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黒の組織犬

それはとある日。ナナはいつものように愛犬であるブラガスを連れて散歩をしていた。
ナナの娘は幼稚園に行き、夫である秀一は大使館で仕事だ。
夫である秀一は心配性の上に過保護でナナを家に一人にするのが不安で仕方ないという。

「突然地震が起こったら?火事の可能性だってある。強盗が来たら君の命が危ない」
「考え過ぎだわ、隣にお義母さんや真純さんだっているのに」
「それなら俺がいない間は隣にいてくれ。誰もいない時はそうだな…警備に誰か付けさせる」
「大げさよ。幾らなんでもそこまでしなくても大丈夫よ」
「君は自分の身の危険性を誰よりも把握してるだろう、何かあったらどうするんだ。組織絡みで誰かが逆恨みする可能性だって無い訳じゃない。それにここは米花町だぞ?三歩歩けば事件に遭遇する街だ」
「…まだそんなこと」

ナナは顔を顰めた。最近のナナはあの頃の話を持ち出されるのが一番辛かった。もう過去の話なのに今はこんなに幸せなのに、愛する人の言葉が一番ナナの傷を抉るのだ。

「そんな顔をしないでくれ、俺はもう二度とあんな思いはしたくないんだ。頼む、君の安全を確保したいだけだ」

隣にいてくれ、と最後まで念を押して秀一は家を出た。トラウマはきっと秀一の方が深いのかもしれない、ナナは諦めて隣の義母の所に向かった。

「…あれ?」

インターフォンを押しても返答がない。おかしいな?と思ってナナはスマホを取り出した。するとそこには真純さんと出掛ける旨、昼過ぎには戻るとメッセージが入っていた。
ナナはそう言えばもうすぐ義弟である秀吉の誕生日が近いからと真純から聞いていたことを思い出した。

「それなら私も何か用意しなくちゃ」

ナナは義妹の真純にプレゼントの候補を選んでもらうようにメッセージを送った。仕方なく家に戻ったナナはカタログやネットで誕生日プレゼントを模索する。秀一と一緒に渡す物だから見劣りするのは宜しくない。しかしこういったイベントに参加することの無かったナナには皆目見当もつかない種類の悩みだった。

「ブラガス、何がいいと思う?」

ナナは当たり前のように愛犬に話しかける。勿論返事を言葉で返すことはない。しかしナナが傾けてきた愛情によって、 ブラガスもまたナナには相応の信頼と愛情を抱いている。
しかし今はまるで興味がないとばかりにブラガスは無反応だった。

「そういう無関心なところ、秀一さんと似てるのよね」

ピク、とブラガスはその端正で面長な顔を震わせた。主人であるナナを見るがナナはPCに夢中でその画面から目を逸らさない。

『今何て言った?俺があの黒くて目つきの悪いムカつく奴と似てるだと?』

それはあり得ない、とブラガスは抗議することにした。ナナの後ろ髪を引っ張ってこちらを向かせる。ナナはちょっと待って、と軽くあしらおうとするのでブラガスはナナの膝の上に乗り上げてPCとの間に入り込んだ。
ブラガスは大型犬だ、決して小さくはない。

「あっ、もう…ふふ、分かったから」

自分の気を引きたいのだと分かったナナはブラガスを抱き寄せた。暖かく血の通った体を。そういうところも秀一に似ているのだと口にしそうになったが、双方に怒られそうなのでやめておいた。

「じゃあ外にお買い物に行きましょうか。少しなら大丈夫よ、お昼の材料も買いたいし」
『お前の事は俺が守ってやる』
「ブラガスがいるから安心ね、本当にあなたがいてくれて良かった」
『…行くぞ』

ナナはブラガスと家を出た。勿論秀一には出掛けるとメッセージは送った。そもそもナナの持ち物にはGPS機能が付いたものが多いのだから、どこにいても秀一には筒抜けなのだ。FBIの技術もとんだ使い道をされている。

ナナとブラガスが広い通りに出ると雲行きが怪しくなってきた。戻ろうと引き返したが雨は降り始めてしまっていたので近くのドッグカフェに立ち寄る事にした。
そこで偶然にも知り合いに出会った。

「降谷さん?」

ドッグカフェの入り口にいたのは秀一の友人である降谷とその愛犬のハロだった。

「ナナさん、こんにちはお散歩ですか?」
「はい。急な雨で…降谷さんもですか?」
「そうなんです、折角の休みなんでハロと遊んでやろうと思ってたんですけど天気予報外れましたね」
「私もです。ちょっとお買い物に出たらこの雨で」
「赤井は仕事ですよね?ナナさんお一人ですか?」
「ボディーガードならいるので大丈夫です。そんなに家と離れている訳でもありませんから」
「そうだな…ここで一度休んでから家まで送りますよ。さすがに一人で帰す訳にもいきませんし、そうさせて下さい」

降谷もまたナナの身辺警護という点に関しては秀一と同じくらいシビアだった。確かに前も夜一人で歩いていたナナをトラブルから守ったのも降谷だったのだ。それからあの教会での一件で降谷はナナに対する引け目のような物があると今でも感じていた。

