終の船
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手に傷を作って仕事に向かうと予想外に女将さんに心配をされてしまった。同時に荷物の運ぶのは禁止されて、在庫の整理や棚卸を任される。重たい物は持たないようにという配慮はありがたいが、どちらかと言えば体を動かす方が好きなのも事実だ。心の隅で残念に思いながら言われた仕事をこなしていく。昼を少し回る時間になった頃にはすっかり体が固まってしまっていた。
「フィリィ、そろそろ休憩入りな」
「はーい」
軽く返事をしてから凝った肩をぐるりと回す。店の奥にある休憩室に向かうと女将さんが仕入れ先の男と話をしていた。会釈だけして椅子に腰かけると「そうだ」と男性が声を上げた。
「これ、うちの新商品なんですが飲んでみてもらえませんか?」
「綺麗な瓶だね」
女性の目に止まるようにと綺麗な装飾の施された瓶に女将さんは感心した声を出す。中のお酒はフルーツ系の甘さのある味でターゲットは夜に働く女性。確かに綺麗に着飾ってこの瓶を持っていたら目立つだろう。プレゼンをしながら「良かったら」と手渡されて素直に瓶を受け取る。装飾を指で遊ぶようになぞっていると「女は私とフィリィだけだからねェ」と笑う声が聞こえてくる。フィリィ以外にも働いている人間もいるが、樽での販売をしている関係もあって男手が多い。短い間でも女の子がいると店が明るくなる。という理由だけでフィリィは誘われたが力にはそれなりに自信もあったので女将さんはある意味見る目があったのだろう。海賊だと知っているのは女将さんと旦那さんだけだが。
「ぜひ、飲んで感想も聞かせてください」
「今はさすがに業務中だからね。次までに皆でもらっておくよ」
よろしくお願いします。と一言添えてから男は裏口から店を出ていった。その後ろ姿をじっと見てから手元の瓶に視線を落とした。電気の灯りと一緒に自分の顔が映る。少しのため息を吐きながら瓶を机の上に置いた。
後ろをついて来る気配にフィリィは腕を組みながら考える。最近は海軍や賞金稼ぎを相手にしていたので逆に感覚を鋭く保とうとしすぎていたのかもしれない。一般人の行動は浅はかで分かりやすい。組織的に動いてる人間でなければ尚更。深読みをしすぎて、バレるような行動すらも作戦の内なのだろうか。なんて考えかけていた自分に恥ずかしささえ覚える。
腕を解いて、片手に持っていた瓶を背後が映るように動かす。見えた人影はこの瓶を渡して来た男で間違いないだろう。仕入れの関係で何度か顔を合わせはしたが、後ろを追われるような会話はした覚えがない。何が目当てなのだろう。追えるようにと歩幅を少し小さくしながらもう一度瓶を使って後ろを見る。それと同時にくるりと振り返ると、角に隠れていった人影の先を見た。
「いつもこの道を通ってるのか」
「うん」
フィリィが気配に気づいたことに何の驚きも見せないローにわざとだったのだろうと察する。こちらに歩いて来ながら男が隠れていった先に足は止めずに確認するように目線を送る。そこにいるのか、姿を隠してしまったかはフィリィからは分からない。何も言わずに歩いてくる顔を見ていると、はぁ。とため息を吐かれる。
「目を離すと怪我をしてるな」
「あー これは…」
包帯を巻いている左手を瓶で見えないようにしようと手元で遊ばせてみるが、言い訳をしても仕方ないと諦める。大人しく理由を話そうとしていると「いくぞ」と声を掛けられた。
「戻ったら見てやる。話したいこともあるしな」
「分かった」
そういえば昨日はあのまま船に戻ってきていなかったみたいだし、今度聞く。と自分で言っておいてまた逃げてしまうわけにもいかない。そっと背を押して来るローで影になるように後ろを窺えばじっとこちらを見る目が角から覗いていた。歩き出しても追いかけて来る様子は無い。そのまま二人で大通りに出ると呆れたような顔をされた。
