終の船
なまえの変更
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
気持ちのいい潮風、遠くに聞こえる波の音。飛んでいるカモメたちの声、活気のある港町のざわめき。もう少しだけ陸に進めば景色は観光街に変わって行く。この島は羽を休めるのに最適だと思っていた。港にも観光船、交易船、漁船、海賊船。色んな船が並んでいる。
――どれでもいい。でも、見誤らないようにしなきゃ
ちらりと、横目で港の船を物色する。それと同時にずり落ちそうなフードを慌てて押さえて、また前を向いた。逆に目立っている気もするが、もしもどこかに紛れ込むなら誰にも顔は見られない方がいい。足を必死に前に動かすが、残念ながらあまり速い方ではなかった。そもそも単純に男女の脚力の差に負けてしまいそうだ。後ろを振り返れば相変わらず追いかけてくる人影たちに唇を噛んで、角を曲がった。
「目標! 三番街から二番街方面に逃走中!」
「……っ、しつこいなぁ!」
ガチャガチャと身につけている装備の音をさせながら追いかけてくる足音は五つ。通信を今すぐ切ってやりたいが、そんなことをしている間に回り込まれて挟み撃ちにされてしまうかもしれない。こうなったら人混みに紛れるのが正解だと頭の中で結論を出した。
また角をひとつ、ふたつ、と曲がった辺りで人の声が大きくなる。大通りまで出て、少し騒ぎになれば幾分か身を隠しやすくなるはずだ。早くこの状況から脱したいという気持ちのせいか、人の通りが見えて少し速度を上げて突っ込んでいく。大通りを突っ切る勢いで路地から飛び出してきたフードを被った女に、気づいた人たちがざわめくのが聞こえた。路地裏からの開放感と明るさに目を細めた瞬間、誰かに盛大にぶつかって数歩後ろに下がる。ぶつけた鼻を押さえているとぱさりと音を立ててフードがずり落ちた感覚がした。
「キャプテン、大丈夫?」
「あァ…」
自分よりも頭一つ分ぐらい大きな男のもふもふの帽子に目を奪われた後、その背後で話し始めた大きな白熊に自然と視線が動いた。もふもふと、もふもふ…。と呑気な事を考えているとさらにその後ろから帽子を被った男が二人、なんだなんだ?と不思議そうに女を覗き込んでくる。お互いに少し状況が飲み込めていないままに見つめ合う。すると自分を見つめていた男の眉がぐっと寄った。
「おまえ…」
キャプテン。と白熊に呼ばれていた男は何か言いかけて口を閉じる。すぐに自分よりも背後の路地裏を見るその動きに、そうだった。と我に返って慌てて後ろを振り返る。
「手を上げろ! 大人しく降伏してもらう!」
その声と共に向けられた銃口は後ろからだけではなく、ぐるりと周りを囲むようにこちらを見ていた。こういう時の海軍の連携の良さは本当に厄介だ。帽子の二人組は「ゲッ、海軍…」と嫌そうな声を出す。よく見れば二人と一匹はドクロを模したマークの入ったつなぎを着ている。『キャプテン』だけは違うようだが、それは呼ばれた通り彼がリーダーだからだろう。
小隊の隊長の男は銃を構えながら女のそばにいる男を見る。目標が逃げ出さないように気を配りながらゆっくり口を開いた。
「……"死の外科医"トラファルガー・ローだな。一緒に大人しく海軍まで来てもらおうか」
「トラファルガー…」
海軍の一人に呼ばれた名前を反芻しながらまた『キャプテン』を見上げた。確かに、いつかに見た手配書の写真と同じ顔だ。手配書の写真はもっと悪そうな顔で写っていたが、確かにこの帽子もトレードマークだったなと思う。どうしてすぐに気付かなかったのだろうか。急な事に頭が混乱していたのもあるかもしれない。今もまだぶつかってしまった事や海軍に囲まれている焦りから心臓がどくどくと早くなっている。ついさっきまで走っていたから体も気持ちも少し焦っているみたいだ。
名前を呼ばれたロー自身は、海軍の言葉には返答せずに状況をもう一度頭の中で確かめる。路地裏から出てきてぶつかってきた女に、それを追っていた海軍。面倒な事になったと言いたげにローは重いため息を吐く。女を見下ろせば、何か考えているのかじっと観察するような視線を向けてきていた。何処かで見た顔だと思ったが、その考えはぼんやりと確信に変わってくる。毛先に向かって赤く染まっている黒髪、目も赤みのかかった黒色、人形の様に整った顔。見つめあっていても人形独特の怖さが無いのは、本人がきちんと血の通った人間だからだろうか。
「変なことに巻き込むんじゃねぇよ」
「ぶつかった人が海賊だなんて思わないじゃない」
まだ少し痛む鼻を触る。もしかしたら赤くなってるかもしれないなぁ。と段々冷静になってきた脳内で呑気な事を考えているとローはクルーの三人と話をし始める。
「ログは」
「溜まってるよ!」
「ならすぐ出航だ。ペンギン、町に出てる奴らに連絡取れ」
「了解!」
出された質問にすぐさま答えるクルー達とローを交互に見る。この状況から逃げる算段があるのか。自分もその混乱に乗れば一人で逃げることも可能だろう。だが、名前がわかった今となってはこの男を逃す訳にはいかない。すぐにローの腕を掴めば、鋭い視線にぐっと寄った眉間の皺がプラスされる。そんな圧に負けじと口を開く。
「私も連れてって!」
「はぁ?」
まだ巻き込むのか。と言いたげな視線をじっと見つめ返す。これでも親の作ってくれた顔には自信があるのだ。ちょっとぐらいなら絆されてくれるかもしれない。初期の印象の肝は顔!と自分を納得させる。さすがにずっと見つめ合うのは恥ずかしいから、こうでも思っていないと照れてしまいそうだ。
