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スタンリー・ハムニカ(はむ様)

*    *    *

「アラン、出来たぞ。お前の好きなビーフシチューだ。バゲットにつけて、食べような」

 ダイニングテーブルに抱きかかえてきて倚子に座らせ、俺はバゲットをアランの口に運ぶ。視線は動かなかったが、鼻先を漂うビーフシチューの香りをスンと嗅いだかと思うと、唇が開いた。

「いたっ。はは。慌てるな、アラン」

 感情はすっかり抜け落ちていたが、食事など生きていくのに必要な最低限の事は、促せば何とかこなせていた。だけど目視で理解している訳ではないので、アランは俺の指ごと食べようとする。食事の度に噛まれるのは、もう慣れた。むしろその痛みさえ、お前から与えられるものだと思えば、愛おしい。

「腹一杯になったか? じゃあ、風呂入ろうな。今、お湯ためてくる」

 俺はバスルームに向かって、バスタブの蛇口をひねってリビングに戻った。アランは、黙ってテーブルについている。

「さ。アラン。風呂に入ろう」

 今度は脱衣所にアランを運んで、服を脱がせてやる。その白い肌に、欲情しないと言ったら嘘になる。俺たちは魂未回収事件の真っ只中に、互いに気持ちを確認していた。永い間秘めてきた『初恋』が実った時は、死んでもアランを助けてやろうと思ったもんだ。最後に狩る事になったアランの魂もひとつとカウントされたらしく、もう死の棘の発作は起きなかったが、だからと言って愛するヒトの笑顔が見られないのは辛い。触れ合えるのに、抱き合えない。それは俺の精神に、少しずつダメージを与えていった。

「ん……何だ? アランお前……他は痩せちまったのに、腹だけ何だか出てきたな」

 石鹸を泡立てて、滑らかな腹をくるくると洗いながら、独りごちる。この頃は何だか、自分の言葉に返答するアランの声までが聞こえるような気さえしてた。そんな筈はないのに。少し、疲れてきたのかもしれない。

*    *    *

 それから、二ヶ月が経っていた。俺は目の下に隈を作って、人間界の街外れを歩く。あてがある訳じゃない。死神界では手配の身だから、死神の医者には頼れない。かといって人間の医者でも、まともな奴に診せれば、人間とは異質な事を察して大ごとになるかもしれない。でも、もう限界だった。アランの腹は、どんどん大きくなる。何か悪い腫瘍だとしたら、一刻も早く手術しなければいけないと思うほど、腫れていた。

「やぁ、金髪くん。冴えない顔してるねぇ。病気かい? だとしたら、お待ちしてるよ」

 ふと、間延びした男の声がかかった。俯いていた顎を上げると、黒尽くめの長い銀髪の男が、ニイと薄い唇をしならせて笑っていた。そんな風には見えないのに、俺は藁にも縋る思いで男に応える。

「アンタ……医者か?」

「いいやぁ。小生は、葬儀屋だよ。だから、病院とその患者はお得意様さ」

 俺も長身な方だったけど、葬儀屋と名乗った男は更に長身だった。物理的に縋り付いて、俺は葬儀屋に詰め寄った。

「医者を……秘密裏に診てくれる医者を、知らねぇか。友人が病気みたいなんだが、わけがあって病院には行けねぇ」

「おや」

 葬儀屋は、俺の必死さが可笑しくてたまらないという風に、また笑んだ。

「闇医者は知ってるけど、お代が高くつくよ。小生でいいって言うなら、ただで診るけどねぇ」

「は? アンタ、葬儀屋なんだろ」

「ああ、そうさ。『お客さん』を綺麗にするには、医者の真似事もしなけりゃいけない。その辺のヤブよりかは、よっぽど経験は豊富だよぅ」

 俺は、少し迷った。アランを葬儀屋に診せるなんていう、不吉な成り行きに。だけど、迷いは少しだけだった。不吉? 俺たちは、黒猫も裸足で逃げ出す『死神』だ。これ以上、何が不吉だってんだ。そう、腹の中で自嘲する。

「頼む。友人を……アランを、診てやってくれ」

*    *    *

 それからの俺たちの生活には、葬儀屋が欠かせなくなった。初めは信じられなかったが、アランの腹に手を当てさせられて、胎動を知る。『妊娠』。それが、アランにくだされた診断だった。一瞬、アランをレイプした奴が居るのかと目の前が赤く染まったが、そんな俺の表情を察して、葬儀屋が言った。

