星シリーズ

流星紀行
ークロムと千空、かがくコンビのよるの旅ー


「千空! 星、見に行こうぜ」

 日がすっかり落ちた頃。突然勢い良く立ち上がって何を言い出すかと思えば、キラキラと目を輝かせたクロムが叫んだ。
 いきなりの大声に動揺した耳が、キィンと音を鳴らす。言われるがまま、何か会話するまでもなくクロムの後ろを歩いた。

 科学の光で暗闇を照らし、木々をかき分け森を進んでいく。枝や雑草をカサカサ踏みながらしばらく行くと、視界が開けて小さな湖が現れた。

「おいクロム。星を見に来たんじゃねえのか? 木に隠れてロクに空が見えやがらねえ」
「おぅそう思うだろ? 違(ちげ)えんだなこれが」

 したり顔でクロムは下を指す。指先を辿(たど)った先には、まっすぐな水面(みなも)があった。
 波ひとつ立っていない水面(すいめん)に、夜空の星々が綺麗に映り込んでいる。
 どうだ、近くで見れてヤベーだろ、と笑うクロムの眼差しに射抜かれる。真夏だというのに、そよ風すら吹いていないのに、かすかに身体が震えた。


 草木も眠る静かな湖畔に揃って腰を下ろした。静寂に包まれた夜更けの水鏡(みずかがみ)を、ただじっと見つめる。こ
 んな、何の意味も無い時を過ごすのは、一体いつぶりだろうか。
 ここに来てからというもの、日が昇る時間から火を焚く時間まで、クロムたちとともに休む間も無く身体を動かしていた。科学のための一室に籠りきりになり、コップの水とフラスコの薬品以外の液体をロクに視界に入れない、息つく間もない生活が続いている。
 久しぶりに自然の液体を見た。

「おれやコハクに採集任せてないで、たまには千空も外に出ろよ。ずっと科学倉庫にいたら参っちまうだろ、なんかよ」

 時々吹くそよ風に揺れる湖面は、マイペースに時を刻んでいるように見えた。
 クロムの言う通り、どうやら自分には相当な疲労が溜まっているらしい。普段なら拾いもしない感性の戸が、うっすら開いている気がした。

 たまにはいいかと息をつくと、横のクロムはちらりと俺の顔を確かめて、何やら楽しげに目を細めた。
 何がそんなに楽しいのかという問いに、千空って意外とわかりやすいよな、と悪戯ぽく答えるクロム。なぜだか少し悔しい気分になり、何となく足を組み替える。それを見てクロムはまた笑った。

「なァ千空、火をおこしていいか」

 いつの間にか枯れ木を集めていたクロムが、種火を可愛がりながら聞いてきた。ほのかな明かりが消えないように、手で包み込むようにして真剣に火を守っている。

「テメー、俺がどう言おうが問答無用じゃねえか」

 おぅ、当然だぜ! とお元気一杯の返事が返ってきた。成長して大きさを増してきた焚き火に、屈託の無い笑顔が照らされる。
 クロムが見せる表情には力がある。硫酸のときもそうだった。
 村の仕事をほとんどサボっているのにも関わらずコイツが追い出されないのは、ルリへのひた向きな想いが村の連中へ愚直に伝わっているからなんだな、と感じた。

「千空は火ィ起こすの得意かよ」

 パチパチと鳴る火の相手をしながら、クロムが俺に問いかける。

「いまはな」
「『いま』は?」
「初めは死ぬほど時間がかかった」

 足元に生えている草をそっと撫でながら返事をした。司やクロム、あさぎりゲンらとはまだ面識が無い頃の、何てことない話だ。
 もう一年半以上も前になる。いまでこそ楽に火をおこせるようにはなったが、改めて思い返してみれば随分と手を焼いていたなと思う。
 火おこしのほかには、石器作りと狩りにも手こずった。大樹と取り組んだ復活液の作製にも一年ほどの時間を要した。
 何もわからない世界での科学工作は、どれも大変だった。

 現代社会は、随分と道具に恵まれていた。足りないものを比較的楽に調達することができ、インターネットや書籍、先人による論文のおかげで、必要な情報が容易に集められた。
 石化現象によって、多くのものが失われた。ひとつずつ名前を挙げればキリがない。
 思い出に浸る間を惜しみながら、もう一度また作り上げていけばいい。ああだのこうだのと、非合理的な無いものねだりに割く時間など無い。
 当分はこの不便な世界を、自分たちの手で開拓していく。