ローはちらりと海軍を見る。距離があるとはいえ会話は大方聞き取れているはずだが、容赦なく発砲してくることはなく、銃口はこちらに向いたままだ。ということは目の前の女は頭の中で行き着いた人物であっているのだろう。
「おまえなら怪我なく逃げれるだろ」
「やだ! 私も船に乗せて欲しい!」
言いながら振りほどこうとした腕を今度は抱き着くようにぎゅっと掴み直される。どうして逃げる話から船に乗せる話になっているんだろうか。圧をかけて睨んでみても引く気はないらしい。ペンギンとシャチはそんな様子を見て「お〜 大胆」と呑気なことを言っている。海軍が発砲する様子が無いからと気が抜けすぎだろう。
「ロシナンテ中佐を知ってる」
自分にしか聞こえないように発せられた言葉に目を見開く。聞き覚えのある名前と同時に思い出したくもない顔が一緒に浮かんだ気がした。そんな風に呼ぶのだからきっと海軍にいた時の事なのだろう。引く気のないこの女を共に逃がすことに色々なリスクがあることは理解している。だが、今の言葉が本当でも嘘でも、興味を持ってしまった時点で自分の負けだろう。
「……後でどうなっても文句は言うなよ」
「言わない」
はっきりと言い切った目は肝が据わっていて真っ直ぐで。今までもどうにか海軍から逃げて来ただけはあるのだろう。それに、決して弱いわけではないことも分かる。ここで意地を張り合っても時間をただ消費するだけだ。ローは後ろを振り返り、小声でクルーの三人に何か伝えると刀を持っている方の腕で女を抱き上げた。急なことに驚きながらローの肩にしがみつくと、ざわりと海軍の動揺が広がる。本当にこのまま女を連れて逃げるつもりなのか。その一瞬の迷いを突く様にローはにやりと笑みを浮かべながら呟いた。
「“ROOM”」
「っ?! 能力者か!」
「“シャンブルズ”」
広がった半円に警戒した海兵はパッと視界が切り替わり、自分と同僚が向き合うように銃を構えている状況に動揺する。何が起こったのか、自分がどうなったのかも分からないまま周りを見渡すと今まで自分が立っていた位置に標的の女と海賊たちが立っているのが見えた。瞬時に乱された戦況に混乱に陥る海兵達を、ローは刀で綺麗に切り刻む。切り刻む、と言ってもまるでだるま落としのおもちゃのように引っ付ければ元に戻りそうな断面だ。切られても話す海兵達はどうすればいいのかも分からずに自分の体を探して首だけの状態や、腕のない状態で騒がしく喚く。こうなっては統率を取るのは難しいだろう。何とか冷静を保ってローに向かってきた海兵達も白熊によってあっさりと撃沈されていく。
「お、あそこにいるのクリオネとハクガンだ」
「はははっ これ見て焦ってら」
帽子をかぶっている二人の呑気な会話を尻目にローは「いくぞ」と呟くと路地を入って港の方へと走る。これだけ騒いでいれば電伝虫ですぐに船に戻れと言った意味も伝わるだろう。海軍もバラバラの体と気絶した兵を置いておくとも思えない。追って来るにも時間がかかるはずだ。急いで港まで出ると既に何人かのクルーが買った積荷を急いで中に運びながら、出港の準備をしているのが見えた。
「あ! キャプテン!」
「海軍がいる。全員揃って準備が出来たら出航しろ」
「えぇ?! 海軍?!」
「あの、その女の子は?」
いつの間に被ったのか、抱えられたままフードを被って顔を隠す女をチラリと見る。まあ疑問に思う気持ちも分かるが、自分自身とりあえずここまで連れてきた状態だ。
「……後で説明する。ペンギン、一緒に来い」
シャチとベポには準備を手伝うように指示を出して甲板に上がる。女を下ろすと興味深そうにキョロキョロと船を見回していた。中に入るための分厚い扉を開くと「着いてこい」と一言声をかける。
「すごい…潜水艦?」
「初めてか?」
「うん。でも帆もあったよね」
「帆船にもなるんだよ。ずっと水中だと疲れるからな」
ペンギンとの会話を後ろに聞きながら『診察室』と札のついた部屋に通す。鬼哭を机に立て掛けると椅子に腰掛けて新品のカルテを出す。その一連の動作を見ながら女は「病院みたい」と呟いた。
「診察するの?」
「病人だったら今すぐ港に置いていく」
「えぇ……医者なんじゃないの?」
「あの状況から逃してやっただけでも感謝しろ」
それもそうだ。と納得してから被ったままだったフードを取る。クルーの命を守るのも船長の役目だ。潜水艦という閉鎖空間で伝染るような病が流行ると確実に全滅してしまう。もちろん、自分はそんな病気にかかってはいないが。ペンギンから差し出された体温計で体温を測りながら、ローの軽い問診に素直に答えていく。
「出身は」
「新世界」
「海に出て何年ぐらい経ってる」
「んー、十年ぐらい?」
「最近野営は」
「してない」
淡々と問答を繰り返す二人にペンギンはどことなく不思議な気持ちになる。キャプテンが淡々としているのはいつものことだ。冷静に的確に、知りたい情報を得ていく。そんなところがクールでかっこよくて、ついつい後ろを着いて行きたくなってしまう。だけどちょっと目つきが鋭いから怖がる人間も多い。そんなキャプテンに対して物怖じもしなければ何の疑いもなく、素直に質問に答える女はかなり稀だ。聞かれたことをすんなりと答えているあたりにも妙な慣れを感じる。そしてこの人形のように綺麗な顔にも何処かで見覚えがある気がずっとしているのだが、中々思い出せない。そんなペンギンの思考と問診を遮るようにピピピ、と体温計が無機質な音を立てる。女は服の中から出したそれをローに渡すと眉間に寄った皺を見て笑った。
