終の船
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「各自指定した買い出しを頼む。ベポとおれは情報収集、ペンギンとシャチは宿確保しとけ」
了解! と元気よく返事をする船員達をフィリィは黙って見つめる。ローから指示が出た後はそのまま朝食を取りながら、買い出しの為の準備や久しぶりの陸での楽しみを各々話始める。
海軍との接触から数日後、ログポースに従って着いた島はそこそこ大きな島だった。観光地と言う訳では無いが港は市場になっていて、周辺の島からも買い物に来ている船や自分たちと同じ海賊船も停泊している。今のところ海軍の船は見当たらないが、接触した軍艦が巡回船だったのでもしもの場合に備えて警戒は必要だろう。
賑やかな食卓で黙って朝食のおにぎりと味噌汁を食べながらフィリィは隣に座るローを見た。キャプテンであるローから自分は特に指示を出されていない。何もしなくていいと言われるならそれはそれで時間の潰し方を考えないといけなくなる。
「私は手伝わなくていいの?」
「いやいや、おまえはまず自分の物買いに行けよ」
「そうだぞ〜 服は必要だろ」
机を挟んで向かい側に座っていたペンギンとシャチに言われて、そっか。とさも納得したように言葉を吐く。そうは言われても今は一文無しな状態なので買えるものは何も無い。ろくな荷物も持たずに船に乗り込んだので、唯一の女性船員であるイッカクの着なくなった服と自分が元々着ていた服を何とか着回していた。だが、それにも限界があるのは確かだ。今までは島でアルバイトをして稼いだお金でやりくりしていたが、この島のログがどれぐらいで溜まるかも分からない。さすがに船員でも無いのに船のお金を貰うのは気が引ける。ここは大人しく船番コースがいいかもしれない。お金のことはまた考えておけばいい。
朝食を食べ終わったクルー達は食器を片付けるとまずはそれぞれ与えられた買い出しに行くために相談し合いながら食堂を出ていく。最初の船番は誰だろうか、ときょろきょろしているとローに後ろから声をかけられた。
「手を出せ」
「?」
言われるままに大人しく片手を出せばその上に落とすように置かれた布の袋を慌てて両手で掴む。その中身がぶつかり合う音と感触に何が入っているかはすぐに分かった。
「これ……」
「充分足りるだろ」
「足りるっていうか…」
中を開いていないので分からないが、むしろ多い方ではないだろうか。服にプラスして贅沢品まで買えてしまいそうだ。ローを見上げても少しだけ逸らされた視線とは目が合わない。何度か手元と交互に見てから、大人しくお礼を言うことにした。
「ありがとう。大切に使うね」
「…そうしろ」
受け取ったのを確認してからローはフィリィに背を向ける。ベポの待っている甲板に向かいながら、島に到着した直後にしたイッカクとの会話を思い出す。
『一文無しで乗ってきたのは向こうだろ』
『確かにそうですけど、下着を買うお金ぐらいはあげてください。あの子私より胸が大きいからサイズが合わないんですよ』
明け透けにそういうイッカクに眉間を揉んだのもまだ記憶に新しい。確かに見た限りでわかる程度に差はあるが、それをストレートに伝えられるとどう反応をすればいいのか分からない。確かにサイズの合わない物を着続けるのは良くないが、だからといってそれにどれぐらいのベリーが必要かはさすがに分かるわけもなく。イッカクに金額を聞いて渡させようとしたにも関わらず、そのまま言い逃げをされてしまった。
結局自分なりに多めに渡す羽目になったが、これで持ち逃げなんてされたらどうするつもりなのだろうか。そもそも最近クルー達が妙に自分とフィリィに会話をさせようとしている気がする。何だかんだ絆されるのが早い奴らばかりなので自分にフィリィを正式なクルーとして認めさせようとしているのだろう。ここまでの航海で自分たちを害して来る人間でないのは分かっているが、絆されてやるにはさすがに早い。
「キャプテン。用事終わった?」
「あァ」
久しぶりの陸にはしゃぐクルーの声を遠目に聞きながらローはベポと共に船からおりる。今後の目的の為に色々な情報収集をしているが、最近は空振りが多い。この島で何か収穫があればいいのだが。
ベポがクルーの話をするのに相槌を打ちながら活気のある港町に踏み込んだ。
+++
その日の夜。ペンギンとシャチが宿を確保したついでに聞いて来たというご飯の美味い酒場にハートの海賊団のクルー達は集まっていた。船の中では船長であるローの好みもあって和食が中心なので、テーブルにはいつもと違って洋食が多めに並んでいた。食事を担当しているクルーもすっかり和食中心に考えるのに慣れてしまって、酒場での食事は洋食も食べたいクルーの楽しみの一つになっていた。
それぞれ酒も進めながら、町で仕入れた情報や周辺の島の話も共有していく。ログが溜まるまでは一週間。その間はこの島に滞在しなければならない。
「じゃあ一週間は陸生活かァ」
「観光地じゃないのがちょっと残念だな」
いい具合いにアルコールが体に回ってきて、大きな声で笑うクルー達はこうして見ると中々に海賊っぽい。船の中だとお互いに優しく、じゃれている事も多いから何となく海賊だということを忘れてしまいそうになる。フィリィ自身覚悟も何も無く船に乗り込んでクルーにして欲しいと頼んだ訳では無いが、世間から嫌われる心構えぐらいは持っておかないといけない。周りからたまに飛んでくる冷たい視線を見ながら、改めて自分が海賊船に乗っているのだと実感する。ハートの海賊団に乗せてもらうまでは商船や貿易船に忍び込むか、交渉して乗せてもらう事が多かったのでこの感覚自体が久しぶりだ。
