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【俺の天使】

 そうして俺たちは、ビッグベンの下で待ち合わせした。
 ロンドンは今日も霧が濃くて、十メートル先が見通せない。おまけに小雨が降り出した。参ったなと思って空を見上げていたら、不意に曇り空に蒼い影が差し込んだ。傘だ。

「え?」
「お待たせしました」

 ブロンドの青年は、サングラスをかけていた。見たことのあるフォルム。

「な……なんで、俺だって分かったんですか」

 ブログに写真などは載せていない。青年は笑った。

「あなたこそ、よく俺が待ち合わせ相手だと分かりましたね」

 青年がサングラスを取った。

「エリック……!」
「アラン」

 見詰め合ったまま、口元を覆って号泣し出す俺の肩を、労るように君は撫でる。何処か店に入るという選択肢も浮かばずに、君はそのまま語り出した。

「夢を見るんだ」
「夢……?」
「アランというあなたとの生活を。話して、触れて……キスをして」

 無意識に近くなる顔に、俺はエリックの黄緑の瞳と唇に視線を往復させる。
 
「そして、なにかの拍子にあなたのブログを見付けた。その内容は、俺が夢に見ていたものばかりだった。あなたは……いや。お前は、アランなのか?」
「エリック。人間に転生したんだな」
「転生?」

 こぼれる涙を、少しかさついた君の親指が拭ってくれる。

「ああ、いや……。君は信じてくれるかな。俺は、『人間』という存在ではないんだ」

 大きめの傘だったが、それでも男ふたりでは身を寄せ合うようにして話す。

「そうか。信じる。お前との記憶は、どう考えても人間の一生分では足りないほどたくさんあったから」
「よかった……よかった」
「アラン」

 ふいに真剣な声で呼ばれて顔を上げる。

「我慢出来ない。ずっとこうしたかった」

 うなじに片手が回り、後れ毛を掴まれる。死神のときにはなかった、素手の体温が生々しい。夢じゃない。

「愛してる」
「ん……っ」

 唇が触れ合った。一瞬驚いて身を引きかけたけど、次第に百年ぶりの熱に浮かされてゆく。蒼い傘がひっくり返って地に落ちる。俺たちは抱き合い求め合っていた。なにも見えない。なにも聞こえない。感じるのは、君だけ。離れようとする君を、俺がもっともっとと追いかけていたけど、やがて君は身を離した。

「アラン。少し触れるだけのつもりだった。ここが何処だか分かってるか?」
「あ」

 俺は赤くなって俯いた。ビッグベンの下は観光客でいっぱいで、通りかかる誰もがチラチラと俺たちを眺めていくのだった。

「ふ」

 君が、くすくすと笑う。俺はハッと顔を上げて、君の表情に見入っていた。この百年、思い出す君の顔は、苦渋に歪む悲しげなものばかりで。楽しそうに笑う君の笑顔に……俗な言い方をすれば、惚れ直していた。やがて笑いを収めて、俺の鼻の頭に一度だけ口付ける。俺の好きだった仕草。

「何処か店に入ろう。ここでは目立ち過ぎる」
「ううん」
「あ?」
「俺の部屋に行こう。君の部屋はどうせ、足の踏み場もないんだろ?」

 今度は俺が笑う番だった。

「ああ。やっぱりお前は、俺のアランだな」

 何気ない会話だけど。『俺の』という言葉が嬉しかった。『俺の天使』は、やっぱり君だったんだな。エリック。

End.
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