心する。
酒を注がれたジョッキを勢いよくぶつけて「乾杯!」と機嫌よく言うと三人は中身を勢いよく飲む。イッカクはジョッキから口を離すと深々とため息を吐く。
「ていうか早く島に着いてくれないと月のもの来ちゃうから遊びに行けないんだけど」
「ン、グっ」
「ゲホッ ゲホッ」
「イッカクさん。一旦水飲もう」
急な話題にペンギンとシャチは飲み込もうとしていた酒を詰まらせる。吹き出さなかっただけ二人を褒めたいところだ。イッカクはむすっとしながら差し出された水を飲むとまたすぐにジョッキに持ち代える。酒を飲むのもまたストレス発散なのだろうか。明日に響かないといいのだが。
「あんた達だって溜まるもんあるでしょ」
「あるけどよ…オープンすぎるんだよイッカクは…」
「そういえばフィリィは? あんたいっつもちゃんと宿にいるわよね」
自分に回ってこないだろうと思ったフィリィは慌てて酒を飲み込む。宿を取った時は基本的に四人で一部屋を使っているが、女性は二人だけなので島では常に同室だ。最初の頃からイッカクは夜に宿屋に帰ってきたことが無かったので、遊びに行っていることは察しがついていた。それでも触れてこなかったのはあまり踏み込んで色々とやり辛く感じるとダメだなと思ったからなのだが、イッカク自身はそんなことは気にしていなかったようだ。
「私はあんまりそっち方面は興味ないかな」
「そうなの?」
「それに関してはおれも少し分かる」
「え〜〜?? おれは結構イッカクと同じだな」
フィリィとペンギン、イッカクとシャチで見事に意見が二つに割れているが、酒の席とはいえ食堂でするような話でもない気がする。酔っ払いのイッカクとほろ酔いの二人なので仕方ないのかもしれないが。
「ストレス発散って感じしない? それにプラスで気持ちいいし万々歳」
「うーん。そもそもセックスに対する捉え方が違うのはあるかも」
人によって度合いは違えど、欲は満たされなければストレスが溜まって精神面に良くない影響を出すこともあるだろう。その中でも性欲は割と話題としては避けられがちな部類だと思う。食欲、睡眠欲と合わせて三大欲求というぐらいなので、人間が生きていく上で必須な要素であることは代わりはないし、本人の意思で夜の店を利用して発散している分には特別問題はないと思っている。だがこんなこと基本的には明け透けに話される話題でもないし、そもそもセックスへの捉え方一つでどういった性欲の満たし方が合っているかも変わるだろう。
「私は恋人同士の愛情表現の一種だと思ってるから、イッカクさんとは考えが違うと思うんだよね」
「あー、なるほどね。そりゃあ違うわね」
「え? じゃあおれもそっち派じゃね?」
「あんたはハマりやすいだけでしょ! 私だって好みの顔の男としかしないし」
確かに店の男性とはいえ体を任せる事になるわけだし、気に入った人の方がいいだろう。まあそれが行き過ぎるとシャチのように恋多き男になってしまうのだろうけど。
「その割にキャプテンには何も思わないのな」
「キャプテンは確かにかっこいいけど、顔は私の好みとはズレてるのよね。もっと薄い顔が好きなのよ、私」
「何となく分かるかも。ローってパーツ整ったイケメンだよね」
「抜群に顔整ってるおまえに言われてもなァ……」
キャプテンの顔の造形については全面的に同意だが、フィリィに関しては誰が見ても人形の様に整った顔をしている。そこまでのレベルだと黙っていると怖く感じる事もあるが、フィリィにその独特の雰囲気が無いのは話しかけやすそうな人柄もあるのだろう。フィリィは島では一人行動ばかりだが、合流の時にナンパされているのはよく見るし、酒場でもキャプテンが隣にいないとよく声をかけられている。顔だけでなくスタイルもいいので群がる男たちの気持ちは分かる。ペンギンやシャチも普通に酒場で見かければ一緒に飲まないかと誘ってしまうだろう。
「おまえら。あんまり飲みすぎるなよ」