「わざとつけさせるのはやめろ」
「あ、バレてた?」
へらりと笑えばローはまた重たい息を吐く。油断すると危ないのも理解はしているが所詮は一般人だ。人を傷つけるような道具は手元には無いだろうし、今のところ危害を加えようとしているわけではなく、見張っているといった所だろうか。
船までの道を歩きながら今日は特に何の匂いもしないローを横目で見た。何事もなく話せているだろうか。ローの方も何もなかった様に話しかけてきたので昨日の事は無かったことになっているようで安心する。もうあんなにも焦ってしまうのはごめんだ。
「店でもらったのか」
「うん。でも危ないかも」
ちらりと瓶を見たローに返事をするように自分の目の前に瓶を持って来る。まだ封を切っていないので分からないが、何かが入っているかもしれない。新商品とは言っていたがそれすらも嘘の可能性もある。飲み物は細工をしやすいし、相手の立場を考えると食品を渡して来るのは確かに自然な行為だ。後ろをついて来ていたのもこれを飲んだかどうか確認するためだったのかも。
「危機感が薄いな」
「そう? まあ、飲めば分かっただろうし」
口に入れれば分かると踏んでいる時点で、確かに一般人よりは危機感が薄いのかもしれない。確かに飲んだ瞬間に口の中が爛れてしまうようなものが入っているという可能性も考えられる。そんな薬品の場合は大体何に混ぜても匂いで分かる気もするが。何にせよ毒ではないだろう。それに薬を入れられていたとしても自分の分だけだったと祈るしかない。睡眠薬や媚薬でも量を間違えれば人は死んでしまう。多くを学んだわけではないがこれは経験から来る知識だ。
船まで着くと「キャプテンおかえり~」とベポが手を振ってくる。呑気だなと思うがきっとこれがハートの海賊団では日常なんだろう。こんなにも大きな島に止まるのも、ローが一日船を空けるのもフィリィからすれば初めての事だった。停泊中とはいえ、それでも難無く船での生活や作業が進むのはローへの信頼がよく分かる。
診察室に入ると椅子に座って包帯を解く。バレてしまったのなら今更隠しても仕方がない。それに昨日はローが船に居なかったので見せなかっただけで、部屋に居れば素直に怪我をしたと申し出ていただろう。もし、問いかけられたら。と考えていた言い訳を一度頭に浮かべておく。ちゃんとした答えを言うのに自分の事を騙すのは大切だ。
「少し深いな。どんな切り方したんだ」
「割れたお皿に……突っ込んだ? みたいな」
端折らず話せ。と言われて経緯を一つずつ話す。傷を見ながら聞き終わると何も言わずに軽い消毒をしてくれる。動かしずらくないように包帯を巻いていく手元は当たり前に慣れていて、自分よりも大きな手でよくこんな丁寧な作業が出来るものだと感心してしまう。フィリィも身長は低い方ではない。戦闘もするので手も綺麗で細いわけではないが、身長が比較的近いペンギンやシャチと比べても差はあるので結局は持って生まれた物なのだろう。ローに関しては指も足も長いが。
「昨日の話だが」
「うん」
「なんであんなに熱心に嗅いでたんだ?」
あ、そっちか。と手当てをしてもらっているのを見ていた視線を上げた。つい言いずらく感じてしまったがローは茶化しているというより真剣な話のようだ。何か重要な事なのだろうか。もしかして、ぼったくられでもしたのか。
「ローから匂った香水に薄かったけど媚薬の効果を感じて、確認したくなっちゃって」
「やっぱりか」
存外すんなりと聞き入れてもらえたことに少し安心しながら「やっぱり」という言い方が引っかかる。自分に聞いたのは何かの裏付けの為なのか。