「ごめん。それ平熱」
「能力者か」
「うん」
とりあえず心音を。と聴診器を手に取ったローを見て女は躊躇いもなく服を捲る。ローは医者としてのモードに入っていて特に何も思わないのか、後ろで動揺するペンギンに「うるせェ」と声を飛ばした。心音も至って正常だ。この状況で正常なのも少しおかしい気がするが、きっと他人の船に乗り込むのに慣れているのだろう。カルテに書き込んでからローは椅子の背もたれに身を預けると足を組む。質問をしようとローが口を開く前にゆっくりと船が動き出した。沈むような感覚に窓を見れば海中に船体が沈んでいく。初めての光景に窓の方を見て目を輝かせる女に視線を向けた。残念ながらこれで簡単にこの女を外に放り出すことはできなくなってしまった。
「能力は」
「……その前に、私のことどれぐらい知ってるか聞いてもいい?」
初めて問いかけが返ってこなかったことに睨みを返すが、肩を竦めるだけで女が怯む様子はない。さすがに脅しは通用しないか。軽くため息を吐いてから、ローは机の引き出しを開くと手配書の束を出した。それを見てペンギンは合点がいったように声を上げる。バサリと机の上に置かれた手配書は最新の物だろうか。一ヶ月程見ていなかった間に金額がまた上がったらしい。
「“炎羽の”フィリィ…政府がずっと生捕りのみで手配している謎の女。生捕りで手配されるのはどっかの王族や貴族が逃げ出した親族を捕まえる為が多いが、その割にはおまえの金額はどんどんと上乗せされていってる」
貴族や王族の場合、出せる上限を提示してそれ以上に値段が上がることは滅多にない。最初は田舎貴族の家出娘かと思っていたが、釣り上がっていく金額の乗せ方は海賊の指名手配の様で少し疑問を持ったことを思い出す。まさかこんな形で本人に会うとは思ってもいなかったが。
ーー 五千万ベリーかぁ……
自分の手配書を見ながらいつ撮られたのか分からない写真を見た。最初は商船や貿易船、観光船に海軍からの探し人として共有された程度だったと思う。それがいつの間にか海賊のように大々的に指名手配されるようになってしまった。海に出た当初はこんなに目立つつもりはなかったが、どうやら海軍は必死らしい。理由も何となくは察しているがこっちもそう簡単に連れ戻されるつもりはない。海での生活はとても自由で心地いい。自分にとってはこの生活が今までの人生で一番楽しいことなのだ。
「裏だと政府の要人だという噂が出回ってる様だが」
「……惜しいけど、ちょっと違うかな」
へらりと笑うと緊張感の無さにペンギンが少しだけ身を緩めたのが分かる。世界政府の名が出れば大体は天竜人を想像するだろう。いくら海賊といえども天竜人に逆らって、痛い目に合うのはすぐに想像がつく。実際に海賊という無法者達は奴隷として売り飛ばされることもよくある話だ。だが、ペンギンの安心して緩んだ体はまたすぐに驚きで硬直する。
「私、Dr.ベガパンクの娘なの。政府っていうより、連れ戻したいのは海軍側の意志かな」
「は?」
「え?! Dr.ベガパンクって、あの?!」
混乱するように頭を抱えるローと驚くばかりのペンギンにニコニコ笑う呑気さには呆れが上回る。だが、Dr.ベガパンクに妻や子供がいるという話は今まで聞いたことがない。政府が上手く隠していたという事だろうか。だとしても何のためにそんな事をする必要があるのか分からない。
「母親も科学者か?」
「いないよ。あえて言うなら…培養槽?」
「っ?! それって、人造人間ってことかよ!?」
「そうなるかな。遺伝子だけは入ってるよ。顔は全然似てないけどね」
言いながら自分の頬をつつくフィリィに、どおりで作った様な綺麗な顔をしているわけだと合点がいく。それよりもさっき聞いた心音は確かに人間の心臓の音だった。抱き上げた時の感覚からも人間である事は確かだろう。人間の腹を使わずに人工的に作られた存在なんてさすがに突拍子も無さすぎて脳がついて行かないが、体の中身には医者として俄然興味が湧く。
混乱する二人に笑いながらフィリィは先程の質問の答えを話していく。
「私はトリトリの実、幻獣種モデル朱雀を食べた鳥人間。それもパパが作った失敗作を勝手に食べただけだから、鳥型と獣人型にはなれないけどね」
出来ないことの方が多いかも。なんて笑うフィリィの言葉の衝撃により、上手く脳の処理が追いついていない二人は完全に混乱している。もしかしてとんでもない奴を船に乗せてしまったのではないかと思うが、ずっと海軍にいたのなら自分の恩人の名前を口にしたのにもローは納得がいっていた。ただ、知り合いだという線は薄くなった気もするが。
「……出来ることを全部教えろ」
「羽は出せるし飛ぶことも出来る。ただし身体の一部以外は燃えるのよね」
「服が燃えるってことか?」
「そうそう」
ペンギンの言葉に笑って返してはいるが、能力者としてはかなり不便な気がする。悪魔の実という物は未だに理屈が解明されていないこの世界の不思議な物の一つだ。体が変化するような能力でも大体は自分の衣服も共に変化することが多いが、服を脱がないと勝手に燃やしてしまうとなると面倒だろう。
「あとは羽を刃物に変化させられる。切り口は燃える」