「おいおい。おまえ全然進んでねぇじゃん」
「あ、ちょっと! 言いながら注がないでよ!」
「なんだよ! せっかくなんだから飲め飲め!」
半分ほど飲んでいたジョッキにシャチとペンギンが足すように酒を注いでくる。隣に座っているローだってゆっくり飲んでいるのに、ちょっと酔っていてもそこを間違わない辺りが憎らしい。
お酒が苦手な訳では無いが、一定量を超えると急激に睡魔が襲ってくる。自分でも限界量を分かってはいるが、注がれた物を飲まないのは気が引けるし、何より久しぶりのアルコールは美味しい。まあ酔って寝てしまっても置き去りにされる事はないだろう。ローはともかく、他のクルー達とはそれなりに上手くやっている自信はある。
席を立って他のクルーの所にもお酒を注ぎに行った二人に「絡み酒め…」と呟きながらジョッキに口をつける。大人しくその場でお酒とご飯を楽しんでいたが、ローと二人その場から離れずにいること気づく。気まずい訳では無いものの、共通の話題を探すにはあまりにもローと会話をした記憶が無い。認められる様にと思っているのなら、まずは仲良くならないと意味が無いのだが、警戒されていては雑談の隙すらないのも現実だ。最初は意地でも船に乗らなければと強引に動いたが、その態度を貫き続けるのは自分の中でも無理がある。
「……おまえ、あの人の事はどれぐらい知ってるんだ」
悩んでいる間に急に飛んできた言葉に驚きながらも、口の中に入っていたパスタを慌てて咀嚼して、飲み込む。あの人。というのはロシナンテさんの事だろうか。どれぐらい。と言われても自分からは目新しい情報は出てこない気がする。ローの方がロシナンテさんと過ごした時間は濃かっただろう。
「ドフラミンゴの弟だとか、そこへの任務だとか、オペオペの実に関する事を少しだけ」
「ドフラミンゴの事は」
食い気味に飛んできた質問にフォークにパスタを巻く動作を止めずにちらりとローを見た。相変わらず視線は自分の方を向いていない。
「多分だけど、ローさんが知ってる事しか知らないよ。何度か本部で話した事もあるけどね」
もぐもぐとミートパスタを咀嚼し始めたフィリィに「そうか」とだけローは言葉を落としてくる。今の会話だけで、何となく彼が今後何をしようとしているのかは分かった気がする。そうなると、やはり自分はこの船のクルーに意地でもなる必要がありそうだ。
腹の中を探るような会話ではなかったが、気安さもない会話だ。今のままだと良くはないが、ローが自分に利益を見出している部分がそこであるだろう事も分かった。それなら自分はドフラミンゴに関して知っている事も知らない事も素直に出す他ない。
「ファミリー構成は私より詳しいでしょ」
「……おれのことも知ってるみたいだな」
「予測でしかないよ。でも辿ってれば分かる」
食べ終わったパスタの皿に向かって手を合わせると、ジョッキを手にとる。この島で作った酒なのか飲んだことの無い味だ。他の物も飲みたいが、酔っ払ってきた船員達が瓶ごと持って行ってしまったから飲むことは難しそうだ。
「何も聞かないのか。おれには」
「話したいなら聞くけど。嫌なことまで掘り返す趣味はないよ」
あっという間にまた半分ほどまで飲みきったジョッキの中身を見る。そこそこ度数のあるお酒だったのでさすがにもう一杯はキツイかもしれない。飲みきったら先に宿に戻らせてもらおう。そう考えながら顔を上げると隣から瓶が伸びてきて音を立ててジョッキに酒が注がれる。慌ててその手を止めながら、ローとは反対方向を見るとペンギンが酔って赤く染った顔でにこにこと笑っていた。
「おまえだけ先に帰ろうたってそうはいかないぞ」
「もう! 私そんなにお酒強くないんだってば!」
「嘘つけ〜 周りより素面なクセに」
自分たちが酔っている自覚があるのか。となれば尚のこと質が悪い。もう一度フィリィが怒る前にペンギンはゲラゲラ笑いながらまた騒いでいる輪の中に戻っていく。はあ。とため息を吐けばさっきより少し増えたジョッキの中身をローが覗き込んでくる。
「それぐらいならおれが貰うが」
「……いい。飲む」
「無理するなら取り上げるぞ」
「いいの。無くなるまで何か話して」
少し拗ねながらジョッキに口をつければ「無茶ぶりだな」と言いながら緩んだローの口元が見えた気がした。
自然と開いた瞼はぼんやりとした目の前の景色を映す。耳は起きたばかりで誰が何を喋っているのかさっぱり分からないが、近くでの話し声はやけに機嫌の悪いものに聞こえる。やっとはっきりしてきた視界と頭で自分が飲み過ぎて眠ってしまった事を察すると目だけで周りを見回す。
相変わらずバカ騒ぎは終わっていないようなので、そんなに長くは眠っていなかったのだろう。何人か居ない船員もいるが、それよりも視線を奪われたのは明らかに夜の女性達であろうドレスを着た人がちらほらいる事だった。船員たちの隣で恋人のように寄り添ったり、楽しく話す姿を持ち上げたりしている。鼻の下を伸ばしながら話したり、武勇伝を語ったり、更にお酒の進みそうな雰囲気に少し面白くなって笑みが零れた。
「起きたか」
急に降ってきたその言葉が思ったよりも自分の体に響いて届いてびくりと肩を震わせてしまう。そういえば、自分は一体何にもたれかかって寝ていたんだろう。そっと視線を上げれば不機嫌そうな視線と目があった。あぁ、やってしまったな。これは確実に良くない。フィリィの頭の中をそんな思考が通り過ぎて行く。