ローが言うにはこの町では飲み屋と娼館の繋がりがかなり大きく、昼間に酒を提供していない店でも食事をしていると横に座って誘いをかけにくるそうだ。昨日のローも何気なく入った店でしつこく言い寄られて迷惑していた。その最中、長く横にいる女から匂う香水が感情を昂らせる効果があることに気付いて確認をフィリィに取らせようと会いに来たとのことだった。答えは聞けなかったがその後も気になったことを少しだけ調べたらしい。
遊んでいたわけではなかったのか。という気持ちにほんの少しの安心と罪悪感が浮いて来る。船員たちには余計な事を言ったかもしれない。
「どうやら随分と薬に縁がある町みたいだな」
「薬?」
「媚薬や睡眠薬が主だな。手に入れようと思えば誰でも手に入れられる上に効果の含まれている香水や飲み物も普通に販売されている」
飲み物。という単語に近くに置いた瓶をちらりと見た。この町で買った物はまだそれほど多くない。初日にペンギンとシャチと買い出しをしたものは船内の食事で一部使用していたが感知はしていない。つまりは効果を知らずに手に取るという事はないのだろう。だが人から貰った物なら、別かもしれない。そこまで考えたのと同時に手を握られて痛みが走る。
「待て。飲むな」
「痛い」
素直に手を見てそういえば手首に指が這って、そのまま握られた。
その酒自体に含まれているかは定かではないが、渡して来た男でも簡単に薬を手に入れられるのがこの町の環境だ。中毒性のあるものが横行しているわけではないからか海軍からの監視の目も甘く、飲み屋で誘いをかけて金を多く取る手法が後を絶たないのでトラブルは日常茶飯事。裏側は意外と治安が悪い。小さなマフィアも存在しているらしく、そこが薬を流している。
販売の主になっているのが違法ドラッグではなく媚薬や睡眠薬という所が何とも不思議だが、大抵の娼館に一枚噛んでいるのもそのマフィア達なので結果儲かっているのだろう。それに海賊が滞在する町で所属人数が多くないマフィアがドラッグを売りつけて喧嘩を売るような真似をすれば簡単に潰されてしまう。余程腕に自信があれば別の話だが。それならば海賊たちが今後使っても楽しい媚薬の方が良いだろう。睡眠薬は上手く仕込めば暗殺にも使える。通りで海賊があまり派手に暴れたりしないわけだ。
「おまえに昨日話があったのもこれに関係することだった」
数日間の情報収集の後に掴んだ薬の話と町の裏側にいるマフィア達。片手間で出来る商売かもしれないが、国が変われば利害も変わる。そもそも小さいマフィアの集団が町全体に広がるような薬を簡単に手に入れるには島で生産をするか、どこかから買うかの二択だ。
遠回りだが今の情報だけでローの言いたいことが頭の中で繋がった。この島全体に似たような媚薬や睡眠薬が広がっているのならかなりの量になるだろう。しかも一般市民でさえ金を積めば手に入れられる。確実に大量生産されたものだが、実際に効果を発揮してトラブルになっているということは粗悪品が少ないのだろう。無駄はしない方が良いに決まっている。利益を得ようと思うのなら、特に。
貰った酒に手を伸ばせば「おい」と低い声が飛んでくる。掴まれた手首を引かれても気にせずに手に取った。今、この瞬間だけの事だとしてもローが調べている事を自分に晒して来るのは珍しい。純粋に頼られたことが嬉しいのだ。
「飲まないから、大丈夫」
片手でコルクを抜いて匂いを嗅ぐ。ターゲットは夜に働く女性だったか。どちらかと言えば「夜まで働く女性」の方が合っているかもしれない。イッカクには注意を促さなければ。香水といい、お酒といい随分と上手く作られている。一般人に売るなら確かにこの程度でも問題ないだろう。ローから匂った香水の割合を考えても一回で眠らせたり魅了するようなものではなく、長時間一緒にいて体内に入れたり匂いを嗅ぐことによって体内に溜まって効果が出るのだろう。この手法なら同時に飲み屋が儲かるのも納得できる。それに死んでしまっては金は回収できない。
