シュリム・ブロッサム(春之様)
* * *
「エロスを贈るなんて自信家の癖に、何でイニシャルだけなんだ?」
その日アランのアパートに二人して帰り、改めて隅々まで調べ、エリックが唸った。箱の中には手紙などなく、裏面にそっけなく”W”と書かれているだけだった。
「W…W…ウィリアムさんか?」
「まさか。ウィリアムさんが、そんな悪戯する訳ないだろ」
「いや。俺たちの仲を疑ってるのかもしれねぇ」
言いながらエリックは、かけていたソファから身を起こし、テーブルの真ん中に置かれていたそれを手に取る。弄ぶように手の中で転がし、やがてキャップを外した。アランがやや驚く。
「駄目だよエリック、送り主に返すんだから」
「”W”だけじゃ誰からか分かんねぇし、貰ったモンは使わなきゃ失礼だろ」
正論に弱いアランにもっともらしく言って反論を許さず、エリックはその仄かにグリーンアップルの香るトップノートを、風呂上りのわき腹につけた。鮮やかでスパイシーな香りが広がる。特に風呂上りだったので、戻り汗と混ぜ合わさって、それはエリック独特の香りとなって強く漂った。
「アラン。嗅いでみろ」
「え?うん」
隣に座っていたアランが、言われた通りに鼻をきかせると、
「わ」
と漏らした。
「どうだ?」
アランが僅かに口篭る。
「何ていうか…物凄く…エリックの体臭と合ってる」
「ムラムラしねぇか?」
「え」
その言葉は当たらずとも遠からずだったようで、アランが頬を淡く染める。そのカオを見て、エリックがもどかしげに言った。
「駄目だ、俺の方がムラムラする」
「わっ。エリック…!」
エリックは無防備だったアランを抱え上げ、ベッドに強制連行した。早急に奪われる唇に、アランは大人しく瞳を瞑ってエリックの背に手を回す。
『シャネルの五番を着て寝るの』。そう言った女優がいたが、この夜二人は、『ヴェルサーチのEROSを纏って眠る』事となった。
* * *
男性の香水の付け方として、ハンカチにEROSを染み込ませポケットに入れて、次の日エリックは”W”探しをする事にした。まずは朝礼終わりにさりげなく、一番の候補、ウィリアムの側へ行ってみた。だが彼は予定表から顔を上げず、代わりにウィリアムに纏わりついていたグレルが反応した。
「なぁにエリック、急に香水なんかつけちゃってぇ!」
「プライベートじゃつけてるぞ。たまたま今日は、間違えてつけてきちまっただけだ」
「ふぅ…ん。良い香りね。何だかアタシの乙女心がキュンキュンしちゃう!」
両拳を口元に当て、キャッとはしゃぐグレルにチラリと流し目をくれると、ウィリアムは冷たく言った。
「そんな事を話している暇があったら、仕事なさい」
暗に、エリックにも刺さる言葉だ。この反応からして、”W”はウィリアムではないらしい、と判断し、エリックはこれ以上彼が不機嫌になる前に、その場を離れた。
自分に贈られた香水をエリックがつけて犯人探しをするなどという大胆な行為を、やや心配そうに見守っていたアランの元に、彼が戻ってきた。小声で張り切る。
「おっし、俺今日、これつけて派遣協会中を回る!」
思わず頬が緩む。
「ふふ、それもヤキモチ?」
「うるせぇ、俺の気が済まねぇんだよ!」
そこに通りかかったのは、フィレナイフ型のデスサイズを持ったエリックの同期、クロ・ウィザードだった。開口一番、
「お、どうした、痴話喧嘩か?」
真面目とも冗談ともつかぬテンションで言う。癖のある黒髪で、この辺は容姿も性格も、どこかエリックに似通った所のある青年だった。
「クロさん…」
困惑したような声音を出すアランに対し、二人の関係を見透かしたような言動の多い彼に、同期の気安さも手伝って、エリックはウッカリ打ち明けた。
「誰かがアランに、香水を贈りつけてきたんだ」
それを聞くと、面白そうに口角を上げる。
「ほお…。で、何でそれをお前がつけてるんだ?」
