GA社による被害の報告
はじめに情報収集をしたガソリンスタンドから南側、フェリーで降り立った船着き場に逆走する形でデイビットたちは歩いていた。
目的地は島の監視施設と思われる南側の建物。文明の利器の殆どが記録媒体と時計機能だけのそれになってしまったために、紙の地図しか参考にできず建物の詳細は不明だった。
「船着き場からどっちだ?灯台のあたりか?」
テスカトリポカが見上げた先には、小規模な港の安全を守る白い灯台の姿がある。島の内側に凹んだ湾となっている部分に港がある関係で、灯台のある場所は岬となり少し小高い。
「いや、もう少し手前……ああ、魚の加工場のあたりだ」
細かいところはあまり書いていない白地図を手にしたデイビットは縮尺と実距離を図りつつ、そう答えた。
その視線の先には港の倉庫近くに並ぶ幾つかの四角い建物がある。機能的と言えば聞こえはいいが、最低限の遊びがない建物とも言える。搬入の為か入口周辺は広くなっており、コンテナを載せたトラックが収まるように間口も大きい。しかしその奥はシャッターが半分降りており、中は曖昧にしか伺えない。
ならば窓はといえば、換気のためにつけられている天井付近の狭いものが無数にあるだけで直接覗ける場所にはなさそうだった。
「攻めにくいな。それに、オマエの想定よりもグール共が確認できない」
「所感だが、アレらは日光によって弱体化ないしは沈静化させられるのだろう」
「ん?……そういや科学的な死徒の再現と言ってたな」
「うん。だが、死徒の存在は一般には知られていないし、これも死徒を目指したものではないと思ったから弱点が似通うと思っていなかった」
「あ?死徒を目指してない?じゃあ何を参考にしてんだ、あれ。生ける屍なんてそう参考元はないだろ」
「不死、もしくは不老そのものだ。比重としては不老の方が大きいかな」
「なるほど。人らしいことだ」
人を超越する何某かを作りたいのであれば、人を超越する死徒に似通ることもある。生物用語でいう収斂進化の考えに近い。あれは見た目の話だが。
「このままアナグマを決め込まれると攻めにくい」
「ならどうする?」
「耳を塞げ」
言うやいなやデイビットは小さな何かを放り投げる。魔術を使ったのか、想像以上に長く弧を描いたその物体はうまいこと倉庫のシャッターの隙間に滑り込んだ。
瞬間、閃光とバチバチとなる火薬の爆ぜる音が響く。
「ヒュー!開幕にはいい演出だな」
投槍を作っている横で火薬を弄っていたのはこれか、と派手なねずみ花火もどきにテスカトリポカは合点がいく。派手は派手だが、威力は然程なく音と光による目眩まし、もしくは囮の役割だろう。
目を瞑ったデイビットに、光の収まりを告げてやればちょうど倉庫に動きがあった。
「気に入ったのなら良かった。……ああ、やはり一度スイッチが入ると防衛本能は二の次か」
デイビットが目を開けると、花火の終わったシャッターの向こうからグールが這い出てくる。その姿は主に作業着姿の男たちであり、仕事中にそのままこうなってしまったのだろう。海の男達といった風貌の彼らに覇気はなく、ずしりとした足取りで動いていた。
「感知は熱か音か?」
「スペック上人間とそこまで乖離しないだろうから、音だ」
「あー、人間は熱感知が出来ないか」
出てきたグールに無造作に槍を投げながらテスカトリポカはサングラスの奥で瞬いた。
流れるような投擲に出てくる殆どが串刺しになる。
「見事だな。ざっと十二体か」
胴を串刺されてなお手脚を蠢かせる男たちを数えて、デイビットはまだ中にいるな、と呟いた。
「後どんくらいだ?」
「建物の規模から考えるに、後二十体ほどはいる」
「就労者ってことかね、まったく災難なやつらだ……っと」
不意にテスカトリポカが木槍を振るった。デイビットの背後、少しでも動いていたら刺さりそうなほどのところ。
風切り音がしたことに驚くでもなく、デイビットはゆったりとしたままポケットの中で手の内に握っていたナイフを鞘に戻した。
「あ?猫?んー?おい、これ空気感染じゃないはずだろ」
「魚の加工場が拠点の一つであることから考えてはいたが、恐らく主の感染媒体は食材なのだろう。特に生魚やそれに類するもの」
「ああ、ここで仕込んで流通ってか?そりゃ猫も引っかかる」
槍の鋒先についた猫の身体を、テスカトリポカは面白くなさそうに眺めた。それもそうだろう。テスカトリポカは戦いや争いが好きだが、その先に残るものが次の繁栄を行うからこその醍醐味。だが、この生物もどきに先はない。知性も理性も失われてただの物体となり果てている。こんなものは進化とは 呼べないだろう。
その上で、実験として神を巻き込んでいるのだ。横にデイビットが居なければ島の一つや二つは消していたかもしれない。
「島の野生動物には注意するべきだな、熊や猪なんかも居るはずだ。しかし、野生動物に被害が及んでいるなら接触感染の可能性はだいぶ下がったな」
デイビットは猫を一瞥し、街を囲うようにある山々へと視線を滑らせた。豊かな青い山だ。自然環境に配慮した街作りとうたわれていたのもあり、かなり手つかずの自然が残っている。
一通り、本土で見られる野生動物は確認出来るはずだ。
「あくまで実験室のなかでだけってことか」
「だろう。どうあれ海を渡られて広まっては対処が後手に回る。やるなら、この実験を終えてからじゃないか?まだ完成度は低そうだが」
「言えてんな。どうせならもっと手応えがほしいとこだ。知性くらい残しとけよ」
「それが出来れば苦労はしていないんじゃないか?所感だが、そもそもアプローチを間違えている」
動かなくなった屍体を槍先を振ることでアスファルトへと放り出しながら、テスカトリポカはデイビットに続きを促した。
「求めているのは不老、概念としては停滞だ。しかし、このグールを産み出した研究者たちは促進を軸にしている」
「そりゃあ真っ向から食い違ってんな」
「恐らく、認識として人の進化を目指しているのだろう。だが、目的とコンセプトが外れていては意味がない」
動きの鈍ってきた加工場のグールたちの元へ向かいながらデイビットは彼らの傷口を指差す。
僅かながら槍の周りの肉が隆起していた。串刺されているからその影響はより深く槍が突き刺さる結果となっているが、これが貫通した後ならまた違った結果となるだろう。
再生の促進。確かに生存していく為に外傷に強くするなら有り触れた答え。
しかし、デイビットは間違いだと断言した。
「必要なのは皮膚の硬化であって、細胞の修復サイクルを速めるのは悪手だ。テロメアを無駄に縮めるから、彼らの寿命は目減りしているだろうな」
「笑えるほど真逆だな?」
「不老となり得れる進化としての思考を辿れば、分からなくもない。老いない、もしくは老いの期間が短いというのはそれだけ最盛期が長く、生物として強く思えるものだ。彼らは老化するまでに達さない。それに、傷の治りが早く、傷を治せる範囲が広いというのは単純に殺しにくいからな。一定の脅威はある」
ぐん、とデイビットが地面に突き刺さった槍の一本を手に取った。貫かれているグールはぐったりとしている。もはや動くだけの力は残っていないようだ。
「だが、寿命の目減り以上の欠点がある」
ここまで来る中で、グールたちは非常に受動的だった。加工場の中から出て来なかったのもそうだが、ガソリンスタンドで襲ってきたモノもけして能動的と言えない程度に活発ではない。