フィリィはポケットを探ると赤みがかったオレンジ色の羽を取り出す。手元で同じ色をした小刀程度の物に変わったのを見せると警戒させる間も無く燃やして消した。自分の判断で燃やして消せる。と説明を付け加えながら何も持っていないことを見せるように手をひらひらと振った。
「それと…あんまり使わないけど軽い催眠術」
「催眠術?」
「羽を使ってやるの。効果は羽が燃え尽きるまで。人によって効果時間が変わるし私よりも能力的に強い相手には効果がない」
感心するペンギンの声を聞きながらローは考え込むように腕を組んでじっとフィリィを見つめる。ここまで明け透けに話しているのは相手を警戒させないための術だろう。やはり、今までも何度か同じ状況で海賊船に乗り込んだことがあるように思える。海軍に追われているとはいえ、それがフェイクかどうかもまだ定かでは無い。こっちだって懸賞金もかかっている海賊だ。簡単に信頼し続けて船に乗せた結果、海軍に捕まったとあっては間抜けもいい所だ。コラさんとの繋がりも今のところ全く見えてくる気配もない。
「次の島で降りてもらうからな」
「え! やだ!」
「うるせぇ。海軍から助けて、無事に島から出してやっただけでも感謝しろ」
「私、この船のクルーになりたくて乗ったのに!」
衝撃的な言葉にローはまた絶句する。ペンギンはそろそろキャパオーバーを起こすだろうキャプテンの脳を心配して代わりにフィリィに問いかけた。
「あのさ、なんでうちなんだ? お前の能力は役に立ちそうだし海賊になりたいって言うなら、他の海賊船でもいいだろ」
「それは…」
急に言葉に詰まったフィリィは図星だったというより、どういうべきかと悩んでいるようだ。ローはこめかみを軽く揉むとフィリィの表情を観察する。少し下を見る視線は不安そうに揺れて、口元は何かを言おうとしてすぐに閉じる。これは急かしても言葉は出てこないだろう。
何度か頭の中で考えながら、大人しく言葉を待ってくれている二人を焦れさせないように、フィリィは何とか言葉を絞り出す。
「私は、ロシナンテさんに自由を教えてもらった…だから……恩返しがしたい」
「恩返し? それがなんでクルーに繋がるんだ?」
「えっと……」
子供が何かを言おうとして淀むようなフィリィの仕草にずっと黙って見ていたローは深々とため息を吐く。今のところ嘘を言っているわけでは無いのは分かった。フィリィにとってもあんな港町で急に出会ったのだ、気持ちの整理がついていないところもあるのだろう。船に置き続けることにリスクを感じるのも確かだが、今また出てきた名前の人物との関係も気になってはいる。あの言い方だと先程まで自分が思っていたような浅い関係ではないのだろう。見た目の割に幼い部分を感じるのも、気持ちを上手く言語化出来ないのも、人間としてどこか未熟な部分が存在するからなのかもしれない。興味と警戒が交互にくる状態に何とも言えない心地がするが、何処かで自分が落とし所を見つければいいだけの話だ。
「……船には乗せてやる」
「本当?!」
「ただし、おれが認めるまではクルーを名乗るな」
珍しい条件付きの乗船にペンギンは目を丸くする。ハートの海賊団の船員は皆ローに一恩あるメンバーがほとんどだ。そして、ローに誘われてこの船に乗っている。基本的にローが気に入った船員しか乗っていないこの船に、こんな形で無理矢理乗り込んでくる人間は初めてのことになる。
「分かった。船では自由にしていいの?」
「好きにしろ」
「心臓でも持っとく?」
「……おれの能力を知ってるのか」
「噂で聞いたの」
気に入らないやつの心臓を抜いたらしい。体をバラバラにして森に放置したらしい。流れ着いた海軍の軍艦が変な形をしていたらしい。どれもこれも噂程度で笑って話すのを聞いていただけだが、さっき町で見た能力から考えると全てできてしまうのだろう。自分で思うのもおかしいかもしれないが、不思議な能力だ。
「いらねぇよ。ペンギン、空いてる一室をこいつに使わせろ」
「はいよ」
案内する。と指で示してくれるペンギンについて行こうと椅子から立ち上がる。部屋から出ようとするのと同時に後ろから言い忘れたと言わんばかりに言葉が飛んできた。
「一週間に一回診察する。忘れるなよ」
「はーい」
軽い言葉を返せば、重めに飛んできたため息を遮るように扉を閉める。とりあえず船に乗せて貰えただけでも上々だろう。先を歩き出したペンギンの後ろを追いかけるように小走りで着いていく。ちらりと自分の方を見た顔は「妙なことになっちゃったなァ」と言って笑う。
「いつもは違うの?」
「本当だったら船に乗せて無いだろうな」
今回はキャプテンにとっての大恩人の名前がフィリィの口から出てきたことが大きいだろう。それに本人との縁も深そうなのが理由だと、ペンギンは自分の中でそう考えることにした。それにしても後で説明すると言っていたけど、他のクルーにどんな風に紹介するつもりだろうか。まあ、シャチが既に町であった事を話していそうだけど。キャプテンに指定された部屋まで来ると扉を開ける。使われていない部屋と言っても定期的に掃除はしているから清潔さは保たれている。今日から何の準備が無くても使えるだろう。
「一室もらっていいのかな」
「大体の奴は一室だよ。仲のいい奴らは相部屋もいるけど」
実際にペンギンとシャチも相部屋だ。一人だと自堕落になってしまうタイプのクルーもキャプテンからは強制的に誰かと相部屋にさせられていたりもする。一通り船の事を口頭で説明してから、ペンギンは船内の案内も買って出てくれた。