急に飛んできた声に視線がそちらに向いた。少し呆れた様子のローに四人揃って返事をする。周りも程々にお開きムードなのは明日の仕事もあるからだろう。その様子を見て、ペンギンが「あ!」と声を上げる。
「クリオネ酔い潰れてね?」
「えぇ?! あいつ今日不寝番だろ!」
周りで起こそうとしている船員に混ざりに行ったペンギンとシャチを視線で見送っていると、隣からローの深々としたため息が聞こえてきた。今日は朝から海上での航海をしていて、気候も安定しているので明日の朝までその予定だった。海中で船を進める場合はソナーを使うので最悪の場合操舵室に一人いればいいが、海上となると自然と不寝番が必要になる。だが、あの様子だと起きているのは難しそうだ。
「フィリィ、あんた代わってやれば?」
「いやいや、私はダメでしょ」
イッカクの提案にすぐに首を横に振る。確かに全く酔っていないのは自分ぐらいだろうし、許容量はまだまだ先だ。飲んだ内にも入っていない程度の酒の量なので朝まで起きるのも全く問題ないが、自分がただ乗せて貰っているだけの人間であることを忘れているのではないだろうか。
断るフィリィをよそにイッカクはちらりとローの方を見る。ぶつかった視線は少し考えているような意識を持ったままフィリィをの方に逸れて行った。
「……どれぐらい飲んだ」
「えっと……これ飲みきったら眠くなっちゃうから…」
無理。とフィリィが言い切る前にイッカクが手元からジョッキを奪い去って一気に飲み干す。ぽかんとする顔をよそに完全に中身を飲みきると一滴も酒の垂れてこないジョッキをひっくり返したまま「ごちそうさま」とご機嫌に笑う。
「私のお酒!」
「あんたまだ二杯ぐらいしか飲んでないでしょ。嘘ついて逃れようとしないでよね〜」
そのやり取りに頭上でふっと笑う声が聞こえてイッカクはローの方を見た。騒ぐ自分たちを見る視線は食堂でよく感じる視線だ。馬鹿なヤツらと笑いながら居心地がいいと思っている視線。すぐにフィリィを見るが、自分を真っ直ぐ見て文句を言ってくるだけでローの視線には気づいていない。
——— 鈍いなぁ…でもキャプテンも強情だからな…
フィリィはまだ自分が警戒されていると思っているのだろうか。クルー達は早々にそんな感情は吹き飛んでいたし、イッカクもこの約二ヶ月の航海でフィリィはかなり船に馴染んできたと感じている。あと一歩踏み込んで来ないフィリィの態度はもどかしさもあるが、それは「キャプテンに認められなければクルーではない」という一線があっての事だろう。それを理解できないほど自分たちも鈍感では無い。最近になって全員揃って無理矢理船内の事に関わらせようと背中を押しているのは、なし崩し的にキャプテンにもサッサと認めて貰おうと思っているからだ。
始まりが「認めないと乗らせない」と言ってしまった以上、キャプテンの中でも変な意地が生まれている気がする。簡単に認められないのは船長としては正しいが、ここまで来たらいい加減に乗せてやると言ってもいいのではないだろうか。もう警戒する気持ちなんて完全に上辺だけのものになってしまっているのだから。
「ね、キャプテン。フィリィが代わってもいいでしょう? クリオネはあんなだし」
イッカクが親指を使って示した先には顔を真っ赤に完全に酔いつぶれているクリオネの姿がある。確かにあれでは不寝番どころか見張りにもならない。
「…今日はハクガンが操舵手だ。何かあったらまずそっちに連絡しろ」
言いながらローが子電伝虫を机の上に置くとフィリィは「えっ」と声を上げる。そのまま不寝番の時のルールを言えば、ぽかんとしたまま話を聞く。イッカクはにこにこと機嫌が良さそうにその様子を見つめていた。
「じゃあ、任せる」
「え?!」
「はいはい。もう諦めなって~」
適度に酔いも醒めてご機嫌なイッカクにフィリィは頭を抱える。不寝番を任されることは構わないが本当にいいのだろうか。いや、ローからの指示なのだし自分がどうこう言う領域でもないのかもしれない。イッカクがさっきよりもご機嫌になったのもよく分からないまま子電伝虫を手に取ると食堂を出た。