「渡してきた奴が入れた可能性は?」
「低いと思う」
「なら酒を造った所を探るか」
どちらにせよ催淫効果があると分かっていて男はこれを渡して来たということだ。コルクを嵌め直して机の上に置けば、無言の時間が流れる。ローも何か考えているようだが、一度あの男とは話をしなければならない。もしも自分の顔を知っていて、この島の裏社会に繋がっているのなら、場所を知られると面倒な相手と知り合いの可能性もある。
ただでさえ指名手配がかかっているのに裏側に回っても追ってくる存在が何人もいるのだから面倒だ。出回っている薬の事を考えるとフィリィにとって一番会いたくない相手が絡んでいることはないだろう。そもそも今は行方知れずになっているはずだ。
「あの男、釣ってみようか」
「……変なリスクを侵す必要はねェ」
「何が出て来るにしろ得にはなるはずだよ」
眉を寄せるローを見つめ返す。ずっと明言することは避けて来た。それはきっと彼があまり触れられたくない部分で、船員達も知らない事。ふらふらと居なくなっては情報を持って帰ってくるのもそのせいだし、一度だけ自分に問いかけたっきりその名前が出てきたことは無い。
「ドフラミンゴを倒したいんでしょう?」
反応するように手首を掴む指先が揺れた。真っ直ぐに問いかけた質問の答えは憎らしいと言いたげな目で分かった気がした。
「今回のこれが繋がってるかは分からないけど、掘ってみる価値はあると思う」
「……ジョーカーという名前が出れば確実にあいつだ」
「覚えとく」
帽子を触ると目深に被ったローを見つめる。また一歩踏み込んだが、受け入れられたことは嬉しい。気まずいだ何だと思っていた気持ちも消え去っている事に安心しながら、フィリィは今後の動きを話し始めた。
+++
「イッカク」
「はい、なんですか?」
リネン室で衣類やタオルの整理をしていたイッカクにローは声を掛けた。ここには全員分の洗濯物も集まってくるので布の山がいくつかできている。干し終わった今日の分は綺麗に畳んで籠に詰めてあって、あとはそれを各部屋に届けるだけなのだろう。船が停泊している間も服やタオルは毎日の生活で必要になる。その管理や洗濯がイッカクな主な船での仕事だ。
「つなぎはまだ余ってるか」
ローのその一言にイッカクは目を丸くした後、すぐに笑顔を浮かべる。平和な停泊生活の中でつなぎが汚れることはあっても、破れたり千切れたりすることはない。しかもつなぎを着ないキャプテンがそんな風に聞いて来るという事は理由は一つしかないだろう。
「もちろん。ありますよ」
「なら、おまえから渡しておいてくれ」
「え? 誰にです?」
惚けてみせるイッカクにため息を吐いて眉間を揉む。すぐに楽しそうに微笑んでくる顔を睨みつけるが「だって分からないんですもん」と言いながら棚から新しいつなぎを出してローに手渡した。
イッカクからしてみればいい進歩だ。その服一つでフィリィも信頼を感じられるだろうし、ローもまたフィリィに踏み込みやすくなる。いくらでもそれを言い訳にしてしまえば良かったのに、いつまでもお互いに距離感を測り続けている二人にはやきもきしていた。
「ちゃんとキャプテンから渡してあげてください」
「……分かった」
半分諦めの気持ちもあるがイッカクの言う事も正しい。乗せる乗せないの問答も元はと言えばローが始めたことだ。付き合いもそれなりに長くなってきた。クルーにするのに充分な戦力や知識、行動力があったのに引き延ばしたのは他でもないローだ。このままいけば更に引っ込みがつかなくなることも容易に想像がつく。今引き入れるのが一番いい。フィリィにとっても、ローにとっても。
ただ一つ引っかかるとすれば、フィリィと一人の人間として向き合った時のロー自身の感情だろうか。
