星シリーズ

本日、夜空滑空の運び
―千空とスイカ、ねがいごとはきっと叶う―

「――てことがあったんだよ、龍水!」
「なるほど。それは随分と幻想的な体験だったろうな」

 自分のあぐらのなかでお行儀よく体育座りをしているスイカ。ちいさな身体で懸命にジェスチャーをする彼女の思い出話を、龍水は静かに聞いていた。

「もしまた見られたら、ひとつだけでいいから欲しいんだよ」
「星をか?」

 龍水の言葉を受けて、遠慮がちにスイカがうなずく。小さな頭をポンポンと撫でて龍水は笑った。

「良いな! スイカ、欲しがるのは悪いことじゃあない! 星なんていくらでも我が七海財閥が贈ってやろう」
「ホント⁉」
「ああ。何なら、貴様が欲しい物なら何だってくれてやる。科学王国の大事な一員なのだからな」

 スイカの目が、きらりと輝いた。

「じゃあ、じゃあ、龍水がいままで欲しいと思ったものが知りたいんだよ!」
「ほう、なぜだ?」
「スイカもね、龍水の思い出話がたくさん聞いてみたいんだよ」

 スイカはたくさん話を聞いてもらったから、今度は龍水の番なんだよ! とスイカは言って、満面の笑みで龍水を見た。

「俺の思い出話が欲しい、か! いいだろう。だが先ほどの話をもう一度だけ聞いてもいいか? 俺は貴様の楽しそうな語り口がまた欲しくなった」
「もちろんなんだよ!」

 いまからするのは、石神村でのとある夜の話。

 *

「千空ー! ちょっと、ちょっと出てきてほしいんだよ! おねがいなんだよ!」
「あ? なんだ?」

 普段より強めの勢いで名を呼ばれ、千空は実験の手を止めた。クロムにその場を任せてラボから出る。
 外に出るなりスイカがパタパタと駆け寄ってきて、千空の服を遠慮がちながらもしっかりと掴んだ。

「千空、いったい何が起こってるんだよ?」
「おいおいおいおい、こりゃあ――」
「おぅどうしたスイカ」

 スイカが大声を出した理由が気になったクロムも、ひょっこりとラボから外へ出てきた。

「なんだよこれ⁉ ヤベー! ルリに知らせねーと!」

 外の景色を見るなりクロムはすぐに駆け出していった。ルリの名を叫ぶ彼の元気な声と、落ち着きのない足音が辺りに響き渡る。

「相変わらずよく通るな、アイツの声は」

 大樹のことがこれ以上無いくらいにお懐かしくなってくるぜ、と千空は笑みをこぼす。自分の服の裾をきゅ、と掴んだまま怯えるスイカをぽんぽんと撫で、不安の元凶をきちんと見るよう視線で促した。

「ククク、スイカ。あれは怯えるようなもんじゃあねえ、大丈夫だ。ちゃんと見ときやがれ」
「あれが何なのか、千空は知ってるんだよ?」
「勿論だ。千空先生が教えてやるよ」

 目の前の少女と視線を合わせるために、千空がかがむ。同じ視線の高さになったスイカをちらりと見て、千空はまた笑った。
 スイカを安心させるために彼女の背中を優しくさする。千空の手の温もりと、何やら楽しそうな彼の横顔で、スイカの不安はほとんど消えていた。

「スイカ、あれはな――」

 千空は勢いよく夜空を指さした。


「流星群だ!」


 爛々(らんらん)と輝く赤い瞳が見据える先には、たっぷりと星をたくわえた夜の空から、ところどころツツーと滑り落ちる流星たちがあった。

「りゅうせいぐん?」
「あぁ。スイカは見るの初めてか?」

 こくりとスイカが頷く。
 スイカはまだ幼いため、生まれてから一度も流れ星を見た事がなかった。

「星があんな風に空を滑ってるの、初めて見るんだよ」
「そうか。それで驚いたんだな」
「そうなんだよ。びっくりしちゃってごめんなさいなんだよ……」

 ばつが悪そうにうつむくスイカ。しょぼくれた肩を、千空は励ますように手のひらで叩いた。

「謝ることなんざひとつもねえ。大方、星が落ちてこねえか心配で知らせてくれたんだろ。お優しい名探偵スイカ様よ」
「千空!」

 何も理由を言わずともすべてを理解(わか)っている様子の千空に、スイカは安堵する。
 やっぱり千空は凄いなあ、という思いで心が温かくなった。

「いま滑ってるあの星が、こっちに落ちてきたりすることはないんだよ? 本当に?」
「あいつらは星のカケラみてえなもんだ。小石と変わらねえぐらいのサイズがほとんどなんだよ」

 千空は楽しそうに喉を鳴らして笑った。調子のいいリズムで地面をトントンと指さし、スイカの視線をおのれの指に誘導する。

「ここがゼロとしてだ」

 スイカが見ているその指先を、空へ向かって跳ね上げた。

「こっから五十キロとかいうとんでもねえ高さのところで、大概の流れ星は消滅する。だから心配いらねえ。もし、まあ万が一地上に届いたとしてもその時にゃ――」

 空を向けていた指を下ろし、スイカの足元の砂をひとつまみだけ拾う。

「こーんなちっちゃくなってんだ。何も問題ねえんだよ」

 パラパラと砂を落としながら、千空はにぃっと歯を見せた。
 対照的に、スイカはもじもじと何かを言いたそうにしている。

「あのね、あのね千空」
「あぁ」
「千空やクロムがルリ姉のためにがんばってたの、すごいって思うし、ルリ姉の病気が治ったいまももちろんおんなじように思ってるんだよ」

