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夢のあとさき

 記憶がない。いや、正確に言うならば前提条件が存在しない。
 デイビットは辺りを見回しながら、現状をそう結論づけた。

 今、彼の目の前には赤黒い魔方陣が一つ床に描かれている。鶏の死骸が直ぐ側に纏められていることから察するに血で描かれているそれは、量と酸化状態から描かれて数時間も経っていないだろうことを伺わせた。
 それに伴って自身の手元を確認する。何時ものコートから伸びる手指には一見して分かる汚れは付着していなかった。つまり、この魔方陣を描いた第三者の存在が証明されたのだった。
 記憶がない以上自分で描き、汚れを落とした状態でこの場にいた可能性もあるが、その点は記憶容量の少なさを補って余りある頭脳がデイビット自身はそれほど効率の悪い行動をしないと算出する。
 自ら獣の血で魔方陣を描くとすれば、汚れることを承知で準備するのが当然だ。それこそ手なんて手袋でもなんでも幾らでも対策が出来る。そもそも、身綺麗にするのであれば鶏の死骸だって片付けてしまう。
 この鶏に触媒としての意味がなければ、だが。かなり低い確率の条件ゆえに切捨てても問題がない考えではあった。
 鶏を触媒にするよりもこれほど正確に魔方陣を描ける魔術師であるならばもう少しまともなものを手に入れられるだろうと考えられるからだ。
 デイビットの前に存在する魔方陣は、聖杯戦争で使われるサーヴァントの喚び出しのそれに類似している。
 人理保障機関カルデアの召喚式、システムフェイトのモデルとなった聖杯戦争の術式についてはカルデア所属となったその時に解析していた。
 だからこそ、デイビットは現状を聖杯戦争の開始した最中、もしくはその直前であると推察する。

 であれば。何故デイビットはここにいるのか。疑問はそこへ廻ってくる。

 デイビットの身体には拘束も負傷もない。現状把握できる限りには魔術的な縛りも存在しない。
 一般的な魔術師が召喚陣を敷いた場所に他者を介入させるのはどのような場合か。魔力リソースであったり、触媒としての利用であったり。思いつくことは幾つかあれど、意識ありの五体満足で放置することは有り得ないのが普通だ。
 いや、直前までの記憶が存在しないことを考えれば意識を奪われていた可能性もあった。けれど、それを考慮しても杜撰である。

 デイビットは改めて部屋を見聞する。窓のないコンクリート打ちっぱなしの壁と床は地下室であろうことを予想させた。その裏打ちのように天井には空気循環用の換気扇が設置されている。
 四方の壁のうち現在デイビットの背後となっている面には、扉が一つ。
 鉄製の扉は新しいわけでもないが放置されて錆び付いているわけでもなく、日常的にこの空間が手入れされていることを教えてくれる。
 鍵が内側についていることも考えるに、本来の用途としてはシェルターか何かとして建築された場所のようだった。

 チグハグだ。用意されている魔方陣は規格をきちんと守り手順も踏まれている。けれど、それを敷いた場所は何の変哲もないただの地下室であるという点がおかしかった。
 霊地を抑えられていない事自体は、外部からの参加者であるならば特段奇妙ではない。しかし、英霊召喚という儀式をするために用意している部屋に工夫をしないと言うのは結果を求める魔術師らしくない。
 少なくとも自身の魔力の高まりを安定させるためにも簡易的な工房化くらいの準備はしてしかるべきだ。魔方陣を見る限り、これを準備した魔術師にはその程度の技量はあると思える。
 よほど切羽詰まった状況での召喚であれば分からなくもないが、そんな状態で描ける魔方陣でもない。
 つまるところ、魔方陣とデイビットの存在がこの状況から浮いているのだ。

「……?交信…………いや、なんの、事だったか……?」

 もっと情報が欲しい。デイビットはそのために、頭のスイッチを切り替えるようにもっと広い視点を求めようとする。
 しかし、だ。デイビットにそのような機能はない。定義的に寝起きであるために寝惚けてでもいるのだろうか。少しだけ首を傾げながら、デイビットは右の手の甲に視線を落とした。
 無意識に見つめたそこには、赤い翼のような魔力リソース──令呪──が存在している。
 これが存在するということはデイビット自身がこの状況下で開かれる聖杯戦争の参加者であるということだった。