「ねぇ、聞いてるんですか? こっち見てくださいよ〜」
「しつけェな」
綺麗で甘い声に対してぐっと寄った眉間に、自分に怒っている訳では無いとすぐに察する。よく見れば足も自分に体を寄せるように組まれているから、反対側にいる人から距離を置きたいのだろう。自分だったらこんなに不機嫌全開で見られたらすぐに引いてしまうな。いや、そうでなかった時もあるがあれは例外だ。
こういった酒場に夜のお店から女性達がお誘いをかけに来ることはよくある。その後のサービスにはお金がかかるから誘いを受けるも断るも客次第だが、大抵は酔っていて楽しくなってしまう時間を狙ってくる。商売というのは良く出来ているものだとその度に思うが、恐らくこの酒場も女性たちがお客を誘いに来るのを容認しているのだろう。楽しく話せば酒も料理も売れていく。上手くいけば女性に対してお金が払われる。お互いにいい事しかないのだろう。
体をちゃんと起こして座り直そうとすると腰に手が回ってきて、ぐっと抱き寄せられた。タイミングのせいで左腕に上手く力が入らなくてよろけた様になってしまう。少し困惑してローを見上げると緩く笑われた。悪戯のような仕草にこの人も酔っているんだろうかと頭の中で考える。
その一連の流れが気に入らなかったのか、反対側に座っていた女性が覗き込むようにこちらを見てきた。目が合えばムッとした顔をされてしまってさらに困惑する。じっと観察するように自分を見てくる女性はとても男性受けの良さそうな綺麗な人だ。メイクも濃くなければ、過度に着飾っているわけでもないし、元々の素質がいいのだろう。観察されているのに見惚れるような視線を向けるフィリィにローは腰に回していた手に軽く力を入れた。
「飲みすぎだ。そろそろ宿に戻るぞ」
「え! ちょっと待ってくださいよ! 私ともっと話して欲しいのに〜」
「しつこいって言ってるだろ。他をあたれ」
「ローさんかっこいいから、私サービスしちゃうのにな〜」
ぺたりと腕に触ったネイルの乗った手を鬱陶しそうにローが見る。黒い刺青の入った肌に赤い爪は良く映える。態度はともかく顔も雰囲気もローが好きそうだと勝手に思っていたが、単純にそういう気分じゃないのかもしれない。そんな時に迫られたら嫌にもなるだろう。つまりは自分を言い訳にしてここから出たいわけだ。自然と出た欠伸に押し寄せてくる眠気を感じる。数十分範囲で寝た程度で酒が抜けるわけもないし、自分も宿に戻りたいのは同じだ。
もう一度ローを見上げるとぴたりと目が合う。こういう時周りから見ると恋人同士が見つめ合っているように見えたりするんだろうか。
「……ローはもう飲まないの?」
「おれはもういい」
「じゃあ戻ろうかな」
体を起こそうとすれば手を差し出されて躊躇いもなく重ねる。立ち上がっても腰に回されたままの手を見ていると背中から女性の声が飛んできた。
「無視しないでよ! 私の方が良くできるのに!」
「そういう目的で乗せてねぇよ」
苛ついた声にさすがに観念したのか、女性は唇を噛んで黙ってしまう。確かにそういう目的で船に乗ってはいないが、キャプテン以外揃いの服を着ている海賊団で私服の女が一人だけいればそう見られてもおかしくはないだろう。観察力も人を誘う魅力もあるのに、どうやら中身の気難しさを見誤ったらしい。運が無かったんだなと可哀想に思いながらエスコートされるままに酒場の扉をくぐって夜の風を浴びた。
酒場を出て少し歩くと腰に回っていた手が離れていく。モテそうなエスコートの仕方だったなとぼんやり思いながら大きく上に伸びる。窮屈な体制で眠っていた体が伸びる感覚が気持ちがいい。力を緩めるとまだぼんやりとする思考にいい感じに酒が回っているのが分かった。
「随分慣れてたな」
「ローさんもね。私は今みたいに使われること多かったから」
自分で思うのもおかしいが顔は作り物の様に良い方だし、変な勘違いはしないし、女避けに使うのにはちょうどいい。こういう事でも役に立つのはいい事だ。利用価値を見出して貰えれば船に置いてもらえる時間も長くなる。
「ローさんは飲み直すの?」
「……ローでいい」
数歩後ろを歩いていたローを振り返れば、ぽつりと零すように言われる。月明かりだけの通りでは帽子の影で目元が見えない。やっぱり目が見えないのは困る。
「ロー、は宿に戻るの?」
つっかえながらもう一度問いかければ、少し島を見て回ると言われる。さっきの女性がさん付けで呼んでいたので嫌になったんだろうか。それとも少しだけ距離が縮まったのか。後者だと嬉しいところだが、残念ながら寝落ちる前に話していた事は半分ぐらいしか覚えていない。余計な事は口走っていないと思っているのだが。
見て回る。と言った割にずっと一緒に歩くローに、途中で宿まで送ってくれている事に気づく。ずっと思っていたが、言動の割には行動や相手に対する態度は柔らかいことが多い。特に女性に対してはそう感じることが多いから、きっと本人の優しさ以外に育ちの良さもあるのだろう。さっきの女性だって普通の海賊だったら手を振り払ったりされていてもおかしくない場面だった。
ロシナンテさんの最後の任務に関しては深いことは知らない。自分に教えてくれた海軍の偉い人も流石に極秘任務のことになるので細かい内容は教えてはくれなかった。自分の実の息子では無いこと、ドフラミンゴと兄弟であること、珀鉛病の少年のこと、最後にオペオペの実に関わったこと。断片的なその情報を繋ぎ合わせてローまで辿り着いたのだ。