「他のクルーには黙っておいてあげますから。早く渡さないとだめですよ」
ローの中にある何か複雑な気持ちでも読み取ったのか、イッカクはそう言って腕を組む。「分かってるよ」と呟くとローはそのままリネン室を出た。
「フィリィ、そろそろ休憩入りな」
「はーい」
軽く返事をしてから凝った肩をぐるりと回す。店の奥にある休憩室に向かうと女将さんが仕入れ先の男と話をしていた。会釈だけして椅子に腰かけると「そうだ」と男性が声を上げた。
「これ、うちの新商品なんですが飲んでみてもらえませんか?」
「綺麗な瓶だね」
女性の目に止まるようにと綺麗な装飾の施された瓶に女将さんは感心した声を出す。中のお酒はフルーツ系の甘さのある味でターゲットは夜に働く女性。確かに綺麗に着飾ってこの瓶を持っていたら目立つだろう。プレゼンをしながら「良かったら」と手渡されて素直に瓶を受け取る。装飾を指で遊ぶようになぞっていると「女は私とフィリィだけだからねェ」と笑う声が聞こえてくる。フィリィ以外にも働いている人間もいるが、樽での販売をしている関係もあって男手が多い。短い間でも女の子がいると店が明るくなる。という理由だけでフィリィは誘われたが力にはそれなりに自信もあったので女将さんはある意味見る目があったのだろう。海賊だと知っているのは女将さんと旦那さんだけだが。
「ぜひ、飲んで感想も聞かせてください」
「今はさすがに業務中だからね。次までに皆でもらっておくよ」
よろしくお願いします。と一言添えてから男は裏口から店を出ていった。その後ろ姿をじっと見てから手元の瓶に視線を落とした。電気の灯りと一緒に自分の顔が映る。少しのため息を吐きながら瓶を机の上に置いた。
後ろをついて来る気配にフィリィは腕を組みながら考える。最近は海軍や賞金稼ぎを相手にしていたので逆に感覚を鋭く保とうとしすぎていたのかもしれない。一般人の行動は浅はかで分かりやすい。組織的に動いてる人間でなければ尚更。深読みをしすぎて、バレるような行動すらも作戦の内なのだろうか。なんて考えかけていた自分に恥ずかしささえ覚える。
腕を解いて、片手に持っていた瓶を背後が映るように動かす。見えた人影はこの瓶を渡して来た男で間違いないだろう。仕入れの関係で何度か顔を合わせはしたが、後ろを追われるような会話はした覚えがない。何が目当てなのだろう。追えるようにと歩幅を少し小さくしながらもう一度瓶を使って後ろを見る。それと同時にくるりと振り返ると、角に隠れていった人影の先を見た。
「いつもこの道を通ってるのか」
「うん」
フィリィが気配に気づいたことに何の驚きも見せないローにわざとだったのだろうと察する。こちらに歩いて来ながら男が隠れていった先に足は止めずに確認するように目線を送る。そこにいるのか、姿を隠してしまったかはフィリィからは分からない。何も言わずに歩いてくる顔を見ていると、はぁ。とため息を吐かれる。
「目を離すと怪我をしてるな」
「あー これは…」
包帯を巻いている左手を瓶で見えないようにしようと手元で遊ばせてみるが、言い訳をしても仕方ないと諦める。大人しく理由を話そうとしていると「いくぞ」と声を掛けられた。
「戻ったら見てやる。話したいこともあるしな」
「分かった」
そういえば昨日はあのまま船に戻ってきていなかったみたいだし、今度聞く。と自分で言っておいてまた逃げてしまうわけにもいかない。そっと背を押して来るローで影になるように後ろを窺えばじっとこちらを見る目が角から覗いていた。歩き出しても追いかけて来る様子は無い。そのまま二人で大通りに出ると呆れたような顔をされた。
「わざとつけさせるのはやめろ」
「あ、バレてた?」