「金髪くん、まぁ落ち着きよ。身に覚えは、ないのかい?」

 そして葬儀屋は、ゆっくりと呼吸で上下するアランの大きくなった腹に手を当てる。

「この子は……何だかとても、魂の力が強い感じがするねぇ」

 そう言われて、ハッとした。魂。一時的に回収されてしまった、アランの魂。いつか返還される、アランの魂。それが、赤ん坊として結晶したのかもしれないと思い当たるのは、早かった。そう思うと、異質を悟られないようにとスラスラと言葉が口を突く。

「ああ……その子は、俺の子だ。アランは、身体の中に子宮を持ってるって診断された事があったから、それで妊娠したのかもしれねぇ」

「大事におしよぅ。栄養のあるものを食べさせて、帝王切開に耐える体力をつけなきゃね」

「分かった」

 葬儀屋の言う通り、栄養のある食事をさせてたら、アランは本当に女みたいにまろやかなシルエットになった。相変わらず、その黄緑は何も映す事はなくて、アランは生まれてくる子に魂を奪われてしまったんじゃないかと、恨みにも似た焦燥にかられてはかぶりを振って我に返る。

 そんな風にして、季節は巡った。ベッドに横たわるアランの腹はパンパンに張って、時々内側から動く。不思議なもので、自分に言い聞かせている内に、本当に俺とアランの子のような気になっていた。

 帝王切開をする日、俺はリビングから追い出されて、廊下で所在なくウロウロと歩き回っていた。死には幾度も立ち会ったが、生に立ち会うのは、永い死神の人生で初めてだった。声をかけるまで入ってくるなと念を押されていたが、産声が聞こえた瞬間、俺は思わずリビングに飛び込んだ。

「……!?」

「あ」

「おや」

 そこで俺は、信じられない光景を目にする。俺たちを逃がしてくれた、スタンリー課長が、生まれたばかりの赤ん坊を産着にくるんで抱いていた。並んで立つと、長身、長い銀髪、黒くて長い服。二人は、気付かなかったのが愚かだと思えるほど、そっくりだった。

「スタンリー課長!? どういう事ですか!?」

「おやおや。見つかっちゃったねぇ」

「アンタら、身内か?」

 ほぇぇえと元気よく泣く赤ん坊の頬をチョンと長い爪でつついて、葬儀屋がニイと笑った。この男が笑っていない時を、見た事がない。

「スタンリーは、小生の弟さ」

「兄さん!」

 咎めるような声に、やっぱり葬儀屋が笑う。

「大丈夫さ。あとで、金髪くんの記憶をデス・ブックマークで弄っておくから」

「アランに何をした!!」

「シッ」

 黒くて長い爪が、薄い唇の前に一本立てられた。

「そんなに大きな声をお出しでないよ。赤ん坊が恐がるだろう?」

「てめぇら……」

 どう猛に唸る俺に、スタンリー課長が口を挟んだ。

「君のハンフリーズくんには、我々は何も手をくだしていないよ」

「そうそう。小生が、スタンリーに頼んだのさ。魂の審査で生き残るなんていう希有な事案があったら、経過を観察してみたいとね。ここまで協力したんだから、感謝して貰いたいくらいだねぇ。お~、よちよち」

「……ック……」

「!! アラン!!」

「へぇえ。赤ん坊に注がれた魂は、生んだところで持ち主に還るんだねぇ」

 二人がサッと避けたから、俺はよっぽど二人を障害物扱いしてたんだと思う。アランしか、目に入っていなかった。何も映していなかった黄緑は、十一年ぶりに俺の顔を像として結んだ。見る見る雫が膨れ上がって、頬を伝う。

「……エリック……? ここ、天国?」

「人間界だ。俺たち、助かったんだ、アラン!」

 苦しいくらい、抱き締め合った。だけど、無粋な言葉が割って入る。

「感動の再会の所、悪いけど。茶髪くん。君今、この子を生んだんだ。君の魂の欠片だよぉ。せめて、名前を付けてやったらどうだい?」

 不意の問いの筈なのに、何もかも理解したように、アランは少しだけ考えて小さく、だけどキッパリと答えた。

「……ブラバット」

「ブラバット、だね。凄いねぇ、男の子なのも知ってるんだ。処女懐妊の神秘だねぇ。それじゃあ、お邪魔様。この子は、小生たちが連れていくよぉ。この子を生む為に生かされたっていう人生に、興味があるからね。お幸せにぃ」
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