オペオペの実と珀鉛病。これだけであの人が何を考えていたかは何となく分かるつもりだ。それに珀鉛病は少しだけ自分の父親が研究に手をかけていたので知っている。感染する病ではないはずなのに、何故か隠され、迫害され、全て塵になってしまった。本で残された事実と違う結末を父から聞いた時は子供心に悲しい気持ちになったのを覚えている。同情した所で自分にできることなど何もないのだけど。
宿の前まで来ると、ローの足がぴたりと止まった。振り返って素直にお礼を言うが、特に返事はない。扉を開けようと手をかけた時、後ろから声が飛んで来た。
「海軍や世界政府の事を、どこまで知っている」
手を止めてから数秒考える。振り返れば真っ直ぐにローに見つめられていた。今度は目もよく見える。発言をしっかりと確かめようとする目だ。
彼は海軍を恨んでいるのだろうか。それとも世界政府だろうか。今更故郷の事を公にしたところで一海賊に出来ることなどたかが知れている。それも分かった上で理解をしたいのかもしれない。なぜあんなことになってしまったのか。なぜ政府は国一つ簡単に壊滅させてしまったのか。でもそれを知る術は海には転がっていない。だが彼には他に大きな目的が既に存在しているように思える。だからこれはきっと純粋な質問なのだろう。どれだけ内部情報を知っているか、何に関わって、何を知らされているのか。
「知りたいことがあるの?」
「隠す気か」
「うーん。私も、隠しておきたいことはあるからね」
ローの今後に必要そうな事は大体話した気がする。そもそも海賊が不利だとか、海軍が有利だとか、そんなことにはあまり興味が無い。今の自分や周りが酷く害されなければなんだっていい。必要なカードは必要な時にきる。それ以外は手元に持っておいた方が得だ。
「それに、パパみたいに頭も大きくないからね。覚えてられる事しか入ってないの」
「…?」
ローは軽く笑って見せるフィリィをじっと見る。確かにフィリィ自身も各分野かじってはいるがDr.ベガパンクの様に精通しているわけではないようだし、知識量が浅い部分もある。それ故に専門的な事は覚えていられないという事だろうか。理屈が分かっていないと頭に入ってこないのは理解出来る。ベガパンクのそばにいたのなら知っていることの多くは兵器関連で自分が大きく興味のあることではない。ロボの話なら別だが。
「まあ、いい」
「いいの?」
「おれだってあいつらに話してないことは山ほどあるからな」
暗に仲間になるのにそこは関係ないと言いたいのだろうか。違ったとしてもそう受け取ればいいだけだが。
「寝る前に水は飲めよ」
「はーい。おやすみなさい」
背中を向けてすぐに聞こえた扉を開閉する音を聞きながら、通りをしばらく歩いて裏路地に入っていく。月明かりだけの路地は完全な暗闇が多い。代わりに静まり返っている街のおかげで聴覚が研ぎ澄まされる気がする。木箱に腰掛けると腕を組んで目を閉じた。じっとしていると今日あったことが順番に頭の中で流れていく。島に到着した時のこと、ベポとの情報収集、酒場でのフィリィとの会話。
『赤髪の船に?』
『うん。一年ぐらいね〜』
中々に酔いが回ってそうな呂律だったが、少し語って聞かされた内容は妄想でも無さそうだった。
自分がたまたま乗っていた新世界の海賊船が、馬鹿な事に赤髪の船に喧嘩を売ってしまったらしい。見事に返り討ちにあった海賊達は、早々に降伏したフィリィを差し出すのを条件に自分たちを見逃すように言ったそうだが、もちろんそんな条件を赤髪が飲むはずもない。四皇の中でまだ温厚な方だとは言っても先に吹っかけて来た方が乗り合いの女を一人差し出すだけで終わるわけが無いのは海賊を始めたての人間でも分かる事だ。
結局船と一緒に沈められた海賊達からフィリィの事を拾う形で船に乗った。本当は次に着いた島までという約束だったが、意気投合した上に海軍からも確実に守ってもらえることもあって船に乗っていたらしい。
『シャンクス達といるのも楽しかったけどね〜 結果的に賞金首になっちゃったし……それに私はね、ローのこと探してたから』
『……そうか』
何気なく呼び捨てられた名前に普段なら何か言ってやるところだが、自分も酒が入っていて気分が良かった。それに「喋って」と言った割には自分の事を話すフィリィに相槌を打つのは不快だと思うことも無かった。すぐに電池が切れた様に眠った時はさすがに驚いたが、ペンギン達が無理矢理飲ませた様なものだし仕方ないだろう。
それにしても乗り合いとはいえ四皇の船に乗ったことがあるのは意外だった。新世界出身だとは言っていたが、抜け出して来てからはずっと偉大なる航路で旅をしていたと勝手な思い込みを持っていた。実際には新世界で情報を集めてからローを探して偉大なる航路に入ってきたのだろうか。だとしたら戦闘面や気候に対して大した驚きを見せないのも納得できる。偉大なる航路の後半である新世界の方がずっと過酷な環境だと聞く。
ゆっくりと思い出すように考えていた脳内に、誰かが地面を踏みしめる音が入ってきて気配を探る。目を開き音のする方に視線を送れば男が一人立っていた。
「こりゃ驚いた。"死の外科医"じゃないか」
「報酬は情報だと聞いているが」
「あァ、もちろん。それでいい」
男はローの前の壁にもたれ掛かるとポケットを探って煙草に火をつける。吐き出された煙も暗闇だとよく見えない。
「知りたいことは」
「ドレスローザについてだ」
「そりゃあいい。ならおれからはドフラミンゴの事について聞こうか」