「ありがとう。えっと…ペンギンさん」
「呼び捨てでいいよ。よろしくな、フィリィ」
「うん」
軽く握手を交わすと二人は部屋をでた。
――どれでもいい。でも、見誤らないようにしなきゃ
ちらりと、横目で港の船を物色する。それと同時にずり落ちそうなフードを慌てて押さえて、また前を向いた。逆に目立っている気もするが、もしもどこかに紛れ込むなら誰にも顔は見られない方がいい。足を必死に前に動かすが、残念ながらあまり速い方ではなかった。そもそも単純に男女の脚力の差に負けてしまいそうだ。後ろを振り返れば相変わらず追いかけてくる人影たちに唇を噛んで、角を曲がった。
「目標! 三番街から二番街方面に逃走中!」
「……っ、しつこいなぁ!」
ガチャガチャと身につけている装備の音をさせながら追いかけてくる足音は五つ。通信を今すぐ切ってやりたいが、そんなことをしている間に回り込まれて挟み撃ちにされてしまうかもしれない。こうなったら人混みに紛れるのが正解だと頭の中で結論を出した。
また角をひとつ、ふたつ、と曲がった辺りで人の声が大きくなる。大通りまで出て、少し騒ぎになれば幾分か身を隠しやすくなるはずだ。早くこの状況から脱したいという気持ちのせいか、人の通りが見えて少し速度を上げて突っ込んでいく。大通りを突っ切る勢いで路地から飛び出してきたフードを被った女に、気づいた人たちがざわめくのが聞こえた。路地裏からの開放感と明るさに目を細めた瞬間、誰かに盛大にぶつかって数歩後ろに下がる。ぶつけた鼻を押さえているとぱさりと音を立ててフードがずり落ちた感覚がした。
「キャプテン、大丈夫?」
「あァ…」
自分よりも頭一つ分ぐらい大きな男のもふもふの帽子に目を奪われた後、その背後で話し始めた大きな白熊に自然と視線が動いた。もふもふと、もふもふ…。と呑気な事を考えているとさらにその後ろから帽子を被った男が二人、なんだなんだ?と不思議そうに女を覗き込んでくる。お互いに少し状況が飲み込めていないままに見つめ合う。すると自分を見つめていた男の眉がぐっと寄った。
「おまえ…」
キャプテン。と白熊に呼ばれていた男は何か言いかけて口を閉じる。すぐに自分よりも背後の路地裏を見るその動きに、そうだった。と我に返って慌てて後ろを振り返る。
「手を上げろ! 大人しく降伏してもらう!」
その声と共に向けられた銃口は後ろからだけではなく、ぐるりと周りを囲むようにこちらを見ていた。こういう時の海軍の連携の良さは本当に厄介だ。帽子の二人組は「ゲッ、海軍…」と嫌そうな声を出す。よく見れば二人と一匹はドクロを模したマークの入ったつなぎを着ている。『キャプテン』だけは違うようだが、それは呼ばれた通り彼がリーダーだからだろう。
小隊の隊長の男は銃を構えながら女のそばにいる男を見る。目標が逃げ出さないように気を配りながらゆっくり口を開いた。
「……"死の外科医"トラファルガー・ローだな。一緒に大人しく海軍まで来てもらおうか」
「トラファルガー…」
海軍の一人に呼ばれた名前を反芻しながらまた『キャプテン』を見上げた。確かに、いつかに見た手配書の写真と同じ顔だ。手配書の写真はもっと悪そうな顔で写っていたが、確かにこの帽子もトレードマークだったなと思う。どうしてすぐに気付かなかったのだろうか。急な事に頭が混乱していたのもあるかもしれない。今もまだぶつかってしまった事や海軍に囲まれている焦りから心臓がどくどくと早くなっている。ついさっきまで走っていたから体も気持ちも少し焦っているみたいだ。
名前を呼ばれたロー自身は、海軍の言葉には返答せずに状況をもう一度頭の中で確かめる。路地裏から出てきてぶつかってきた女に、それを追っていた海軍。面倒な事になったと言いたげにローは重いため息を吐く。女を見下ろせば、何か考えているのかじっと観察するような視線を向けてきていた。何処かで見た顔だと思ったが、その考えはぼんやりと確信に変わってくる。毛先に向かって赤く染まっている黒髪、目も赤みのかかった黒色、人形の様に整った顔。見つめあっていても人形独特の怖さが無いのは、本人がきちんと血の通った人間だからだろうか。
「変なことに巻き込むんじゃねぇよ」
「ぶつかった人が海賊だなんて思わないじゃない」
まだ少し痛む鼻を触る。もしかしたら赤くなってるかもしれないなぁ。と段々冷静になってきた脳内で呑気な事を考えているとローはクルーの三人と話をし始める。
「ログは」
「溜まってるよ!」
「ならすぐ出航だ。ペンギン、町に出てる奴らに連絡取れ」
「了解!」
出された質問にすぐさま答えるクルー達とローを交互に見る。この状況から逃げる算段があるのか。自分もその混乱に乗れば一人で逃げることも可能だろう。だが、名前がわかった今となってはこの男を逃す訳にはいかない。すぐにローの腕を掴めば、鋭い視線にぐっと寄った眉間の皺がプラスされる。そんな圧に負けじと口を開く。
「私も連れてって!」
「はぁ?」
まだ巻き込むのか。と言いたげな視線をじっと見つめ返す。これでも親の作ってくれた顔には自信があるのだ。ちょっとぐらいなら絆されてくれるかもしれない。初期の印象の肝は顔!と自分を納得させる。さすがにずっと見つめ合うのは恥ずかしいから、こうでも思っていないと照れてしまいそうだ。
