星シリーズ
シークレットナイト
きょうも夜が更けていく。おこした炎が薪を叩くパチパチという音だけが、独りの俺に話しかけている。
規則正しく耳をくすぐるのは、近くにある川のせせらぎ。あまりの静けさに眠気を誘われて、無意識のうちに口からあくびが出た。
追いかけ回して必死に仕留めたシカの肉を、あたたかな火へかざす。肉を刺した棒を持つ指先がやや熱い。
炎の向こうの景色が、ゆらゆらと揺れて眠気を誘う。
丸焼きはどうにも加減が難しい。また焦がしてしまいそうだ。そういえば、百夜の料理も大概だったな。
もし、もしだ。全人類が復活したのちに会えたなら。どうしてやろうか。話すことなんざ何もありゃしないが、顔が見られたら何から話そうか。
叶わない夢があれこれと、泡のように生まれて消える。頼んでもいないのに、心の底から次々と湧いてくる願い。ブクブク膨らんでは、水面(みなも)へぶつかり弾けていく。
「クク……」
馬鹿らしくて仕方が無い。何が『もし』『たら』だ。いよいよおかしくなったのか? 願う前に考えろ、この石化のメカニズムを。
余計な感傷に頭をこねくり回す時間など無いことは、俺が一番わかっているだろう。
非合理的な過ごし方をしやがって。
必死こいて頭を回すもロクに働きやしない。《疲労感は無視が合理的スイッチ》が、また切れてきた。
鉛が乗っているかと思うほどまぶたが重い。やるべきことは山ほどあるくせに、甘ちゃんぶった身体が電気信号を滞らせている。
コク、コクと縦に振れ始める頭。いまにも睡魔に敗北しそうな脳みそ。このままだと眠っちまうな――と、頭の片隅に残った意識で苦笑する。
何かをすっかり忘れてしまっているような気がする。鼻を通って体内へ入る空気が、どこか焦げ臭い。
そうだ。そういえば俺は。
気付いたときには遅かった。
あぁクソ。またシカを焦がした。
*
またつまらない夢のなかだ。いつも通りに窓からの朝日で目が覚めて、バターを塗った食パンを頬張り、騒がしい似たモン夫婦に会いに行く。
妄想すらも、やっかいな一日を懐かしがっているのだろうか。ただの夢だというのに、現実みたいにリアルな景色だ。
「そんだけでいいのか? 成長期だろ」
聞き慣れた、乾いた声。驚く俺をよそに、百夜はニカッと笑った。
「ホラこれ持ってけ」
ピクニックに持って行くような竹のカゴを、百夜は俺に持たせる。大きな手が俺の肩をパシ、と叩いた。
「おれ特製サンドイッチだ。腹(はら)空(す)かすなよ」
たまには早弁しちまえとささやく百夜。何となく真正面から顔を見ることができなくて、きちんとした挨拶をしないままに家を出た。
百メートルほど歩いたところで、そっと家のほうを振り返ってみた。エプロン姿のまま出てきた百夜が、玄関先に小さく見える。
クソやかましい声で俺の名を呼び、ブンブンと手を振っていた。
「千空ー! 千空、気を付けてな! 実験でムリやって大ケガだけは勘弁しろよー!」
耳をグサグサ刺してくる大声に返事をしようとしたが、どうしても声が出なかった。間抜けな顔で立っているであろう俺に向かって、百夜は満面の笑みを向けている。
俺もそっと、百夜に笑い返した。
前を向いてふたたび歩き出す。大樹と杠、二人との待ち合わせの角まであと少しだ。ほんの数十メートルなのに、無限に距離があるように感じる。
家を出てから随分経った。振り返っても、もう自宅は見えない。百夜の姿ももちろん見えなくなった。
「今頃のんきに二度寝してんだろうな……」
おそらくもう、同じ景色を見ることは無いのだろう。生きる時間が食い違っているかもしれないんだ、当然のことだ。
まばたきをする度に、サンタクロースからの贈り物たちがまぶたに姿を見せる。ロケットやロボの模型、望遠鏡、地球儀とアルコールランプ。
走馬灯のようにせわしなく流れた終わりに、満足げで鬱陶しい笑顔が脳裏を過ぎていった。
ああ、宇宙へ行きたい。行きたくて仕方がない。百夜。今度は俺の番だ。こんな状況下じゃあ、いつになるかはわかりゃしねえが。
テメーのいる星を、俺は空から見下ろす。宙に浮かぶ船の窓から、どこまでも青い地球を眺めてみせる。
通い詰めたラーメン屋に頼んだ特注の宇宙食を食べながら、うるさいテメーのことを思い出すんだ。
だから、それまで気ままに首でも洗ってろよ。そんなに遠くで手を振るな。