しまったと思ってももう遅い。エリックは頭をフル回転させて、言い訳をひねり出した。
「そっ、それは…エロスをいきなり送り付けてくるような女に、アランが騙されないようにだな…」
語尾の方は、ごにょごにょと淀む。ハラハラした心地で口を挟めずにいたアランだが、先輩のシュリム・ブロッサムが広い回収課で何かを探すようにキョロキョロと見渡しているのが目に入って、二人の会話に割り込むように声を上げた。
「シュリムさーん!クロさんならここですよ!」
クロとシュリムはパートナーの為、今、鎖ナタ型のデスサイズを手にした彼が探すものといったら、クロだと思ったからだ。それは的中したようで、時折女性にも間違われる、前髪が目を隠しそうなくらい長いマッシュルームカットを揺らし、シュリムは近付いてきた。
「ありがとう、アラン。クロ先輩、行きますよ」
「あーはいはい」
何とも面倒臭そうにクロは応えた。毎朝、二人はこんな調子だった。やれば並以上に出来るのに、腰の重いクロの尻を、シュリムがせっつく。香水に関する会話が中断されて、露骨にエリックはホッとした。
「じゃあな、エリック、アラン」
クロが軽く手をあげ踵を返す。シュリムも後を追いかけて、ふと振り返った。
「アラン、香水つけてる?」
「え、いやエリックさんが…」
シュリムは、仕事は出来るがちょっと変わった言動をする事で定評があった。疑問形から、得心したように表情が変わる。
「そうか。通りで、エリック先輩から香りがすると思った」
「………んん?」
その会話の不思議さにアランが首を傾げたのは、クロとシュリムが並んで回収課を出て行った後だった。
「相変わらずだな、シュリムさん…」
アランが汗を滲ませて苦笑するのと、エリックが声を上げるのは同時だった。
「あっ。俺今日、あの二人と現場一緒だった。行ってくる」
回収をエリックが、報告書をアランが担当する事の多い二人は、そこで束の間の別れを告げた。
「行ってらっしゃい、気を付けて」
「エロスを贈るなんて自信家の癖に、何でイニシャルだけなんだ?」
その日アランのアパートに二人して帰り、改めて隅々まで調べ、エリックが唸った。箱の中には手紙などなく、裏面にそっけなく”W”と書かれているだけだった。
「W…W…ウィリアムさんか?」
「まさか。ウィリアムさんが、そんな悪戯する訳ないだろ」
「いや。俺たちの仲を疑ってるのかもしれねぇ」
言いながらエリックは、かけていたソファから身を起こし、テーブルの真ん中に置かれていたそれを手に取る。弄ぶように手の中で転がし、やがてキャップを外した。アランがやや驚く。
「駄目だよエリック、送り主に返すんだから」
「”W”だけじゃ誰からか分かんねぇし、貰ったモンは使わなきゃ失礼だろ」
正論に弱いアランにもっともらしく言って反論を許さず、エリックはその仄かにグリーンアップルの香るトップノートを、風呂上りのわき腹につけた。鮮やかでスパイシーな香りが広がる。特に風呂上りだったので、戻り汗と混ぜ合わさって、それはエリック独特の香りとなって強く漂った。
「アラン。嗅いでみろ」
「え?うん」
隣に座っていたアランが、言われた通りに鼻をきかせると、
「わ」
と漏らした。
「どうだ?」
アランが僅かに口篭る。
「何ていうか…物凄く…エリックの体臭と合ってる」
「ムラムラしねぇか?」
「え」
その言葉は当たらずとも遠からずだったようで、アランが頬を淡く染める。そのカオを見て、エリックがもどかしげに言った。
「駄目だ、俺の方がムラムラする」
「わっ。エリック…!」
エリックは無防備だったアランを抱え上げ、ベッドに強制連行した。早急に奪われる唇に、アランは大人しく瞳を瞑ってエリックの背に手を回す。
『シャネルの五番を着て寝るの』。そう言った女優がいたが、この夜二人は、『ヴェルサーチのEROSを纏って眠る』事となった。
* * *
