呪いの池に落ちたら人生変わったんだが

俺の人生が一変した、あの日の事を話そうと思う。
その日は全てが上手くいかなかった。
朝から水溜まりに嵌まるし、ATMではカードの磁気が壊れてて使えなかったり、財布を落として有り金をそっくり無くしたり。
とにかくついてない日だった。

端的に言うと俺はその日とある家の曰く付の池に落ちた。経緯はこうだ、警視庁へのたれ込みでその家の付近に密売に使われたヤクと売人が潜んでいるとの情報があった。それらの捜査の為に俺は敷地の広いその家の周辺を調査していた。
夜、勿論家主の許可を得て敷地内を探索していたが何せ敷地は広い。あとはここだけだと思った瞬間に急に明かりが消えた。後から聞いた話だと単純な停電だったらしいが、突然真っ暗になった所で俺は手探りで移動するしかなくなった。

ようやく暗さにも慣れて来たその時、急に眩しい光が俺を照らした。
眩しい!と思って身を捩った瞬間だった、

「…………わっ!!」


バシャン!!


俺は足元の岩に足を掬われてすぐ近くにあった池によろめいて落ちてしまった。

「(いてて…、ん?)」

バシャバシャ!!と水面を掻き分ける。あれ?そんなに大きい池だったか!?何でこんなに深いんだ、体がすっかり沈んでしまいそうでこんな大きな池なんてあったのか!?
俺はとにかく水面から顔を出すように泳ぐが、水音が響くだけでちっとも泳げない。
このままでは溺れる!と思った所で不意に光が俺を照らした。
助けてくれ!溺れそうなんだ!

「クルルルーー!!」

なんだこの変な声。光がどんどん近くなって足音も近くなってきた。

「大変…!!」

そうなんだ大変なんだ!すまないが助けてくれ!と俺は声にならない声で助けを求めた。

「暴れないで、今すぐ助けてあげるから」
「グゥン!!」

溺れていた俺を救い出したのは大きな手だった。俺はあっけなく水から持ち上げられると、体中に張り付いた水分が気持ち悪くてぶるるるっと水気を払った。まるで犬のように。

「大丈夫?良かった、たまたま見つけて。でもどうして子豚がここにいたのかしら…」
「グゥ?(子豚?)」
「やだしかもお父さんたら服がぬぎっぱなし!もう、朝になったら取ってもらわなくちゃ」

そう、それは後で気付いた事実だが俺が落ちたのは黒豚溺泉という落ちた者が呪いで黒豚になってしまうという池だったのだ。
家の主人である殊太さんは事態を察したらしく、すぐに俺の服と荷物を回収してきてくれたのたがもう間に合わなかった。

「お父さん!子豚が溺れてたのよ。警察に届けた方がいいかしら」
「いや、俺が面倒みる。飼い主が現れるかもしれんだろ」
「お父さんが?無理に決まってるじゃない。一応交番には迷子の子豚保護してますって届けておくわ。飼い主が見つかるまで私が買うから」
「待て待て」
「だってこんなに可愛いのに。迷子になっちゃうなんてかわいそう。もしかしたら元の家から逃げてきたのかしら?ねえ子豚くん、おうちに帰れるまで私がちゃんと面倒みてあげるからね」

いやいやいや、それはまずいって!
その、胸にそんなに俺の顔を押し付けないでくれ…!柔らか…いや、違う!違わないけど違うんだ!

「クゥン!!(誰か助けて!)」
「ねえ今クゥンて言った!可愛い!そうねあなたの名前はくーちゃんにしようっと」
「琴世、風呂沸かした方がいいぞ」
「何言ってるのよこんな夜中に。くーちゃん、可愛いね~」

そうして琴世さんのペットにされた俺はお湯を被れば元に戻れるという情報を与えられないまま一晩を過ごした。
次の日殊太さんが見計らった時に俺をお湯に入れてくれて何とか男に戻る事は出来たのだが…。

「お父さん、くーちゃんは?」
「あの豚なら見てないぞ。元居た家に帰ったんだろうさ」
「嘘!!私外を探してくる!」
「おい琴世~」

男の姿に戻った俺は琴世さんに見つからないようにこっそり堂遊家を出た。一晩俺を布団に入れてくれてその柔らかい腕の中で眠らせてくれた琴世さんには感謝しているが、さすがに俺も帰りたい。仕事もあるしな。連絡出来そうなスマホは一緒に水没したし、財布は元々無くしたままだったからとりあえず警視庁まで行くしかないなと思った。空は雨雲が広がっている。