へらりと笑えばローはまた重たい息を吐く。油断すると危ないのも理解はしているが所詮は一般人だ。人を傷つけるような道具は手元には無いだろうし、今のところ危害を加えようとしているわけではなく、見張っているといった所だろうか。
船までの道を歩きながら今日は特に何の匂いもしないローを横目で見た。何事もなく話せているだろうか。ローの方も何もなかった様に話しかけてきたので昨日の事は無かったことになっているようで安心する。もうあんなにも焦ってしまうのはごめんだ。
「店でもらったのか」
「うん。でも危ないかも」
ちらりと瓶を見たローに返事をするように自分の目の前に瓶を持って来る。まだ封を切っていないので分からないが、何かが入っているかもしれない。新商品とは言っていたがそれすらも嘘の可能性もある。飲み物は細工をしやすいし、相手の立場を考えると食品を渡して来るのは確かに自然な行為だ。後ろをついて来ていたのもこれを飲んだかどうか確認するためだったのかも。
「危機感が薄いな」
「そう? まあ、飲めば分かっただろうし」
口に入れれば分かると踏んでいる時点で、確かに一般人よりは危機感が薄いのかもしれない。確かに飲んだ瞬間に口の中が爛れてしまうようなものが入っているという可能性も考えられる。そんな薬品の場合は大体何に混ぜても匂いで分かる気もするが。何にせよ毒ではないだろう。それに薬を入れられていたとしても自分の分だけだったと祈るしかない。睡眠薬や媚薬でも量を間違えれば人は死んでしまう。多くを学んだわけではないがこれは経験から来る知識だ。
船まで着くと「キャプテンおかえり~」とベポが手を振ってくる。呑気だなと思うがきっとこれがハートの海賊団では日常なんだろう。こんなにも大きな島に止まるのも、ローが一日船を空けるのもフィリィからすれば初めての事だった。停泊中とはいえ、それでも難無く船での生活や作業が進むのはローへの信頼がよく分かる。
診察室に入ると椅子に座って包帯を解く。バレてしまったのなら今更隠しても仕方がない。それに昨日はローが船に居なかったので見せなかっただけで、部屋に居れば素直に怪我をしたと申し出ていただろう。もし、問いかけられたら。と考えていた言い訳を一度頭に浮かべておく。ちゃんとした答えを言うのに自分の事を騙すのは大切だ。
「少し深いな。どんな切り方したんだ」
「割れたお皿に……突っ込んだ? みたいな」
端折らず話せ。と言われて経緯を一つずつ話す。傷を見ながら聞き終わると何も言わずに軽い消毒をしてくれる。動かしずらくないように包帯を巻いていく手元は当たり前に慣れていて、自分よりも大きな手でよくこんな丁寧な作業が出来るものだと感心してしまう。フィリィも身長は低い方ではない。戦闘もするので手も綺麗で細いわけではないが、身長が比較的近いペンギンやシャチと比べても差はあるので結局は持って生まれた物なのだろう。ローに関しては指も足も長いが。
「昨日の話だが」
「うん」
「なんであんなに熱心に嗅いでたんだ?」
あ、そっちか。と手当てをしてもらっているのを見ていた視線を上げた。つい言いずらく感じてしまったがローは茶化しているというより真剣な話のようだ。何か重要な事なのだろうか。もしかして、ぼったくられでもしたのか。
「ローから匂った香水に薄かったけど媚薬の効果を感じて、確認したくなっちゃって」
「やっぱりか」
存外すんなりと聞き入れてもらえたことに少し安心しながら「やっぱり」という言い方が引っかかる。自分に聞いたのは何かの裏付けの為なのか。
ローが言うにはこの町では飲み屋と娼館の繋がりがかなり大きく、昼間に酒を提供していない店でも食事をしていると横に座って誘いをかけにくるそうだ。昨日のローも何気なく入った店でしつこく言い寄られて迷惑していた。その最中、長く横にいる女から匂う香水が感情を昂らせる効果があることに気付いて確認をフィリィに取らせようと会いに来たとのことだった。答えは聞けなかったがその後も気になったことを少しだけ調べたらしい。
