レイ・ハーモニー(零音様)
だが違和感の正体は、程なくして分かった。回収中に、ニコラスが倒れたからだ。慌ててエリックはニコラスを抱え、死神界の病院に連れて行った。ニッキーは、十年前から患っていたという。十年前といえば、ニコラスとエリックがパートナーになった頃ではなかったか。
夕方のひと気のない廊下で、エリックはうな垂れて長椅子に座っていた。そこへ、レイが文字通り駆け付ける。
「エリック、ニッキーは?!」
エリックは、少し離れた廊下の突き当たり、一番奥の病室を指差した。
「発作が治まって、今ようやく眠った所だ…」
「発作?何の発作だ?」
「………『死の棘』…」
途端、掴みかかってくるレイをそのままに、エリックは呟いた。
「『死の棘』?!そんな筈はっ…!」
「俺だって…」
「エリック、嘘だと言ってくれ!!」
揺さぶられ、今度は打って変わって大声を上げた。
「俺だって信じたくないっ!!」
その時、ニコラスの病室からガラスの割れる音がした。ハッと顔を巡らせ、二人は病室に急ぐ。中では、水差しの瓶が床に砕け散っていた。
「ああすまない…水を飲もうとしただけ…」
レイが怒りを爆発させた。
「ニッキー!何で隠してた!」
ニコラスは静脈が透けるほど白くなってしまった顔色で自嘲する。
「皮肉なものだな…君たち二人だけには、絶対に悟られたくなかったのに…」
エリックは、レイに反比例して穏やかに語る。
「早く知ってれば、治療法を探す事も…」
「『死の棘』を治す方法がない事くらい、分かっているだろう。誰が腫れ物扱いされたいっていうんだ?」
そう言うと、ニコラスはふいと視線を窓辺の夕陽に向けた。言外に、放っておいてくれと示され、二人は力なく肩を落とし帰るしかなかった。
レイとエリックは、それでも出来うる限り、見舞いに行った。行くつもりだった。その時は、たった三日後にやってきた。病衣の胸をわし掴んで苦しむニコラスに、レイが叫ぶ。
「ニッキー、待ってろ!今、医者を呼んでくる!」
死の苦しみの中にあって、だがニコラスは強い声音を出した。
「やめてく、れっ、レイ…!」
ぜいぜいともがく息の下からの言葉を一言も逃すまいと、レイは長身を屈めてニコラスの唇に耳をそばだてた。
「騒がしい、のは…好きじゃない。レイと、エリック、だけで…充分…」
そして、最期にほうっと大きく一息つき、ニコラスは呼吸を止めた。レイが大声でニコラスを呼んでいる。
「ニッキー…」
エリックは、呆然と呟く事しか出来なかった。そっと、ニッキーの頬に触れると、だんだんと冷たくなっていくのが分かった。何故、暖かい内に触れておかなかったのだろう。今更、己の気持ちに気が付くなんて──。
* * *
声は聞こえず、花束を渡すシーンだけが、鮮明にアランの網膜に焼き付いた。ブランデーを口に運びかけたままの姿勢で、固まってしまう。
(まさか…。まだ、浮気って決まった訳じゃない)
アランはかぶりを振り、ブランデーを一口含むと、テーブルにグラスを置いた。アランのあずかり知らぬ所では、こんな会話がなされていた。
「ありがとう、エリック」
「あんたと、ニッキーにだ。命日だから、墓参りに行くんだろう?」
レイは、五十年経ってなお、まだニコラスの事を片時も忘れていない。スーツの内ポケットから眼鏡ケースを取り出すと、それを開けた。中には、細い銀縁の眼鏡が入っていた。
「レイさん。もうそろそろ、ニッキーに返してやっても良いんじゃないか。あっちでも、眼鏡なしじゃ不自由かもしれねぇ」
「分かってはいるんだ…。だけど、決心がつかなくてね」
遠くからエリックの顔に視線を移し、レイは静かに言った。
「君は、敢えて一度も墓参りに行っていないだろう?区切りをつける為に、一度だけ付き合ってくれないか」
「…ああ。レイさん」
その時、ガラス玉のロープカーテン越しに振り返ったレイと、目があった気がして、アランはギクリと身を竦めた。少し笑まれた気もする。