二人と二匹は屋根のあるテラスに近い席に座った。ブラガスは相変わらず寡黙を通しているが、ハロの方は知らんぷりするブラガスに興味があるのかそわそわしていた。

「ハロくん立派になりましたね。私のことまだ覚えてる?」

ナナがハロに手を差し伸べると横でブラガスが唸った。

『おい、そいつに触るんじゃねえ』
「相変わらず君はナナさんのナイトか。確かにボディーガードとしては十分ですね」
『ああ!?』

ブラガスが降谷を睨み付ける。降谷もそれを分かってるのか余計な事は言わなかった。

「もう、ハロくんはあなたよりお兄さんなのよ?私を助けてくれたこともあったの」

ワンワン!とハロは自慢気に降谷の足元で尻尾を振った。そんなハロを見てブラガスは

『ケッ、くだらねぇ。こんなチビがいきがりやがって』

と言っているかのようにふて寝を始めた。
少しでも他所の犬が近付こうものなら全力で威嚇してナナから遠ざけるのだ。ブラガスはナナの足元に寄り添うように降谷とハロへの警戒を解かなかった。

「ハロくんとお友達になれたら良かったのにな…」
「ナナさんも苦労が絶えませんね」

それからナナと降谷はコーヒーを頼んで、ハロは犬用のおやつを食べておもちゃで遊んで、ブラガスはナナ以外の全てを無視してそこにいるだけだった。

「あ、秀一さんだわ」

ナナのスマホが鳴ってそれに応答すると電話の向こうから不機嫌な秀一の声が聴こえてきた。

『あれほど外に出るなと言ったのに。母さんたちと一緒か?』
「お義母さんたちはお買い物らしいの。ほらもうすぐ秀吉さんの誕生日でしょう?それで私も…」
『まさか一人じゃないだろうな!?』
「大丈夫、ブラガスも一緒だしそれに…」
『今すぐ家に帰るんだ!今すぐにだぞ!!』

ナナの言うことなど聞く耳を持たないとはこの事だ。娘のことも大概過保護だが、ナナにも容赦はない。いつか心配し過ぎて秀一の胃に穴が開くのではないかとこちらが心配になってくる、とナナは思った。ナナが少しため息をつくと隣の降谷がナナのスマホを貸すように示してきた。ナナは素直にスマホを渡した。

『ナナ、聴いているのか!?』
「心配いりませんよ、僕が一緒ですから」
『…降谷くん!?』
「ナナさんは僕がちゃんと家まで送りますから、それよりあなた仕事ちゃんとしてますか?残務処理で忙しいと聞きましたよ」
『降谷くん、ナナと変わってくれ』
「あなたも相当ですね、自覚した方がいい。そうやってナナさんを鳥籠に閉じ込めておくつもりですか?」
『…あまり俺を怒らせるなよ、ナナと変われ』
「はいはい、分かりましたよ」

降谷は電話越しの秀一のどうやら本気らしい口調にやや危機感を覚えた。これではまるであの男の二の舞ではないかと。

「秀一さん、心配しなくてもすぐに帰りますから」
『頼むからこんな事は二度としないでくれ…!降谷くんだって男なんだぞ!?何もないとどうして言い切れる?君は降谷くんを過信し過ぎだ!今すぐ家に帰るんだ、いいな?』
「分かりました、そうします」

ナナは仕方ないと簡単に諦めてしまうように思えて降谷は少し心配になった。もしかしたら過去の監禁生活の影響で強く自我を通す、という事が出来なくなっているのでないかと思ったのだ。強く命令されれば従ってしまうというような体質になってしまっているのかもしれないと。

二人はカフェを出ると雨は止んでいた。

「すみません、コーヒーご馳走になってしまって…」
「いいんですよ、誘ったのは僕ですから。ハロと家まで送ります」
「お仕事が忙しいのに無理をされてませんか?私なら大丈夫ですよ?」
「今日は丸々休日ですから。それに少しお話したいこともありますし」
「そうですか?それならお願いしようかな、娘も降谷さんの大ファンなんですよ」
「ははは、赤井の奴キレるでしょうね」

そうしてナナと降谷は赤井家に向かって歩き始めた。まだ濡れている道をブラガスは器用に水溜まりを避けて通った。ハロは時々跳ね返る水を楽しんでいるようだった。

「ナナさん、今、幸せですか?」

降谷は天気の話でもするように聞いてきた。

「赤井があなたにとって重い枷になっているのでないかと思ったので…」

全ての事情を知る降谷だからこそ聞けたことでもあった。

「降谷さん」
「はい」

ナナの隣をブラガスが悠然と歩く。

「私たち、似てますよね」

ナナは降谷を見上げた。それは憂いなど感じさせない爽やかな笑顔で。

「何でも見透かされちゃうな、降谷さんには。でも秀一さんを枷だなんて思ったことは無いですよ、私をここに繋ぎ止めてくれた人ですから」
「…でもあいつは干渉し過ぎていると客観的には判断しますよ」
「秀一さんの心の傷の方が深いんです。それは私のせいですから」
「あれはナナさんのせいではない!」