基本的に人間の身体が素体である以上、エネルギー効率に限界があるのだ。脳の制限を壊して普通の人間以上に動けるようになり、細胞組織を弄り普通以上の修復機能を持つようになった。
その分のエネルギーはどうやって賄うのか。摂取量には限界がある。よって消費量を減らす方向へ向かうのが自然だ。
つまり、彼らの低速移動には理由があった。世知辛いほどに。
ずるり、とデイビットが槍を抜く。しかし、グールは地面に横たわり動く気配がない。
「……こいつら一襲撃でエネルギー切れなわけ?」
そりゃあんまりだろ、とテスカトリポカが顔を覆った。
「いや、これに関しては致命傷を治そうとした分の消費もある。本来の待ち構えて間合いに入る相手を襲撃する方法ならもう少しマシなはずだ」
「人間の長所は持久力だろうよ……。そこを潰してどうすんだ」
「このコンセプトで続けるなら素体を人間外にした方が有用ではあると思う。だが、人間の不老を目指す限りは人間を素体にするしかないんだろうな」
分からないな、とテスカトリポカが頭を振りながら槍を回収するのを横目にデイビットは加工所のシャッターを開ける。鍵が閉まっている訳でもなく、ただ半分降りているだけで簡単に開けることが出来た。
シャッターが開くと、磯の香りが強く臭って、最近まで魚があったのだろうと感じさせる。
空いた先はトラックを二台ほど並べられるスペースとその奥に空のコンテナやプラスチック桶などが無数に並んでいた。さらに奥には搬入路に続くだろう両開きの扉がある。
「テスカトリポカ」
「回収は終わりだ。いや、マジで呆気ないな……。こいつらはここで餓死か?」
「恐らくは。共食いをしたところで、肉体維持の最低限のエネルギーに変換する前に消化分のエネルギーも無くなるだろう」
「欠陥生物すぎる」
「研究者たちは人間が環境への適応よりも環境を適応させてきた生き物なのを忘れていそうだな」
「神に気に入られているのはそうだが、人間は知恵あっての生き物だしなあ……」
デイビットに呼ばれ、ついでテスカトリポカもシャッターを潜る。がらんどうになっている搬入口の中は特に見るべきものも無く二人はさっさと奥の扉へと向かった。
搬入路の中は無機質な廊下で、奥には生け簀とそこから繋がるレーンが見える。運んできた魚をそのまま水と氷ごと入れて一匹一匹流すのだろう。ちらほらと床には鱗が光っていた。
「魚は全部食われてんのか?見事にすっからかんだな」
「恐らくは。まあ、共食いよりもヒト食いよりも簡単で効率が良いからな」
「……ここのヤツらがあんな調子じゃ、他の観測所のグール共の抵抗は絶望的な気がするが、デイビットそこんとこは?」
「段階を分けて開発状況に差異は付けていると思う。これは一応、オレたちを投入しての実験だから」
「そりゃ安心した」
テスカトリポカは通路を抜けて広くなった作業部屋に差し掛かったところでアトラトルを振った。奥には、解体用であろう包丁や錐を持った人影があった。こちらは女性の姿をしているものが多い。
「高さが無いのに良く飛ばせるな。流石だ」
「飛ばす角度と力加減で軌道は描けるからな。射線が潰されてなきゃ当たるもんだ」
「何故銃でそれが出来ないんだ?入射角が問題ないなら後は反動を計算に入れれば良いだろう」
「知るか!オレが聞きたいね!」
軽口を叩き合いながらテスカトリポカはサクサクとグールを撃ち抜いた。テスカトリポカの射線に居ないものは、先行したデイビットに撃ち抜かれる。もはや銃声が鳴って見つかろうが隠れる必要もない相手だった。
槍の投げられる風切り音と銃声が幾らか響いたところで、あたりは静まり返る。二人は難なくグールを倒しきっていた。
「一、ニ……十体だな。この奥は恐らく事務所スペースだ。情報源に成りうるものもある」
「ああ、コイツの出番は一旦終了ってわけね」
テスカトリポカは投槍を回収しきると、アトラトルと共に煙に巻く。何処かへ仕舞ったらしい。デイビットは便利だな、と瞬いてそれを見送った。
シンとした作業場は、生臭さとピクリともしなくなった死骸だけが落ちている。加工されるはずの魚は既に鱗のみが落ちているだけで、後は少しの刃物と作業工程で流すのだろうレーンが一本の道のように奥へと続く。
レーンの続く先は大型の機械がそのまま陣取っており、缶詰かパウチか、外へ出される状態へと加工されることが予想できた。
そんな加工の道行きから外れた脇には、人間が通る扉が付いている。目的地は向こうだ。
両開きの扉を通ると、上からの空気圧が一瞬かかる。扉のすぐ向こうでは埃払い用のエアーカーテンが作動していた。
ここで清潔を保つらしい。手洗い場と足の消毒用の四角い桶が置いてある。
「異物混入対策ってやつか。笑えるな」
「食品衛生の観念はあるんだな」
思い思いの感想を言いつつ、先へと進む。廊下は二手に分かれていて、扉が幾つか存在する。
左手側は更衣室とトイレ、それから廊下の行き止まりに扉が一つ。右手側は直ぐ側に調理室と書かれたプレートの貼られた扉があり、壁の一部がガラス張りで大ぶりの機械とレーンが見学できる様になっている。
ここが先程の部屋で加工された魚が流れ着くところなのだろう。明かりがついたままなので鈍色の機械はよく見えた。
取敢えず本命ではない方から地図を埋めると言う方針で、二人は見学コーナーの様相を取っている調理室のガラス張りを流すように歩いてみる。
所々に簡素な言葉遣いで作られた解説プレートが点在していて、島の児童向けの工場見学も担っていたのだろうことが伺えた。
「ん?自給率100%?そりゃ、現代にしては見事だな」
「魚の?」
「いや、この島の食料自給全般らしいぞ」
テスカトリポカが感心した声を上げて、子ども用の読みづらい文字列とその脇についた円グラフを指し示す。デイビットも覗いてみると、確かに主食から主菜、副菜のどのグループもおおよそ100%を達成しているようだった。
隣のプレートには島の食べ物で作れる料理として給食らしい様々なトレーセットの写真が載っている。
「……これほどの品目を育てられる土地があったか?」
「確かに、島の地図を見る限り街とその周辺の山ってのが基本だよな。家庭菜園レベルならともかく大規模農業はしてねえだろ。……地下か?」
「地下空洞がある特異な場所なら兎も角、人の技術ではそれほど効率が良いようには思えないが……」
子ども向けの内容ではこれ以上読み取れることはなかった。これから島の探索をするうちに自ずと分かることであるし、二人は見てくれだけの広さに囚われないことだけを覚えて先に進んだ。
ガラス張りの終着点、缶詰の出来上がり部分まで辿り着くと扉があった。プレートには倉庫と書かれており、出来上がった缶詰が詰められている場所だろう。
調理室の中からも扉が続いているようなのでその
まましまい込めるようだった。
「中は普通に倉庫だな。……管理簿がある」
パチリ、と壁横のスイッチをいじると電気がついた。島一つ分程度の生産量だからかそこまで広くはない倉庫にはダンボールに詰められた缶詰たちが整列している。奥にはシャッターがあって、ここから直接トラックに運び込めるようにだろうか。
壁にはもう一つ、今デイビットが捲っている管理簿も引っ掛かっていてどうやら紙で在庫量の管理が成されているようだった。