 本当にそうだろうか。

起き上がり、立ち上がって、部屋を眺めた。誂えたような魔方陣を認識し、聖杯戦争について思い至った。
 そうして検めた自身に存在する令呪。何もかもが出来すぎのような現状は奇妙だった。
 まるで自分が今ここで生成され、何不自由なく英霊を喚び出し、聖杯戦争に参加することが規定路線のような。何者かに手ぐすね引かれているような心地。
 このまま英霊召喚をすれば展開は進むのだろうが、それは敷かれたレールを進んでいくことに違いない。であれば、想定外を行くにはここで行動をしなければいけない。

 デイビットは振り返り、鉄の扉へと歩み寄った。
 扉には鍵はかかっていない。ゆっくりとドアノブを回し、軽く外の様子を伺い見る。
 薄暗い廊下のすぐ先には地上に向かうだろう階段が見える。裸電球で照らされている廊下の床はやはり掃除が行き届いたように綺麗だった。
 何も居ない。クリアリングを完了し、デイビットは扉を開け放った状態に固定してから部屋を出る。
 廊下は一本道で先程までいた地下室と階段を繋ぐ以外の役割を持っていなかった。
 狭い廊下だ。召喚地点をこの地下室と定めた何者かは喚び出されたサーヴァントが反抗することを勘定に入れていないのだろう。応戦したり、逃げることについて考えたりした設計ではなかった。

 相性に依る召喚であれば、反抗はないと楽観視していたのだろうか。しかし、デイビットに英霊召喚をさせるのであれば喚び出すクラスはバーサーカーだ。ある程度暴れられても困らない場所を選定された方が都合が良い。
 その点ではこの場所選びはデイビットの意志は反映されていないだろう。

 階段を登る。数段上り小さな踊場となっていた角をを曲がれば、上から自然光らしき明るさが入ってくるのが見えた。
 ここまで来ても感じられない他者の気配に、デイビットはそのまま階段を上り切る。

 地上に達したところで見えた景色は、デイビットの想像とはまた違った。
 第一に目に入ったのはリビングらしいソファーセット。そして近くに備え付けられた大型テレビが、魔術師の家ではなく、一般家庭であるらしいことを伝えていた。
 アメリカンスタイルで纏められた部屋は、何処となく懐かしさをデイビットに与える。

「……ここはアメリカだろうか」

 疑問を口に出して見るも、何処か違和感がある。思い出せない目が覚めるまでの記憶が訴えているのかも分からないが、やはり何処か違うのだ。
 一先ず感傷は置いておき、デイビットは探索を始める。時間は有限だ。




 やはりおかしい。一通りの室内を見て回った感想はそこだった。
 家自体はアメリカデよくあるタイプの一軒家で、特別可笑しくはなかった。ただ、生活感が余りにも薄い。
 家探しをすれば大抵の場合、その家に住む住民のおおよその情報は出揃うはずなのだ。しかし、ここにはそういったものがない。皆無と言うわけではないが、家の規模に対してほぼ一人の生活痕しか発見ができなかったのだ。
 勿論、一人暮らしの可能性はある。しかし、その場合にこれほど綺麗に家を保てるかという疑問が湧く。
 これまでデイビットが辿ってきた動線はどこも埃一つないほどに掃除が行き届いていた。一般的な生活サイクルを行っている人間にはおよそ不可能なほど清潔を保った家だ。
 家政婦を雇ったところでこうはなるまい。
 この家も同じだ。現状把握できる中でデイビットがそうであるように、唐突に現れたように現実味がない。
 そしてまた、魔方陣と同様に浮いた箇所がある。