ローはちらりと海軍を見る。距離があるとはいえ会話は大方聞き取れているはずだが、容赦なく発砲してくることはなく、銃口はこちらに向いたままだ。ということは目の前の女は頭の中で行き着いた人物であっているのだろう。
「おまえなら怪我なく逃げれるだろ」
「やだ! 私も船に乗せて欲しい!」
言いながら振りほどこうとした腕を今度は抱き着くようにぎゅっと掴み直される。どうして逃げる話から船に乗せる話になっているんだろうか。圧をかけて睨んでみても引く気はないらしい。ペンギンとシャチはそんな様子を見て「お〜 大胆」と呑気なことを言っている。海軍が発砲する様子が無いからと気が抜けすぎだろう。
「ロシナンテ中佐を知ってる」
自分にしか聞こえないように発せられた言葉に目を見開く。聞き覚えのある名前と同時に思い出したくもない顔が一緒に浮かんだ気がした。そんな風に呼ぶのだからきっと海軍にいた時の事なのだろう。引く気のないこの女を共に逃がすことに色々なリスクがあることは理解している。だが、今の言葉が本当でも嘘でも、興味を持ってしまった時点で自分の負けだろう。
「……後でどうなっても文句は言うなよ」
「言わない」
はっきりと言い切った目は肝が据わっていて真っ直ぐで。今までもどうにか海軍から逃げて来ただけはあるのだろう。それに、決して弱いわけではないことも分かる。ここで意地を張り合っても時間をただ消費するだけだ。ローは後ろを振り返り、小声でクルーの三人に何か伝えると刀を持っている方の腕で女を抱き上げた。急なことに驚きながらローの肩にしがみつくと、ざわりと海軍の動揺が広がる。本当にこのまま女を連れて逃げるつもりなのか。その一瞬の迷いを突く様にローはにやりと笑みを浮かべながら呟いた。
「“ROOM”」
「っ?! 能力者か!」
「“シャンブルズ”」
広がった半円に警戒した海兵はパッと視界が切り替わり、自分と同僚が向き合うように銃を構えている状況に動揺する。何が起こったのか、自分がどうなったのかも分からないまま周りを見渡すと今まで自分が立っていた位置に標的の女と海賊たちが立っているのが見えた。瞬時に乱された戦況に混乱に陥る海兵達を、ローは刀で綺麗に切り刻む。切り刻む、と言ってもまるでだるま落としのおもちゃのように引っ付ければ元に戻りそうな断面だ。切られても話す海兵達はどうすればいいのかも分からずに自分の体を探して首だけの状態や、腕のない状態で騒がしく喚く。こうなっては統率を取るのは難しいだろう。何とか冷静を保ってローに向かってきた海兵達も白熊によってあっさりと撃沈されていく。
「お、あそこにいるのクリオネとハクガンだ」
「はははっ これ見て焦ってら」
帽子をかぶっている二人の呑気な会話を尻目にローは「いくぞ」と呟くと路地を入って港の方へと走る。これだけ騒いでいれば電伝虫ですぐに船に戻れと言った意味も伝わるだろう。海軍もバラバラの体と気絶した兵を置いておくとも思えない。追って来るにも時間がかかるはずだ。急いで港まで出ると既に何人かのクルーが買った積荷を急いで中に運びながら、出港の準備をしているのが見えた。
「あ! キャプテン!」
「海軍がいる。全員揃って準備が出来たら出航しろ」
「えぇ?! 海軍?!」
「あの、その女の子は?」
いつの間に被ったのか、抱えられたままフードを被って顔を隠す女をチラリと見る。まあ疑問に思う気持ちも分かるが、自分自身とりあえずここまで連れてきた状態だ。
「……後で説明する。ペンギン、一緒に来い」
シャチとベポには準備を手伝うように指示を出して甲板に上がる。女を下ろすと興味深そうにキョロキョロと船を見回していた。中に入るための分厚い扉を開くと「着いてこい」と一言声をかける。
「すごい…潜水艦?」
「初めてか?」
「うん。でも帆もあったよね」
「帆船にもなるんだよ。ずっと水中だと疲れるからな」
ペンギンとの会話を後ろに聞きながら『診察室』と札のついた部屋に通す。鬼哭を机に立て掛けると椅子に腰掛けて新品のカルテを出す。その一連の動作を見ながら女は「病院みたい」と呟いた。
「診察するの?」
「病人だったら今すぐ港に置いていく」
「えぇ……医者なんじゃないの?」
「あの状況から逃してやっただけでも感謝しろ」
それもそうだ。と納得してから被ったままだったフードを取る。クルーの命を守るのも船長の役目だ。潜水艦という閉鎖空間で伝染るような病が流行ると確実に全滅してしまう。もちろん、自分はそんな病気にかかってはいないが。ペンギンから差し出された体温計で体温を測りながら、ローの軽い問診に素直に答えていく。
「出身は」
「新世界」
「海に出て何年ぐらい経ってる」
「んー、十年ぐらい?」
「最近野営は」
「してない」
淡々と問答を繰り返す二人にペンギンはどことなく不思議な気持ちになる。キャプテンが淡々としているのはいつものことだ。冷静に的確に、知りたい情報を得ていく。そんなところがクールでかっこよくて、ついつい後ろを着いて行きたくなってしまう。だけどちょっと目つきが鋭いから怖がる人間も多い。そんなキャプテンに対して物怖じもしなければ何の疑いもなく、素直に質問に答える女はかなり稀だ。聞かれたことをすんなりと答えているあたりにも妙な慣れを感じる。そしてこの人形のように綺麗な顔にも何処かで見覚えがある気がずっとしているのだが、中々思い出せない。そんなペンギンの思考と問診を遮るようにピピピ、と体温計が無機質な音を立てる。女は服の中から出したそれをローに渡すと眉間に寄った皺を見て笑った。