月明かりだけの海はかなり暗く、遠くまで見渡すことは難しい。波が船にぶつかる音だけが響いていて、海上は静かだ。甲板に続く扉から外に出るとちらりと上を見た。帆船としての機能はあるが、見張り台はついていないので自然と一番高い場所は一つになる。船の二階にある娯楽室のベランダ部分とでもいう位置から後方を見つめる姿が見えて、ローはそのまま意識だけを向けて壁にもたれた。時折聞こえる紙を捲る音に本でも読んでいるのかと行動を探っていく。
安全だと分かれば任せて自室に戻ればいい。信用して任せたのはつい先程までの自分のはずだが、どうしても気になってしまって確認に来てしまった。イッカクもそうだが、ハクガンにもあっさりと「分かりました」と言われてしまったのもあるかもしれない。だが、疑う気持ちが大きいかと言われたらそうではない気がする。怪我をしていたのを見てから、どこか危うさのようなものをフィリィに感じている。
ぱたりと本を閉じる音が聞こえて目を開ける。影は動かないまま暗い海を見つめていた。そのまま話しかけるような声量で聞こえて来た歌は聞き覚えのあるものだ。北の海ではよく聞く子守歌。夜の海の綺麗さを語る歌だ。子供の頃によく歌ってもらったことを思い出す。本を中々手放さない自分に語って聞かせるように、記憶の中でしか会えない人は歌ってくれていた。奥底にあるその顔が浮いては消える感覚を繰り返す。幼いころの記憶はどんどんと音が、色が、匂いが無くなっている。どんな記憶も忘れるものでも、忘れられるものでもないが。
ひらりと目の前に白い何かが落ちて来る。顔を上げると雪が降ってきている海が目に映った。確かに気温は下がっていたし、かなり冷え込んでいるとは思ったが相変わらず気候は不安定だ。雨ではないだけマシだろうか。それでも寒い事には変わりはない。いつの間にか止まった歌に聞こえていた方を見上げれば、赤い翼が見えて目を細めた。
「……”ROOM”」
どさりと何かが落ちる音にフィリィは後ろを振り返る。部屋から持って来ていた本が無くなる代わりにローがそこにいて目を瞬かせた。船に触れてしまわない様にと握った翼の端を離してしまいそうになって、慌てて握り直す。
「その恰好、寒くないのか」
「え? あぁ……羽が温かいから」
じっと見つめて来るローは翼の中に包まれた自分の服装を見ていたらしい。翼を出すのに着ていた上着やパーカーを脱いだから心配になる程薄着なのは理解できる。でも熱を持った翼が周りを囲んでくれるこの状態の方が、何枚も服を着込むよりもフィリィにとっては温かい。自分の体以外の場所に触れない様にとかなり気は使うが。
「上着を貸してやるから、服を着ろ」
「心配しなくても燃やしたりしないよ」
フィリィの言葉を無視して着ていた上着を脱ぐローに慌てて翼をしまう。脱いだものを着直すと投げるように上着を渡された。お礼をいって袖を通すと冷たい空気からさらに遠ざかった感覚がする。
雪が降ったからとわざわざ様子を見に来た感じでもないようだし、どこかでずっと見張っていたのだろうか。そんなことなら「任せる」なんて言わなければよかったのに。上着の前を閉めるとずっと自分から目を離さないローを見る。信用があるのか、ないのかよく分からない。それに怪我をしたのがバレた頃からフィリィの中では少し気まずい気持ちがある。隠し事をしていた申し訳なさもあるが、話をした後からどう接すればいいのか分からなくなってしまったのも事実だ。ローは自分をどう扱いたいのだろうか。認められているのかどうかも、最近は分かりづらく感じている。
「船の上で、戦闘以外で翼は出すな」
「……分かった」
疑問は浮かぶが、大方燃やしてしまったりの事故を防ぐためだろう。確かに体よりも大きく広がる翼の端まで気を配るのは難しい。炎が広がれば船一隻沈めてしまう事なんて簡単だ。そのまま、後は頼んだ。とだけ言い残してローはまた本と入れ替わって去って行く。目の前に落ちた本を拾うと雪に濡れてしまわないように服の中に入れた。