「でも、今日じゃなくて良い。ちゃんと誤解を解いてから」
「誤解…?」
「花ありがとう、ニッキーに渡しておくよ。無理に誘ってすまなかったな」
レイは、どう見ても自分の呑んだ分より多い紙幣を置いて席を立った。奢り、という事か。エリックも郷愁に、もう一杯だけ呑んで行く事にした。
一人酒を呑み始めたエリックを見て、アランは入ってきた時と逆の要領でバーをそっと抜け出す。エリックがアパートに帰ってきたのは、アランが着いてからきっかり十分後の事だった。
「ただいま、アラン」
「…おかえり」
明らかにいつもよりテンションの低い返事に、エリックはアランの顔色を窺う。滅多に怒らない分、怒らせたら手強い事を知っているエリックは、敏感に察知した。
「どうした?」
「…どうもしない」
「お前よりレイさんを優先させたから、怒ってんのか?」
浮気というより何かワケありのようだったから、アランは思い切って言ってしまう事にした。
「花を…」
エリックが目を見張る。
「見てたのか?」
「花屋から出てくる所が見えたから…」
なるほど、『誤解』とはこの事か。
(レイさんにゃ適わねぇな…)
ひた隠しにしている二人の関係を見破られ、エリックは内心舌を巻きながら説明した。
「あれは、レイさんの親友だったニッキーへの手向けの花だ」
「ニッキー?」
アランは懐かしげに発されるその名前に、複雑な表情を見せる。
「好き、だった…?」
そのストレートな問いには、エリックは少しだけ微笑んだ。
「…ああ。だけど、アランに対するような気持ちじゃない。ニッキーは、そうだな…例えるなら…水の中で燃える花火だ」
「どういう意味?」
アランの首に手を回し、エリックは彼に触れるだけのキスをして、目を細めた。
「こんな風に、けして触れる事の出来ない想いだ。だから、今度レイさんと墓参りに行って良いか?」
エリックの手がアランのYシャツのボタンを外し始め、アランもそれに倣った。
「うん…ごめん、疑って」
アランと付き合う前までの行動を思ったら、疑われても当然だ、とエリックは小さく自嘲する。だが今は、ただ一人を想い。
もどかしげに服を脱がせ合い、やがて一糸纏わぬ姿になると、二人はキングサイズのベッドに潜った。
「なあ…エリックが好きだった人なら、俺も行きたい」
触れていた唇を離し、エリックが驚きの声を上げた。
「お前も?」
「駄目かな」
アランの熱い掌が、エリックの引き締まった尻を揉む。
「んっ…俺は、構わねぇが…お前、大丈夫か…?」
「お墓の中のヒトにまで、ヤキモチは妬かないよ」
腰周りを撫でていたアランの手が前にまわって、エリック自身を握り、すでに透明な蜜を零している先端を親指でつるりと撫でた。
「だと、良いけどな…ん、アラン、もっと…」
焦らすように弱い刺激を与えられるのに、エリックが自ら腰を振って快感を生み出す。唇を奪い合い、眼鏡のフレームの当たる小さな金属音とリップ音がやけに大きく部屋に響いた。
* * *
レイ、エリック、アランの三人で訪れたニコラスの墓には、名前の他に『我が永遠の友』と彫られてあった。三日前にエリックが渡してレイが手向けたライラックが、風に静かに揺れている。
今日のエリックは、大輪のダリアを一輪だけ、墓にそっと寄り添わせた。その花言葉は、優雅・威厳・華麗、そして『感謝』。その横に、レイが眼鏡ケースを置いた。
「…エリック、アラン、ありがとう。君たちのお陰で、前に進めるよ」
「エリックさんに、俺の他にパートナーがいたなんて知りませんでした。レイさん、色々教えてください、ニコラスさんの事。話をすると、故人も浮かばれるって言いますし」
「ああ、そうだな」
まるで疲れた背中を労わるように、アランは墓石に跪いてその縁をゆるゆると撫でる。
(エリックのパートナーは、俺が引き継ぎます。ニコラスさん…)
エリックが一度きりと決めた墓参り、アランは心の内で、長い事ニコラスと語らっていた。
End?