「ごめん。それ平熱」
「能力者か」
「うん」
とりあえず心音を。と聴診器を手に取ったローを見て女は躊躇いもなく服を捲る。ローは医者としてのモードに入っていて特に何も思わないのか、後ろで動揺するペンギンに「うるせェ」と声を飛ばした。心音も至って正常だ。この状況で正常なのも少しおかしい気がするが、きっと他人の船に乗り込むのに慣れているのだろう。カルテに書き込んでからローは椅子の背もたれに身を預けると足を組む。質問をしようとローが口を開く前にゆっくりと船が動き出した。沈むような感覚に窓を見れば海中に船体が沈んでいく。初めての光景に窓の方を見て目を輝かせる女に視線を向けた。残念ながらこれで簡単にこの女を外に放り出すことはできなくなってしまった。
「能力は」
「……その前に、私のことどれぐらい知ってるか聞いてもいい?」
初めて問いかけが返ってこなかったことに睨みを返すが、肩を竦めるだけで女が怯む様子はない。さすがに脅しは通用しないか。軽くため息を吐いてから、ローは机の引き出しを開くと手配書の束を出した。それを見てペンギンは合点がいったように声を上げる。バサリと机の上に置かれた手配書は最新の物だろうか。一ヶ月程見ていなかった間に金額がまた上がったらしい。
「“炎羽の”フィリィ…政府がずっと生捕りのみで手配している謎の女。生捕りで手配されるのはどっかの王族や貴族が逃げ出した親族を捕まえる為が多いが、その割にはおまえの金額はどんどんと上乗せされていってる」
貴族や王族の場合、出せる上限を提示してそれ以上に値段が上がることは滅多にない。最初は田舎貴族の家出娘かと思っていたが、釣り上がっていく金額の乗せ方は海賊の指名手配の様で少し疑問を持ったことを思い出す。まさかこんな形で本人に会うとは思ってもいなかったが。
ーー 五千万ベリーかぁ……
自分の手配書を見ながらいつ撮られたのか分からない写真を見た。最初は商船や貿易船、観光船に海軍からの探し人として共有された程度だったと思う。それがいつの間にか海賊のように大々的に指名手配されるようになってしまった。海に出た当初はこんなに目立つつもりはなかったが、どうやら海軍は必死らしい。理由も何となくは察しているがこっちもそう簡単に連れ戻されるつもりはない。海での生活はとても自由で心地いい。自分にとってはこの生活が今までの人生で一番楽しいことなのだ。
「裏だと政府の要人だという噂が出回ってる様だが」
「……惜しいけど、ちょっと違うかな」
へらりと笑うと緊張感の無さにペンギンが少しだけ身を緩めたのが分かる。世界政府の名が出れば大体は天竜人を想像するだろう。いくら海賊といえども天竜人に逆らって、痛い目に合うのはすぐに想像がつく。実際に海賊という無法者達は奴隷として売り飛ばされることもよくある話だ。だが、ペンギンの安心して緩んだ体はまたすぐに驚きで硬直する。
「私、Dr.ベガパンクの娘なの。政府っていうより、連れ戻したいのは海軍側の意志かな」
「は?」
「え?! Dr.ベガパンクって、あの?!」
混乱するように頭を抱えるローと驚くばかりのペンギンにニコニコ笑う呑気さには呆れが上回る。だが、Dr.ベガパンクに妻や子供がいるという話は今まで聞いたことがない。政府が上手く隠していたという事だろうか。だとしても何のためにそんな事をする必要があるのか分からない。
「母親も科学者か?」
「いないよ。あえて言うなら…培養槽?」
「っ?! それって、人造人間ってことかよ!?」
「そうなるかな。遺伝子だけは入ってるよ。顔は全然似てないけどね」
言いながら自分の頬をつつくフィリィに、どおりで作った様な綺麗な顔をしているわけだと合点がいく。それよりもさっき聞いた心音は確かに人間の心臓の音だった。抱き上げた時の感覚からも人間である事は確かだろう。人間の腹を使わずに人工的に作られた存在なんてさすがに突拍子も無さすぎて脳がついて行かないが、体の中身には医者として俄然興味が湧く。
混乱する二人に笑いながらフィリィは先程の質問の答えを話していく。
「私はトリトリの実、幻獣種モデル朱雀を食べた鳥人間。それもパパが作った失敗作を勝手に食べただけだから、鳥型と獣人型にはなれないけどね」
出来ないことの方が多いかも。なんて笑うフィリィの言葉の衝撃により、上手く脳の処理が追いついていない二人は完全に混乱している。もしかしてとんでもない奴を船に乗せてしまったのではないかと思うが、ずっと海軍にいたのなら自分の恩人の名前を口にしたのにもローは納得がいっていた。ただ、知り合いだという線は薄くなった気もするが。
「……出来ることを全部教えろ」
「羽は出せるし飛ぶことも出来る。ただし身体の一部以外は燃えるのよね」
「服が燃えるってことか?」
「そうそう」
ペンギンの言葉に笑って返してはいるが、能力者としてはかなり不便な気がする。悪魔の実という物は未だに理屈が解明されていないこの世界の不思議な物の一つだ。体が変化するような能力でも大体は自分の衣服も共に変化することが多いが、服を脱がないと勝手に燃やしてしまうとなると面倒だろう。
「あとは羽を刃物に変化させられる。切り口は燃える」
フィリィはポケットを探ると赤みがかったオレンジ色の羽を取り出す。手元で同じ色をした小刀程度の物に変わったのを見せると警戒させる間も無く燃やして消した。自分の判断で燃やして消せる。と説明を付け加えながら何も持っていないことを見せるように手をひらひらと振った。