「最終確認は二日前だな」
「じゃあ、だいたい一日半から一日でこうなってんのか。だいぶ事態の進行が疾いな」
「どうだろうな。一週間前から被害者はいる。仕込の期間自体はもう少し長期の可能性もある」
「ああ、実験体ではなくて個体差で発症が分かれる事も考えとけってことな。ん?それだともしかしたら生き残りがいるか」
「完全な抗体があれば無事だろうが、オレたちに出会う前に回収されていそうだな」
倉庫の確認をあらかた済ませたところで、片隅の監視カメラをデイビットが見つめる。
ここに来るまで加工場内に幾つか存在していたが認識したように振る舞うのは初めてだった。
「潰すか?」
「いや、ダミーだ」
「ここでダミーかよ。……ああ、なるほど。ここからは秘匿を意識しろってことね。オマエ、オレに察しろって言う行間止めろよ、不敬め」
「信頼だよ。ここまでは重要度も高くないようであまり解像度や集音性の良いカメラではなかったし、俺たち二人が入ってきたことが分かる程度のものだろう。しかし、ここからは重要度が上がるはずだ」
「オマエ、オレに察せられることで意見回避してるだろ」
「まだ命を払うわけにはいかないからな。勝手に考えてくれ」
テスカトリポカはぐしゃぐしゃと不敬な男の褪せた金の頭を撫で回した。くそ度胸。
まったく神の課しているルールをよく理解していることで。
デイビットは掌を甘受しながら僅かに笑みを零す。戦士のくせに稚く無垢で、そんな顔で信頼と言うのだから応えるしかなくなるのだ。
「ポイント制にしてやろうか……」
「何をだ。そろそろ行くぞ」
「オマエの不敬」
「戦士ポイントの方が貯まる」
「そうだな?」
倉庫を出てまっすぐと突き当たりの扉に向かう。更衣室とトイレはデイビットが必要ないと判断したためカットされた。多分中にグールはいただろう。
先程まで観察していた見学コーナーを横目に早足で歩けば、直ぐに事務室と書かれたプレートが目に入る。
扉に耳を当てたデイビットの後ろでテスカトリポカはコートのポケットから取り出すように偽装して、黒曜石のナイフを手にした。
「…………静かだ。事務室に食料となるものがなかったせいか?」
「事務員がいるとは思うがな、ここまでの連中のあの様子じゃその推測は笑えん」
ばっ、とデイビットが扉を押し開いた。最低限の動作でのクリアリングは思わず手を叩きたくなるほど見事なものだが、事務室の中は薄暗く静まり返っている。
光源となる窓にはカーテンが閉められ、そこから僅かに漏れる光とデスクトップパソコンの筐体のぼんやりとした電源の光だけが灯りと言えた。
「……っ!?」
一度ぐるりと部屋を見回したデイビットが扉から一歩奥へと飛び退る。テスカトリポカが反応するよりも早くその姿が上から降ってきた何かによって隠れてしまう。
「あ゛?」
音もなく、気配もなく。肩関節から伸びた腕が妙に長く、四脚の生き物の様になったそれは、デイビットへと顔を向けていた。
まだ年若い女が素体らしいそれは、裂けそうなほどに口を開いて涎を垂らしながらデイビットへと迫る。これまでのグールとは比べ物にならない素早さを持ったそれは、蜘蛛に似た動きでデイビットを襲うとしていた。
しかし、まだおつむが残念だ。
飛び掛かろうと四肢に力を込めたその瞬間、ずんと黒曜石が首から生えてくる。否、テスカトリポカが黒曜石のナイフを項から喉にかけて刺したのだ。
だらだらと赤い血が流れ、グールの口からも垂れ流れる。しかし、規格外なのは再生能力もその様で泡が立つような勢いでナイフすら取り込まんと傷口の修復が始まった。
「チッ……まあ、これは本命ではないが」
「助かった」
ダンッ、と薬莢が跳ぶ。デイビットの接写射撃によってグールの頭が弾けた。
びちゃ、と粘着質な音を立てて血肉が舞う。テスカトリポカは辛うじてそれを避けることに成功した。人の器で無茶は出来ない。
流石に頭部の殆どが吹き飛ぶと再生能力の限界なのか、グールの身体が崩れ落ちる。まだグズグズと治ろうとするがそれも先程までの勢いはなく無視して良いだろう範囲だった。
「奇襲特化ってとこか?」
「その様だな。しかし……どこで分岐するのか」
「オレに気配を悟らせないだけの隠密性は中々良いな。しかし、まだ弱い」
「一撃必殺が失敗したアサシンはそんなものじゃないか?」
ツンツンと、取り外した黒曜石の切っ先でグールの死骸突きながらテスカトリポカは口を曲げた。
しゃがみこんだ体勢も相まってヤンキーじみている。そんな相棒を尻目にデイビットはさっさとパソコンへと向かっていた。
数世代は前だろう筐体とモニターを検分しながら、電源を点ける。すると、モニターにはパスワードがかけられている様だった。
デイビットはパチパチと瞬くと、直ぐにキーボードを叩く。
「テスカトリポカ、資料だ」
デイビットの呼び掛けにテスカトリポカは、また息を付いてその甘えに乗ってやることにする。
次にポケットから取り出すのはUSBメモリだ。ほらよ、と投げ渡せば満足そうに頷かれる。
デイビットは筐体へと今しがたテスカトリポカが作ったメモリを挿し込みデータを吸い出しながら、並行して内容の確認も行っているようだった。
彼の紫の瞳が光を受けながら高速で揺れ動く。
そう言えばブルーライトは目に悪いのだったか。テスカトリポカは死骸を弄るのにも飽きて、立ち上がりながら壁に目を滑らせる。お目当ては直ぐに見つかった。三つ並んだスイッチを適当に一番上から順に押していく。パチリパチリパチリ。
すると一つ目でアタリだったらしく、すぐに事務室は明るく照らされた。明るくなれば、室内は良く見渡せるようになり、壁際に給湯室と書かれた小部屋と出入り口と書かれたプレートのかかった扉が一つあるのが見えた。
まだ暫くデイビットはパソコン画面に夢中だろうし、とテスカトリポカは給湯室へと足を向ける。
「……まあ、一般的か?」
垂れ下がった目隠しを潜れば、二番目か三番目のスイッチはここだったのだろう、換気扇が回った明るいキッチンスペースがある。流し台に、二口あるIHコンロ。そして向かい側には小さめな冷蔵庫と電子レンジ。
冷蔵庫の横には縦に置かれたカラーボックスがあり、少しの雑誌と食器類が入っている。
テスカトリポカの知る給湯室はおおよそカルデアかカルデアデータベースによる現代知識としてのそれでしかないが、特におかしな点は無さそうだった。
水に問題がなさそうなら適当に個包装のコーヒースティックでも拝借してブレイクタイムにしようか。一応二人とも身体組成的には人間であるので。
テスカトリポカは蛇口を捻り、問題がないことを確認してその辺に置いてあったヤカンをコンロに置いた。ついでとばかりに冷蔵庫を漁ってみるとチョコレートが冷えている。世界的シェアを誇る菓子メーカーのパッケージは手つかずのまま残っていた。
デイビットの事だから携帯食は幾つか持っているだろうし、これはそのままオヤツとして食べてしまおう。
カラーボックスから白い小皿を拝借して、チョコレートを適当な欠片にパキパキと割砕く。ついでにポケットから小包装のミックスナッツも取り出して混ぜる。運動分のカロリーとしてはそこそこだろう。
それらの用意をしたところでピー、と鋭い音が沸騰を知らせる。良いタイミングだ。
