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スタンリー・ハムニカ(はむ様)

【限りなく零に近い魂】

 エリックは、焦っていた。新人教育を担当した可愛い後輩が、縫製課の変態死神の毒牙にかかるのではないかと。

 一ヶ月前、新人教育が始まった時は、面倒臭くて仕方なかった。だけどそんな毎日を程なくして変えてくれたのは、アランという一人の新人だった。初めは女性と見紛うほど華奢な見かけのアランだったが、声は凜としたテノールで、きびきびと疑問点を質問してくる真剣な瞳は、同じ黄緑の筈なのにずっと暖かい色に見えた。

 いつしかエリックは、講義終わりに必ず質問してくるようになったアランに、惹かれている自分に気が付いた。この自ら命を絶った事への『罰』である死神の永遠の命に絶望し、ロナルドの合コンで女性を食い散らかす間だけ束の間の安息を得ていたうんざりするような日常に、一条の光が差し込んだ。アランと、一緒に仕事をしたい。そう思った。

 アランほどの優秀な生徒であれば黙っていても合格しただろうに、倫理の評価がやや低いのを気にして、エリックは毎日アランに言って聞かせた。必要以上に、死亡予定者の人間に肩入れするなと。アランに落第の可能性があるとすれば、その一点だけだった。

 だがそんな心配も余所に晴れてアランは合格し、入社式を間近に控えて、縫製課で制服を仕立てて貰っていた。そこで、はたとエリックは気付く。一体いつからここに居るのか、遥か先輩の縫製課の主が、若干倒錯気味――分かり易く言えば、変態だった事を。自分も採寸される際、吐息を首筋や脇腹に感じて、総毛立ったのを覚えている。アランが! あの変態に……! その思いで、エリックは急ぎ足で派遣協会の廊下を行くのだった。

「スタンリー課長!」

 縫製課の扉を勢いよく開けると、奥の方に白い素肌を晒したアランが立っていた。黒いボクサーパンツ一枚で、華奢だとばかり思っていたが、驚くほど鍛えられてしっかりと筋肉がついていた。密着したスタンリーとアランは驚いてポカンとこっちを振り仰ぎ、固まっている。エリックも、アランのヘソに光るボディピアスを見て、その意外に出鼻を挫かれ突っ立っていた。

「……スリングビーくん。そこ開いてると、ハンフリーズくんのセミヌードが丸見えなんだけど。閉めてくれないかい?」

「あ」

 ようやくエリックは我に返って、扉を閉める。アランが、エリックを気遣った。

「どうしたんですか? エリックさん」

「あ、えーと……いや」

 衝動的に駆け付けたものの、まさかスタンリーにセクハラされてないかと心配だったなんて、言えない。だがスタンリーは眼鏡必須の派遣協会にあって、額の上に眼鏡をずらし裸眼で、メジャーを両手に今まさにアランの採寸をしようとしているのだった。

「あの……スタンリー課長。眼鏡、かけたらどうですか」

「なんだい? 僕が裸眼なのは、いつもの事だろう? 君も管理課の回し者になったのかい?」

 スタンリーは、腰まで届く銀髪をしゃらりとかき上げる。百九〇越えの長身で、長めの前髪から覗く眼光は死神特有の冷たさを静かにたたえていた。おまけに、縫製課の課長だけあって、スーツはウエストのくびれたチェスタータイプのロングスーツで、タイは白いアスコットタイだ。黙って立っていれば、どんな女性も振り向く色男だろう。

「じゃあ、ハンフリーズくん。採寸するよ」

「はい」

 だがスタンリーは、変態と言われる所以を発揮しだした。死神は人間には見えないシネマティックレコードが見える為、総じてド近眼だった。だから死神派遣協会には『眼鏡課』という専門部署が存在し、死神はすべからく眼鏡着用が義務付けられている。眼鏡を外す事イコール、協会に弓引く事だと認識されるほど、死神にとって眼鏡は重要だった。その眼鏡を、外すまではいかなくても、額に乗せて裸眼で採寸する事にこだわるスタンリーが、何故変態扱いされるか分かるというものだろう。

「ぁっ」

 アランが小さな声を漏らす。背後から肩幅を計るスタンリーが、メモリを見る為に口付けんばかりに顔を近付けて、吐息がうなじにかかったからだ。エリックは、己の事のように鳥肌を立てる。

「スタンリー課長!」

「なんだい? ハンフリーズくん、腕開いて」

「んっ……」

 胸囲を測ろうと前に回ったスタンリーは、また胸の色付きに触れんばかりに顔を近付ける。アランが、恥ずかしそうに身動いだ。エリックは柳眉を逆立てる。

「スタンリー課長! アランに、ベタベタしないでください!」

 くくっ。スタンリーは喉の奥で含み笑った。

「何が可笑しいんですか!」

「いや。君がそんな剣幕で、僕を咎めた事なんか、初めてだと思ってね。君の採寸をした時でさえ、そんな風に声を荒げたりしなかった。ハンフリーズくん、少し脚開いて」

「課長!」

 スタンリーはエリックの苦情を右から左に聞き流しながら、採寸を続ける。太ももにメジャーを回してアラン自身に顔が近付いた時、思わずエリックはアランの上半身を抱き締めてスタンリーから引き離した。

「わ」

「アランは、俺のもんだ! ベタベタされんのは、我慢出来ねぇ」

「えっ」

 革手袋越しに、腕の中の素肌の温度が一℃上がるのが分かる。エリックの眼下のうなじが、桜色に染まっていた。スタンリーが再び笑う。

「スリングビーくん。もう、合コンには行かなくて済むね。幸せにおなり。はい、採寸おしまい」
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