「それと…あんまり使わないけど軽い催眠術」
「催眠術?」
「羽を使ってやるの。効果は羽が燃え尽きるまで。人によって効果時間が変わるし私よりも能力的に強い相手には効果がない」
感心するペンギンの声を聞きながらローは考え込むように腕を組んでじっとフィリィを見つめる。ここまで明け透けに話しているのは相手を警戒させないための術だろう。やはり、今までも何度か同じ状況で海賊船に乗り込んだことがあるように思える。海軍に追われているとはいえ、それがフェイクかどうかもまだ定かでは無い。こっちだって懸賞金もかかっている海賊だ。簡単に信頼し続けて船に乗せた結果、海軍に捕まったとあっては間抜けもいい所だ。コラさんとの繋がりも今のところ全く見えてくる気配もない。
「次の島で降りてもらうからな」
「え! やだ!」
「うるせぇ。海軍から助けて、無事に島から出してやっただけでも感謝しろ」
「私、この船のクルーになりたくて乗ったのに!」
衝撃的な言葉にローはまた絶句する。ペンギンはそろそろキャパオーバーを起こすだろうキャプテンの脳を心配して代わりにフィリィに問いかけた。
「あのさ、なんでうちなんだ? お前の能力は役に立ちそうだし海賊になりたいって言うなら、他の海賊船でもいいだろ」
「それは…」
急に言葉に詰まったフィリィは図星だったというより、どういうべきかと悩んでいるようだ。ローはこめかみを軽く揉むとフィリィの表情を観察する。少し下を見る視線は不安そうに揺れて、口元は何かを言おうとしてすぐに閉じる。これは急かしても言葉は出てこないだろう。
何度か頭の中で考えながら、大人しく言葉を待ってくれている二人を焦れさせないように、フィリィは何とか言葉を絞り出す。
「私は、ロシナンテさんに自由を教えてもらった…だから……恩返しがしたい」
「恩返し? それがなんでクルーに繋がるんだ?」
「えっと……」
子供が何かを言おうとして淀むようなフィリィの仕草にずっと黙って見ていたローは深々とため息を吐く。今のところ嘘を言っているわけでは無いのは分かった。フィリィにとってもあんな港町で急に出会ったのだ、気持ちの整理がついていないところもあるのだろう。船に置き続けることにリスクを感じるのも確かだが、今また出てきた名前の人物との関係も気になってはいる。あの言い方だと先程まで自分が思っていたような浅い関係ではないのだろう。見た目の割に幼い部分を感じるのも、気持ちを上手く言語化出来ないのも、人間としてどこか未熟な部分が存在するからなのかもしれない。興味と警戒が交互にくる状態に何とも言えない心地がするが、何処かで自分が落とし所を見つければいいだけの話だ。
「……船には乗せてやる」
「本当?!」
「ただし、おれが認めるまではクルーを名乗るな」
珍しい条件付きの乗船にペンギンは目を丸くする。ハートの海賊団の船員は皆ローに一恩あるメンバーがほとんどだ。そして、ローに誘われてこの船に乗っている。基本的にローが気に入った船員しか乗っていないこの船に、こんな形で無理矢理乗り込んでくる人間は初めてのことになる。
「分かった。船では自由にしていいの?」
「好きにしろ」
「心臓でも持っとく?」
「……おれの能力を知ってるのか」
「噂で聞いたの」
気に入らないやつの心臓を抜いたらしい。体をバラバラにして森に放置したらしい。流れ着いた海軍の軍艦が変な形をしていたらしい。どれもこれも噂程度で笑って話すのを聞いていただけだが、さっき町で見た能力から考えると全てできてしまうのだろう。自分で思うのもおかしいかもしれないが、不思議な能力だ。
「いらねぇよ。ペンギン、空いてる一室をこいつに使わせろ」
「はいよ」
案内する。と指で示してくれるペンギンについて行こうと椅子から立ち上がる。部屋から出ようとするのと同時に後ろから言い忘れたと言わんばかりに言葉が飛んできた。
「一週間に一回診察する。忘れるなよ」
「はーい」
軽い言葉を返せば、重めに飛んできたため息を遮るように扉を閉める。とりあえず船に乗せて貰えただけでも上々だろう。先を歩き出したペンギンの後ろを追いかけるように小走りで着いていく。ちらりと自分の方を見た顔は「妙なことになっちゃったなァ」と言って笑う。
「いつもは違うの?」
「本当だったら船に乗せて無いだろうな」
今回はキャプテンにとっての大恩人の名前がフィリィの口から出てきたことが大きいだろう。それに本人との縁も深そうなのが理由だと、ペンギンは自分の中でそう考えることにした。それにしても後で説明すると言っていたけど、他のクルーにどんな風に紹介するつもりだろうか。まあ、シャチが既に町であった事を話していそうだけど。キャプテンに指定された部屋まで来ると扉を開ける。使われていない部屋と言っても定期的に掃除はしているから清潔さは保たれている。今日から何の準備が無くても使えるだろう。
「一室もらっていいのかな」
「大体の奴は一室だよ。仲のいい奴らは相部屋もいるけど」
実際にペンギンとシャチも相部屋だ。一人だと自堕落になってしまうタイプのクルーもキャプテンからは強制的に誰かと相部屋にさせられていたりもする。一通り船の事を口頭で説明してから、ペンギンは船内の案内も買って出てくれた。
「ありがとう。えっと…ペンギンさん」
「呼び捨てでいいよ。よろしくな、フィリィ」
「うん」
軽く握手を交わすと二人は部屋をでた。
1/14ページ