きょうも夜が更けていく。おこした炎が薪を叩くパチパチという音だけが、独りの俺に話しかけている。
規則正しく耳をくすぐるのは、近くにある川のせせらぎ。あまりの静けさに眠気を誘われて、無意識のうちに口からあくびが出た。
追いかけ回して必死に仕留めたシカの肉を、あたたかな火へかざす。肉を刺した棒を持つ指先がやや熱い。
炎の向こうの景色が、ゆらゆらと揺れて眠気を誘う。
丸焼きはどうにも加減が難しい。また焦がしてしまいそうだ。そういえば、百夜の料理も大概だったな。
もし、もしだ。全人類が復活したのちに会えたなら。どうしてやろうか。話すことなんざ何もありゃしないが、顔が見られたら何から話そうか。
叶わない夢があれこれと、泡のように生まれて消える。頼んでもいないのに、心の底から次々と湧いてくる願い。ブクブク膨らんでは、水面(みなも)へぶつかり弾けていく。
「クク……」
馬鹿らしくて仕方が無い。何が『もし』『たら』だ。いよいよおかしくなったのか? 願う前に考えろ、この石化のメカニズムを。
余計な感傷に頭をこねくり回す時間など無いことは、俺が一番わかっているだろう。
非合理的な過ごし方をしやがって。
必死こいて頭を回すもロクに働きやしない。《疲労感は無視が合理的スイッチ》が、また切れてきた。
鉛が乗っているかと思うほどまぶたが重い。やるべきことは山ほどあるくせに、甘ちゃんぶった身体が電気信号を滞らせている。
コク、コクと縦に振れ始める頭。いまにも睡魔に敗北しそうな脳みそ。このままだと眠っちまうな――と、頭の片隅に残った意識で苦笑する。
何かをすっかり忘れてしまっているような気がする。鼻を通って体内へ入る空気が、どこか焦げ臭い。
そうだ。そういえば俺は。
気付いたときには遅かった。
あぁクソ。またシカを焦がした。
*
またつまらない夢のなかだ。いつも通りに窓からの朝日で目が覚めて、バターを塗った食パンを頬張り、騒がしい似たモン夫婦に会いに行く。
妄想すらも、やっかいな一日を懐かしがっているのだろうか。ただの夢だというのに、現実みたいにリアルな景色だ。
「そんだけでいいのか? 成長期だろ」
聞き慣れた、乾いた声。驚く俺をよそに、百夜はニカッと笑った。
「ホラこれ持ってけ」
ピクニックに持って行くような竹のカゴを、百夜は俺に持たせる。大きな手が俺の肩をパシ、と叩いた。
「おれ特製サンドイッチだ。腹(はら)空(す)かすなよ」
たまには早弁しちまえとささやく百夜。何となく真正面から顔を見ることができなくて、きちんとした挨拶をしないままに家を出た。
百メートルほど歩いたところで、そっと家のほうを振り返ってみた。エプロン姿のまま出てきた百夜が、玄関先に小さく見える。
クソやかましい声で俺の名を呼び、ブンブンと手を振っていた。
「千空ー! 千空、気を付けてな! 実験でムリやって大ケガだけは勘弁しろよー!」
耳をグサグサ刺してくる大声に返事をしようとしたが、どうしても声が出なかった。間抜けな顔で立っているであろう俺に向かって、百夜は満面の笑みを向けている。
俺もそっと、百夜に笑い返した。
前を向いてふたたび歩き出す。大樹と杠、二人との待ち合わせの角まであと少しだ。ほんの数十メートルなのに、無限に距離があるように感じる。
家を出てから随分経った。振り返っても、もう自宅は見えない。百夜の姿ももちろん見えなくなった。
「今頃のんきに二度寝してんだろうな……」
おそらくもう、同じ景色を見ることは無いのだろう。生きる時間が食い違っているかもしれないんだ、当然のことだ。
まばたきをする度に、サンタクロースからの贈り物たちがまぶたに姿を見せる。ロケットやロボの模型、望遠鏡、地球儀とアルコールランプ。
走馬灯のようにせわしなく流れた終わりに、満足げで鬱陶しい笑顔が脳裏を過ぎていった。
ああ、宇宙へ行きたい。行きたくて仕方がない。百夜。今度は俺の番だ。こんな状況下じゃあ、いつになるかはわかりゃしねえが。
テメーのいる星を、俺は空から見下ろす。宙に浮かぶ船の窓から、どこまでも青い地球を眺めてみせる。
通い詰めたラーメン屋に頼んだ特注の宇宙食を食べながら、うるさいテメーのことを思い出すんだ。
だから、それまで気ままに首でも洗ってろよ。そんなに遠くで手を振るな。
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