 スイカの手が震える。

「あぁ」
「それでね、千空たちのこのラボとか、クロムの科学倉庫とか、ここには大事なものがたくさん入ってるんだよ」

 スイカの声が震える。

「そうだな」
「だから――」

 スイカの被り物のすき間から、ポロポロと涙がこぼれはじめた。

「だから、もし星が落ちてきて、火事になって、全部焼けちゃったらどうしようって、思ったんだよ。千空たちは、実験に集中して気付いてない、かもしれない、から……言わなきゃ、言わなきゃ、って」

 千空は言葉を返さずに、スイカの背中を撫でていた。
 生まれたばかりの子をあやすよう、優しく。幼い考えだと笑うことなく、静かに。

 温かくて、自分よりも大きな手が背中にあることで、スイカの涙は少しずつ止まっていった。乱れた呼吸も戻っていく。
 スイカが落ち着いてきたころに、千空はようやく口を開いた。

「スイカ」

 ゆっくりと、スイカが千空を見た。千空の眼(め)も、スイカをしっかり捉えている。

「テメーの心配、ありがたく受け取ったからな」
「千空、」
「ただし」

 千空はスイカの被り物のおでこのあたりを、指でツンツンとつついた。

「『千空たち』のなかに自分もちゃんと入れやがれ。名探偵スイカ様も、科学王国の発展に欠かせねえ大事なメンバーだ。な?」

 そうだろ、と笑う千空につられて、スイカも顔を輝かせた。

「まァどうしてもまだ流れ星が怖けりゃな、願掛けでもしちまえ」
「願掛け?」

 あぁ、と千空はうなずいた。よく見てやがれよ、とスイカに向けてニコリと微笑む。そして、彼はおもむろに夜空を見上げた。星空を滑る流星のひとつに当たりをつける。

 千空は、考え事をするときと同じように人差し指を立て、その手を顔の前に持ってきた。真剣な、それでいてどこか遠くを見ているような眼差(まなざ)しで、流星を見つめている。
 力のない視線を空へ向けている千空に、スイカはかける言葉が見つからなかった。

 しばらくずっと、目星をつけた星が夜空を滑り終わっても、千空は動かなかった。言い知れぬ不安から、スイカが彼の肩を恐る恐る叩いた。

「千空?」
「――あぁ、大丈夫だ。悪いな」

 スイカと目が合った千空の表情には覇気が無かった。けれどすぐにいつもの瞳に戻り、スイカを安心させた。

「現代人の間ではな、『流れ星に願い事をすると叶う』っつう下らねえ迷信が流行ってやがったんだ」
「なるほどなんだよ! 千空、ずいぶん長いことお願いしてたんだよ?」

 どんなお願いごとをしたんだよ、とスイカに問われた千空は、さァな、とかすかな笑みをこぼす。深く息をしたあと、彼女に悟られまいと目を閉じた。


 流れ星たちは、溢れんばかりの星のあいだを縫うように、するり、まるで雪の上を滑っているかのような軽やかさで、するりするりと飛び続けた。まばゆく、それでいて自由で、けれど儚げな星々の営みは、見ている人々の心を洗うように癒やしていた。

 なァスイカ、と千空が口を開く。

「流れ星、もう怖くねえか?」
「もう大丈夫なんだよ! 千空が教えてくれたみたいに、たくさんお願い事するんだよ。ええと、まず、『千空が風邪ひきませんように』、なんだよ!」
「クク、おありがてえな」

 ふたりはそっと目を閉じた。流星に胸いっぱいの祈りを込める。たくさんの祈りを抱えながら、ちらちらと星は消えていく。

「スイカ」

 千空がゆっくり目を開ける。穏やかに光る赤色の瞳をスイカに向けて、彼女の名前を呼んだ。ふたりの目がパチリと合う。
 きょとんとした表情のスイカ。千空の細い指が、スイカのガラスについた葉を優しく取り除いた。

「テメーも風邪ひくなよ」
「えへへ、スイカは大丈夫なんだよ!」

 スイカは元気に返事をして、にこっと笑い返した。自分の小さな手で、生傷が多い千空の手をぎゅうと包み込む。
 そのままふたりで、流星が飛び交う空を見上げた。

「あのね、千空」
「ん?」

 スイカは夜空をスッと指さした。

「クロム、すぐいなくなっちゃったんだよ。ちゃんと流れ星見れたか心配なんだよ」
「ッハハ……!」

 千空は笑いながら立ち上がった。大空を抱きしめるように両腕を大きく広げて、クルンとその場で一回転する。

「シッカリ見てるだろうよ。同じ空の下にいるんだからな」
「なら安心なんだよ!」


 石神村の少し特別な夜は、ゆっくりゆっくり更けていく。良い事がきっと待っていそうな、それぞれの明日(あす)へ向かって。
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