遊んでいたわけではなかったのか。という気持ちにほんの少しの安心と罪悪感が浮いて来る。船員たちには余計な事を言ったかもしれない。
「どうやら随分と薬に縁がある町みたいだな」
「薬?」
「媚薬や睡眠薬が主だな。手に入れようと思えば誰でも手に入れられる上に効果の含まれている香水や飲み物も普通に販売されている」
飲み物。という単語に近くに置いた瓶をちらりと見た。この町で買った物はまだそれほど多くない。初日にペンギンとシャチと買い出しをしたものは船内の食事で一部使用していたが感知はしていない。つまりは効果を知らずに手に取るという事はないのだろう。だが人から貰った物なら、別かもしれない。そこまで考えたのと同時に手を握られて痛みが走る。
「待て。飲むな」
「痛い」
素直に手を見てそういえば手首に指が這って、そのまま握られた。
その酒自体に含まれているかは定かではないが、渡して来た男でも簡単に薬を手に入れられるのがこの町の環境だ。中毒性のあるものが横行しているわけではないからか海軍からの監視の目も甘く、飲み屋で誘いをかけて金を多く取る手法が後を絶たないのでトラブルは日常茶飯事。裏側は意外と治安が悪い。小さなマフィアも存在しているらしく、そこが薬を流している。
販売の主になっているのが違法ドラッグではなく媚薬や睡眠薬という所が何とも不思議だが、大抵の娼館に一枚噛んでいるのもそのマフィア達なので結果儲かっているのだろう。それに海賊が滞在する町で所属人数が多くないマフィアがドラッグを売りつけて喧嘩を売るような真似をすれば簡単に潰されてしまう。余程腕に自信があれば別の話だが。それならば海賊たちが今後使っても楽しい媚薬の方が良いだろう。睡眠薬は上手く仕込めば暗殺にも使える。通りで海賊があまり派手に暴れたりしないわけだ。
「おまえに昨日話があったのもこれに関係することだった」
数日間の情報収集の後に掴んだ薬の話と町の裏側にいるマフィア達。片手間で出来る商売かもしれないが、国が変われば利害も変わる。そもそも小さいマフィアの集団が町全体に広がるような薬を簡単に手に入れるには島で生産をするか、どこかから買うかの二択だ。
遠回りだが今の情報だけでローの言いたいことが頭の中で繋がった。この島全体に似たような媚薬や睡眠薬が広がっているのならかなりの量になるだろう。しかも一般市民でさえ金を積めば手に入れられる。確実に大量生産されたものだが、実際に効果を発揮してトラブルになっているということは粗悪品が少ないのだろう。無駄はしない方が良いに決まっている。利益を得ようと思うのなら、特に。
貰った酒に手を伸ばせば「おい」と低い声が飛んでくる。掴まれた手首を引かれても気にせずに手に取った。今、この瞬間だけの事だとしてもローが調べている事を自分に晒して来るのは珍しい。純粋に頼られたことが嬉しいのだ。
「飲まないから、大丈夫」
片手でコルクを抜いて匂いを嗅ぐ。ターゲットは夜に働く女性だったか。どちらかと言えば「夜まで働く女性」の方が合っているかもしれない。イッカクには注意を促さなければ。香水といい、お酒といい随分と上手く作られている。一般人に売るなら確かにこの程度でも問題ないだろう。ローから匂った香水の割合を考えても一回で眠らせたり魅了するようなものではなく、長時間一緒にいて体内に入れたり匂いを嗅ぐことによって体内に溜まって効果が出るのだろう。この手法なら同時に飲み屋が儲かるのも納得できる。それに死んでしまっては金は回収できない。
「渡してきた奴が入れた可能性は?」
「低いと思う」
「なら酒を造った所を探るか」