「食器や食材、そういった一部は何故か偏っている。その点だけが元から存在していたのか?」

 キッチンに備え付けられた冷蔵庫の中には、バランス良く詰められている数日分の食料と、異彩を放つカカオの存在があった。
 チョコレートに加工されていないカカオの果実そのものである。初めて見たはずのそれに、思わずデイビットも本物か確かめるために取り出してしまった。その程度にはアメリカの一般家庭にカカオは不釣り合いだった。
 それに加えて、カカオに使いたいのか様々なスパイス類や砂糖などもその一角に集中している。
 この場所全てに偏在する上辺だけの日常が切り取られたように、そこだけは僅かな人間味らしきものを有していた。

 この場所は奇妙だ。デイビットはここまでの情報を整理し始める。

 まるでデイビットを聖杯戦争に参加させるためにあると言わんばかりに用意された令呪と魔方陣。
 そして人が住むのに問題なく誂えてある住居。外はまだ見ていないが、内装と家具は全体としてデイビットにとって見慣れた雰囲気で統一されていた。
 それに加えて、全てが二組で揃えられている食器たち。デイビットと後は召喚するサーヴァントで使えとでも言いたげだった。
 あまりにも都合が良すぎる。
 記憶のない間のデイビットが用意したとすれば、それは都合良くなるものだが、そうではないのだ。
 デイビットであれば、サーヴァントと交流する考えはない。二組の食器など用意しないのだ。
 地下室から出た時と同じ違和だった。

「少なからずこの状況を用意した者の意思には、オレに聖杯戦争の参加者となることと、サーヴァントとの共同生活を送ることが含まれているようだ」

 そうして、その者の意思が出ているのはもう一点。カカオだ。
 カカオ。南米原産の果実で、古くはメソアメリカで紀元前より利用されている植物。
 そしてマヤ・アステカの時代には飲料として使われていた。現代の甘いデザートのそれではなく、スパイスとトウモロコシの粉を使うもの。
 または、神への供物。その希少さゆえに貨幣としても使われることのあった貴重品は神の食べ物とさえうたわれている。

「…………なるほど」

 パチリ、とデイビットは瞬いた。
 探索中から記憶がおかしいとは感じていた。明らかに抜け落ち、蓋をされている箇所があることを理解していた。
 カルデアに所属していた意識があるのに、その活動やその記憶について表面上の知識しか確認できなかった。
 システム・フェイトについての理解があるのに、それを説明しただろう相手のことが何一つ頭に浮かばないと言うのはデイビットの覚え方として有り得ない。それは必要と判断する。

 つまり、そういった欠けはこの状況でデイビットに聖杯戦争を行わせるのに不要とされて封じ込められているらしい。
 ならば逆算しよう。カルデアという機関に所属したであろう自分、そして現状の身体年齢、それから聖杯戦争、この状況、記憶の欠け具合。
 キーワードは出揃っている。後はそれを組み立て証明するだけだ。そうすれば、現状の答え合わせが出来る。



 改めてデイビットは振り出しへと戻った。はじめから分かっていたことだ。
 この状況を設定した相手が一番求めていることはこれであり、分かりやすく掲示されていた。
 デイビットは魔方陣へと令呪の刻まれた右手を翳す。

「オレのような男の声に応えるもの」

 魔力が渦巻いていく。

「善悪の上にあるもの」

 右手の令呪がチリチリと痛みだす。

「その上で、戦を良しとするもの」

 魔方陣が淡く光る。

「即ち、全能神テスカトリポカ。答え合わせの時間だ」

 風が吹き上がる。急激に吸われていく魔力に蹈鞴を踏みつつも、デイビットは眩しく輝く前を見つめた。

「よお、相棒。漸く呼んだな?」

 光の収まった魔方陣の上には、そうして笑いかけてくる金髪の男の姿があった。
 親しげな相棒、と言う呼びかけが実際にデイビットを知っているからなのか、それとも表面上の気さくさなのかは判別がつかないが、どうにも召喚は成功したらしい。

「ああ。テスカトリポカ、端的に聞こう。この状況はお前の仕業か?」

 想像するテスカトリポカと言う神の姿とは全く違う方向性の依代だが、デイビットは彼がテスカトリポカそのものであると納得していた。
 それはつまり、記憶のない何処かでこの姿の神と出会っているのだろう。不確定だったピースが埋まる。