夕方のひと気のない廊下で、エリックはうな垂れて長椅子に座っていた。そこへ、レイが文字通り駆け付ける。
「エリック、ニッキーは?!」
エリックは、少し離れた廊下の突き当たり、一番奥の病室を指差した。
「発作が治まって、今ようやく眠った所だ…」
「発作?何の発作だ?」
「………『死の棘』…」
途端、掴みかかってくるレイをそのままに、エリックは呟いた。
「『死の棘』?!そんな筈はっ…!」
「俺だって…」
「エリック、嘘だと言ってくれ!!」
揺さぶられ、今度は打って変わって大声を上げた。
「俺だって信じたくないっ!!」
その時、ニコラスの病室からガラスの割れる音がした。ハッと顔を巡らせ、二人は病室に急ぐ。中では、水差しの瓶が床に砕け散っていた。
「ああすまない…水を飲もうとしただけ…」
レイが怒りを爆発させた。
「ニッキー!何で隠してた!」
ニコラスは静脈が透けるほど白くなってしまった顔色で自嘲する。
「皮肉なものだな…君たち二人だけには、絶対に悟られたくなかったのに…」
エリックは、レイに反比例して穏やかに語る。
「早く知ってれば、治療法を探す事も…」
「『死の棘』を治す方法がない事くらい、分かっているだろう。誰が腫れ物扱いされたいっていうんだ?」
そう言うと、ニコラスはふいと視線を窓辺の夕陽に向けた。言外に、放っておいてくれと示され、二人は力なく肩を落とし帰るしかなかった。
レイとエリックは、それでも出来うる限り、見舞いに行った。行くつもりだった。その時は、たった三日後にやってきた。病衣の胸をわし掴んで苦しむニコラスに、レイが叫ぶ。
「ニッキー、待ってろ!今、医者を呼んでくる!」
死の苦しみの中にあって、だがニコラスは強い声音を出した。
「やめてく、れっ、レイ…!」
ぜいぜいともがく息の下からの言葉を一言も逃すまいと、レイは長身を屈めてニコラスの唇に耳をそばだてた。
「騒がしい、のは…好きじゃない。レイと、エリック、だけで…充分…」
そして、最期にほうっと大きく一息つき、ニコラスは呼吸を止めた。レイが大声でニコラスを呼んでいる。
「ニッキー…」
エリックは、呆然と呟く事しか出来なかった。そっと、ニッキーの頬に触れると、だんだんと冷たくなっていくのが分かった。何故、暖かい内に触れておかなかったのだろう。今更、己の気持ちに気が付くなんて──。
* * *
声は聞こえず、花束を渡すシーンだけが、鮮明にアランの網膜に焼き付いた。ブランデーを口に運びかけたままの姿勢で、固まってしまう。
(まさか…。まだ、浮気って決まった訳じゃない)
アランはかぶりを振り、ブランデーを一口含むと、テーブルにグラスを置いた。アランのあずかり知らぬ所では、こんな会話がなされていた。
「ありがとう、エリック」
「あんたと、ニッキーにだ。命日だから、墓参りに行くんだろう?」
レイは、五十年経ってなお、まだニコラスの事を片時も忘れていない。スーツの内ポケットから眼鏡ケースを取り出すと、それを開けた。中には、細い銀縁の眼鏡が入っていた。
「レイさん。もうそろそろ、ニッキーに返してやっても良いんじゃないか。あっちでも、眼鏡なしじゃ不自由かもしれねぇ」
「分かってはいるんだ…。だけど、決心がつかなくてね」
遠くからエリックの顔に視線を移し、レイは静かに言った。
「君は、敢えて一度も墓参りに行っていないだろう?区切りをつける為に、一度だけ付き合ってくれないか」
「…ああ。レイさん」
その時、ガラス玉のロープカーテン越しに振り返ったレイと、目があった気がして、アランはギクリと身を竦めた。少し笑まれた気もする。
「でも、今日じゃなくて良い。ちゃんと誤解を解いてから」
「誤解…?」
「花ありがとう、ニッキーに渡しておくよ。無理に誘ってすまなかったな」