簡単に成立した交渉に警戒は緩めないまま、鼻に届く煙草の匂いにローは眉をひそめた。
了解! と元気よく返事をする船員達をフィリィは黙って見つめる。ローから指示が出た後はそのまま朝食を取りながら、買い出しの為の準備や久しぶりの陸での楽しみを各々話始める。
海軍との接触から数日後、ログポースに従って着いた島はそこそこ大きな島だった。観光地と言う訳では無いが港は市場になっていて、周辺の島からも買い物に来ている船や自分たちと同じ海賊船も停泊している。今のところ海軍の船は見当たらないが、接触した軍艦が巡回船だったのでもしもの場合に備えて警戒は必要だろう。
賑やかな食卓で黙って朝食のおにぎりと味噌汁を食べながらフィリィは隣に座るローを見た。キャプテンであるローから自分は特に指示を出されていない。何もしなくていいと言われるならそれはそれで時間の潰し方を考えないといけなくなる。
「私は手伝わなくていいの?」
「いやいや、おまえはまず自分の物買いに行けよ」
「そうだぞ〜 服は必要だろ」
机を挟んで向かい側に座っていたペンギンとシャチに言われて、そっか。とさも納得したように言葉を吐く。そうは言われても今は一文無しな状態なので買えるものは何も無い。ろくな荷物も持たずに船に乗り込んだので、唯一の女性船員であるイッカクの着なくなった服と自分が元々着ていた服を何とか着回していた。だが、それにも限界があるのは確かだ。今までは島でアルバイトをして稼いだお金でやりくりしていたが、この島のログがどれぐらいで溜まるかも分からない。さすがに船員でも無いのに船のお金を貰うのは気が引ける。ここは大人しく船番コースがいいかもしれない。お金のことはまた考えておけばいい。
朝食を食べ終わったクルー達は食器を片付けるとまずはそれぞれ与えられた買い出しに行くために相談し合いながら食堂を出ていく。最初の船番は誰だろうか、ときょろきょろしているとローに後ろから声をかけられた。
「手を出せ」
「?」
言われるままに大人しく片手を出せばその上に落とすように置かれた布の袋を慌てて両手で掴む。その中身がぶつかり合う音と感触に何が入っているかはすぐに分かった。
「これ……」
「充分足りるだろ」
「足りるっていうか…」
中を開いていないので分からないが、むしろ多い方ではないだろうか。服にプラスして贅沢品まで買えてしまいそうだ。ローを見上げても少しだけ逸らされた視線とは目が合わない。何度か手元と交互に見てから、大人しくお礼を言うことにした。
「ありがとう。大切に使うね」
「…そうしろ」
受け取ったのを確認してからローはフィリィに背を向ける。ベポの待っている甲板に向かいながら、島に到着した直後にしたイッカクとの会話を思い出す。
『一文無しで乗ってきたのは向こうだろ』
『確かにそうですけど、下着を買うお金ぐらいはあげてください。あの子私より胸が大きいからサイズが合わないんですよ』
明け透けにそういうイッカクに眉間を揉んだのもまだ記憶に新しい。確かに見た限りでわかる程度に差はあるが、それをストレートに伝えられるとどう反応をすればいいのか分からない。確かにサイズの合わない物を着続けるのは良くないが、だからといってそれにどれぐらいのベリーが必要かはさすがに分かるわけもなく。イッカクに金額を聞いて渡させようとしたにも関わらず、そのまま言い逃げをされてしまった。
結局自分なりに多めに渡す羽目になったが、これで持ち逃げなんてされたらどうするつもりなのだろうか。そもそも最近クルー達が妙に自分とフィリィに会話をさせようとしている気がする。何だかんだ絆されるのが早い奴らばかりなので自分にフィリィを正式なクルーとして認めさせようとしているのだろう。ここまでの航海で自分たちを害して来る人間でないのは分かっているが、絆されてやるにはさすがに早い。
「キャプテン。用事終わった?」
「あァ」
久しぶりの陸にはしゃぐクルーの声を遠目に聞きながらローはベポと共に船からおりる。今後の目的の為に色々な情報収集をしているが、最近は空振りが多い。この島で何か収穫があればいいのだが。
ベポがクルーの話をするのに相槌を打ちながら活気のある港町に踏み込んだ。
+++
その日の夜。ペンギンとシャチが宿を確保したついでに聞いて来たというご飯の美味い酒場にハートの海賊団のクルー達は集まっていた。船の中では船長であるローの好みもあって和食が中心なので、テーブルにはいつもと違って洋食が多めに並んでいた。食事を担当しているクルーもすっかり和食中心に考えるのに慣れてしまって、酒場での食事は洋食も食べたいクルーの楽しみの一つになっていた。
それぞれ酒も進めながら、町で仕入れた情報や周辺の島の話も共有していく。ログが溜まるまでは一週間。その間はこの島に滞在しなければならない。
「じゃあ一週間は陸生活かァ」
「観光地じゃないのがちょっと残念だな」
いい具合いにアルコールが体に回ってきて、大きな声で笑うクルー達はこうして見ると中々に海賊っぽい。船の中だとお互いに優しく、じゃれている事も多いから何となく海賊だということを忘れてしまいそうになる。フィリィ自身覚悟も何も無く船に乗り込んでクルーにして欲しいと頼んだ訳では無いが、世間から嫌われる心構えぐらいは持っておかないといけない。周りからたまに飛んでくる冷たい視線を見ながら、改めて自分が海賊船に乗っているのだと実感する。ハートの海賊団に乗せてもらうまでは商船や貿易船に忍び込むか、交渉して乗せてもらう事が多かったのでこの感覚自体が久しぶりだ。
