リリス・ヴァイオレット(紫音様)
まるでシネマティックレコードのように鮮明に昨夜の事を思い出し、アランはまた一枚、打ち損じた報告書をゴミ箱に叩きつける。
「かなり荒れてるわね」
「リリィちゃん、分かったわ~!」
回収課の入り口で再会した二人は、顔を寄せてひそひそと囁き合った。
「アルクスちゃん、もう分かったの?」
「秘書課の情報網を舐めちゃ駄目よ、リリィちゃん」
アルクスは得意げにウインクしてみせた。
「庶務課のコが、自慢してたの。エリック先輩を独り占めするなんて許せないから、別れさせてやるって、Yシャツにキスマーク付けたって!」
「あの二人に手を出すなんて、お邪魔虫ね…純真なアランくんが荒れるのも、無理ないわぁ」
眉をしかめたが、次の瞬間、リリスは自らの妙案にほくそ笑んだ。
「アルクスちゃん。アランくんを、医務室に連れてきて。後は、私が上手くやるわ」
颯爽と濃紫衣を翻して去っていくリリスの背中を、アルクスが羨望の眼差しで見送った。
「やっぱりリリィちゃん、頼りになるわ~」
キャッと口元に両拳を当てた後、アルクスは『仕事』モードに入って、アランの背後に忍び寄った。普段なら後ろの気配に容易く気付くほど、アランも実力は高かったが、今はエリックの事で頭がいっぱいのようだった。
いかっているアランの両肩に、ポン!と両手を置く。アランはひどく驚いて、小さな悲鳴を漏らした。
「ア~ラ~ン~くん!」
「ア、アルクス」
同期のよしみで、アランとアルクスは見知った仲だ。アルクスがアランに、恋情ではなくちょっかいをかけるのは、日常になっていた。
「アランくん!顔色が悪いわよ、医務室に行った方が良いわ」
「え?そんな事…」
アルクスは有無を言わさずアランの腕を引っ張った。女性の力だが、良かれと思ってやっている事だし、何よりアランが女性を振り払う事など出来る筈もなかった。
「昨日、ちゃんと眠れた?真っ青よ、私が連れて行ってあげる」
そう言われれば、確かに昨夜は泣き通しで、殆ど眠っていない。一理あると思い、アランは引っ張られるまま、アルクスに着いて行った。
「あ、ありがとう、アルクス…」
そして医務室には、幽霊勤務医がいた。手当てが必要なほどの怪我をあまりする事のない頑丈な死神の医師だからこそ、幽霊でも務まっているのだ。連れられて行った先にリリスがいた事に、アランは律儀に驚いた。
「リリス先生…!」
「嫌ぁね。リリィちゃんって呼んでってばぁ」
だが生真面目なアランは、そのオーダーには応えない。リリスが、ウィリアムやグレルよりももっと先輩だと知っているからだ。
「リリィちゃん、アランくん顔色が悪いんです!休ませてあげてください」
そう言われると、リリスは穴の開くほどアランの顔をジッと見詰めた。
「…リリス先生?」
「大変だわ。ストレスからくる、クィレ症候群ね。しばらく、この薬を飲んで休んでなきゃ駄目よ」
「えっ?!」
アランは、聞き覚えのない病名に、面食らう。頑丈な死神も、病には勝てない。リリスは、デスクの引き出しからピンク色の液体の入った小瓶を出してアランに握らせると、
「飲んで頂戴」
と真剣な顔で言った。真面目に勤務している所など見た事がなかったから、アランは緊張感を持って言葉通りその場でそれを飲み下した。
「今日一日は、寝てなきゃ駄目よ」
「は、はい。あの、クィレ症候群って…」
アランが尋ねようとするが、リリスは素早く立ち上がってアルクスの肩を押す。
「クィレ症候群には、安静が大事なの。さっ、私たちは出て行きましょ、アルクスちゃん」
「え?あ、はい、リリィちゃん!」
成り行きをわくわくして見守っていたアルクスが、リリスに促されてあたふたと従う。アランは、外れの医務室に独りポツリと残された。