「ほう。オマエ、記憶は何処まで……ん?んん?いや、殆ど無いな?は?……、それ素か!」 
 
 テスカトリポカは楽しげにデイビットへとサングラス越しの目を向けたかと思えば、何故か手で額を抑えながら天を仰いだ。
 どうやらデイビットの状態は彼の予想とはまた違ったらしい。

「ここで起き上がった時から前提とする記憶に変化はないよ」
「オマエの思考力と洞察力を舐めてたわけじゃないんだが、マジか。結構な制限をかけたはずなんだがな。それにしても、オレと過ごした記憶もなくその態度はやっぱクソ度胸だな?」

 くつくつと愉快そうに喉を鳴らす男は一通りの言葉を吐き出すと煙草を取り出して、紫煙を燻らせはじめる。
 そう言えば、テスカトリポカとは煙を吐く鏡の意味を持つ名前だったか。
 デイビットは紙巻き煙草が現代衣装のそれと同じような近代かぶれのものかとも思ったが、ラテンアメリカに置いては西洋と比べ100年以上前から使われている事実に思い至る。
 そして、そうした細い雑学に自身の知識が至れることに愕然とした。生きる中で必要としないはずのそれを覚えている。生き物として当然とも言える無駄である行為に、デイビットはどうしようもない驚きと歓びが胸の内から湧き上がるのだ。

「……テスカトリポカ」
「ん、ああ、答え合わせな。ちゃんとしてやるよ。…………って、オマエどうした?今泣きそうになるとこあったか?おい、泣くなよ」

 デイビットは滲む視界の理由が分からないまま、慌てだすテスカトリポカの様子を見つめた。
 彼の言葉を信じるなら、自分は泣いているらしい。デイビットは頬を伝う温かさを感じながら、何故こんなにも目の前の相手が面食らっているのか首を傾げる。
 曲がりなりにも彼は神で、サーヴァントとして喚び出されている為に格も神性も下がっているだろうが、それでも人を同等には置かない。完全なる上位者として振る舞う存在であるとデイビットは認識していた。
 これがギリシャ神話の神であればまた別かも知れないが、テスカトリポカの神としての基盤はメソアメリカのアステカ神話を中心にしたものだ。
 人間の肉体を持ったところでその高次的な精神が揺らぐことはない神話と信仰を持つ神。
 人間社会に身を置けるからこそ人間の精神性を理解し共感出来るかもしれないが、交わらないもの。そう云う存在であると思っていた。
 
「悲しいわけでは無いんだ」

 徐ろに抱きしめられて、頭を撫でられて。子ども扱いのようなそれを甘受しながら、デイビットはゆるく頭を振った。

「ただ、……たぶん、嬉しいのだと思う」

 知らないはずの男の体温と匂いが間近にあることに忌避感がない事実に戸惑いながら、デイビットは薄く微笑む。
 何故かは分からないが些細なことを記憶しておけることが、ただの人間らしいことが信じられないくらいに嬉しいのだ、と告げれば、テスカトリポカは背後に回していた手に余計に力を入れてデイビットを強く抱きしめた。

「育成成功じゃねえか……!流石オレ!」
「テスカトリポカ?……その、苦しいんだが」
「……あぁ、悪いな。つい感極まった」
「嫌ではなかったから、次は加減してくれると嬉しい」
「はぁ〜〜〜〜……オマエは、本当に、オレが理性的な神であることに感謝すべきだ」

 コロコロと感情が変わる様はよほど人間らしいな、とデイビットはするりと離れていった男の大きなため息を聞く。今何か落胆するようなことでもあっただろうか。
 ジッと見つめていれば、テスカトリポカは改めて口を開いた。

「はいはい、答え合わせだな。まずオマエはどこまで把握している?そこからだ」

 話が戻された。先程までの感情の乱高下は何だったのかと思うほどの平静さに、聞きたかった話のはずが不思議と釈然としない。
 しかし、元々そのために喚び出しているのだからとデイビットは自身の考えを伝え始める。

