後
* * *
「どう? エリック」
「微かだが、『匂う』な」
エリックが本人の意思に反して重要な仕事を任されるのには、戦闘能力の高さに加えて、通常の死神よりも『鼻が利く』からという理由があった。魂の波動を『匂い』という概念としてとらえ、警察犬のようにその道筋を追いかける。数々のイレギュラーを、そうやって解決してきた。二人は件の赤十字センターに姿を消して忍び込み、エリックが神経を研ぎ澄ます。
「リュウは、何処かに置いてきたかと思ったが……二人一緒に入ったらしい」
「意外だな。あとを追えそうか?」
「ああ」
注意深く、エリックが歩を進める。だがやがて、廊下の突き当たりで彼は壁を見上げた。
「ここで途切れてるな。外に出ると、『匂い』は薄まる」
そのとき、アランが気が付いた。
「待って。ここ、時空が歪んでる」
それは僅かな綻びだったが、時空を摘まんだときに生じる違和感を、アランは敏感に感じ取った。突き当たりの壁に、黒革手袋の掌を当てる。壁は確かに存在していて、エリックは一瞬、アランの思い違いではといぶかしむ。だがアランが次元の隙間に干渉すると、ずるりと上半身が吸い込まれた。
「アラン!」
「大丈夫だ。突き当たりに、部屋がもう一室ある。着いてきて」
揃って壁を抜けると、エリックが声を潜めた。
「リュウの『匂い』がする。その部屋の中だ」
何も音はしなかったが、アランが呟く。
「警報が鳴ってる。壁が破られたことは、向こうにも伝わっているだろうな」
「俺が先行するから援護を頼む、アラン」
「了解」
警報が鳴っている以上、時間が経てば経つほど、相手に迎撃の準備をさせてしまう。エリックはドアノブを回すと、迷わずドアを蹴り開けた。中では、アンダーテイカーが奥のベッドの前に立ち塞がっていた。両腕を振りかぶり、長大なデスサイズを顕現させる。背後のベッドには青ざめた顔のリュウが横たえられ、輸血をされていた。見付かる可能性が高い場所にとどまっているということは、一刻の猶予もないほど、リュウの状態が悪いということなのだろう。
「ほぉう? 君たちを見くびっていたようだ。ここを見付ける能力が、あるとはねぇ」
そう言ったアンダーテイカーの薄い唇は、いつもの余裕の笑みを浮かべてはいなかった。彼は、追い詰められている。それが、押し入った二人の見解だった。
「リュウは、もう死んでいるんだ。魂と、それに肉体も、派遣協会の管轄になる。引け」
「おや、ハンサムくん。今日は随分と、仕事熱心なんだねぇ」
「死んだ人間の魂や肉体を弄ぶなんて、死神の倫理観に反している。倫理評価がAAAだったんじゃないんですか?」
「カワイ子ちゃん、死神の倫理評価は、矛盾してると思わないかい? 死に対し冷酷になればなるほど、死者への冒涜という感情はなくなる。小生は、出来るものなら、自分の死体さえビザール・ドールにしてみたいねぇ」
両者の間には十五メートルほどの距離があったが、エリックとアランもデスサイズを顕現させる。危ない橋を渡ってまでリュウに執着するアンダーテイカーが、不利なのは明らかだった。最後通告のように、アランが口にする。
「アンダーテイカー。何故そうも、リュウに執着する?」
「現存する、小生の『最高傑作』だからね。かつてはシエルが『最高傑作』だったけど、伯爵と執事くんに、血液収集のシステムもシエルも奪われてしまった。そんな小生を哀れだと思って……見逃しては、くれないだろうねぇ!」
言葉尻と共に、まるで瞬間移動したような素早さで、一気に間合いを詰める。大鎌が振り下ろされ、エリックとアランはパッと左右に分かれて跳んだ。長身のアンダーテイカーに対し、エリックが首を、アランがアキレス腱の位置を狙う。背後にはリュウ。常人ならば、跳んでも屈んでも、何処かしらを切り裂かれることになるだろう。
ヒュッ、とアンダーテイカーが息を吸い込んだ。跳ぶと同時に全身をたわめ、二人の刃の軌跡をかわして真ん中に収まる。何でも斬れるのが売りのデスサイズも、当たらなければ威力はない。アンダーテイカーは、常人ならざる判断力と反射速度で、彼らの必殺の第一撃をかわしたのだった。跳んで距離を取ろうとする二人の内、アンダーテイカーは、迷わずアランに手を伸ばした。先ほどのように、恐ろしく素早い。
「グッ!」
長柄のナタというアランのデスサイズの弱点を見抜き、その間合いより内に入って片手で首を締め上げる。アランのつま先が、持ち上がって空をかいた。
「アラン!」
『二対一』という数の有利は、あっという間にひっくり返った。きしむ骨に、アランはデスサイズを取り落としてもがく。
「さあ、そのデスサイズをお捨て。ハンサムくん」
「クソッ……」
ギリ、とエリックの奥歯が鳴った。
「ほら、早く。カワイ子ちゃんの首が折れても良いのかい?」
「分かった。アランを離せ」
パッと、エリックはデスサイズから手を離した。