「クィレ症候群って…」
アランの胸を、不安がよぎる。死神の病といえば、『死神風邪』と『死の棘』くらいしか聞いた事がなかった。何か重大な病なのでは…と考えて、『安静が大事』というリリスの言葉が浮かんだ。心なしか、呼吸が苦しい気がする。アランはループタイを緩めると、靴を脱いでベッドに横たわりシーツにくるまった。
その頃医務室の外では、閉じられたドアの表面に、リリスがピッタリと耳を付けていた。百メートル先で針の落ちる音も聞き分ける死神だ、リリスは衣擦れの音からアランがベッドに入ったのを知ると、アルクスに向かって唇に人差し指を立て、そうっとその場を後にした。
「リリィちゃん、クィレ症候群って?」
協会内の食堂で優雅にコーヒーを飲むリリスに、アルクスが食いついた。リリスは妖艶に微笑む。
「スペルは、CIREよ」
「CI…?」
「逆さにしてごらんなさい」
「え~と、E…R…」
そこまで言って、アルクスはようやく答えに辿り着いた。パッと雲が晴れたような顔に、今度はリリスがウインクする。
「医者の処方箋、舐めちゃ駄目よ。アルクスちゃん」
そこへ、遠くからでもよく分かる、長身でブロンド、華やかなコーンロウの姿が現われた。きょろきょろと顔を巡らし何かを探しているエリックに、リリスが大きく手を振る。
「エリックくぅ~ん、アランくんなら、医務室よ!具合悪いみたいだから、様子見てきて頂戴~」
リリスの豊満な胸も揺れたが、それを聞いたエリックは、目にも止めずに慌てて医務室へと踵を返した。うふふ、とリリスが楽しそうに笑う。
「リリィちゃん、何が起こるの?リリィちゃんだけ楽しそうでズル~い!」
歯噛みするアルクスに、リリスがおっとりと言ってみせた。
「大丈夫よぉ、医務室にもカメラ仕掛けてあるんでしょ?」
「あ!はい!」
そこに映るだろう景色を思い、リリスは余裕の、アルクスはキャッとはしゃいだ笑みを浮かべて、コーヒータイムを楽しんだ。
「かなり荒れてるわね」
「リリィちゃん、分かったわ~!」
回収課の入り口で再会した二人は、顔を寄せてひそひそと囁き合った。
「アルクスちゃん、もう分かったの?」
「秘書課の情報網を舐めちゃ駄目よ、リリィちゃん」
アルクスは得意げにウインクしてみせた。
「庶務課のコが、自慢してたの。エリック先輩を独り占めするなんて許せないから、別れさせてやるって、Yシャツにキスマーク付けたって!」
「あの二人に手を出すなんて、お邪魔虫ね…純真なアランくんが荒れるのも、無理ないわぁ」
眉をしかめたが、次の瞬間、リリスは自らの妙案にほくそ笑んだ。
「アルクスちゃん。アランくんを、医務室に連れてきて。後は、私が上手くやるわ」
颯爽と濃紫衣を翻して去っていくリリスの背中を、アルクスが羨望の眼差しで見送った。
「やっぱりリリィちゃん、頼りになるわ~」
キャッと口元に両拳を当てた後、アルクスは『仕事』モードに入って、アランの背後に忍び寄った。普段なら後ろの気配に容易く気付くほど、アランも実力は高かったが、今はエリックの事で頭がいっぱいのようだった。
いかっているアランの両肩に、ポン!と両手を置く。アランはひどく驚いて、小さな悲鳴を漏らした。
「ア~ラ~ン~くん!」
「ア、アルクス」
同期のよしみで、アランとアルクスは見知った仲だ。アルクスがアランに、恋情ではなくちょっかいをかけるのは、日常になっていた。
「アランくん!顔色が悪いわよ、医務室に行った方が良いわ」
「え?そんな事…」
アルクスは有無を言わさずアランの腕を引っ張った。女性の力だが、良かれと思ってやっている事だし、何よりアランが女性を振り払う事など出来る筈もなかった。
「昨日、ちゃんと眠れた?真っ青よ、私が連れて行ってあげる」