「オレ自身に対してはカルデア所属以降についての詳細が封じられている。また、交信だったか、何かしらの機能も一部使用出来なくされている。それに付属する知識、記憶もだな」
「……恐ろしくなるくらいには合ってるぜ」
「そして今の状態……この聖杯戦争に参加するために誂えたような状況だが、これもお前によって生み出されている。思うに、俺は何かしらでお前を召喚し伴に戦ったが敗戦したのではないだろう」
「ん〜?ストップだ、デイビット。どこからそこまで飛躍した?ああ、外れてはねえよ」

 テスカトリポカに止められるままに、デイビットは“そこ”と指摘された部分について掘り下げる。
 彼にしては当然の帰結であると考えていたが、そうではなかったようだった。

「飛躍しているか?テスカトリポカと言う神性について考えた結果だったんだが。カルデアという組織にシステム・フェイトがある時点でサーヴァントの召喚、使役という行為が発生するだろうことは想像に難しくない。だから、封じられている記憶のどこか過去でお前と出会って縁を結んでいる筈だと結論づけた」
「まぁ、相性召喚か縁での召喚の二択だもんな、ここの状況」
「そして、お前という神性が態々やり直しのようなことをしていると言うことはオレは勝者ではない。聖杯戦争なのかカルデアの目的に対しての勝利条件なのかは分からないが、オレは負けている」

 負けてなお次があることに疑問はあるが、そうであるとしか考えられない。
 そう言うデイビットにテスカトリポカは何とも言えないような表情で二の句が継げないでいるようだった。

「そんな敗者にお前がチャンスを与えるのならば、オレはお前に戦士として認められるだけの行動を示したのだと思う。だから、伴に戦い敗戦したという結論に至った」
「オレに対する理解はバッチリらしいな……おおよそこの状況から導き出せる中では正解だ。というか、オマエはどの時点でオレに気がついた?当たり前のようにオレの仕業だって前提で話が進んでるが、そんな自己主張した覚えはないぜ」

 何を言っているのだろう、この神は。デイビットは本気で怪訝な顔を表した。

「主張は強かったと思うんだが」
「あん?んなわけないだろ。この家はお前の記憶ベースのアメリカンスタイルだし、外だってアメリカとかイギリス辺りの欧米系の街並みをミックスして再現したんだぞ」

 外までは見ていないが、そうなのか。デイビットは感心するように頷きながら、それでも首を撚る。
 だが、向こうは真剣な顔で言っており、真実その通りだと思っているらしかった。

「冷蔵庫にカカオとスパイスが入っていた」
「…………そりゃお前の冷蔵庫の中身にプラスした品揃えだから、それはお前が元々入れて……いや、元はオレが用意したな……。何かしら自分好みのものも入れてるだろって楽観視してそのまま生成したオレが悪いのか?」

 ついには頭を抱え始めたテスカトリポカの言葉に、冷蔵庫の中身を思い出してみるがカカオとスパイス以外に特筆するべきものは見当たらない。改めて自分の好みと考えればそういうことを意識したのは幼い日以来かも知れなかった。

「……幼い頃ならともかく最近はそう云う意識がなかったから……」

 そう口にしてみて、デイビットは言いようのない違和感を抱く。そうだっただろうか。
 パシパシと瞬くと、テスカトリポカが記憶が戻ってないせいだと声に出す前の問に答えた。

「そろそろ負担がでかそうだな。謎解きの解答は十分か?オレだってバレたのがカカオとスパイスだけってのは納得いかんが」
「ああ、それならもう少し理由はあるよ」
「なんだ?」

 流石にカカオとスパイスだけで決めつけられるほどの飛び抜けた直感は持っていない。デイビットは首を振って、興味深そうに見つめてくるテスカトリポカへと答えを返した。

「まず、オレがサーヴァントを喚び出す前提条件を考えた。オレはサーヴァントとの交流を求めないから、必然バーサーカークラスの適正者を選ぶ」
「あー……まあ、実際そうだったな」
「だが、この場所を用意した相手の意思はサーヴァントとオレとの交流を望んでいた。つまり、喚び出すサーヴァントにはバーサーカー以外の適正があるか、バーサーカーだとしてもある程度の理性を保てるかの二択となる」
「そうだな」
「ここまでで少なからず、教養あるいは高い知性があるがバーサーカーの適正があるサーヴァントとなり、多面的な性質を持つものであるらしいと推測できる。それから、オレがサーヴァントを呼ぶ場合、聖杯戦争にせよ何にせよ、目的が合致ないし類似する相手であることは最優先だ。バーサーカーで喚ぶと決めていても、それが敵わなかった場合に内輪もめの原因はない方がいいから」