+++
仮面越しに見える景色が少し白く滲んだ気がして、何度か瞬きをする。クリアになった視界は今度はコンロから出る火から目が離せなくなった。ゆらゆらとたまに揺れるその動きに溜まった眠気がじわじわと体を侵食して、体が倒れそうになるのを何とか耐えた。雪が降る中での夜の航海は体を温めすぎると眠気が来るし、冷えすぎるとその場にいるのが辛い。操舵室の自分がそれだったのだから、甲板に居たフィリィはもっと辛かったのではないだろうか。
「あ、ハクガン。お疲れさま~」
心配を向けていた相手がキッチンに入ってきて顔を上げる。眠たそうな、少しとろけた滑舌でそういわれてにこりと笑って見せた。笑ったところで仮面のデザイン自体がそうなのだが、フィリィは雰囲気を読み取るのが妙に上手いからきっと伝わっただろう。自分もお湯が欲しいと言うフィリィにそれを見越して多めに沸かしたと胸を張れば「さすが~」とくすくすと笑う。
雪が降っているので日の光は無いが、艦内の空気は朝を示す様に澄んでいてまだまだ静かだ。起きる時間には早いので尚更静けさが目立つ。すぐに眠れるようにとハーブティーを淹れたフィリィと食堂に並んで座るとカップに口を付けた。温かい飲み物が喉を通って体の中に入って行く。そのままじんわりと広がる温かさに眠気が加速した気がした。
「はぁ~ さすがに眠いなぁ」
落ちて行ってしまいそうな自分の頭を支えるようにフィリィは両手で頬杖をつく。ふと姿を見た時から感じていた違和感に気付く。フィリィの上着はキャプテンがお気に入りでよく着ているものだ。
「貸してくれたんだよね。返しに行かないと」
キャプテンはわざわざフィリィの所に様子を見に行ったということだろうか。確かに冷え込んでいたとはいえ雪が降るのは想定外だったので、フィリィはきちんとした上着は持って行ってなかっただろう。酒を飲んだ後だったみたいだし、それも心配だったのかもしれない。
「え~? 違うよ。心配なのは船の方でしょ」
甲板であったことを話してくれるフィリィの言葉を聞きながら相槌を打つ。確かに聞いた限りはフィリィの事を疑っての行動の様に思えるが、何だかそれだけではない気がする。そもそも不寝番を許可したのはキャプテンで、自分の所にも直々に伝えに来た。何より最近のキャプテンはフィリィをよく構う。今まではつかず離れずな距離感だったのに、急に他のクルーと似たような接し方をすることが増えたのだ。まあ、キャプテンは頑固なのできっと言っても認めないだろうけど。
お互いにカップの中身を飲み終えると後片付けをして部屋に向かう。「途中で倒れない様にね」なんて冗談を言うと去って行くフィリィを見送る。上着の背中に入っているハートの海賊団のジョリー・ロジャーに早く本物になれたらいいのに。と思った。
「この前上陸したばっかだよ?」
「何言ってんの! もう二週間経ってるのよ!」
大きく言い切った後でイッカクはジョッキの中の酒を一気に飲み干した。いい飲みっぷりに笑いながら、フィリィは食堂の端にかけられている大きなカレンダーを見る。赤い丸が付けられている日から今日で二週間。途中で青い丸も付いているがあれは道中で見つけた無人島に降りた時の印だ。ログポースの通りに進んだから人のいる島に降りられるというわけではない。過去に人が住んでいた形跡だけが残る島、大きな獣達で生態系が作られた島に導かれる時もある。人がいる島でも完全に海賊嫌いの住民しかいない島もある。そういうところは停泊する事すら難しい。もちろん食料を分けてもらえるわけもなく、ログポースを溜める事も出来ずに島を離れるしかなくなる。無理矢理にでも居座れば最悪海軍との交戦にもなるからだ。
そんな一筋縄ではいかない旅の中だとフィリィは船の中の生活の方が幾分かマシだと思うようになっていた。もちろんそれは同乗している人間に恵まれているからでもあるのだが。
「あんた結構平気よね。潜水艦生活」
「閉じ込められるのは慣れてるからね」
「ブラックジョークが過ぎない?」