降谷がつい感情的になってしまったところでナナがリードを引くブラガスが降谷に唸った。警戒して威嚇しているように。

『てめぇぶっ殺すぞ』

ナナはいけない、と思いしゃがんでブラガスを抱き締めた。それでも尚、ブラガスは降谷への威嚇はやめなかった。

「この人は私を助けてくれた人なの、だから降谷さんにそんな顔しないで。お願い」
『お前を傷付ける奴は誰でも許さない』

ブラガスが唸るのでとうとうハロくんも吼え出した。降谷はハロを抱き上げて宥めている。ナナもまたブラガスを落ち着かせた。

「すみませんでした、大きな声を出して」
「いいえ!こちらこそうちの子が…ハロくんもごめんね」
「ナナさんを守る騎士(ナイト)はここにもいたってことですね。確かにそう簡単には近付けないな」

ナナはブラガスの背を撫でる。大きく、美しい背中だった。そしてマンションの前までやってきた。

「中でお茶でもいかがですか?ハロくんも一緒に」
「やめておきますよ、それこそ赤井に間男扱いされかねませんし」
「ぷっ、…クスクス」
「本当に対処に困るようになったら僕に言って下さい。赤井の一人くらいいつでも逮捕してやりますから」
「分かりました。本当にいつも頼りにさせてもらってばかり…今度本当にうちに遊びに来て下さいね、手料理ご馳走しますから」
「楽しみにしてます。娘さんにもよろしく」

「降谷さん」

はい、と降谷が振り返った。

「私を秀一さんが救ってくれたように、きっと降谷さんにも素敵な人が現れると思います。明るくて、憂いなんて吹き飛ばしてしまうくらい元気な人が」

ナナの言葉に降谷は一瞬立ち止まった。

「…ナナさんには敵わないな」

やっぱりどこか深淵の部分で似ているのだ自分とナナは。だからこそ見透かされてしまう。ナナの隣に控えるあの犬も、きっと孤独だったのだろう。降谷はハロと一緒に手を振ってマンションをあとにした。
ナナは部屋に戻ってからブラガスに言った。

「ブラガス、今日はお利口にしててくれてありがとう。ハロくんとお友達になれたら良かったのにね」
『冗談じゃねぇ』
「降谷さんもすごくいい人なのよ、秀一さんのお友達なの」
『関係ねぇな』

そして間もなく玄関の方からガタガタと物音がしたと思ったら扉を勢いよく開けたのは何と秀一だった。

「ナナ!!」
「帰って来ちゃったの?」
「君がフラフラするから心配で仕事が手につかん!休暇を取ってきた」
「ええ!?」

その内大使館をクビになるかもしれないとナナは本気で心配になった。あとでジョディに相談してみようと決めた。

「降谷くんと二人きりで何をしていた?」
「ハロくんとブラガスも一緒だったわ」
「君は昔から降谷くんに好意を持っていたからな、それに降谷くんの口の上手さに乗せられてしまう可能性だってある」
「あなたは私を信用出来ないの?」

ぐっ…、と秀一は言葉を呑んだ。ナナのことは信じている、勿論だ。信じられないのは周りの男たちの方だ。

『ケッ、バーカ』
「何だと!?」
『精々ナナに嫌われろ』
「こいつ…!」

勿論声に出して喋っているわけではない。ただブラガスの視線と顔がそう言っているように見えて仕方ないのだ。秀一は心底態度のデカイこの犬の事が嫌いだった。ナナが溺愛してさえいなければとうに頭をぶち抜いていただろう。

「もうすぐあの子のお迎えね、どうする?パパが行ってあげたら喜ぶと思うけど?」
「そうやって話をはぐらかすつもりだな」
「そのあと一緒にプレゼントを買いに行ってくれる?やっぱり秀一さんがいないと選べないわ」
「そいつを置いていくのが条件だ」

そいつ、というのはブラガスの事だ。ブラガスも散歩は済ませたし今日は留守番でも我慢出来るかな、とナナは思った。

「ブラガスごめんね、車で行くからここで待っててくれる?」
『…チッ』

ざまあみろ、という秀一のドヤ顔が気に入らなかったブラガスは間近にあったナナの口をペロリと舐めた。

「こっ……の犬ごときがーーーー!!!!」
『調子に乗るなよこのFBI』
「もう!!二人ともいい加減にして!」

正しくは一人と一匹だ。
ただしここの仲の悪さはナナもお手上げだ。娘が帰ってきて仲裁される事を切に願うばかりだ。

「…早くお迎えに行かなくちゃ」

ナナは大きくなったお腹をさすりながら降谷の言葉を思い出していた。振り返った先にいる愛する人と愛犬、それに子供たち。

「幸せに決まってるわ」

ナナのその呟きはリビングで繰り広げられているけたたましい喧嘩の音で当人と犬には聞こえることはなかった。

「ほらもう、行かないとー!」

帰ったらまず片付けをしないとな、とナナは笑いながら声を掛けたのだった。



続く
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