どちらにせよ催淫効果があると分かっていて男はこれを渡して来たということだ。コルクを嵌め直して机の上に置けば、無言の時間が流れる。ローも何か考えているようだが、一度あの男とは話をしなければならない。もしも自分の顔を知っていて、この島の裏社会に繋がっているのなら、場所を知られると面倒な相手と知り合いの可能性もある。
ただでさえ指名手配がかかっているのに裏側に回っても追ってくる存在が何人もいるのだから面倒だ。出回っている薬の事を考えるとフィリィにとって一番会いたくない相手が絡んでいることはないだろう。そもそも今は行方知れずになっているはずだ。
「あの男、釣ってみようか」
「……変なリスクを侵す必要はねェ」
「何が出て来るにしろ得にはなるはずだよ」
眉を寄せるローを見つめ返す。ずっと明言することは避けて来た。それはきっと彼があまり触れられたくない部分で、船員達も知らない事。ふらふらと居なくなっては情報を持って帰ってくるのもそのせいだし、一度だけ自分に問いかけたっきりその名前が出てきたことは無い。
「ドフラミンゴを倒したいんでしょう?」
反応するように手首を掴む指先が揺れた。真っ直ぐに問いかけた質問の答えは憎らしいと言いたげな目で分かった気がした。
「今回のこれが繋がってるかは分からないけど、掘ってみる価値はあると思う」
「……ジョーカーという名前が出れば確実にあいつだ」
「覚えとく」
帽子を触ると目深に被ったローを見つめる。また一歩踏み込んだが、受け入れられたことは嬉しい。気まずいだ何だと思っていた気持ちも消え去っている事に安心しながら、フィリィは今後の動きを話し始めた。
+++
「イッカク」
「はい、なんですか?」
リネン室で衣類やタオルの整理をしていたイッカクにローは声を掛けた。ここには全員分の洗濯物も集まってくるので布の山がいくつかできている。干し終わった今日の分は綺麗に畳んで籠に詰めてあって、あとはそれを各部屋に届けるだけなのだろう。船が停泊している間も服やタオルは毎日の生活で必要になる。その管理や洗濯がイッカクな主な船での仕事だ。
「つなぎはまだ余ってるか」
ローのその一言にイッカクは目を丸くした後、すぐに笑顔を浮かべる。平和な停泊生活の中でつなぎが汚れることはあっても、破れたり千切れたりすることはない。しかもつなぎを着ないキャプテンがそんな風に聞いて来るという事は理由は一つしかないだろう。
「もちろん。ありますよ」
「なら、おまえから渡しておいてくれ」
「え? 誰にです?」
惚けてみせるイッカクにため息を吐いて眉間を揉む。すぐに楽しそうに微笑んでくる顔を睨みつけるが「だって分からないんですもん」と言いながら棚から新しいつなぎを出してローに手渡した。
イッカクからしてみればいい進歩だ。その服一つでフィリィも信頼を感じられるだろうし、ローもまたフィリィに踏み込みやすくなる。いくらでもそれを言い訳にしてしまえば良かったのに、いつまでもお互いに距離感を測り続けている二人にはやきもきしていた。
「ちゃんとキャプテンから渡してあげてください」
「……分かった」
半分諦めの気持ちもあるがイッカクの言う事も正しい。乗せる乗せないの問答も元はと言えばローが始めたことだ。付き合いもそれなりに長くなってきた。クルーにするのに充分な戦力や知識、行動力があったのに引き延ばしたのは他でもないローだ。このままいけば更に引っ込みがつかなくなることも容易に想像がつく。今引き入れるのが一番いい。フィリィにとっても、ローにとっても。
ただ一つ引っかかるとすれば、フィリィと一人の人間として向き合った時のロー自身の感情だろうか。
「他のクルーには黙っておいてあげますから。早く渡さないとだめですよ」
ローの中にある何か複雑な気持ちでも読み取ったのか、イッカクはそう言って腕を組む。「分かってるよ」と呟くとローはそのままリネン室を出た。