今となっては船員の中でフィリィの生い立ちを知らないものはいない。特にイッカクやペンギン、シャチとベポに至ってはどういう生活をしてきたかも知っている。自分の中では過ぎた話なので悲観することもなく話してしまったが、イッカク達には「それが逆に怖い」とのことだった。そういえば、ローには研究所での生活は話したことがない。あちらからすればロシナンテさんや海軍の話以外は興味がないだろうけど。
イッカクの呆れた様子に穏やかに笑っていると、ほろ酔い状態のシャチとペンギンが絡んでくる。相変わらずの絡み酒にフィリィはバレない様にジョッキを遠ざけた。
「ご機嫌ナナメだなァ イッカク」
「ストレス溜まってんのよ!」
瓶を持っていたシャチに自分のジョッキを差し出すイッカクは確かに最近よく体を動かしているのを見る。ハートの海賊団は全員が戦闘にも参加できるので、定期的に戦闘訓練の日が設けられている。全員で一斉にというのは難しいので何組かに分けられているが、イッカクは別の組の時にも参加していた。体を動かすことで溜まっているストレスを発散しているのだろう。だがいつも理性的に戦闘に関して学んでいるから、バランスを見誤っていない姿には感心する。
酒を注がれたジョッキを勢いよくぶつけて「乾杯!」と機嫌よく言うと三人は中身を勢いよく飲む。イッカクはジョッキから口を離すと深々とため息を吐く。
「ていうか早く島に着いてくれないと月のもの来ちゃうから遊びに行けないんだけど」
「ン、グっ」
「ゲホッ ゲホッ」
「イッカクさん。一旦水飲もう」
急な話題にペンギンとシャチは飲み込もうとしていた酒を詰まらせる。吹き出さなかっただけ二人を褒めたいところだ。イッカクはむすっとしながら差し出された水を飲むとまたすぐにジョッキに持ち代える。酒を飲むのもまたストレス発散なのだろうか。明日に響かないといいのだが。
「あんた達だって溜まるもんあるでしょ」
「あるけどよ…オープンすぎるんだよイッカクは…」
「そういえばフィリィは? あんたいっつもちゃんと宿にいるわよね」
自分に回ってこないだろうと思ったフィリィは慌てて酒を飲み込む。宿を取った時は基本的に四人で一部屋を使っているが、女性は二人だけなので島では常に同室だ。最初の頃からイッカクは夜に宿屋に帰ってきたことが無かったので、遊びに行っていることは察しがついていた。それでも触れてこなかったのはあまり踏み込んで色々とやり辛く感じるとダメだなと思ったからなのだが、イッカク自身はそんなことは気にしていなかったようだ。
「私はあんまりそっち方面は興味ないかな」
「そうなの?」
「それに関してはおれも少し分かる」
「え〜〜?? おれは結構イッカクと同じだな」
フィリィとペンギン、イッカクとシャチで見事に意見が二つに割れているが、酒の席とはいえ食堂でするような話でもない気がする。酔っ払いのイッカクとほろ酔いの二人なので仕方ないのかもしれないが。
「ストレス発散って感じしない? それにプラスで気持ちいいし万々歳」
「うーん。そもそもセックスに対する捉え方が違うのはあるかも」
人によって度合いは違えど、欲は満たされなければストレスが溜まって精神面に良くない影響を出すこともあるだろう。その中でも性欲は割と話題としては避けられがちな部類だと思う。食欲、睡眠欲と合わせて三大欲求というぐらいなので、人間が生きていく上で必須な要素であることは代わりはないし、本人の意思で夜の店を利用して発散している分には特別問題はないと思っている。だがこんなこと基本的には明け透けに話される話題でもないし、そもそもセックスへの捉え方一つでどういった性欲の満たし方が合っているかも変わるだろう。
「私は恋人同士の愛情表現の一種だと思ってるから、イッカクさんとは考えが違うと思うんだよね」
「あー、なるほどね。そりゃあ違うわね」
「え? じゃあおれもそっち派じゃね?」
「あんたはハマりやすいだけでしょ! 私だって好みの顔の男としかしないし」