「おいおい。おまえ全然進んでねぇじゃん」
「あ、ちょっと! 言いながら注がないでよ!」
「なんだよ! せっかくなんだから飲め飲め!」
半分ほど飲んでいたジョッキにシャチとペンギンが足すように酒を注いでくる。隣に座っているローだってゆっくり飲んでいるのに、ちょっと酔っていてもそこを間違わない辺りが憎らしい。
お酒が苦手な訳では無いが、一定量を超えると急激に睡魔が襲ってくる。自分でも限界量を分かってはいるが、注がれた物を飲まないのは気が引けるし、何より久しぶりのアルコールは美味しい。まあ酔って寝てしまっても置き去りにされる事はないだろう。ローはともかく、他のクルー達とはそれなりに上手くやっている自信はある。
席を立って他のクルーの所にもお酒を注ぎに行った二人に「絡み酒め…」と呟きながらジョッキに口をつける。大人しくその場でお酒とご飯を楽しんでいたが、ローと二人その場から離れずにいること気づく。気まずい訳では無いものの、共通の話題を探すにはあまりにもローと会話をした記憶が無い。認められる様にと思っているのなら、まずは仲良くならないと意味が無いのだが、警戒されていては雑談の隙すらないのも現実だ。最初は意地でも船に乗らなければと強引に動いたが、その態度を貫き続けるのは自分の中でも無理がある。
「……おまえ、あの人の事はどれぐらい知ってるんだ」
悩んでいる間に急に飛んできた言葉に驚きながらも、口の中に入っていたパスタを慌てて咀嚼して、飲み込む。あの人。というのはロシナンテさんの事だろうか。どれぐらい。と言われても自分からは目新しい情報は出てこない気がする。ローの方がロシナンテさんと過ごした時間は濃かっただろう。
「ドフラミンゴの弟だとか、そこへの任務だとか、オペオペの実に関する事を少しだけ」
「ドフラミンゴの事は」
食い気味に飛んできた質問にフォークにパスタを巻く動作を止めずにちらりとローを見た。相変わらず視線は自分の方を向いていない。
「多分だけど、ローさんが知ってる事しか知らないよ。何度か本部で話した事もあるけどね」
もぐもぐとミートパスタを咀嚼し始めたフィリィに「そうか」とだけローは言葉を落としてくる。今の会話だけで、何となく彼が今後何をしようとしているのかは分かった気がする。そうなると、やはり自分はこの船のクルーに意地でもなる必要がありそうだ。
腹の中を探るような会話ではなかったが、気安さもない会話だ。今のままだと良くはないが、ローが自分に利益を見出している部分がそこであるだろう事も分かった。それなら自分はドフラミンゴに関して知っている事も知らない事も素直に出す他ない。
「ファミリー構成は私より詳しいでしょ」
「……おれのことも知ってるみたいだな」
「予測でしかないよ。でも辿ってれば分かる」
食べ終わったパスタの皿に向かって手を合わせると、ジョッキを手にとる。この島で作った酒なのか飲んだことの無い味だ。他の物も飲みたいが、酔っ払ってきた船員達が瓶ごと持って行ってしまったから飲むことは難しそうだ。
「何も聞かないのか。おれには」
「話したいなら聞くけど。嫌なことまで掘り返す趣味はないよ」
あっという間にまた半分ほどまで飲みきったジョッキの中身を見る。そこそこ度数のあるお酒だったのでさすがにもう一杯はキツイかもしれない。飲みきったら先に宿に戻らせてもらおう。そう考えながら顔を上げると隣から瓶が伸びてきて音を立ててジョッキに酒が注がれる。慌ててその手を止めながら、ローとは反対方向を見るとペンギンが酔って赤く染った顔でにこにこと笑っていた。
「おまえだけ先に帰ろうたってそうはいかないぞ」
「もう! 私そんなにお酒強くないんだってば!」
「嘘つけ〜 周りより素面なクセに」
自分たちが酔っている自覚があるのか。となれば尚のこと質が悪い。もう一度フィリィが怒る前にペンギンはゲラゲラ笑いながらまた騒いでいる輪の中に戻っていく。はあ。とため息を吐けばさっきより少し増えたジョッキの中身をローが覗き込んでくる。
「それぐらいならおれが貰うが」
「……いい。飲む」
「無理するなら取り上げるぞ」
「いいの。無くなるまで何か話して」
少し拗ねながらジョッキに口をつければ「無茶ぶりだな」と言いながら緩んだローの口元が見えた気がした。
自然と開いた瞼はぼんやりとした目の前の景色を映す。耳は起きたばかりで誰が何を喋っているのかさっぱり分からないが、近くでの話し声はやけに機嫌の悪いものに聞こえる。やっとはっきりしてきた視界と頭で自分が飲み過ぎて眠ってしまった事を察すると目だけで周りを見回す。
相変わらずバカ騒ぎは終わっていないようなので、そんなに長くは眠っていなかったのだろう。何人か居ない船員もいるが、それよりも視線を奪われたのは明らかに夜の女性達であろうドレスを着た人がちらほらいる事だった。船員たちの隣で恋人のように寄り添ったり、楽しく話す姿を持ち上げたりしている。鼻の下を伸ばしながら話したり、武勇伝を語ったり、更にお酒の進みそうな雰囲気に少し面白くなって笑みが零れた。
「起きたか」
急に降ってきたその言葉が思ったよりも自分の体に響いて届いてびくりと肩を震わせてしまう。そういえば、自分は一体何にもたれかかって寝ていたんだろう。そっと視線を上げれば不機嫌そうな視線と目があった。あぁ、やってしまったな。これは確実に良くない。フィリィの頭の中をそんな思考が通り過ぎて行く。
「ねぇ、聞いてるんですか? こっち見てくださいよ〜」