男性の香水の付け方として、ハンカチにEROSを染み込ませポケットに入れて、次の日エリックは”W”探しをする事にした。まずは朝礼終わりにさりげなく、一番の候補、ウィリアムの側へ行ってみた。だが彼は予定表から顔を上げず、代わりにウィリアムに纏わりついていたグレルが反応した。
「なぁにエリック、急に香水なんかつけちゃってぇ!」
「プライベートじゃつけてるぞ。たまたま今日は、間違えてつけてきちまっただけだ」
「ふぅ…ん。良い香りね。何だかアタシの乙女心がキュンキュンしちゃう!」
両拳を口元に当て、キャッとはしゃぐグレルにチラリと流し目をくれると、ウィリアムは冷たく言った。
「そんな事を話している暇があったら、仕事なさい」
暗に、エリックにも刺さる言葉だ。この反応からして、”W”はウィリアムではないらしい、と判断し、エリックはこれ以上彼が不機嫌になる前に、その場を離れた。
自分に贈られた香水をエリックがつけて犯人探しをするなどという大胆な行為を、やや心配そうに見守っていたアランの元に、彼が戻ってきた。小声で張り切る。
「おっし、俺今日、これつけて派遣協会中を回る!」
思わず頬が緩む。
「ふふ、それもヤキモチ?」
「うるせぇ、俺の気が済まねぇんだよ!」
そこに通りかかったのは、フィレナイフ型のデスサイズを持ったエリックの同期、クロ・ウィザードだった。開口一番、
「お、どうした、痴話喧嘩か?」
真面目とも冗談ともつかぬテンションで言う。癖のある黒髪で、この辺は容姿も性格も、どこかエリックに似通った所のある青年だった。
「クロさん…」
困惑したような声音を出すアランに対し、二人の関係を見透かしたような言動の多い彼に、同期の気安さも手伝って、エリックはウッカリ打ち明けた。
「誰かがアランに、香水を贈りつけてきたんだ」
それを聞くと、面白そうに口角を上げる。
「ほお…。で、何でそれをお前がつけてるんだ?」
しまったと思ってももう遅い。エリックは頭をフル回転させて、言い訳をひねり出した。
「そっ、それは…エロスをいきなり送り付けてくるような女に、アランが騙されないようにだな…」
語尾の方は、ごにょごにょと淀む。ハラハラした心地で口を挟めずにいたアランだが、先輩のシュリム・ブロッサムが広い回収課で何かを探すようにキョロキョロと見渡しているのが目に入って、二人の会話に割り込むように声を上げた。
「シュリムさーん!クロさんならここですよ!」
クロとシュリムはパートナーの為、今、鎖ナタ型のデスサイズを手にした彼が探すものといったら、クロだと思ったからだ。それは的中したようで、時折女性にも間違われる、前髪が目を隠しそうなくらい長いマッシュルームカットを揺らし、シュリムは近付いてきた。
「ありがとう、アラン。クロ先輩、行きますよ」
「あーはいはい」
何とも面倒臭そうにクロは応えた。毎朝、二人はこんな調子だった。やれば並以上に出来るのに、腰の重いクロの尻を、シュリムがせっつく。香水に関する会話が中断されて、露骨にエリックはホッとした。
「じゃあな、エリック、アラン」
クロが軽く手をあげ踵を返す。シュリムも後を追いかけて、ふと振り返った。
「アラン、香水つけてる?」
「え、いやエリックさんが…」
シュリムは、仕事は出来るがちょっと変わった言動をする事で定評があった。疑問形から、得心したように表情が変わる。
「そうか。通りで、エリック先輩から香りがすると思った」
「………んん?」
その会話の不思議さにアランが首を傾げたのは、クロとシュリムが並んで回収課を出て行った後だった。
「相変わらずだな、シュリムさん…」
アランが汗を滲ませて苦笑するのと、エリックが声を上げるのは同時だった。
「あっ。俺今日、あの二人と現場一緒だった。行ってくる」
回収をエリックが、報告書をアランが担当する事の多い二人は、そこで束の間の別れを告げた。
「行ってらっしゃい、気を付けて」