確かに店の男性とはいえ体を任せる事になるわけだし、気に入った人の方がいいだろう。まあそれが行き過ぎるとシャチのように恋多き男になってしまうのだろうけど。
「その割にキャプテンには何も思わないのな」
「キャプテンは確かにかっこいいけど、顔は私の好みとはズレてるのよね。もっと薄い顔が好きなのよ、私」
「何となく分かるかも。ローってパーツ整ったイケメンだよね」
「抜群に顔整ってるおまえに言われてもなァ……」
キャプテンの顔の造形については全面的に同意だが、フィリィに関しては誰が見ても人形の様に整った顔をしている。そこまでのレベルだと黙っていると怖く感じる事もあるが、フィリィにその独特の雰囲気が無いのは話しかけやすそうな人柄もあるのだろう。フィリィは島では一人行動ばかりだが、合流の時にナンパされているのはよく見るし、酒場でもキャプテンが隣にいないとよく声をかけられている。顔だけでなくスタイルもいいので群がる男たちの気持ちは分かる。ペンギンやシャチも普通に酒場で見かければ一緒に飲まないかと誘ってしまうだろう。
「おまえら。あんまり飲みすぎるなよ」
急に飛んできた声に視線がそちらに向いた。少し呆れた様子のローに四人揃って返事をする。周りも程々にお開きムードなのは明日の仕事もあるからだろう。その様子を見て、ペンギンが「あ!」と声を上げる。
「クリオネ酔い潰れてね?」
「えぇ?! あいつ今日不寝番だろ!」
周りで起こそうとしている船員に混ざりに行ったペンギンとシャチを視線で見送っていると、隣からローの深々としたため息が聞こえてきた。今日は朝から海上での航海をしていて、気候も安定しているので明日の朝までその予定だった。海中で船を進める場合はソナーを使うので最悪の場合操舵室に一人いればいいが、海上となると自然と不寝番が必要になる。だが、あの様子だと起きているのは難しそうだ。
「フィリィ、あんた代わってやれば?」
「いやいや、私はダメでしょ」
イッカクの提案にすぐに首を横に振る。確かに全く酔っていないのは自分ぐらいだろうし、許容量はまだまだ先だ。飲んだ内にも入っていない程度の酒の量なので朝まで起きるのも全く問題ないが、自分がただ乗せて貰っているだけの人間であることを忘れているのではないだろうか。
断るフィリィをよそにイッカクはちらりとローの方を見る。ぶつかった視線は少し考えているような意識を持ったままフィリィをの方に逸れて行った。
「……どれぐらい飲んだ」
「えっと……これ飲みきったら眠くなっちゃうから…」
無理。とフィリィが言い切る前にイッカクが手元からジョッキを奪い去って一気に飲み干す。ぽかんとする顔をよそに完全に中身を飲みきると一滴も酒の垂れてこないジョッキをひっくり返したまま「ごちそうさま」とご機嫌に笑う。
「私のお酒!」
「あんたまだ二杯ぐらいしか飲んでないでしょ。嘘ついて逃れようとしないでよね〜」
そのやり取りに頭上でふっと笑う声が聞こえてイッカクはローの方を見た。騒ぐ自分たちを見る視線は食堂でよく感じる視線だ。馬鹿なヤツらと笑いながら居心地がいいと思っている視線。すぐにフィリィを見るが、自分を真っ直ぐ見て文句を言ってくるだけでローの視線には気づいていない。
——— 鈍いなぁ…でもキャプテンも強情だからな…
フィリィはまだ自分が警戒されていると思っているのだろうか。クルー達は早々にそんな感情は吹き飛んでいたし、イッカクもこの約二ヶ月の航海でフィリィはかなり船に馴染んできたと感じている。あと一歩踏み込んで来ないフィリィの態度はもどかしさもあるが、それは「キャプテンに認められなければクルーではない」という一線があっての事だろう。それを理解できないほど自分たちも鈍感では無い。最近になって全員揃って無理矢理船内の事に関わらせようと背中を押しているのは、なし崩し的にキャプテンにもサッサと認めて貰おうと思っているからだ。