そう言われれば、確かに昨夜は泣き通しで、殆ど眠っていない。一理あると思い、アランは引っ張られるまま、アルクスに着いて行った。
「あ、ありがとう、アルクス…」
そして医務室には、幽霊勤務医がいた。手当てが必要なほどの怪我をあまりする事のない頑丈な死神の医師だからこそ、幽霊でも務まっているのだ。連れられて行った先にリリスがいた事に、アランは律儀に驚いた。
「リリス先生…!」
「嫌ぁね。リリィちゃんって呼んでってばぁ」
だが生真面目なアランは、そのオーダーには応えない。リリスが、ウィリアムやグレルよりももっと先輩だと知っているからだ。
「リリィちゃん、アランくん顔色が悪いんです!休ませてあげてください」
そう言われると、リリスは穴の開くほどアランの顔をジッと見詰めた。
「…リリス先生?」
「大変だわ。ストレスからくる、クィレ症候群ね。しばらく、この薬を飲んで休んでなきゃ駄目よ」
「えっ?!」
アランは、聞き覚えのない病名に、面食らう。頑丈な死神も、病には勝てない。リリスは、デスクの引き出しからピンク色の液体の入った小瓶を出してアランに握らせると、
「飲んで頂戴」
と真剣な顔で言った。真面目に勤務している所など見た事がなかったから、アランは緊張感を持って言葉通りその場でそれを飲み下した。
「今日一日は、寝てなきゃ駄目よ」
「は、はい。あの、クィレ症候群って…」
アランが尋ねようとするが、リリスは素早く立ち上がってアルクスの肩を押す。
「クィレ症候群には、安静が大事なの。さっ、私たちは出て行きましょ、アルクスちゃん」
「え?あ、はい、リリィちゃん!」
成り行きをわくわくして見守っていたアルクスが、リリスに促されてあたふたと従う。アランは、外れの医務室に独りポツリと残された。
「クィレ症候群って…」
アランの胸を、不安がよぎる。死神の病といえば、『死神風邪』と『死の棘』くらいしか聞いた事がなかった。何か重大な病なのでは…と考えて、『安静が大事』というリリスの言葉が浮かんだ。心なしか、呼吸が苦しい気がする。アランはループタイを緩めると、靴を脱いでベッドに横たわりシーツにくるまった。
その頃医務室の外では、閉じられたドアの表面に、リリスがピッタリと耳を付けていた。百メートル先で針の落ちる音も聞き分ける死神だ、リリスは衣擦れの音からアランがベッドに入ったのを知ると、アルクスに向かって唇に人差し指を立て、そうっとその場を後にした。
「リリィちゃん、クィレ症候群って?」
協会内の食堂で優雅にコーヒーを飲むリリスに、アルクスが食いついた。リリスは妖艶に微笑む。
「スペルは、CIREよ」
「CI…?」
「逆さにしてごらんなさい」
「え~と、E…R…」
そこまで言って、アルクスはようやく答えに辿り着いた。パッと雲が晴れたような顔に、今度はリリスがウインクする。
「医者の処方箋、舐めちゃ駄目よ。アルクスちゃん」
そこへ、遠くからでもよく分かる、長身でブロンド、華やかなコーンロウの姿が現われた。きょろきょろと顔を巡らし何かを探しているエリックに、リリスが大きく手を振る。
「エリックくぅ~ん、アランくんなら、医務室よ!具合悪いみたいだから、様子見てきて頂戴~」
リリスの豊満な胸も揺れたが、それを聞いたエリックは、目にも止めずに慌てて医務室へと踵を返した。うふふ、とリリスが楽しそうに笑う。
「リリィちゃん、何が起こるの?リリィちゃんだけ楽しそうでズル~い!」
歯噛みするアルクスに、リリスがおっとりと言ってみせた。
「大丈夫よぉ、医務室にもカメラ仕掛けてあるんでしょ?」
「あ!はい!」
そこに映るだろう景色を思い、リリスは余裕の、アルクスはキャッとはしゃいだ笑みを浮かべて、コーヒータイムを楽しんだ。