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レイ・ハーモニー(零音様)

*    *    *

死神派遣協会、回収課。今日もエリックは、始業の九時をやや過ぎてから、ギリギリアウトでタイムカードを押していた。ぜいぜいと肩で息をして整えていると、明るい声がかかる。

「おはよう、エリック」

「あ…遅れてすんません、初めてニコラスさんと仕事が出来ると思ったら、嬉しくて眠れなくて…」

「遠足前の子供みたいだな」

レイが笑う。そのレイと並んでエリックを待ち構えていたのは、レイの親友、ニコラス・カイドウだった。ブルネットの短髪にエキゾチックな顔立ちの、エリックの新人教育を担当した死神だ。

「賭けは俺の勝ちだな、ニッキー」

「エリック、君のお陰で一杯奢らされる羽目になったぞ」

一瞬、意味が分からずポカンとしたエリックだったが、すぐに察し、ニコラスに頭を下げた。

「すんません!ニコラスさんは、俺が遅刻しない方に賭けてたんですね」

エリックがニコラスに頭が上がらないのには、ただ教育係だという理由だけではなかった。実技評価はトリプルAでも、筆記試験が危なかったエリックに世話をやき、ようやく合格にこぎつけてくれたのがニコラスだった。

そして今日、ニコラスと暫定的にパートナーを組み、初任務の日を迎えたのだ。レイが、エリックの肩を揉み、そのままポンポンと軽く叩く。

「ニッキーを頼んだよ、エリック。実力は、君の方が上だ」

「そんな…」

ニコラスが口を挟む。

「エリック。一時的にとはいえ、パートナーだ。堅苦しいのは好きじゃない。ニッキーって呼んでくれ」

「はい、ニッキー…」

庶務課からデスサイズを受け取り笑顔のレイに見送られて、二人は人間界に降りた。ニコラスは抜き身の日本刀型、エリックはノコギリ型のデスサイズだった。

「おっ。エリック。早速カスタマイズしたな」

「ええ、新人用のあんな小せぇ鎌じゃ、振るい甲斐がなくて」

我知らず得意げな口調になっているエリックに、ニコラスは微笑んだ。

初任務の死亡予定者は、物乞いの少女だった。死因は凍死。霜焼けだらけの裸足の足元に空き缶が置いてあって、うつらうつらと船を漕いでいる所にたまに硬貨が投げ込まれ、その小さな金属音に少女はハッと目を覚ますのだった。

その時、エリックは信じられないものを見た。ニコラスが小柄な肢体を少女の目線まで屈めると、彼女が言ったのだ。

「お兄ちゃん…誰?」

まさに、ニコラスが少女に姿を現した瞬間だった。そんな必要は、何処にもない筈なのに。言葉を失っていると、

「エリック、君はそのままで良い。少しだけ…僕と彼女に時間をくれ」

「お兄ちゃん、誰と話してるの?」

「ああ、気にしないで。もう…寒くないね?」

「うん…眠いの…」

「そう…良かった」

ニコラスがスーツのポケットからハンカチを出して汚れた顔を拭ってやると、あどけなく美しい、天使のようなおもてが覗いた。その身体を抱きしめ頭を撫でるニコラスと少女の姿は、四角く切り取れば絵画のように静謐だった。

「側にいるから、もうお休み」

「うん…。ありがとう、お兄ちゃん…」

思わず目的を忘れ見惚れていると、声がかかった。

「さあエリック、君の仕事だ」

「は、はい」

ハッと我に返り、エリックが少女の胸をデスサイズで薙ぐと、短いその人生がシネマティックレコードとなって立ち上った。少女は、貧しい家で口減らしに捨てられたものか、物心ついた時から独りきりだった。たった独りで、幾つもの燃える夏と凍える冬を越してきた。

そして、生まれて初めて幸福感を味わった魂は、安らかに白く輝く球形となって、頭上からゆっくりと降りてくる。掌を広げそれを待ち構えていたエリックだったが、

「エリック、避けろッ!!」

普段穏やかなニコラスの大声に、反射的にエリックは素早く身を屈めた。その背後に迫っていた、黒い翼を持つ獣人の眉間に、ニッキーの日本刀型のデスサイズが深々と刺さり、耳障りな絶叫が上がった。

「悪魔…!」

研修で習ってはいたが、勿論実際に戦う事など初めてだ。だが、実技評価トリプルAの身体は勝手に動き、振り返りざま悪魔を上下に一刀両断した。下級悪魔は黒い身体を散り散りにさせて、霧散していった。

「どうしたんだエリック、君の実力なら気付けただろう」

少女の儚いが眩しい魂の輝きが、ニコラスの頬を照らし出している。言えない。見惚れていたなんて。

回収課に帰って、エリックの苦手な報告書に取り掛かっていると、眼鏡課からわざわざレイがやってきて、エリックを冷やかした。

「凄いなエリック、もう噂になってるぞ。初任務で悪魔を倒したって」

「違うんです。あれは、ニッキーに助けて貰って…」

「エリック。折角都合よく誤解されてるんだ、そのままにしておいで」

ニコラスは屈託なく笑った。

程なくして、ニコラスとエリックは正式にパートナーになった。自然と三人は親しくなり、一軒のバーに入り浸るようになる。まずはパートナーになった記念に、と祝杯を上げた。

「エリック、君は実技は充分だが、報告書がなってないな」

「おいおいニッキー、酒の席でまでお説教は勘弁してやれよ。エリックみたいな死神と組んだら少しは変わるかと思ったが、相変わらずだな」

「俺は、早くエリックに一人前になって欲しいだけだよ」

時に『優等生』と揶揄される事を嫌うニコラスは、やや強い口調で言い、当のエリックは、

「はあ…」

と苦笑して誤魔化すしかなかった。

それから十年。ニッキーは変わりなく、エリックに厳しかった。まるで親離れを促す野生獣のそれのように、不必要に思えるほど過酷なものだ。だがそれに慣れてしまったエリックは、ハイハイと二つ返事で聞き流すようになっていた。

「エリック。僕はこれから半休だから、これを頼む。今日中だぞ」

十枚ほどの報告書をデスクに置かれ、エリックは座ったままニコラスを振り仰いだ。

「半休?半休とって何処行くんだ、ニッキー」

「ちょっと…野暮用だよ」

(野暮用?)

物事をハッキリさせる質のニコラスが、言葉を濁した事に、僅かに違和感を覚える。しかしそれ以上の言及を許さず、ニコラスは立ち去ってしまう。エリックも、報告書の仕上げに気を取られ、忘れてしまった。
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