始まりが「認めないと乗らせない」と言ってしまった以上、キャプテンの中でも変な意地が生まれている気がする。簡単に認められないのは船長としては正しいが、ここまで来たらいい加減に乗せてやると言ってもいいのではないだろうか。もう警戒する気持ちなんて完全に上辺だけのものになってしまっているのだから。
「ね、キャプテン。フィリィが代わってもいいでしょう? クリオネはあんなだし」
イッカクが親指を使って示した先には顔を真っ赤に完全に酔いつぶれているクリオネの姿がある。確かにあれでは不寝番どころか見張りにもならない。
「…今日はハクガンが操舵手だ。何かあったらまずそっちに連絡しろ」
言いながらローが子電伝虫を机の上に置くとフィリィは「えっ」と声を上げる。そのまま不寝番の時のルールを言えば、ぽかんとしたまま話を聞く。イッカクはにこにこと機嫌が良さそうにその様子を見つめていた。
「じゃあ、任せる」
「え?!」
「はいはい。もう諦めなって~」
適度に酔いも醒めてご機嫌なイッカクにフィリィは頭を抱える。不寝番を任されることは構わないが本当にいいのだろうか。いや、ローからの指示なのだし自分がどうこう言う領域でもないのかもしれない。イッカクがさっきよりもご機嫌になったのもよく分からないまま子電伝虫を手に取ると食堂を出た。
月明かりだけの海はかなり暗く、遠くまで見渡すことは難しい。波が船にぶつかる音だけが響いていて、海上は静かだ。甲板に続く扉から外に出るとちらりと上を見た。帆船としての機能はあるが、見張り台はついていないので自然と一番高い場所は一つになる。船の二階にある娯楽室のベランダ部分とでもいう位置から後方を見つめる姿が見えて、ローはそのまま意識だけを向けて壁にもたれた。時折聞こえる紙を捲る音に本でも読んでいるのかと行動を探っていく。
安全だと分かれば任せて自室に戻ればいい。信用して任せたのはつい先程までの自分のはずだが、どうしても気になってしまって確認に来てしまった。イッカクもそうだが、ハクガンにもあっさりと「分かりました」と言われてしまったのもあるかもしれない。だが、疑う気持ちが大きいかと言われたらそうではない気がする。怪我をしていたのを見てから、どこか危うさのようなものをフィリィに感じている。
ぱたりと本を閉じる音が聞こえて目を開ける。影は動かないまま暗い海を見つめていた。そのまま話しかけるような声量で聞こえて来た歌は聞き覚えのあるものだ。北の海ではよく聞く子守歌。夜の海の綺麗さを語る歌だ。子供の頃によく歌ってもらったことを思い出す。本を中々手放さない自分に語って聞かせるように、記憶の中でしか会えない人は歌ってくれていた。奥底にあるその顔が浮いては消える感覚を繰り返す。幼いころの記憶はどんどんと音が、色が、匂いが無くなっている。どんな記憶も忘れるものでも、忘れられるものでもないが。
ひらりと目の前に白い何かが落ちて来る。顔を上げると雪が降ってきている海が目に映った。確かに気温は下がっていたし、かなり冷え込んでいるとは思ったが相変わらず気候は不安定だ。雨ではないだけマシだろうか。それでも寒い事には変わりはない。いつの間にか止まった歌に聞こえていた方を見上げれば、赤い翼が見えて目を細めた。
「……”ROOM”」
どさりと何かが落ちる音にフィリィは後ろを振り返る。部屋から持って来ていた本が無くなる代わりにローがそこにいて目を瞬かせた。船に触れてしまわない様にと握った翼の端を離してしまいそうになって、慌てて握り直す。
「その恰好、寒くないのか」
「え? あぁ……羽が温かいから」
じっと見つめて来るローは翼の中に包まれた自分の服装を見ていたらしい。翼を出すのに着ていた上着やパーカーを脱いだから心配になる程薄着なのは理解できる。でも熱を持った翼が周りを囲んでくれるこの状態の方が、何枚も服を着込むよりもフィリィにとっては温かい。自分の体以外の場所に触れない様にとかなり気は使うが。
「上着を貸してやるから、服を着ろ」
「心配しなくても燃やしたりしないよ」