「くーちゃん!どこに行ったの~?」

ギクッ!琴世さんの声が聴こえた。まずいな、バレる訳がないがどうも居たたまれない。黒豚の正体が俺だったとバレたらとんだ変態扱いされるだろう。逃げるが勝ちだ。ポツリポツリ、と小雨が降ってきた。

「くーちゃん、帰ってきて~!」

琴世さんごめん!君のくーちゃんはもう居ないんだ、あきらめてくれ。俺は足早に遠ざかる。雨はいよいよ勢いを増してきた。

「…くーちゃ…ん?」

俺はジタバタと服の中でもがく。
また豚になった!?!?何で!?

「良かった、心配したのよ?こんなところまで来てたのね悪いコ。さあいらっしゃい」
「クルル!グゥン!(いや待って!これどういう事!?)」
「濡れちゃったわね、かわいそうに。帰ったらちゃんと拭いてあげるわね」
「(何でまた豚!?あっ、待って琴世さん!)」

それ俺の服ーー!!

…俺の叫びも空しく俺(人間)の服は見捨てられ、近くのお店のゴミ箱に収まる事になったのだ。
何で急に豚に戻った!?
俺は琴世さんの柔らかい胸に抱かれながらまたあの家に戻る事になったのだ。
これは悪夢だ…。

「お父さん、くーちゃん見つけたわ」
「何だと!?」
「近くで見つけたの。でも一応交番には連絡しておいたから。飼い主が名乗り出たら連絡くれるそうよ」
「おいおい…なんでまた戻ってきたんだ」
「いいじゃない。こんなに可愛いんだから!」

ぎゅーっと琴世さんが俺(豚)を抱き締める。彼女は悪い人じゃないんだけど、ただ俺は人間に戻りたいんだ!!
くそー…柔らかいな。

**

それから何度か殊太さんによってお湯に入れられて男に戻る事は出来たが、その度に予期せぬ事件が起こりすぐに豚に舞い戻るということを繰り返した。

「もう諦めて元に戻るまでここで暮らせ。その代わり琴世にはバレるなよ。あいつは子豚のお前を飼ってるつもりだからな」
「俺も諦めました…いいです、もういっそ子豚で生きていきますよ…」
「諦めるなよ、くーちゃん!」
「いや俺の名前は…!」

バシャッ!

「お父さん、くーちゃん見なかった?」
「ああ、黒豚ならここで遊んでるぞ」
「やだまた水遊び?もう、くーちゃんは水浴びが好きなのねー」
「熱い湯は苦手らしいぞ。水の方がいいらしい」
「ほらおいで。ちゃんと拭かないと風邪ひいちゃうからね」
「グルル(危機一髪助かったー)」
「そうだ、可愛いお洋服作ってあげようっと。今夜も一緒に寝ようねくーちゃん」

それから俺は毎晩琴世さんのベッドで寝て、時々留守を見計らって人間の体にもどったりしていた。

豚時々人間という生活に慣れてきた頃、まさかの人間がこの堂遊邸にやってきたのだ。

***

「これを使って下さい。父が無理にひきとめたそうですみません」
「いえ、こちらこそ見ず知らずの僕にお風呂まで貸してもらうことになって…」
「いいんですよ、困っていらっしゃったみたいですから。ではごゆっくり」

ゼロ!?ゼロじゃないか!?何でここにゼロが!?
落ち着け俺、あれはどう見てもゼロだ。あろうことか女になっているようだがあれは絶対幼馴染みのゼロだ!!

(ゼローー!!俺だ!)

俺はゼロにすがりついた。気付け!気付いてくれ!!

「こらダメよ。お客様なんだから」

琴世さんは意外と強い力で俺をゼロから引き剥がす。待って、待ってくれ!
ああああーーー!