テスカトリポカはマグカップを二つ──無地の黒と赤──を取り出してブラックコーヒーのスティックとカフェオレのスティックをそれぞれ入れて適度なお湯で溶かす。インスタントではあるが、芳ばしい匂いが鼻腔をくすぐった。
出来上がったそれをプラスチックマドラーでくるりとかき混ぜてから、カラーボックスの上に置かれていたトレーへ全て並べて持ち上げる。
「おい、デイビット、そっちはどうだ?」
目隠しを潜って、遮るもののなくなった視界にデイビットを収めればちょうどパソコンから目を離すところだった。
「ああ、共有事項が……コーヒーを淹れていたのか?ここで?」
「ハハ、面白い顔してんな。オマエもオレも飲み食いは必須だろ?」
「それはそうだが……産地は?」
「安心しろ、全部外の企業だ。水は問題なさそうだったし」
デイビットの困惑を押し止めるように、テスカトリポカは彼の座る机の隣のデスクにトレーを置き、自身も腰掛けた。
「そうか……。ありがとう」
「で、何がわかった?」
デイビットに赤いマグを手渡し、テスカトリポカはぎしりと椅子を鳴らした。
受け取りながら、デイビットはそれならと口を開く。
「概要は判明した。この加工場ではグール化媒体……実験名称immortality-reagent-type3の経口摂取による経過観察、及びに島民全体への実験を行っていたようだ。例外地区は島中央に存在する病院だけ」
「不死身の試薬ねぇ……まんまか。病院はなぜ?こんなド派手にしてんだからそこだけ流通に割り込めないってわけでもないだろ。そもそも製薬会社の企みなわけだし」
「病院では別の摂取方法を試すと書いてあった。直接投与がメインになるのだろう」
「実験らしいことで。それだけか?」
お互いにマグに口をつけ口を湿らせながら会話を続ける。時折チョコレートやナッツを口に含んだり、会話の中身は兎も角として穏やかな休憩のかたちは出来ていた。
「まだだ。混入期間は凡そ一月。ただ、販売経路に乗ったのがその時点と言う事で実際食べられ出したのはもう少し後になるだろう。だから、潜伏期間は二週から三週」
「わりに長いな。感染経路が分かりづらくはなるのは利点か。目的に反してなかなか不穏なこった」
「材料が不足しているが、この人員の割り切り方を考えるにあまり善い目的のための研究ではないのかもしれない」
デイビットは眉を下げて、頭の吹き飛んだ女グールを指差す。
「彼女は元々あの製薬会社からの出向だ。名目は適当であるが、ここの工場の加工品に……IR3としよう、それを混入させていた」
「ほう、社員の切り捨てか。なかなか悪どいな」
「彼女の把握する情報では島の実験は約一週間は先の事であり、今日明日にでも脱出予定だったと認識していたらしい」
コツン、とモニター画面が叩かれる。いつの間にか開かれたページにテスカトリポカが目を滑らせれば、どうにも日記らしい。
デイビットは淡々とグールへと変貌していった彼女の徒然とした記載を要約し、読み上げる。
「7日ほど前から違和感が存在している。このところ島内に風邪症状を訴える人間が増加しており、彼女もそれだと考えたらしいな」
「実際にはグール化の症状だったってわけね。つまり免疫機能が働くのかこの、薬?」
「実際にはウイルスなのだと思う」
「あ?馬鹿か?幾ら感染力が弱いって言ってもウイルスなら変異するじゃねえか」
テスカトリポカは呆れた表情を隠さず、デイビットを見つめる。薬なら接種以外で広がらないが、ウイルスなんて媒体にしたらどこでコントロールから外れるか分からない。
デイビットもそれが分かるから、何とも言えない顔でチョコレートを齧った。
「うん。まあ。……それで、彼女のことだが、彼女はここでIR3の投与を行っていたわけで、それを把握しているからこそ島内の生産物を食べてはいない。軽く書かれていたが、食品による違いを調べるためにほとんどの生産食物にIR3は投与されている」
「念入りだな」
「肉や野菜の大部分は火を通して食べるから流通段階での混入だと不適切だったようだ。IR3は高熱に弱い」
「海産物はわりと火の通しが甘いってことか。まあ、缶詰なんてそのまま食べることも多いわな」
魚の加工場が選ばれた理由は判明した。火を通さないで食べる薬品投与のし易い加工物となるとなかなか幅は狭くなるし、島民全体が口にする確率の高いものと考えれば数は減る一方だろう。
薬品の中身は兎も角としてマーケティングはそれなりに考えた結果らしい。
デイビットは要らない努力をしていると断じつつ、女グールについて話を戻した。
「彼女の感染経路だが、ここに出向する時点で島中央の病院で身体検査を受けている。そこで感染予防として注射を射たれていたようだ。これが原因だろう」
「端からこの結末かよ。潜伏期間は?」
「これは二月ほどだな。変異が大きい分、潜伏期間が長いのだろう」
デイビットは女グールを静かに見つめた。彼女の身体は肩関節が外れたように腕がだらりと長くなっており、変異した時点で一般的な身体付きとは一線を画している。
変異の兆候はここ数日のうちに突然現れたようで、日記を綴る彼女の戸惑いはモニターの文字に踊っていた。
────頭が痛くて身体が重い。でも熱はないから出勤している。なんだか腕の関節が痛い。インフルエンザかも。島から出たらさっさと病院に行かなきゃ。
島の病院は嫌。彼処怖いし。
────お腹空いてきた。おかしい。さっきオヤツ食べたのに。今日だけでドーナツ何個食べちゃってるんだろ。
…………
最近、immortality-reagent-type3被験者の急発現が多い。
────肩がすごく凝ってる?痛い。もう仕事なんてほぼないから私引き上げちゃ駄目なのかな。上長に連絡してみよう。
…………
加工場の従業員から一人行方不明者が出た。急発現、やっぱり増えてる。
────上長駄目だって。契約ってうるさい。後ちょっと頑張ろ。離島手当貰ってるし。
…………
肩痛いの治らないし怠い。
────すっごく眠い。ちゃんと出勤したのえらい。きょうも肩いたい。
…………
かゆくなってきた
────ねむい?おなかすいた
かゆい
─────ri3ynutkkkkkkkkkkk
最後には文字を打ちこむことも出来なくなったのだろう。デイビットはテスカトリポカが読み終わったことを確認して、モニターのページを閉じた。
「生々しいな」
「一先ずポイントは倦怠感と特定部位の痛み、眠気、空腹感で良いと思う。このどれかを過剰に感じた時点で感染として扱うが、それでいいか?」
「うん、オマエいつも通りだな。もう少し成長してもいいんだぜ?」
「何の話だ。質問しているのはオレだが」
「OK。異論はない。因みに脳天ショットしてくれんのか?」
コーヒーを飲み干したテスカトリポカの問いに、デイビットはそうだな、と呟く。
「お前はそれじゃ死にそうにないからその後手足を折って、心臓を取り出して燃やすかな。灰は川に流す」
「……オレは吸血鬼じゃないぞ」
「知ってる」
テスカトリポカの苦情を意にも介さずデイビットもマグを置いた。二人は言葉なく立ち上がる。コーヒーブレイクはもう終わりだ。
「次は?」
「ここから道なりに、西だ」
「西か。次はもっと手応えがあると嬉しいがね」
二人は出入り口の扉を潜った。長い廊下の先、外の景色は入ってきた搬入口の直ぐ側に出ることが伺える。