「しつけェな」
綺麗で甘い声に対してぐっと寄った眉間に、自分に怒っている訳では無いとすぐに察する。よく見れば足も自分に体を寄せるように組まれているから、反対側にいる人から距離を置きたいのだろう。自分だったらこんなに不機嫌全開で見られたらすぐに引いてしまうな。いや、そうでなかった時もあるがあれは例外だ。
こういった酒場に夜のお店から女性達がお誘いをかけに来ることはよくある。その後のサービスにはお金がかかるから誘いを受けるも断るも客次第だが、大抵は酔っていて楽しくなってしまう時間を狙ってくる。商売というのは良く出来ているものだとその度に思うが、恐らくこの酒場も女性たちがお客を誘いに来るのを容認しているのだろう。楽しく話せば酒も料理も売れていく。上手くいけば女性に対してお金が払われる。お互いにいい事しかないのだろう。
体をちゃんと起こして座り直そうとすると腰に手が回ってきて、ぐっと抱き寄せられた。タイミングのせいで左腕に上手く力が入らなくてよろけた様になってしまう。少し困惑してローを見上げると緩く笑われた。悪戯のような仕草にこの人も酔っているんだろうかと頭の中で考える。
その一連の流れが気に入らなかったのか、反対側に座っていた女性が覗き込むようにこちらを見てきた。目が合えばムッとした顔をされてしまってさらに困惑する。じっと観察するように自分を見てくる女性はとても男性受けの良さそうな綺麗な人だ。メイクも濃くなければ、過度に着飾っているわけでもないし、元々の素質がいいのだろう。観察されているのに見惚れるような視線を向けるフィリィにローは腰に回していた手に軽く力を入れた。
「飲みすぎだ。そろそろ宿に戻るぞ」
「え! ちょっと待ってくださいよ! 私ともっと話して欲しいのに〜」
「しつこいって言ってるだろ。他をあたれ」
「ローさんかっこいいから、私サービスしちゃうのにな〜」
ぺたりと腕に触ったネイルの乗った手を鬱陶しそうにローが見る。黒い刺青の入った肌に赤い爪は良く映える。態度はともかく顔も雰囲気もローが好きそうだと勝手に思っていたが、単純にそういう気分じゃないのかもしれない。そんな時に迫られたら嫌にもなるだろう。つまりは自分を言い訳にしてここから出たいわけだ。自然と出た欠伸に押し寄せてくる眠気を感じる。数十分範囲で寝た程度で酒が抜けるわけもないし、自分も宿に戻りたいのは同じだ。
もう一度ローを見上げるとぴたりと目が合う。こういう時周りから見ると恋人同士が見つめ合っているように見えたりするんだろうか。
「……ローはもう飲まないの?」
「おれはもういい」
「じゃあ戻ろうかな」
体を起こそうとすれば手を差し出されて躊躇いもなく重ねる。立ち上がっても腰に回されたままの手を見ていると背中から女性の声が飛んできた。
「無視しないでよ! 私の方が良くできるのに!」
「そういう目的で乗せてねぇよ」
苛ついた声にさすがに観念したのか、女性は唇を噛んで黙ってしまう。確かにそういう目的で船に乗ってはいないが、キャプテン以外揃いの服を着ている海賊団で私服の女が一人だけいればそう見られてもおかしくはないだろう。観察力も人を誘う魅力もあるのに、どうやら中身の気難しさを見誤ったらしい。運が無かったんだなと可哀想に思いながらエスコートされるままに酒場の扉をくぐって夜の風を浴びた。
酒場を出て少し歩くと腰に回っていた手が離れていく。モテそうなエスコートの仕方だったなとぼんやり思いながら大きく上に伸びる。窮屈な体制で眠っていた体が伸びる感覚が気持ちがいい。力を緩めるとまだぼんやりとする思考にいい感じに酒が回っているのが分かった。
「随分慣れてたな」
「ローさんもね。私は今みたいに使われること多かったから」
自分で思うのもおかしいが顔は作り物の様に良い方だし、変な勘違いはしないし、女避けに使うのにはちょうどいい。こういう事でも役に立つのはいい事だ。利用価値を見出して貰えれば船に置いてもらえる時間も長くなる。
「ローさんは飲み直すの?」
「……ローでいい」
数歩後ろを歩いていたローを振り返れば、ぽつりと零すように言われる。月明かりだけの通りでは帽子の影で目元が見えない。やっぱり目が見えないのは困る。
「ロー、は宿に戻るの?」
つっかえながらもう一度問いかければ、少し島を見て回ると言われる。さっきの女性がさん付けで呼んでいたので嫌になったんだろうか。それとも少しだけ距離が縮まったのか。後者だと嬉しいところだが、残念ながら寝落ちる前に話していた事は半分ぐらいしか覚えていない。余計な事は口走っていないと思っているのだが。
見て回る。と言った割にずっと一緒に歩くローに、途中で宿まで送ってくれている事に気づく。ずっと思っていたが、言動の割には行動や相手に対する態度は柔らかいことが多い。特に女性に対してはそう感じることが多いから、きっと本人の優しさ以外に育ちの良さもあるのだろう。さっきの女性だって普通の海賊だったら手を振り払ったりされていてもおかしくない場面だった。
ロシナンテさんの最後の任務に関しては深いことは知らない。自分に教えてくれた海軍の偉い人も流石に極秘任務のことになるので細かい内容は教えてはくれなかった。自分の実の息子では無いこと、ドフラミンゴと兄弟であること、珀鉛病の少年のこと、最後にオペオペの実に関わったこと。断片的なその情報を繋ぎ合わせてローまで辿り着いたのだ。