 それでも時折、戻らない日々のことを少し懐かしく、そして寂しく思う。
 あの日かいた汗も昨日かいた汗も同じものだというのに、取り巻く環境は大きく変わってしまった。

「千空でも手こずることあんだな」
「クク、普段の俺を見てりゃあわかんだろ。失敗ばかりなんだよ。トライアンドエラーだ。このストーンワールドでは特にな」

 目を閉じて、石化が解けた直後の、ひとりの頃の思い出をまぶたの裏に映す。すぐ昨日の出来事のように、鮮やかに思い出すことができた。
 まぶたを開けると、眉を下げた柔らかな表情でクロムが俺を眺めていた。

「そうかよ。千空、大変だったんだな」
「いや、確かに手間はかかったが――」

「わかるぜ。楽しいよな、ヤベーくらいによ」

 続けようとした言葉の先を、クロムにつかまれた。
 そうだ。俺は楽しかったんだ。心と体に疲労感がどれだけ重く溜まっていこうが、試行錯誤で日が暮れるあのひとときを間違いなく楽しんでいた。
 現在(いま)だってそうだ。そうか、コイツも同じ考えか。そうか。


「おぅ、火はこんぐらいでいいだろ」
「あぁ」
「寒くねえか?」
「一ミリも寒くねえな」

 クロムを隔(へだ)てた向こうに見える火は無事、満足する大きさまで育ったようだ。火をおこしてさえいれば滅多に獣は来ない。
 少しだけ、肩の力が抜けた気がする。

「空、どうだ」
「クク、いつも通りお元気に星が輝いてやがるだけだ」

 クロムの言葉を受けて空を見上げた。都会ではとても見られないような満天の星が、きらきらと俺の目に飛び込んで来る。まぶしさに耐えられず、ギュ、とひとつ瞬(まばた)きをした。
 むかし大樹たちとスカイツリーへ行ったときのことを、輝く星からふと思い出す。あの日も太陽が落ちていた。
 じれったい二人組を天望回廊へ置き去りにして、先にデッキまで降りた。注文した観光客価格のラテを口に含んでひと息つきながら、ガラス越しにビルを見ていた。

 光の海の上に自分がいるのが何だか不思議で、まるで銀河にいるようだった。湖上の星々も同じだ。この場所が本当に、まったく別の宇宙のような感じがする。
 悪くないな、と思った。

 不意にポチャンと音がした。手の平に軽くおさまるほどの大きさの石をひとつ、クロムが握っている。似たような石を湖に投げ入れたんだとわかった。
 何してやがんだ、と問うと、クロムはまた石を投げ込んだ。

「なァ千空。こうやってよ、波打った模様同士が打ち消し合うのも科学なんだよな」
「何だ、波紋の観察してやがったのか。そうだ、それも科学だ。先人様の存在はおありがてぇだろ。俺らが生まれる何十年、何百年と前に、自然を理屈で説明しようと一生懸命研究してくれてんだからな」

 マジでヤベーな、先輩人類様は! とクロムの声が弾む。今度は石を掴まずに、傷痕(きずあと)の目立つ指を水面に軽く滑らせた。

 湖面から二、三センチほど沈ませた指を持ち上げて、水滴が落ちるさまをじっと眺め、そして再び水に触れる。何かを確かめているかのように。

「クロム、どうした」
「ん。ちょっとな」

 俺を見ることなくクロムはふたたび石を握った。

「また投げやがんのか。気に入ってんのか?」

 おぅ、といつもの相槌を打ってクロムが笑う。じっと俺を見て視線を合わせてきた。

「千空。水ってよ、器に溜められるし、石を投げたら波打つだろ? なのにハッキリした形は持ってねえ。そういうトコが意味わかんなくてよ、なんか見てると癒されるっつうか、気分が落ち着くんだよな」

 たぶんおれ、こういうのが好きなのかもしんねーな……と呟きながら、クロムは手のなかの石をもぞもぞと弄ぶ。少しのあいだそうしていた後にゆっくりと立ち上がり、空いた手でズボンの砂を軽く払った。
 クロムがブン、と腕を振るたび湖に波が立つ。
 日頃よく目にする些細な事象に対しても、クロムの好奇心は旺盛だ。先導者もおらず、科学文明が育つ礎すら無いこの世界で〈妖術〉という概念を見出(みいだ)しただけのことはある。
 彼が持つ柔軟な思考は自分に無い物で、わずかながら羨ましく思う――手にし得ないものを求めたところでどうにかなるわけではないが。