外は明るかった。
目的地は島の監視施設と思われる南側の建物。文明の利器の殆どが記録媒体と時計機能だけのそれになってしまったために、紙の地図しか参考にできず建物の詳細は不明だった。
「船着き場からどっちだ?灯台のあたりか?」
テスカトリポカが見上げた先には、小規模な港の安全を守る白い灯台の姿がある。島の内側に凹んだ湾となっている部分に港がある関係で、灯台のある場所は岬となり少し小高い。
「いや、もう少し手前……ああ、魚の加工場のあたりだ」
細かいところはあまり書いていない白地図を手にしたデイビットは縮尺と実距離を図りつつ、そう答えた。
その視線の先には港の倉庫近くに並ぶ幾つかの四角い建物がある。機能的と言えば聞こえはいいが、最低限の遊びがない建物とも言える。搬入の為か入口周辺は広くなっており、コンテナを載せたトラックが収まるように間口も大きい。しかしその奥はシャッターが半分降りており、中は曖昧にしか伺えない。
ならば窓はといえば、換気のためにつけられている天井付近の狭いものが無数にあるだけで直接覗ける場所にはなさそうだった。
「攻めにくいな。それに、オマエの想定よりもグール共が確認できない」
「所感だが、アレらは日光によって弱体化ないしは沈静化させられるのだろう」
「ん?……そういや科学的な死徒の再現と言ってたな」
「うん。だが、死徒の存在は一般には知られていないし、これも死徒を目指したものではないと思ったから弱点が似通うと思っていなかった」
「あ?死徒を目指してない?じゃあ何を参考にしてんだ、あれ。生ける屍なんてそう参考元はないだろ」
「不死、もしくは不老そのものだ。比重としては不老の方が大きいかな」
「なるほど。人らしいことだ」
人を超越する何某かを作りたいのであれば、人を超越する死徒に似通ることもある。生物用語でいう収斂進化の考えに近い。あれは見た目の話だが。
「このままアナグマを決め込まれると攻めにくい」
「ならどうする?」
「耳を塞げ」
言うやいなやデイビットは小さな何かを放り投げる。魔術を使ったのか、想像以上に長く弧を描いたその物体はうまいこと倉庫のシャッターの隙間に滑り込んだ。
瞬間、閃光とバチバチとなる火薬の爆ぜる音が響く。
「ヒュー!開幕にはいい演出だな」
投槍を作っている横で火薬を弄っていたのはこれか、と派手なねずみ花火もどきにテスカトリポカは合点がいく。派手は派手だが、威力は然程なく音と光による目眩まし、もしくは囮の役割だろう。
目を瞑ったデイビットに、光の収まりを告げてやればちょうど倉庫に動きがあった。
「気に入ったのなら良かった。……ああ、やはり一度スイッチが入ると防衛本能は二の次か」
デイビットが目を開けると、花火の終わったシャッターの向こうからグールが這い出てくる。その姿は主に作業着姿の男たちであり、仕事中にそのままこうなってしまったのだろう。海の男達といった風貌の彼らに覇気はなく、ずしりとした足取りで動いていた。
「感知は熱か音か?」
「スペック上人間とそこまで乖離しないだろうから、音だ」
「あー、人間は熱感知が出来ないか」
出てきたグールに無造作に槍を投げながらテスカトリポカはサングラスの奥で瞬いた。
流れるような投擲に出てくる殆どが串刺しになる。
「見事だな。ざっと十二体か」
胴を串刺されてなお手脚を蠢かせる男たちを数えて、デイビットはまだ中にいるな、と呟いた。
「後どんくらいだ?」
「建物の規模から考えるに、後二十体ほどはいる」
「就労者ってことかね、まったく災難なやつらだ……っと」
不意にテスカトリポカが木槍を振るった。デイビットの背後、少しでも動いていたら刺さりそうなほどのところ。
風切り音がしたことに驚くでもなく、デイビットはゆったりとしたままポケットの中で手の内に握っていたナイフを鞘に戻した。
「あ?猫?んー?おい、これ空気感染じゃないはずだろ」
「魚の加工場が拠点の一つであることから考えてはいたが、恐らく主の感染媒体は食材なのだろう。特に生魚やそれに類するもの」
「ああ、ここで仕込んで流通ってか?そりゃ猫も引っかかる」
槍の鋒先についた猫の身体を、テスカトリポカは面白くなさそうに眺めた。それもそうだろう。テスカトリポカは戦いや争いが好きだが、その先に残るものが次の繁栄を行うからこその醍醐味。だが、この生物もどきに先はない。知性も理性も失われてただの物体となり果てている。こんなものは進化とは 呼べないだろう。
その上で、実験として神を巻き込んでいるのだ。横にデイビットが居なければ島の一つや二つは消していたかもしれない。
「島の野生動物には注意するべきだな、熊や猪なんかも居るはずだ。しかし、野生動物に被害が及んでいるなら接触感染の可能性はだいぶ下がったな」
デイビットは猫を一瞥し、街を囲うようにある山々へと視線を滑らせた。豊かな青い山だ。自然環境に配慮した街作りとうたわれていたのもあり、かなり手つかずの自然が残っている。
一通り、本土で見られる野生動物は確認出来るはずだ。
「あくまで実験室のなかでだけってことか」
「だろう。どうあれ海を渡られて広まっては対処が後手に回る。やるなら、この実験を終えてからじゃないか?まだ完成度は低そうだが」
「言えてんな。どうせならもっと手応えがほしいとこだ。知性くらい残しとけよ」
「それが出来れば苦労はしていないんじゃないか?所感だが、そもそもアプローチを間違えている」
動かなくなった屍体を槍先を振ることでアスファルトへと放り出しながら、テスカトリポカはデイビットに続きを促した。
「求めているのは不老、概念としては停滞だ。しかし、このグールを産み出した研究者たちは促進を軸にしている」
「そりゃあ真っ向から食い違ってんな」
「恐らく、認識として人の進化を目指しているのだろう。だが、目的とコンセプトが外れていては意味がない」
動きの鈍ってきた加工場のグールたちの元へ向かいながらデイビットは彼らの傷口を指差す。
僅かながら槍の周りの肉が隆起していた。串刺されているからその影響はより深く槍が突き刺さる結果となっているが、これが貫通した後ならまた違った結果となるだろう。
再生の促進。確かに生存していく為に外傷に強くするなら有り触れた答え。
しかし、デイビットは間違いだと断言した。
「必要なのは皮膚の硬化であって、細胞の修復サイクルを速めるのは悪手だ。テロメアを無駄に縮めるから、彼らの寿命は目減りしているだろうな」
「笑えるほど真逆だな?」
「不老となり得れる進化としての思考を辿れば、分からなくもない。老いない、もしくは老いの期間が短いというのはそれだけ最盛期が長く、生物として強く思えるものだ。彼らは老化するまでに達さない。それに、傷の治りが早く、傷を治せる範囲が広いというのは単純に殺しにくいからな。一定の脅威はある」
ぐん、とデイビットが地面に突き刺さった槍の一本を手に取った。貫かれているグールはぐったりとしている。もはや動くだけの力は残っていないようだ。
「だが、寿命の目減り以上の欠点がある」
ここまで来る中で、グールたちは非常に受動的だった。加工場の中から出て来なかったのもそうだが、ガソリンスタンドで襲ってきたモノもけして能動的と言えない程度に活発ではない。