オペオペの実と珀鉛病。これだけであの人が何を考えていたかは何となく分かるつもりだ。それに珀鉛病は少しだけ自分の父親が研究に手をかけていたので知っている。感染する病ではないはずなのに、何故か隠され、迫害され、全て塵になってしまった。本で残された事実と違う結末を父から聞いた時は子供心に悲しい気持ちになったのを覚えている。同情した所で自分にできることなど何もないのだけど。
宿の前まで来ると、ローの足がぴたりと止まった。振り返って素直にお礼を言うが、特に返事はない。扉を開けようと手をかけた時、後ろから声が飛んで来た。
「海軍や世界政府の事を、どこまで知っている」
手を止めてから数秒考える。振り返れば真っ直ぐにローに見つめられていた。今度は目もよく見える。発言をしっかりと確かめようとする目だ。
彼は海軍を恨んでいるのだろうか。それとも世界政府だろうか。今更故郷の事を公にしたところで一海賊に出来ることなどたかが知れている。それも分かった上で理解をしたいのかもしれない。なぜあんなことになってしまったのか。なぜ政府は国一つ簡単に壊滅させてしまったのか。でもそれを知る術は海には転がっていない。だが彼には他に大きな目的が既に存在しているように思える。だからこれはきっと純粋な質問なのだろう。どれだけ内部情報を知っているか、何に関わって、何を知らされているのか。
「知りたいことがあるの?」
「隠す気か」
「うーん。私も、隠しておきたいことはあるからね」
ローの今後に必要そうな事は大体話した気がする。そもそも海賊が不利だとか、海軍が有利だとか、そんなことにはあまり興味が無い。今の自分や周りが酷く害されなければなんだっていい。必要なカードは必要な時にきる。それ以外は手元に持っておいた方が得だ。
「それに、パパみたいに頭も大きくないからね。覚えてられる事しか入ってないの」
「…?」
ローは軽く笑って見せるフィリィをじっと見る。確かにフィリィ自身も各分野かじってはいるがDr.ベガパンクの様に精通しているわけではないようだし、知識量が浅い部分もある。それ故に専門的な事は覚えていられないという事だろうか。理屈が分かっていないと頭に入ってこないのは理解出来る。ベガパンクのそばにいたのなら知っていることの多くは兵器関連で自分が大きく興味のあることではない。ロボの話なら別だが。
「まあ、いい」
「いいの?」
「おれだってあいつらに話してないことは山ほどあるからな」
暗に仲間になるのにそこは関係ないと言いたいのだろうか。違ったとしてもそう受け取ればいいだけだが。
「寝る前に水は飲めよ」
「はーい。おやすみなさい」
背中を向けてすぐに聞こえた扉を開閉する音を聞きながら、通りをしばらく歩いて裏路地に入っていく。月明かりだけの路地は完全な暗闇が多い。代わりに静まり返っている街のおかげで聴覚が研ぎ澄まされる気がする。木箱に腰掛けると腕を組んで目を閉じた。じっとしていると今日あったことが順番に頭の中で流れていく。島に到着した時のこと、ベポとの情報収集、酒場でのフィリィとの会話。
『赤髪の船に?』
『うん。一年ぐらいね〜』
中々に酔いが回ってそうな呂律だったが、少し語って聞かされた内容は妄想でも無さそうだった。
自分がたまたま乗っていた新世界の海賊船が、馬鹿な事に赤髪の船に喧嘩を売ってしまったらしい。見事に返り討ちにあった海賊達は、早々に降伏したフィリィを差し出すのを条件に自分たちを見逃すように言ったそうだが、もちろんそんな条件を赤髪が飲むはずもない。四皇の中でまだ温厚な方だとは言っても先に吹っかけて来た方が乗り合いの女を一人差し出すだけで終わるわけが無いのは海賊を始めたての人間でも分かる事だ。
結局船と一緒に沈められた海賊達からフィリィの事を拾う形で船に乗った。本当は次に着いた島までという約束だったが、意気投合した上に海軍からも確実に守ってもらえることもあって船に乗っていたらしい。
『シャンクス達といるのも楽しかったけどね〜 結果的に賞金首になっちゃったし……それに私はね、ローのこと探してたから』
『……そうか』
何気なく呼び捨てられた名前に普段なら何か言ってやるところだが、自分も酒が入っていて気分が良かった。それに「喋って」と言った割には自分の事を話すフィリィに相槌を打つのは不快だと思うことも無かった。すぐに電池が切れた様に眠った時はさすがに驚いたが、ペンギン達が無理矢理飲ませた様なものだし仕方ないだろう。
それにしても乗り合いとはいえ四皇の船に乗ったことがあるのは意外だった。新世界出身だとは言っていたが、抜け出して来てからはずっと偉大なる航路で旅をしていたと勝手な思い込みを持っていた。実際には新世界で情報を集めてからローを探して偉大なる航路に入ってきたのだろうか。だとしたら戦闘面や気候に対して大した驚きを見せないのも納得できる。偉大なる航路の後半である新世界の方がずっと過酷な環境だと聞く。
ゆっくりと思い出すように考えていた脳内に、誰かが地面を踏みしめる音が入ってきて気配を探る。目を開き音のする方に視線を送れば男が一人立っていた。
「こりゃ驚いた。"死の外科医"じゃないか」
「報酬は情報だと聞いているが」
「あァ、もちろん。それでいい」
男はローの前の壁にもたれ掛かるとポケットを探って煙草に火をつける。吐き出された煙も暗闇だとよく見えない。
「知りたいことは」
「ドレスローザについてだ」
「そりゃあいい。ならおれからはドフラミンゴの事について聞こうか」
簡単に成立した交渉に警戒は緩めないまま、鼻に届く煙草の匂いにローは眉をひそめた。