その後も俺はゼロに接触すべく家の中を探したかったが、琴世さんに構われ続けて中々探しに行けなかった。
そんなときだ、琴世さんの叫び声がお風呂から聴こえてまさかと思った。女のゼロがお湯で男に戻るんだとしたら…!!
これはチャンスだと俺は琴世さんの後を追った。

座敷に行くとそこにはやっぱりゼロがいた!!やったぜ親友!!俺は嬉しくて近寄ろうとしたがそこでゼロが水をかけられてまた女になっていた。マジか親友…。
お前は女になる呪いがかけられたんだな…、なんて不憫な奴だ。

「グゥー!」
「あらくーちゃん、ダメよまたお客様のところに行ったりして」

琴世さん、こいつは俺の親友なんだ。ガキの頃から一緒に過ごしてきた親友なんだ。
頼むからこいつもここに住まわせてやってくれないか?こいつは俺より正義感が強くて優秀な奴なんだ。助けてやってくれ、頼む!

「くーちゃん。くーちゃんたら本当にあなたの事を気に入ったみたい」

琴世さんはまた俺を抱き上げてゼロにこう言った。

「この子はくーちゃんです。零さんの事がとても気に入ったみたい」
「豚に好かれるなんて初めてですけど…」
「グゥングゥン!(ゼロ!)」
「ほらやっぱり。警戒心の強い子なんですけどこんなに気に入る人がいたなんて。良かったわね、くーちゃん」

ありがとう琴世さん!!これで俺がお湯で男に戻った時にゼロに会って話す事が出来る!俺は琴世さんに頭を撫でられてご機嫌だった。はっしまった、最近は豚でいることが多いからつい豚として生き方に慣れてしまった自分が怖い…。

ただいい匂いのする柔らかい胸に抱かれて頭を撫でられるっていうのもすごくいい…って、ダメだダメだ!これじゃ変態じゃないか!慣れすぎるな俺!!

そしてゼロがこの堂遊邸で居候することになった翌日、俺はとても恐ろしい物を見た。

「ねえくーちゃん、零さんにはどれが似合うと思う?やっぱりホワイトベースが似合うわよね?」

琴世さんの部屋に住んでいる俺は知っていたが、琴世さんは筋金入りのロリータそれだ。女の服なんて持ってる筈のないゼロに着せる服をこれでもかと用意している琴世さん。…あいつは確かに顔は童顔で女になっても可愛い部類のそれだとは思うが、ああ…それを着せるんだな、うん。
俺はむしろ飾りを着けられるような体型じゃなくて良かったぜ…。今だけは豚に感謝だ。

「くーちゃんにも買ってきたのよ、はいこれね」

そういって頭にフリフリのカチューシャを着けられた。俺は嫌だ嫌だと頭を振ってカチューシャを振り落とす。勘弁してくれ!

「気に入らなかった?うーん、じゃあこれは?」

次は首にヨダレかけのようなこれまたフリフリのレースを着けられた。琴世さん!!俺をターゲットにするのはやめてくれ!しかもこれ前足に引っ掛かるから!嫌だ嫌だと暴れると今度は諦めたのか外してくれた。

「やっぱりくーちゃんにはダメなのね…あ、そうだ!!」

琴世さんの目がキラッとして俺は嫌な予感がした。

**

「…ただいま戻りました」

頭から水をかけられたゼロが帰ってきたのは深夜。帰るなり女になったゼロに俺は

「グルン!!(おかえりゼロ!)」

と言って琴世さんとゼロの後を着いていった。家にいるときは女の姿でというのがルールなのでゼロはそれを律儀に守っている。そんなゼロに琴世さんは着替えを渡した。俺はそのラインナップを知っているから何とも言えないが、多分ゼロなら似合うだろう。言えるのは何事も慣れるって事だ。

「お借りします、後でちゃんと買い取りますので」
「合うか合わないか見たいのであとでまた来ますね。お夕飯も出来てますから」

俺は肩を落としているゼロを励ますべくゼロの部屋に留まった。分かるぜ、その気持ち。

「元気着けてくれてるのか…不思議なやつ」

ゼロは俺の頭を撫でた。お前は優しい奴だよ昔から。まさか親友の俺が仕事じゃなく豚になったから姿を消してるなんて思わないだろうな、俺だって思いたくもない。

「なんだお前尻尾にリボン着いてるじゃないか。メスだったのか?…あ、オスだ」

ひっくり返すな!!親友でもそこを見るとか失礼だぞ!!