 ふう、とデイビットはここで一息つく。喋るのはあまり得意ではない。だが、テスカトリポカはそれを分かっているように適宜相槌を打ってくれるから話しやすくはあった。

「オレの目的が何かは分からない。人間という種を見たときに善いことであると判別がつくようなものではあると思うが……カルデアに行ってから出来た願いなのだろう。だから、願いの具体的な内容でのサーヴァントの断定は無理だった」
「お前はちゃんと善いことをしようとしてオレを喚んだよ」
「そうか。それで、善いことという方向性はあるから、そこから外れるサーヴァントは喚ぶことがないし、所謂独善と呼ばれるようなタイプも扱いが難しいから喚ぶ気はなかった。どちらかと言うと柔軟で、フラットな善性もしくは中庸性の持ち主が望ましい」
「うんうん、オレはピッタリなワケだ」
「……そうだな。あまりにも理想的な召喚相手だと思う。あの冷蔵庫にあったカカオとスパイスの原産地が中南米であることと、オレの中にある知識の量から後は絞り込んだが、その中でも最優だと言っていい」

 善悪の上にあり、公平を尊ぶ戦いの神。デイビットにとっては理想的なサーヴァントだろう。バーサーカーでないことを除けば。
 そう言えば、彼のクラスはなんなのだろう。デイビットは自己紹介すら聞かずにこの問答に移ってしまったことに気がついた。
 そうして、そのことについて口を開こうとテスカトリポカを見れば、何故か手で目元を覆っている姿が目に入る。

「テスカトリポカ?」
「オマエな。ほんと、そういうとこだぞ……」

 何がだ。

「よく分からないな。そう言えばテスカトリポカ、お前のクラスを教えてくれないか。バーサーカーではないんだろう」
「今更か?いや、オレが悪いなこれは。オレのクラスはルーラーだったな。オマエはバーサーカーを希望してたが、あの時バーサーカーで喚ばれてやるつもりはなかった」
「……ルーラー?」

 ルーラーであるならば通常の聖杯戦争での召喚は有り得ない。つまり、人理保障に関する召喚と言うことになる。それなのに、敗者ということは。
 最悪の可能性が頭を過る。しかし、テスカトリポカに悲壮感はない。そもそも彼の神としての存在を認識する霊長の存続は確実か。
 デイビットはすん、と一瞬早鐘を立てようとした心臓を落ち着かせる。

「……オレの方からは以上だ。テスカトリポカ、説明を頼む」
「唐突に真顔に戻るのなに?ちょっと情緒育ったかと思えば、すぐ死ぬ。ああ、はい。説明するからそんな目で見るな」

 肩を落としたテスカトリポカは諦めたように首を振った。そうして彼が語るには事の顛末はこういうことらしかった。

「……シュミレーション?」
「そ。オレの休憩所、ミクトランパのシステムから流用した聖杯戦争疑似シュミレーション。オマエを休ませるためにありとあらゆる娯楽で試したが、オマエを休ませるのに根本の改善が必要だった。そのために用意したのが此処ってワケ」

 テスカトリポカがトントンとブーツを鳴らせば煙が渦巻き、革張りのソファーが現れる。
 座れよ、と促されるままにデイビットが柔らかなそれに腰を下ろすと彼は満足そうに頷きながらどこから取り出したのかコーヒーが差し出された。

「ありがとう」

 自由自在に物事を操る姿は確かにこの場所自体が彼の生成物なのだと言われても納得のいくものだった。
 デイビットが貰ったコーヒーに口をつければ、苦味も酸味も薄くチョコレートのような甘さを感じさせる。

