星シリーズ

シークレットナイト


 きょうも夜が更けていく。おこした炎が薪を叩くパチパチという音だけが、独りの俺に話しかけている。
 規則正しく耳をくすぐるのは、近くにある川のせせらぎ。あまりの静けさに眠気を誘われて、無意識のうちに口からあくびが出た。

 追いかけ回して必死に仕留めたシカの肉を、あたたかな火へかざす。肉を刺した棒を持つ指先がやや熱い。
 炎の向こうの景色が、ゆらゆらと揺れて眠気を誘う。

 丸焼きはどうにも加減が難しい。また焦がしてしまいそうだ。そういえば、百夜の料理も大概だったな。

 もし、もしだ。全人類が復活したのちに会えたなら。どうしてやろうか。話すことなんざ何もありゃしないが、顔が見られたら何から話そうか。
 叶わない夢があれこれと、泡のように生まれて消える。頼んでもいないのに、心の底から次々と湧いてくる願い。ブクブク膨らんでは、水面(みなも)へぶつかり弾けていく。

「クク……」

 馬鹿らしくて仕方が無い。何が『もし』『たら』だ。いよいよおかしくなったのか? 願う前に考えろ、この石化のメカニズムを。
 余計な感傷に頭をこねくり回す時間など無いことは、俺が一番わかっているだろう。
 非合理的な過ごし方をしやがって。

 必死こいて頭を回すもロクに働きやしない。《疲労感は無視が合理的スイッチ》が、また切れてきた。
 鉛が乗っているかと思うほどまぶたが重い。やるべきことは山ほどあるくせに、甘ちゃんぶった身体が電気信号を滞らせている。

 コク、コクと縦に振れ始める頭。いまにも睡魔に敗北しそうな脳みそ。このままだと眠っちまうな――と、頭の片隅に残った意識で苦笑する。
 何かをすっかり忘れてしまっているような気がする。鼻を通って体内へ入る空気が、どこか焦げ臭い。
 そうだ。そういえば俺は。
 気付いたときには遅かった。

 あぁクソ。またシカを焦がした。



 またつまらない夢のなかだ。いつも通りに窓からの朝日で目が覚めて、バターを塗った食パンを頬張り、騒がしい似たモン夫婦に会いに行く。
 妄想すらも、やっかいな一日を懐かしがっているのだろうか。ただの夢だというのに、現実みたいにリアルな景色だ。

「そんだけでいいのか? 成長期だろ」

 聞き慣れた、乾いた声。驚く俺をよそに、百夜はニカッと笑った。

「ホラこれ持ってけ」

 ピクニックに持って行くような竹のカゴを、百夜は俺に持たせる。大きな手が俺の肩をパシ、と叩いた。

「おれ特製サンドイッチだ。腹(はら)空(す)かすなよ」

 たまには早弁しちまえとささやく百夜。何となく真正面から顔を見ることができなくて、きちんとした挨拶をしないままに家を出た。


 百メートルほど歩いたところで、そっと家のほうを振り返ってみた。エプロン姿のまま出てきた百夜が、玄関先に小さく見える。
 クソやかましい声で俺の名を呼び、ブンブンと手を振っていた。

「千空ー! 千空、気を付けてな! 実験でムリやって大ケガだけは勘弁しろよー!」

 耳をグサグサ刺してくる大声に返事をしようとしたが、どうしても声が出なかった。間抜けな顔で立っているであろう俺に向かって、百夜は満面の笑みを向けている。
 俺もそっと、百夜に笑い返した。

 前を向いてふたたび歩き出す。大樹と杠、二人との待ち合わせの角まであと少しだ。ほんの数十メートルなのに、無限に距離があるように感じる。
 家を出てから随分経った。振り返っても、もう自宅は見えない。百夜の姿ももちろん見えなくなった。

「今頃のんきに二度寝してんだろうな……」

 おそらくもう、同じ景色を見ることは無いのだろう。生きる時間が食い違っているかもしれないんだ、当然のことだ。
 まばたきをする度に、サンタクロースからの贈り物たちがまぶたに姿を見せる。ロケットやロボの模型、望遠鏡、地球儀とアルコールランプ。

 走馬灯のようにせわしなく流れた終わりに、満足げで鬱陶しい笑顔が脳裏を過ぎていった。

 ああ、宇宙へ行きたい。行きたくて仕方がない。百夜。今度は俺の番だ。こんな状況下じゃあ、いつになるかはわかりゃしねえが。
 テメーのいる星を、俺は空から見下ろす。宙に浮かぶ船の窓から、どこまでも青い地球を眺めてみせる。
 通い詰めたラーメン屋に頼んだ特注の宇宙食を食べながら、うるさいテメーのことを思い出すんだ。

 だから、それまで気ままに首でも洗ってろよ。そんなに遠くで手を振るな。
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