基本的に人間の身体が素体である以上、エネルギー効率に限界があるのだ。脳の制限を壊して普通の人間以上に動けるようになり、細胞組織を弄り普通以上の修復機能を持つようになった。
その分のエネルギーはどうやって賄うのか。摂取量には限界がある。よって消費量を減らす方向へ向かうのが自然だ。
つまり、彼らの低速移動には理由があった。世知辛いほどに。
ずるり、とデイビットが槍を抜く。しかし、グールは地面に横たわり動く気配がない。
「……こいつら一襲撃でエネルギー切れなわけ?」
そりゃあんまりだろ、とテスカトリポカが顔を覆った。
「いや、これに関しては致命傷を治そうとした分の消費もある。本来の待ち構えて間合いに入る相手を襲撃する方法ならもう少しマシなはずだ」
「人間の長所は持久力だろうよ……。そこを潰してどうすんだ」
「このコンセプトで続けるなら素体を人間外にした方が有用ではあると思う。だが、人間の不老を目指す限りは人間を素体にするしかないんだろうな」
分からないな、とテスカトリポカが頭を振りながら槍を回収するのを横目にデイビットは加工所のシャッターを開ける。鍵が閉まっている訳でもなく、ただ半分降りているだけで簡単に開けることが出来た。
シャッターが開くと、磯の香りが強く臭って、最近まで魚があったのだろうと感じさせる。
空いた先はトラックを二台ほど並べられるスペースとその奥に空のコンテナやプラスチック桶などが無数に並んでいた。さらに奥には搬入路に続くだろう両開きの扉がある。
「テスカトリポカ」
「回収は終わりだ。いや、マジで呆気ないな……。こいつらはここで餓死か?」
「恐らくは。共食いをしたところで、肉体維持の最低限のエネルギーに変換する前に消化分のエネルギーも無くなるだろう」
「欠陥生物すぎる」
「研究者たちは人間が環境への適応よりも環境を適応させてきた生き物なのを忘れていそうだな」
「神に気に入られているのはそうだが、人間は知恵あっての生き物だしなあ……」
デイビットに呼ばれ、ついでテスカトリポカもシャッターを潜る。がらんどうになっている搬入口の中は特に見るべきものも無く二人はさっさと奥の扉へと向かった。
搬入路の中は無機質な廊下で、奥には生け簀とそこから繋がるレーンが見える。運んできた魚をそのまま水と氷ごと入れて一匹一匹流すのだろう。ちらほらと床には鱗が光っていた。
「魚は全部食われてんのか?見事にすっからかんだな」
「恐らくは。まあ、共食いよりもヒト食いよりも簡単で効率が良いからな」
「……ここのヤツらがあんな調子じゃ、他の観測所のグール共の抵抗は絶望的な気がするが、デイビットそこんとこは?」
「段階を分けて開発状況に差異は付けていると思う。これは一応、オレたちを投入しての実験だから」
「そりゃ安心した」
テスカトリポカは通路を抜けて広くなった作業部屋に差し掛かったところでアトラトルを振った。奥には、解体用であろう包丁や錐を持った人影があった。こちらは女性の姿をしているものが多い。
「高さが無いのに良く飛ばせるな。流石だ」
「飛ばす角度と力加減で軌道は描けるからな。射線が潰されてなきゃ当たるもんだ」
「何故銃でそれが出来ないんだ?入射角が問題ないなら後は反動を計算に入れれば良いだろう」
「知るか!オレが聞きたいね!」
軽口を叩き合いながらテスカトリポカはサクサクとグールを撃ち抜いた。テスカトリポカの射線に居ないものは、先行したデイビットに撃ち抜かれる。もはや銃声が鳴って見つかろうが隠れる必要もない相手だった。
槍の投げられる風切り音と銃声が幾らか響いたところで、あたりは静まり返る。二人は難なくグールを倒しきっていた。
「一、ニ……十体だな。この奥は恐らく事務所スペースだ。情報源に成りうるものもある」
「ああ、コイツの出番は一旦終了ってわけね」
テスカトリポカは投槍を回収しきると、アトラトルと共に煙に巻く。何処かへ仕舞ったらしい。デイビットは便利だな、と瞬いてそれを見送った。
シンとした作業場は、生臭さとピクリともしなくなった死骸だけが落ちている。加工されるはずの魚は既に鱗のみが落ちているだけで、後は少しの刃物と作業工程で流すのだろうレーンが一本の道のように奥へと続く。
レーンの続く先は大型の機械がそのまま陣取っており、缶詰かパウチか、外へ出される状態へと加工されることが予想できた。
そんな加工の道行きから外れた脇には、人間が通る扉が付いている。目的地は向こうだ。
両開きの扉を通ると、上からの空気圧が一瞬かかる。扉のすぐ向こうでは埃払い用のエアーカーテンが作動していた。
ここで清潔を保つらしい。手洗い場と足の消毒用の四角い桶が置いてある。
「異物混入対策ってやつか。笑えるな」
「食品衛生の観念はあるんだな」
思い思いの感想を言いつつ、先へと進む。廊下は二手に分かれていて、扉が幾つか存在する。
左手側は更衣室とトイレ、それから廊下の行き止まりに扉が一つ。右手側は直ぐ側に調理室と書かれたプレートの貼られた扉があり、壁の一部がガラス張りで大ぶりの機械とレーンが見学できる様になっている。
ここが先程の部屋で加工された魚が流れ着くところなのだろう。明かりがついたままなので鈍色の機械はよく見えた。
取敢えず本命ではない方から地図を埋めると言う方針で、二人は見学コーナーの様相を取っている調理室のガラス張りを流すように歩いてみる。
所々に簡素な言葉遣いで作られた解説プレートが点在していて、島の児童向けの工場見学も担っていたのだろうことが伺えた。
「ん?自給率100%?そりゃ、現代にしては見事だな」
「魚の?」
「いや、この島の食料自給全般らしいぞ」
テスカトリポカが感心した声を上げて、子ども用の読みづらい文字列とその脇についた円グラフを指し示す。デイビットも覗いてみると、確かに主食から主菜、副菜のどのグループもおおよそ100%を達成しているようだった。
隣のプレートには島の食べ物で作れる料理として給食らしい様々なトレーセットの写真が載っている。
「……これほどの品目を育てられる土地があったか?」
「確かに、島の地図を見る限り街とその周辺の山ってのが基本だよな。家庭菜園レベルならともかく大規模農業はしてねえだろ。……地下か?」
「地下空洞がある特異な場所なら兎も角、人の技術ではそれほど効率が良いようには思えないが……」
子ども向けの内容ではこれ以上読み取れることはなかった。これから島の探索をするうちに自ずと分かることであるし、二人は見てくれだけの広さに囚われないことだけを覚えて先に進んだ。
ガラス張りの終着点、缶詰の出来上がり部分まで辿り着くと扉があった。プレートには倉庫と書かれており、出来上がった缶詰が詰められている場所だろう。
調理室の中からも扉が続いているようなのでその
まましまい込めるようだった。
「中は普通に倉庫だな。……管理簿がある」
パチリ、と壁横のスイッチをいじると電気がついた。島一つ分程度の生産量だからかそこまで広くはない倉庫にはダンボールに詰められた缶詰たちが整列している。奥にはシャッターがあって、ここから直接トラックに運び込めるようにだろうか。
壁にはもう一つ、今デイビットが捲っている管理簿も引っ掛かっていてどうやら紙で在庫量の管理が成されているようだった。
「最終確認は二日前だな」
「じゃあ、だいたい一日半から一日でこうなってんのか。だいぶ事態の進行が疾いな」