レイは、どう見ても自分の呑んだ分より多い紙幣を置いて席を立った。奢り、という事か。エリックも郷愁に、もう一杯だけ呑んで行く事にした。
一人酒を呑み始めたエリックを見て、アランは入ってきた時と逆の要領でバーをそっと抜け出す。エリックがアパートに帰ってきたのは、アランが着いてからきっかり十分後の事だった。
「ただいま、アラン」
「…おかえり」
明らかにいつもよりテンションの低い返事に、エリックはアランの顔色を窺う。滅多に怒らない分、怒らせたら手強い事を知っているエリックは、敏感に察知した。
「どうした?」
「…どうもしない」
「お前よりレイさんを優先させたから、怒ってんのか?」
浮気というより何かワケありのようだったから、アランは思い切って言ってしまう事にした。
「花を…」
エリックが目を見張る。
「見てたのか?」
「花屋から出てくる所が見えたから…」
なるほど、『誤解』とはこの事か。
(レイさんにゃ適わねぇな…)
ひた隠しにしている二人の関係を見破られ、エリックは内心舌を巻きながら説明した。
「あれは、レイさんの親友だったニッキーへの手向けの花だ」
「ニッキー?」
アランは懐かしげに発されるその名前に、複雑な表情を見せる。
「好き、だった…?」
そのストレートな問いには、エリックは少しだけ微笑んだ。
「…ああ。だけど、アランに対するような気持ちじゃない。ニッキーは、そうだな…例えるなら…水の中で燃える花火だ」
「どういう意味?」
アランの首に手を回し、エリックは彼に触れるだけのキスをして、目を細めた。
「こんな風に、けして触れる事の出来ない想いだ。だから、今度レイさんと墓参りに行って良いか?」
エリックの手がアランのYシャツのボタンを外し始め、アランもそれに倣った。
「うん…ごめん、疑って」
アランと付き合う前までの行動を思ったら、疑われても当然だ、とエリックは小さく自嘲する。だが今は、ただ一人を想い。
もどかしげに服を脱がせ合い、やがて一糸纏わぬ姿になると、二人はキングサイズのベッドに潜った。
「なあ…エリックが好きだった人なら、俺も行きたい」
触れていた唇を離し、エリックが驚きの声を上げた。
「お前も?」
「駄目かな」
アランの熱い掌が、エリックの引き締まった尻を揉む。
「んっ…俺は、構わねぇが…お前、大丈夫か…?」
「お墓の中のヒトにまで、ヤキモチは妬かないよ」
腰周りを撫でていたアランの手が前にまわって、エリック自身を握り、すでに透明な蜜を零している先端を親指でつるりと撫でた。
「だと、良いけどな…ん、アラン、もっと…」
焦らすように弱い刺激を与えられるのに、エリックが自ら腰を振って快感を生み出す。唇を奪い合い、眼鏡のフレームの当たる小さな金属音とリップ音がやけに大きく部屋に響いた。
* * *
レイ、エリック、アランの三人で訪れたニコラスの墓には、名前の他に『我が永遠の友』と彫られてあった。三日前にエリックが渡してレイが手向けたライラックが、風に静かに揺れている。
今日のエリックは、大輪のダリアを一輪だけ、墓にそっと寄り添わせた。その花言葉は、優雅・威厳・華麗、そして『感謝』。その横に、レイが眼鏡ケースを置いた。
「…エリック、アラン、ありがとう。君たちのお陰で、前に進めるよ」
「エリックさんに、俺の他にパートナーがいたなんて知りませんでした。レイさん、色々教えてください、ニコラスさんの事。話をすると、故人も浮かばれるって言いますし」
「ああ、そうだな」
まるで疲れた背中を労わるように、アランは墓石に跪いてその縁をゆるゆると撫でる。
(エリックのパートナーは、俺が引き継ぎます。ニコラスさん…)
エリックが一度きりと決めた墓参り、アランは心の内で、長い事ニコラスと語らっていた。
End?