星シリーズ

遠景の光


「ルリ様、夕食をお持ちしました」
「ありがとう、ジャスパー」

 目の前に出されたスープから、やわらかい湯気が立っている。ルリはスープをひと口含み、ゆっくり喉に流し込んだ。

「おいしいです」
「それは良かったです、ルリ様」

 こくん、こくんと時間をかけてルリがスープを身体に流し込んでいくのを、ジャスパーは静かに見守った。

――ルリ様が病を患ってから、もう随分と時が経つ。

 季節が過ぎていくにつれて、ルリは少しずつ衰弱していた。桃色の花言葉が儚く散るように、手のぬくもりを雪が奪うように、彼女の身体は病魔に蝕まれ続ける。
 あといくつ、季節を越えていけるのか。考えてはいけないことだ。考えたくもないことではあるが、彼女の身体をよく診ているジャスパーには、ルリの命の灯火がどれほどかが嫌でも感じ取れていた。

 スープを飲み終わったルリが、窓の外に目線を移す。外はすっかり日が落ちているが、コクヨウとターコイズを始めとする面々がまだ帰ってこない。

「みな、無事でしょうか。少し帰りが遅いようですが……」
「問題ありません。冬仕度のために、多めに食料を調達しておられます」

 この村はもうじき冬になる。保存のきく木の実をできるだけたくさん蓄えておこうと、コクヨウ達は昼頃に出かけていた。

「どうか無事で……」

 ルリは胸に手を当て、そっと目を閉じる。ジャスパーもそれに倣った。


「ジャスパー。少しだけ、外に出てもいいかしら」
「外、ですか。コクヨウ様のお出迎えにはまだ少し早いかと」
「ちがうの」

 ルリは小さく首を振る。

「広場で火をおこしてほしいのです。ほんの少しだけ」

 *

 広場の真ん中で、ジャスパーは言われたとおりに火をおこした。種火にいくつか薪を食べさせ、膝丈ほどの控えめな炎をつくる。

「ルリ様、くれぐれもご無理なさらぬよう」
「はい」

 革をなめして作った外套を身にまとったルリが、干し草で編んだ敷物の上に腰をおろす。ジャスパーはその横に、ぎりぎり腕が届く距離で座った。すぐに立ち上がれるよう、片方の膝は立てている。
 静かに火を見つめるルリが、おもむろに口を開いた。

「今年こそは、だれも死なないで過ごせたらなと思います。巫女の私がもっとしっかりしていればよいのですが……」
「ルリ様。ルリ様は巫女のおつとめを十分に果たしておいでです。あとは我々の仕事です」
「そうかしら」

 ルリが夜空を見上げる。

「年々、空に光が増えていきます。寒くなるたびに少しずつ」
「それは……」

 飢えと寒さで、毎年何人かの村人が夜の空へ旅立つ。長生きして天寿を全うしてほしいという巫女の願いを、自然はなかなか聞き入れない。
 今年は特に寒くなる兆しを見せており、コクヨウ達は何とか死者を減らそうと策を練っている。きょう長いあいだ出かけているのも、話し合いによる施策のひとつだった。

「くしゅん」

 ルリが小さくくしゃみをする。慌ててジャスパーは立ち上がった。

「ルリ様……!」

 彼女の体調を気遣ったジャスパーは、家の中へ戻る前に目の前の火を消そうとする。

「待って」

 ジャスパーの手をルリが制する。

「まだ、火は消さないで」

 視界に移る白い腕は、木の枝のように細く、少し触れるだけで折れてしまいそうだった。爪はうっすら青みが差していて、ジャスパーのたくましい腕とはまったくの逆だった。

「ルリ様。これ以上外にいてはお体に障さわります」
「ごめんなさい。ですがこの火は、この火はどうか、もう少しだけ……」

――まだ、消したくない。

 空耳が、ジャスパーの耳を揺らした。はっとしたように顔を上げてルリを見る。

「ルリ様、それはどういう」
「……いえ、ごめんなさい。忘れて。消してください」

 ルリはばつが悪そうにジャスパーから視線をそらした。いまにも泣き出しそうな表情で、弱っていく火を眺めている。
 ジャスパーは手持ちのなかで一番大きな薪をつかみ、無言で火に投げ入れた。

 パチパチ、パチパチ!

 大きな音を立てて火花が弾ける。炎は勢いを増し、ブワアと熱気を放った。元気よく舞い上がる火が、先ほどよりもひと回り、ふた回り広く辺りを照らす。居住区につながる橋の入り口が見えた。

「見えますか、ルリ様」

 松明の明かりとともに橋を渡ってくる人影が、うっすらと浮かび上がる。大きな竹かごを抱えているようだった。
「ええ、見えるわ」
 小さな火が近付いてくるのを見て、ルリの表情が明るくなった。
「私が火の面倒を見ますから、ルリ様はどうか、彼と家の中に」
 
「ねえ、ジャスパー」
「はい」

「いつも、ありがとう」
「とんでもございません」 

 ひと言返すジャスパーの口元が、かすかに綻んでいる。橋の方角からは、大きな声でルリを呼ぶ少年の声がした。
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