「どうだろうな。一週間前から被害者はいる。仕込の期間自体はもう少し長期の可能性もある」
「ああ、実験体ではなくて個体差で発症が分かれる事も考えとけってことな。ん?それだともしかしたら生き残りがいるか」
「完全な抗体があれば無事だろうが、オレたちに出会う前に回収されていそうだな」
倉庫の確認をあらかた済ませたところで、片隅の監視カメラをデイビットが見つめる。
ここに来るまで加工場内に幾つか存在していたが認識したように振る舞うのは初めてだった。
「潰すか?」
「いや、ダミーだ」
「ここでダミーかよ。……ああ、なるほど。ここからは秘匿を意識しろってことね。オマエ、オレに察しろって言う行間止めろよ、不敬め」
「信頼だよ。ここまでは重要度も高くないようであまり解像度や集音性の良いカメラではなかったし、俺たち二人が入ってきたことが分かる程度のものだろう。しかし、ここからは重要度が上がるはずだ」
「オマエ、オレに察せられることで意見回避してるだろ」
「まだ命を払うわけにはいかないからな。勝手に考えてくれ」
テスカトリポカはぐしゃぐしゃと不敬な男の褪せた金の頭を撫で回した。くそ度胸。
まったく神の課しているルールをよく理解していることで。
デイビットは掌を甘受しながら僅かに笑みを零す。戦士のくせに稚く無垢で、そんな顔で信頼と言うのだから応えるしかなくなるのだ。
「ポイント制にしてやろうか……」
「何をだ。そろそろ行くぞ」
「オマエの不敬」
「戦士ポイントの方が貯まる」
「そうだな?」
倉庫を出てまっすぐと突き当たりの扉に向かう。更衣室とトイレはデイビットが必要ないと判断したためカットされた。多分中にグールはいただろう。
先程まで観察していた見学コーナーを横目に早足で歩けば、直ぐに事務室と書かれたプレートが目に入る。
扉に耳を当てたデイビットの後ろでテスカトリポカはコートのポケットから取り出すように偽装して、黒曜石のナイフを手にした。
「…………静かだ。事務室に食料となるものがなかったせいか?」
「事務員がいるとは思うがな、ここまでの連中のあの様子じゃその推測は笑えん」
ばっ、とデイビットが扉を押し開いた。最低限の動作でのクリアリングは思わず手を叩きたくなるほど見事なものだが、事務室の中は薄暗く静まり返っている。
光源となる窓にはカーテンが閉められ、そこから僅かに漏れる光とデスクトップパソコンの筐体のぼんやりとした電源の光だけが灯りと言えた。
「……っ!?」
一度ぐるりと部屋を見回したデイビットが扉から一歩奥へと飛び退る。テスカトリポカが反応するよりも早くその姿が上から降ってきた何かによって隠れてしまう。
「あ゛?」
音もなく、気配もなく。肩関節から伸びた腕が妙に長く、四脚の生き物の様になったそれは、デイビットへと顔を向けていた。
まだ年若い女が素体らしいそれは、裂けそうなほどに口を開いて涎を垂らしながらデイビットへと迫る。これまでのグールとは比べ物にならない素早さを持ったそれは、蜘蛛に似た動きでデイビットを襲うとしていた。
しかし、まだおつむが残念だ。
飛び掛かろうと四肢に力を込めたその瞬間、ずんと黒曜石が首から生えてくる。否、テスカトリポカが黒曜石のナイフを項から喉にかけて刺したのだ。
だらだらと赤い血が流れ、グールの口からも垂れ流れる。しかし、規格外なのは再生能力もその様で泡が立つような勢いでナイフすら取り込まんと傷口の修復が始まった。
「チッ……まあ、これは本命ではないが」
「助かった」
ダンッ、と薬莢が跳ぶ。デイビットの接写射撃によってグールの頭が弾けた。
びちゃ、と粘着質な音を立てて血肉が舞う。テスカトリポカは辛うじてそれを避けることに成功した。人の器で無茶は出来ない。
流石に頭部の殆どが吹き飛ぶと再生能力の限界なのか、グールの身体が崩れ落ちる。まだグズグズと治ろうとするがそれも先程までの勢いはなく無視して良いだろう範囲だった。
「奇襲特化ってとこか?」
「その様だな。しかし……どこで分岐するのか」
「オレに気配を悟らせないだけの隠密性は中々良いな。しかし、まだ弱い」
「一撃必殺が失敗したアサシンはそんなものじゃないか?」
ツンツンと、取り外した黒曜石の切っ先でグールの死骸突きながらテスカトリポカは口を曲げた。
しゃがみこんだ体勢も相まってヤンキーじみている。そんな相棒を尻目にデイビットはさっさとパソコンへと向かっていた。
数世代は前だろう筐体とモニターを検分しながら、電源を点ける。すると、モニターにはパスワードがかけられている様だった。
デイビットはパチパチと瞬くと、直ぐにキーボードを叩く。
「テスカトリポカ、資料だ」
デイビットの呼び掛けにテスカトリポカは、また息を付いてその甘えに乗ってやることにする。
次にポケットから取り出すのはUSBメモリだ。ほらよ、と投げ渡せば満足そうに頷かれる。
デイビットは筐体へと今しがたテスカトリポカが作ったメモリを挿し込みデータを吸い出しながら、並行して内容の確認も行っているようだった。
彼の紫の瞳が光を受けながら高速で揺れ動く。
そう言えばブルーライトは目に悪いのだったか。テスカトリポカは死骸を弄るのにも飽きて、立ち上がりながら壁に目を滑らせる。お目当ては直ぐに見つかった。三つ並んだスイッチを適当に一番上から順に押していく。パチリパチリパチリ。
すると一つ目でアタリだったらしく、すぐに事務室は明るく照らされた。明るくなれば、室内は良く見渡せるようになり、壁際に給湯室と書かれた小部屋と出入り口と書かれたプレートのかかった扉が一つあるのが見えた。
まだ暫くデイビットはパソコン画面に夢中だろうし、とテスカトリポカは給湯室へと足を向ける。
「……まあ、一般的か?」
垂れ下がった目隠しを潜れば、二番目か三番目のスイッチはここだったのだろう、換気扇が回った明るいキッチンスペースがある。流し台に、二口あるIHコンロ。そして向かい側には小さめな冷蔵庫と電子レンジ。
冷蔵庫の横には縦に置かれたカラーボックスがあり、少しの雑誌と食器類が入っている。
テスカトリポカの知る給湯室はおおよそカルデアかカルデアデータベースによる現代知識としてのそれでしかないが、特におかしな点は無さそうだった。
水に問題がなさそうなら適当に個包装のコーヒースティックでも拝借してブレイクタイムにしようか。一応二人とも身体組成的には人間であるので。
テスカトリポカは蛇口を捻り、問題がないことを確認してその辺に置いてあったヤカンをコンロに置いた。ついでとばかりに冷蔵庫を漁ってみるとチョコレートが冷えている。世界的シェアを誇る菓子メーカーのパッケージは手つかずのまま残っていた。
デイビットの事だから携帯食は幾つか持っているだろうし、これはそのままオヤツとして食べてしまおう。
カラーボックスから白い小皿を拝借して、チョコレートを適当な欠片にパキパキと割砕く。ついでにポケットから小包装のミックスナッツも取り出して混ぜる。運動分のカロリーとしてはそこそこだろう。
それらの用意をしたところでピー、と鋭い音が沸騰を知らせる。良いタイミングだ。
テスカトリポカはマグカップを二つ──無地の黒と赤──を取り出してブラックコーヒーのスティックとカフェオレのスティックをそれぞれ入れて適度なお湯で溶かす。インスタントではあるが、芳ばしい匂いが鼻腔をくすぐった。
