【涙と聖夜と情熱と】
死神という仕事には、クリスマスもニューイヤーも関係ない。毎日粛々と魂を狩ってはファイルに収める。だから忙しなく働くかたわら、偶然ロンドンの街並みに飾られた大きなクリスマスツリーが目に入って、ようやく気が付いた。もう……そんな季節か。今日は何日だっけ。二十三? いや、二十四日か。……何てことだ! クリスマスイヴじゃないか!
その事実に呆然と一瞬足を止めたとき、聴き慣れた羽ばたきの音がした。死神界と人間界の間には何らかの障壁があり、電波の類いは一切が遮断されている。メールも電話も通じない以上、試行錯誤のすえ最終的に死神派遣協会で採用されたのが、伝書鳩だった。振り返って手を伸ばすと、玉虫色の胸の羽毛が美しい鳩が軽やかに革手袋の拳に爪をかける。その足には、小さな金属製の筒に入った伝書がくくられていた。外してあげると、ひと仕事終えたとばかりに、ククルゥと喉を鳴らす。
「お疲れ様」
俺はいつも、読む前に人差し指の腹でその頭を何度か撫でる。鳩も目をつむって気持ち良さそうだし、なにか重大なことが書かれているかもしれない場合の、心の準備でもあった。きつく巻かれた紙片をほどく。短い文章だった。一瞬で読み終えて、瞳孔が開くのを意識した。
『エリック危篤。ただちに帰れ。グレル・サトクリフ』
それだけがタイプライターで打たれていた。『R』の文字が少し掠れている。これは間違いなく、グレルさんのタイプライターで打たれた文字だ。俺はその紙片の裏に万年筆で『15分で戻ります』と殴り書いて、元の筒に入れて鳩の頬に口付けた。
「ありがとう。お行き」
腕を振り上げると、鳩は舞い上がり、瞬く間に見えなくなった。そこからは、ひとにも車にもぶつからず、クリスマスで賑わう街をどうやって駆け抜けたか覚えていない。とにもかくにも、まずは手に握っていた狩ったばかりの魂をファイリングして『Completed』の赤印を押す。
俺たちは死神界と人間界を、通称『エレベーター』と呼ばれる概念で行き来していた。特定の場所にふたつの世界を結ぶ『穴』があって、何処からでも自由に死神界へ行ける訳ではない。広いロンドンにその穴はたったひとつで、普通に歩けばおそよ一時間はかかる距離のところに俺は居た。
本当に……何処をどう駆けたか覚えていない。通りは車が渋滞していたし、捕まる訳にはいかないから、自転車やバイクを拝借するのは御法度だ。ほぼ満月に近い真ん丸のお月様がひどく間近に見えたのだけをうっすらと記憶しているから、俺はこれも御法度の、屋根の上を伝ってジャンプする行為をしたのかもしれない。明日の朝刊が恐ろしい。
心臓が爆発しそうなほど、耳元で強く打っている。安心したのと体力の限界で、俺は医務室の前でへたり込んでいた。あと……五センチ。俺は派遣協会の冷たい床に、這いつくばるように身体を伸ばして、なんとか医務室のドアをノックした。室内ですぐに気配が動いて、扉が開く。
「アラン? どうしたの、アラン!?」
俺は息も絶え絶えで、床にへばりついて顔さえも上げられない。
「ほらぁ~。だから言ったじゃん。『危篤』じゃなくて『怪我』程度にしときなよってさぁ」
聞こえたのは、今朝も聞いたグレルさんの声と、久しぶりに聞く科学捜査課のオセロさんの声だった。回収課ではオセロさんは、レアキャラ扱いされている。そんなオセロさんと、なんでグレルさんが?
「……ックは……」
「え?」
「エリッ、ク、は……無事、で……」
「ほらぁ」
咎める口調のオセロさんを尻目に、グレルさんがなんだか焦って答えてくれる。
「だ、大丈夫ヨ、アラン! エリックもう峠は越えたって。今は順調に回復してるワ」
「そう……よかっ……」
そこで、意識がホワイトアウトした。
その事実に呆然と一瞬足を止めたとき、聴き慣れた羽ばたきの音がした。死神界と人間界の間には何らかの障壁があり、電波の類いは一切が遮断されている。メールも電話も通じない以上、試行錯誤のすえ最終的に死神派遣協会で採用されたのが、伝書鳩だった。振り返って手を伸ばすと、玉虫色の胸の羽毛が美しい鳩が軽やかに革手袋の拳に爪をかける。その足には、小さな金属製の筒に入った伝書がくくられていた。外してあげると、ひと仕事終えたとばかりに、ククルゥと喉を鳴らす。
「お疲れ様」
俺はいつも、読む前に人差し指の腹でその頭を何度か撫でる。鳩も目をつむって気持ち良さそうだし、なにか重大なことが書かれているかもしれない場合の、心の準備でもあった。きつく巻かれた紙片をほどく。短い文章だった。一瞬で読み終えて、瞳孔が開くのを意識した。
『エリック危篤。ただちに帰れ。グレル・サトクリフ』
それだけがタイプライターで打たれていた。『R』の文字が少し掠れている。これは間違いなく、グレルさんのタイプライターで打たれた文字だ。俺はその紙片の裏に万年筆で『15分で戻ります』と殴り書いて、元の筒に入れて鳩の頬に口付けた。
「ありがとう。お行き」
腕を振り上げると、鳩は舞い上がり、瞬く間に見えなくなった。そこからは、ひとにも車にもぶつからず、クリスマスで賑わう街をどうやって駆け抜けたか覚えていない。とにもかくにも、まずは手に握っていた狩ったばかりの魂をファイリングして『Completed』の赤印を押す。
俺たちは死神界と人間界を、通称『エレベーター』と呼ばれる概念で行き来していた。特定の場所にふたつの世界を結ぶ『穴』があって、何処からでも自由に死神界へ行ける訳ではない。広いロンドンにその穴はたったひとつで、普通に歩けばおそよ一時間はかかる距離のところに俺は居た。
本当に……何処をどう駆けたか覚えていない。通りは車が渋滞していたし、捕まる訳にはいかないから、自転車やバイクを拝借するのは御法度だ。ほぼ満月に近い真ん丸のお月様がひどく間近に見えたのだけをうっすらと記憶しているから、俺はこれも御法度の、屋根の上を伝ってジャンプする行為をしたのかもしれない。明日の朝刊が恐ろしい。
心臓が爆発しそうなほど、耳元で強く打っている。安心したのと体力の限界で、俺は医務室の前でへたり込んでいた。あと……五センチ。俺は派遣協会の冷たい床に、這いつくばるように身体を伸ばして、なんとか医務室のドアをノックした。室内ですぐに気配が動いて、扉が開く。
「アラン? どうしたの、アラン!?」
俺は息も絶え絶えで、床にへばりついて顔さえも上げられない。
「ほらぁ~。だから言ったじゃん。『危篤』じゃなくて『怪我』程度にしときなよってさぁ」
聞こえたのは、今朝も聞いたグレルさんの声と、久しぶりに聞く科学捜査課のオセロさんの声だった。回収課ではオセロさんは、レアキャラ扱いされている。そんなオセロさんと、なんでグレルさんが?
「……ックは……」
「え?」
「エリッ、ク、は……無事、で……」
「ほらぁ」
咎める口調のオセロさんを尻目に、グレルさんがなんだか焦って答えてくれる。
「だ、大丈夫ヨ、アラン! エリックもう峠は越えたって。今は順調に回復してるワ」
「そう……よかっ……」
そこで、意識がホワイトアウトした。
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