【ありがとう、愛しい恋人よ】

「だから。俺は恋人を作るつもりはねぇから。一回寝ただけで彼女づらしないでくれ。チョコも要らねぇ」

 俺はイライラと目の前の女に言葉を吐き捨てる。俺にとって二月十四日はそういう日だった。ひっきりなしに呼び出されるのを忙しいと適当にごまかしていたが、手が空くまで待つと何時間も回収課の入り口で待たれてはうっとうしくてかなわない。泣き落としのつもりか、うつむいて肩を震わせる女を屋内階段に残し、俺は鉄扉を開けて廊下に戻った。

 一瞬、驚きに固まる。真っ正面でアランが固まっていたからだ。つられて俺も固まってしまう。

「……アラン?」

 ややあって、ようやく俺は声をかける。アランはなんとも言えない複雑な表情をして、俺と揃いの黄緑を合わせていた。いつも朗らかなアランの、そんな表情を見たのは初めてだった。

「どうした?」

 そう訊くと初めて、アランは無理矢理といった体で笑顔を作った。まるで怯えるように半歩下がる。

「あっ……いえ。びっくりしちゃって。その、聞こえちゃって」

 ぎくしゃくと言葉を紡ぐ。ああ、俺の声が聞こえたのか。確かにアランにかける口調とは真逆だったから、驚くのも無理はないかもしれない。アランに嫌われるのは本意じゃなかったから、俺もつまずきながら言い訳をした。

「ああ、悪りぃ。二月十四日は……機嫌がよくないんだ。お前に言ったんじゃねぇから、気にしないでくれると有り難い」
「あ、はい」
「回収課に行くか?」
「はい。諸経費の書類で分からないところがあって、訊きに来ました」
「そっか。悪りぃな」

 そう言って、肩を並べて回収課に向かう。諸経費の精算は個人でするのが通常だったが、俺はアランより外回りを多く担当する分、事務処理をパートナーとして任せていた。アランの質問に答え、女たちからの呼び出しをのらりくらりとかわし、あとは終業後の待ち伏せを切り抜けるのが今日のタスクだ。俺は帰り支度をしているアランの背後から、そっと耳打ちする。

「アラン、今日一杯飲まないか?」
「えっ!」

 なぜかアランは目一杯驚いた。飲みに誘うことはたまにあるのに、なんでだか耳まで真っ赤に染めている。

「で、でも俺、飲めませんけど」
「ノンアルコールをいくらでもおごる。頼む。さっきの奴らみたいなのが待ち伏せしてんだ。予定がないとしつこい」
「ああ……なるほど」

 アランの耳の朱が急速に冷えていく。アランはいつものアランになって、コートとかばんを手に笑顔を見せた。

「俺でよかったら」
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