出来上がったそれをプラスチックマドラーでくるりとかき混ぜてから、カラーボックスの上に置かれていたトレーへ全て並べて持ち上げる。
「おい、デイビット、そっちはどうだ?」
目隠しを潜って、遮るもののなくなった視界にデイビットを収めればちょうどパソコンから目を離すところだった。
「ああ、共有事項が……コーヒーを淹れていたのか?ここで?」
「ハハ、面白い顔してんな。オマエもオレも飲み食いは必須だろ?」
「それはそうだが……産地は?」
「安心しろ、全部外の企業だ。水は問題なさそうだったし」
デイビットの困惑を押し止めるように、テスカトリポカは彼の座る机の隣のデスクにトレーを置き、自身も腰掛けた。
「そうか……。ありがとう」
「で、何がわかった?」
デイビットに赤いマグを手渡し、テスカトリポカはぎしりと椅子を鳴らした。
受け取りながら、デイビットはそれならと口を開く。
「概要は判明した。この加工場ではグール化媒体……実験名称immortality-reagent-type3の経口摂取による経過観察、及びに島民全体への実験を行っていたようだ。例外地区は島中央に存在する病院だけ」
「不死身の試薬ねぇ……まんまか。病院はなぜ?こんなド派手にしてんだからそこだけ流通に割り込めないってわけでもないだろ。そもそも製薬会社の企みなわけだし」
「病院では別の摂取方法を試すと書いてあった。直接投与がメインになるのだろう」
「実験らしいことで。それだけか?」
お互いにマグに口をつけ口を湿らせながら会話を続ける。時折チョコレートやナッツを口に含んだり、会話の中身は兎も角として穏やかな休憩のかたちは出来ていた。
「まだだ。混入期間は凡そ一月。ただ、販売経路に乗ったのがその時点と言う事で実際食べられ出したのはもう少し後になるだろう。だから、潜伏期間は二週から三週」
「わりに長いな。感染経路が分かりづらくはなるのは利点か。目的に反してなかなか不穏なこった」
「材料が不足しているが、この人員の割り切り方を考えるにあまり善い目的のための研究ではないのかもしれない」
デイビットは眉を下げて、頭の吹き飛んだ女グールを指差す。
「彼女は元々あの製薬会社からの出向だ。名目は適当であるが、ここの工場の加工品に……IR3としよう、それを混入させていた」
「ほう、社員の切り捨てか。なかなか悪どいな」
「彼女の把握する情報では島の実験は約一週間は先の事であり、今日明日にでも脱出予定だったと認識していたらしい」
コツン、とモニター画面が叩かれる。いつの間にか開かれたページにテスカトリポカが目を滑らせれば、どうにも日記らしい。
デイビットは淡々とグールへと変貌していった彼女の徒然とした記載を要約し、読み上げる。
「7日ほど前から違和感が存在している。このところ島内に風邪症状を訴える人間が増加しており、彼女もそれだと考えたらしいな」
「実際にはグール化の症状だったってわけね。つまり免疫機能が働くのかこの、薬?」
「実際にはウイルスなのだと思う」
「あ?馬鹿か?幾ら感染力が弱いって言ってもウイルスなら変異するじゃねえか」
テスカトリポカは呆れた表情を隠さず、デイビットを見つめる。薬なら接種以外で広がらないが、ウイルスなんて媒体にしたらどこでコントロールから外れるか分からない。
デイビットもそれが分かるから、何とも言えない顔でチョコレートを齧った。
「うん。まあ。……それで、彼女のことだが、彼女はここでIR3の投与を行っていたわけで、それを把握しているからこそ島内の生産物を食べてはいない。軽く書かれていたが、食品による違いを調べるためにほとんどの生産食物にIR3は投与されている」
「念入りだな」
「肉や野菜の大部分は火を通して食べるから流通段階での混入だと不適切だったようだ。IR3は高熱に弱い」
「海産物はわりと火の通しが甘いってことか。まあ、缶詰なんてそのまま食べることも多いわな」
魚の加工場が選ばれた理由は判明した。火を通さないで食べる薬品投与のし易い加工物となるとなかなか幅は狭くなるし、島民全体が口にする確率の高いものと考えれば数は減る一方だろう。
薬品の中身は兎も角としてマーケティングはそれなりに考えた結果らしい。
デイビットは要らない努力をしていると断じつつ、女グールについて話を戻した。
「彼女の感染経路だが、ここに出向する時点で島中央の病院で身体検査を受けている。そこで感染予防として注射を射たれていたようだ。これが原因だろう」
「端からこの結末かよ。潜伏期間は?」
「これは二月ほどだな。変異が大きい分、潜伏期間が長いのだろう」
デイビットは女グールを静かに見つめた。彼女の身体は肩関節が外れたように腕がだらりと長くなっており、変異した時点で一般的な身体付きとは一線を画している。
変異の兆候はここ数日のうちに突然現れたようで、日記を綴る彼女の戸惑いはモニターの文字に踊っていた。
────頭が痛くて身体が重い。でも熱はないから出勤している。なんだか腕の関節が痛い。インフルエンザかも。島から出たらさっさと病院に行かなきゃ。
島の病院は嫌。彼処怖いし。
────お腹空いてきた。おかしい。さっきオヤツ食べたのに。今日だけでドーナツ何個食べちゃってるんだろ。
…………
最近、immortality-reagent-type3被験者の急発現が多い。
────肩がすごく凝ってる?痛い。もう仕事なんてほぼないから私引き上げちゃ駄目なのかな。上長に連絡してみよう。
…………
加工場の従業員から一人行方不明者が出た。急発現、やっぱり増えてる。
────上長駄目だって。契約ってうるさい。後ちょっと頑張ろ。離島手当貰ってるし。
…………
肩痛いの治らないし怠い。
────すっごく眠い。ちゃんと出勤したのえらい。きょうも肩いたい。
…………
かゆくなってきた
────ねむい?おなかすいた
かゆい
─────ri3ynutkkkkkkkkkkk
最後には文字を打ちこむことも出来なくなったのだろう。デイビットはテスカトリポカが読み終わったことを確認して、モニターのページを閉じた。
「生々しいな」
「一先ずポイントは倦怠感と特定部位の痛み、眠気、空腹感で良いと思う。このどれかを過剰に感じた時点で感染として扱うが、それでいいか?」
「うん、オマエいつも通りだな。もう少し成長してもいいんだぜ?」
「何の話だ。質問しているのはオレだが」
「OK。異論はない。因みに脳天ショットしてくれんのか?」
コーヒーを飲み干したテスカトリポカの問いに、デイビットはそうだな、と呟く。
「お前はそれじゃ死にそうにないからその後手足を折って、心臓を取り出して燃やすかな。灰は川に流す」
「……オレは吸血鬼じゃないぞ」
「知ってる」
テスカトリポカの苦情を意にも介さずデイビットもマグを置いた。二人は言葉なく立ち上がる。コーヒーブレイクはもう終わりだ。
「次は?」
「ここから道なりに、西だ」
「西か。次はもっと手応えがあると嬉しいがね」
二人は出入り口の扉を潜った。長い廊下の先、外の景色は入ってきた搬入口の直ぐ側に出ることが伺える。
外は明るかった。
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