フィリィの言葉を無視して着ていた上着を脱ぐローに慌てて翼をしまう。脱いだものを着直すと投げるように上着を渡された。お礼をいって袖を通すと冷たい空気からさらに遠ざかった感覚がする。
雪が降ったからとわざわざ様子を見に来た感じでもないようだし、どこかでずっと見張っていたのだろうか。そんなことなら「任せる」なんて言わなければよかったのに。上着の前を閉めるとずっと自分から目を離さないローを見る。信用があるのか、ないのかよく分からない。それに怪我をしたのがバレた頃からフィリィの中では少し気まずい気持ちがある。隠し事をしていた申し訳なさもあるが、話をした後からどう接すればいいのか分からなくなってしまったのも事実だ。ローは自分をどう扱いたいのだろうか。認められているのかどうかも、最近は分かりづらく感じている。
「船の上で、戦闘以外で翼は出すな」
「……分かった」
疑問は浮かぶが、大方燃やしてしまったりの事故を防ぐためだろう。確かに体よりも大きく広がる翼の端まで気を配るのは難しい。炎が広がれば船一隻沈めてしまう事なんて簡単だ。そのまま、後は頼んだ。とだけ言い残してローはまた本と入れ替わって去って行く。目の前に落ちた本を拾うと雪に濡れてしまわないように服の中に入れた。
+++
仮面越しに見える景色が少し白く滲んだ気がして、何度か瞬きをする。クリアになった視界は今度はコンロから出る火から目が離せなくなった。ゆらゆらとたまに揺れるその動きに溜まった眠気がじわじわと体を侵食して、体が倒れそうになるのを何とか耐えた。雪が降る中での夜の航海は体を温めすぎると眠気が来るし、冷えすぎるとその場にいるのが辛い。操舵室の自分がそれだったのだから、甲板に居たフィリィはもっと辛かったのではないだろうか。
「あ、ハクガン。お疲れさま~」
心配を向けていた相手がキッチンに入ってきて顔を上げる。眠たそうな、少しとろけた滑舌でそういわれてにこりと笑って見せた。笑ったところで仮面のデザイン自体がそうなのだが、フィリィは雰囲気を読み取るのが妙に上手いからきっと伝わっただろう。自分もお湯が欲しいと言うフィリィにそれを見越して多めに沸かしたと胸を張れば「さすが~」とくすくすと笑う。
雪が降っているので日の光は無いが、艦内の空気は朝を示す様に澄んでいてまだまだ静かだ。起きる時間には早いので尚更静けさが目立つ。すぐに眠れるようにとハーブティーを淹れたフィリィと食堂に並んで座るとカップに口を付けた。温かい飲み物が喉を通って体の中に入って行く。そのままじんわりと広がる温かさに眠気が加速した気がした。
「はぁ~ さすがに眠いなぁ」
落ちて行ってしまいそうな自分の頭を支えるようにフィリィは両手で頬杖をつく。ふと姿を見た時から感じていた違和感に気付く。フィリィの上着はキャプテンがお気に入りでよく着ているものだ。
「貸してくれたんだよね。返しに行かないと」
キャプテンはわざわざフィリィの所に様子を見に行ったということだろうか。確かに冷え込んでいたとはいえ雪が降るのは想定外だったので、フィリィはきちんとした上着は持って行ってなかっただろう。酒を飲んだ後だったみたいだし、それも心配だったのかもしれない。
「え~? 違うよ。心配なのは船の方でしょ」
甲板であったことを話してくれるフィリィの言葉を聞きながら相槌を打つ。確かに聞いた限りはフィリィの事を疑っての行動の様に思えるが、何だかそれだけではない気がする。そもそも不寝番を許可したのはキャプテンで、自分の所にも直々に伝えに来た。何より最近のキャプテンはフィリィをよく構う。今まではつかず離れずな距離感だったのに、急に他のクルーと似たような接し方をすることが増えたのだ。まあ、キャプテンは頑固なのできっと言っても認めないだろうけど。
お互いにカップの中身を飲み終えると後片付けをして部屋に向かう。「途中で倒れない様にね」なんて冗談を言うと去って行くフィリィを見送る。上着の背中に入っているハートの海賊団のジョリー・ロジャーに早く本物になれたらいいのに。と思った。