「どう? エリック」
「微かだが、『匂う』な」
エリックが本人の意思に反して重要な仕事を任されるのには、戦闘能力の高さに加えて、通常の死神よりも『鼻が利く』からという理由があった。魂の波動を『匂い』という概念としてとらえ、警察犬のようにその道筋を追いかける。数々のイレギュラーを、そうやって解決してきた。二人は件の赤十字センターに姿を消して忍び込み、エリックが神経を研ぎ澄ます。
「リュウは、何処かに置いてきたかと思ったが……二人一緒に入ったらしい」
「意外だな。あとを追えそうか?」
「ああ」
注意深く、エリックが歩を進める。だがやがて、廊下の突き当たりで彼は壁を見上げた。
「ここで途切れてるな。外に出ると、『匂い』は薄まる」
そのとき、アランが気が付いた。
「待って。ここ、時空が歪んでる」
それは僅かな綻びだったが、時空を摘まんだときに生じる違和感を、アランは敏感に感じ取った。突き当たりの壁に、黒革手袋の掌を当てる。壁は確かに存在していて、エリックは一瞬、アランの思い違いではといぶかしむ。だがアランが次元の隙間に干渉すると、ずるりと上半身が吸い込まれた。
「アラン!」
「大丈夫だ。突き当たりに、部屋がもう一室ある。着いてきて」
揃って壁を抜けると、エリックが声を潜めた。
「リュウの『匂い』がする。その部屋の中だ」
何も音はしなかったが、アランが呟く。
「警報が鳴ってる。壁が破られたことは、向こうにも伝わっているだろうな」
「俺が先行するから援護を頼む、アラン」
「了解」
警報が鳴っている以上、時間が経てば経つほど、相手に迎撃の準備をさせてしまう。エリックはドアノブを回すと、迷わずドアを蹴り開けた。中では、アンダーテイカーが奥のベッドの前に立ち塞がっていた。両腕を振りかぶり、長大なデスサイズを顕現させる。背後のベッドには青ざめた顔のリュウが横たえられ、輸血をされていた。見付かる可能性が高い場所にとどまっているということは、一刻の猶予もないほど、リュウの状態が悪いということなのだろう。
「ほぉう? 君たちを見くびっていたようだ。ここを見付ける能力が、あるとはねぇ」
そう言ったアンダーテイカーの薄い唇は、いつもの余裕の笑みを浮かべてはいなかった。彼は、追い詰められている。それが、押し入った二人の見解だった。
「リュウは、もう死んでいるんだ。魂と、それに肉体も、派遣協会の管轄になる。引け」
「おや、ハンサムくん。今日は随分と、仕事熱心なんだねぇ」
「死んだ人間の魂や肉体を弄ぶなんて、死神の倫理観に反している。倫理評価がAAAだったんじゃないんですか?」
「カワイ子ちゃん、死神の倫理評価は、矛盾してると思わないかい? 死に対し冷酷になればなるほど、死者への冒涜という感情はなくなる。小生は、出来るものなら、自分の死体さえビザール・ドールにしてみたいねぇ」
両者の間には十五メートルほどの距離があったが、エリックとアランもデスサイズを顕現させる。危ない橋を渡ってまでリュウに執着するアンダーテイカーが、不利なのは明らかだった。最後通告のように、アランが口にする。
「アンダーテイカー。何故そうも、リュウに執着する?」
「現存する、小生の『最高傑作』だからね。かつてはシエルが『最高傑作』だったけど、伯爵と執事くんに、血液収集のシステムもシエルも奪われてしまった。そんな小生を哀れだと思って……見逃しては、くれないだろうねぇ!」
言葉尻と共に、まるで瞬間移動したような素早さで、一気に間合いを詰める。大鎌が振り下ろされ、エリックとアランはパッと左右に分かれて跳んだ。長身のアンダーテイカーに対し、エリックが首を、アランがアキレス腱の位置を狙う。背後にはリュウ。常人ならば、跳んでも屈んでも、何処かしらを切り裂かれることになるだろう。
ヒュッ、とアンダーテイカーが息を吸い込んだ。跳ぶと同時に全身をたわめ、二人の刃の軌跡をかわして真ん中に収まる。何でも斬れるのが売りのデスサイズも、当たらなければ威力はない。アンダーテイカーは、常人ならざる判断力と反射速度で、彼らの必殺の第一撃をかわしたのだった。跳んで距離を取ろうとする二人の内、アンダーテイカーは、迷わずアランに手を伸ばした。先ほどのように、恐ろしく素早い。
「グッ!」
長柄のナタというアランのデスサイズの弱点を見抜き、その間合いより内に入って片手で首を締め上げる。アランのつま先が、持ち上がって空をかいた。
「アラン!」
『二対一』という数の有利は、あっという間にひっくり返った。きしむ骨に、アランはデスサイズを取り落としてもがく。
「さあ、そのデスサイズをお捨て。ハンサムくん」
「クソッ……」
ギリ、とエリックの奥歯が鳴った。
「ほら、早く。カワイ子ちゃんの首が折れても良いのかい?」
「分かった。アランを離せ」
パッと、エリックはデスサイズから手を離した。