「口にあったみたいだな。で、疑問は?」

 隣に収まったテスカトリポカが、彼の分のマグを傾けながら視線を向けた。

「オレの記憶が戻った時点で分からないところについて聞きたい。記憶から分かる部分については後で戻してくれるんだろう?」
「そりゃあ戻すが、効率厨だなオマエ……。そういうの治すためにやってたんだが……はあ、答えよう」

 まず、とテスカトリポカが何かを掴み取るような仕草をすれば、金色の杯が彼の手の中に現れる。この状況での西洋風の杯と言えば聖杯で、思わずデイビットはまじまじとそれを見つめてしまう。

「聖杯か?」
「ただの器だがな。まあ、オレが創ったもんだから、それなりに魔力を溜め込める代物ではあるぜ?シミュレーションとはいえ、ちゃんと報酬は必要だろ」
「律儀だな。それだけ聖杯戦争は本物に近いと言うわけか」

 気負いなく投げ渡されたそれを受け取り、資料を確認するように様々な角度から観察してみる。金杯は見た目の神々しさとは裏腹に軽く、金で出来ているわけでは無さそうだった。しかし、魔力リソースとしての機能が付いているのは確からしいようで、魔術の痕跡が残っている。
 流石は全能神。デイビットは素直にテスカトリポカの権能に感心した。

「ミクトランパにいた戦士の記録からマスターを、サーヴァントはカルデアのデータベースから流用したからな。かなりそれらしく出来てる。自信作だ」
「態々そこまで?」
「ここで休憩をするために必要だと判断すればオレはどこまでも付き合ってやる神だからな。オマエのためだぞ?」
「オレに必要だと判断したわけか。……何故だ?お前との交流をするだけなら聖杯戦争を再現する必要性はないはずだが」

 ミクトランパにいる時点でテスカトリポカとの交流は彼が望む限り簡単に叶うはずだ。デイビットは自身の知識にあるアステカの冥界についてを思い起こしながら首を傾げた。

「今のオマエには自覚はないがな、生前オマエの記憶は一日に5分の容量だった。それに適応しているオマエはその制限が外れても、在り方を変えることが出来なかったんだな、これが」
「……どういうことだ?」
「生き急ぎ野郎ってこと。ついでに戦士としての適応力は満点だが、それ以外では落第もいいところだった。だからテスカトリポカ思ったワケよ」 

 サングラスの奥のアイスブルーが愉悦に歪む。

「戦争の中ならオマエは新しい制限に適応出来る」

 まったくイイ戦士だ。テスカトリポカはその本性が蛇神であること思い起こさせる顔で嗤った。
 これは確かに悪魔と呼ばれても仕方がない。デイビットは十字架を掲げる宗教とは相容れないその神性の鮮烈さに面食らってしまう。
 ただ、一方でまた違った印象も与えた。

「まるで主治医のようだ」

 血に酔ったような笑い方だが、言葉はショック療法か何かの療養を試みている医者のそれに近い。

「あん?間違いじゃ無いな。オマエの面倒を見るのは役割の内だ」
「そうか、ではドクター。オレは実際、このまま適応出来そうか?」
「なんだ。このままシミュレーション体験してくのか?」
「せっかく用意されたなら、一度くらい体験してみたい。オレのためのものなんだろう?」

 それに、今度は勝ちに行く。負けた記憶は今はないけれど、きっと負けたままでいられるほど諦めが良くない筈だ。
 デイビットは自分の頑固さを知っていた。
 
「ハッ、そりゃイイ!いいぜ、なら戦争だ」

 テスカトリポカが手を翳せば、デイビットの手に収まっていた聖杯は塵に消える。元の場所へと戻されたのだろう。
 賞品は最後の最後に手に入るのが相応しい。

「そんじゃ、ま。改めて名乗ろう。バーサーカー・テスカトリポカだ。よろしく頼むぜ、マスター?」

 立ち上がったテスカトリポカがデイビットへと手を伸ばす。デイビットは反射のようにその指先を握り込んだ。

「ああ。……デイビット・ゼム・ヴォイドだ。よろしく、オレのバーサーカー」


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