【キスは大人になってから】

 そう交わしたのが、二月五日。そして今日は、十四日。バレンタインデーだ。

「あ、あの!」

 派遣協会から、一緒に地下鉄の最寄り駅まで帰る道すがら、常ならず押し黙っていたアランが、意を決したように声を上げる。近道でいつも通る大きな自然公園の中で、闇夜に梢がザワザワと騒いでた。

「どうした?」

「こ、これ。エリックさんには、いつもお世話になってるから」

 なるほど、そう来たか。バレンタインにプレゼントは渡すけど、あくまで「お世話になってるから」で済ませる。恋愛に免疫のないアランが、きっと懸命に考えて取った行動なのだろう。

「おう、ありがとよ。開けて良いか?」

「はい!」

 俺はごく簡素にラッピングされた袋を開ける。簡素なのは、いつか俺が「プレゼントの包装が凝ってると、開ける前に面倒で挫ける」と言ったのをしっかり覚えてるからなんだろう。可愛い奴だ。中からは、やはりと言うべきかジッポが出てきた。真っ赤なリップマークがデザインされた、高過ぎない手頃そうなものだった。

「お。センスあるな、アラン。俺の好きなデザインだ」

「良かった」

 緊張していたアランの肩が、ホッと落ちて顔がほころぶ。俺は、片手で持って親指で押し上げ、蓋を開けて音を確かめる。蓋付きのライターは、この開けるときの音が肝だという者も居るくらいだ。何万円もするライターには敵わないが、思っていたよりも良い音がした。俺は数回、蓋を開閉してその音を味わう。アランが嬉しそうに言い募った。

「あの、調べたらその『音』がひとつひとつ違うんだって載っていて、一番良い音のするものを探したんです」

「マジか。音も込みで気に入った。サンキューな、アラン。……早速、ちょっと寄っても良いか?」

 顔を向けた先は、喫煙所。ベンチに囲まれたスペースに、灰皿が置かれている。

「あ、はい。是非使ってください」

 大股に喫煙所に入ると、コンパスの違うアランが、少し遅れて着いてくる。

「ほら」

「えっ?」

 振り返って、月明かりを反射する銀色の輝きを放ると、アランは上手に両手で受けとめた。だが顔は、怪訝そうだ。俺はポケットから煙草を取り出して、角を叩いて一本を咥える。その口角が、自然と上がった。

「えーと……?」

 ライターを握って途方に暮れるアランを、俺は軽く手招いた。

「来いよ。火。点けてくれ」

「俺が?」

「ああ。俺はすぐなくすから、百円ライターなんだ。お前が持ってれば、大丈夫だろ」

 アランは隣に来て、ジッポを点けて差し出した。こいつはそう簡単には消えないが、アランは煙草を吸わないからか、風よけに掌をかざして。俺も無言で、火に屈み込む。これまでにないほどふたりの距離が近付いて、火を持つアランの指は微かに震えてた。薄闇に明るい光点が灯り、俺は煙がかからないように顔を逸らす。わざと逸らしたまま、ぽつりと言った。
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