「悪い悪い、暴れるな。俺も着替えるか」

そう言って濡れたスーツを脱いで用意された着替えを広げたゼロが…深く脱力した。
うんそうだろうな、まさか自分がフリフリでレース満載のネグリジェを着る事になるとは思わなかっただろうな。考えるな、慣れるんだゼロ。ここでは琴世さんの趣味から逃れる事は不可能だ。
尻尾にリボンを着けられた俺はそういう悟りを開いた。

「屈辱だ…!」

気持ちは分かるぞ、けどな直に慣れる(無心)。着てみろって、ほら似合うじゃないか…。
やっぱりよく似合うわ!!とその後琴世さんにも最上級の笑顔で誉められたゼロ。
お前本当に顔が可愛いからな。これは明日から覚悟した方がいいぞ、と俺は親友にエールを送った。

翌朝、ゼロは仕事に行くために朝から風呂に入る。男に戻るためだ。俺はそのチャンスを逃さないように細心の注意を払った。

ガラッ、と風呂のドアが開いてシャワーの水音が聴こえた。
今だ!!
俺は風呂のドアに突進して中折れの折り畳みドアの隙間から風呂場に突入した。

「わっ!!何だ!?」

男の声!!やっぱりそうか!!

俺はシャワーの熱いお湯を浴びた。

「ゼロ!!」





「…………ヒロ!?……は…!?」

突然現れた俺(人間しかも裸)に驚くゼロ。

「後で詳しく説明するが事情は大体お前と同じだ。とりあえず水だけ用意しとくぞ」
「あ、ああ…」

俺は洗面器に水を溜めておく。万が一琴世さんに突撃されてもすぐ豚に戻れるようにだ。広くはない風呂場に成人男性二人が裸で対峙するこのシュールな場面。

「要するにくーちゃんは俺だ」
「…………は!?」
「俺は黒豚溺泉の日に落ちた。それからここにいるが琴世さんには正体は隠してるからそこは黙っていてほしい」
「…あ、ああ…」
「お前がここに来てくれて助かったぜ!」

親友!!と俺は思わずハグをしたかったが、ゼロが俺を押し退けてくる。

「落ち着けヒロ、俺たちは今全裸だ。幾ら親友でも裸で抱き合うのはゴメンだ」
「そうだったな!悪い悪い」

俺はパッと手を離すと少しだけ距離を取った。それでも数センチの距離だが。

「ヒロ、お前はいつからここにいるんだ?しばらく潜入するかもしれないって言ってたよな?」
「その予定だった。だがこういう状況でちょっと変わったんだ。くーちゃんがいなくなるとそれは問題が多くてな…」

その時だった、風呂場の向こうから琴世さんの声がする。俺は咄嗟に口を押さえた。

「すみません零さん、くーちゃんこちらに来ていませんか?」

俺はゼロに目線で合図した。ゼロは分かったと無言で俺に頷いた。

「僕と一緒にお風呂入ってるんです。僕が出るときに拭いて連れて行きますね」
「くーちゃんたらお風呂が好きで。じゃあすみませんがお願いしますね」
「はい、任せて下さい」

琴世さんの足音が遠ざかると俺はやっと一息つけた。

「琴世さんはくーちゃんが行方不明になるとそれはもう大捜索するんだ」
「分かる気がする…、お前も大変だな」
「さすがに男のゼロの風呂は覗かないだろうから俺にはここが安全地帯なんだ」
「それで風呂に入り込んできたんだな」
「一応水は溜めておくけどな」

服を着ない豚の生活に慣れた俺は人間の服を持ち歩けなかったが、これからはゼロの服を借りることが出来る。その時は借りるぞと言うとゼロは下着以外ならな、と言って笑った。持つべきものは親友だ…!

ゼロが風呂を上がると俺は汲んでおいた水を頭から被った。

「お前こっちの姿に慣れたもんだな、くーちゃん」
「グゥゥ…(仕方ないだろ!)」
「まさかこんな状況でお前と同居するとはな、ヒロ」

俺(豚)専用のタオルがあるからと前足で教えるとゼロは俺の体を優しく拭いてくれた。琴世さんと違って抱き上げられた体は柔らかくはないが、まあ悪くはないか。

「琴世さん、お風呂ありがとうございました」
「くーちゃんキレイになったわね。でも急にいなくなるから心配したのよ?」
「じゃあ僕は仕事に行きますので」
「はい、行ってらっしゃい」

俺は短い前足で小さく手を振った。ゼロはそれを見てまだ琴世さんの腕の中にいる俺の頭を撫でた。

「行ってくるよ、(ヒロ)」



こうして俺(豚)と飼い主と親友との奇妙な生活は始まったのだった。




続く
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