「よっ、と……」

 ほのかな月明かりの下、クロムの手が触覚を頼りに石を探す。

「ククク、科学使いのくせして独特の感性してんな、テメーはよ……。いや、科学使いならではなのかもしれねえな」

「おぅ急になんだ? 褒めてんのかそれ」

 俺が発した言葉の意味が理解できなかった様子のクロムに対して、理解できなくても構わない、と言葉を返した。
 ただの自己満足なのだから、何かしらが伝わっていればそれでいい。意味がわかるかどうかなんて関係が無いんだ。

 三七〇〇年後の土壌に科学の種を蒔(ま)くのは自分、少なくとも現代人の誰かという考えが、恐らく俺のどこかにあった。だからこそクロムの存在に驚いた。
 驚いたと同時に、同じものを共有できる仲間を新しく見つけられたことが、たまらなく嬉しかった。
 クロムは、今後の人類にとって大切な光の、そのうちのひとつだ。心の底からそう思う。
 また、クロムが石を投げる。今度はさっきより幾分遠くへ行った。
 その前も、ひとつ前の石よりは遠くを行ったか。いつからか。
 どこかを目指しているような、意図的な投げ方。

「……クロムテメー、石を投げてる場所、闇雲ってわけじゃねえだろ」
「おぅ千空、やっとかよ」

 クロムは湖面に映り込む星々に重ねるように、狙いを定めて石を投げていた。

「千空のいた世界ってよ、色んな乗り物があったんだろ? 確か……ロケット、つってたか? それがありゃ、ヤベーほど遠い場所まで行けんだよな?」

 こんな風に星から星によ、とクロムはまた石を星に重ねた。
 宇宙を旅行するように、隣の星、そしてまたその近くの星へと、旅をさせていた。

「いつかおれは行くぜ、必ずな。だれも行ったことのねえヤベー場所によ」
 きらめく水面が映った瞳をぎらつかせて、クロムが俺を見据えた。科学使いの瞳だ。ついてこいよと言わんばかりの、とんでもなく負けず嫌いで、これでもかというほど研ぎ澄まされた、まっすぐなプライドを湛(たた)える瞳。

「あぁ、クロム。テメーなら有り得ない話じゃねえ」

 真夜中に燃え盛るクロムの精神に影響されて、俺の血までもが熱くたぎるのを感じた。


「科学ってやつはマジでヤベーよな」

ほんのり赤く色付いた星に石を放った後、クロムは手を止めた。

「どうした」
「おぅ、終点をどこにすっか考えてんだよ。どうせならとびきりヤベー星にしてえ」
「ならあれはどうだ、クロム。三七〇〇年前の世界で常に真北を教えてくれてた『ヤベー星』、北極星先生だ。長い間人類に貢献した、超絶おありがてぇ星だぜ」

 はるか向こうの北極星を俺が指さすと、最高にヤベーじゃねえか、とクロムの声が弾む。どうやらお気に召したようだ。こうやって、スポンジのように知識を吸収して、いずれはとんでもない科学使いになるのだろう。

「こっからどうやって行くかな……」

 コイツはひとつひとつ、確実に科学をモノにしていく。その上、持ち前の発想力は雨上がりに射す日光のようにまばゆい。
 遠くは無い未来、知識に裏打ちされて力を増したアイデアがどのような輝きを放つのか、もはや想像に難くなかった。頭のなかで景色を思い浮かべて、その光景に胸が躍った。

「こうすっかな? 聞いてっか千空」
「あぁ聞いてる」
「ホントかよ」

 点と線を地面に描(えが)いて、ルートを思案するクロム。
 こいつの今後が楽しみで仕方が無い。親兄弟のような、はたまた友人のような好敵手のような、言いようの無い複雑な心情で、体が芯から温かくなる。

「よし! 決めたぜ」
「いいじゃねえか。つぎはどの星だ?」
「やっぱ聞いてねえじゃねえか!」

 夜には到底そぐわない大声で騒ぎながらも、クロムの手が石を掴(つか)む。道筋を決めたようだった。わずかな風に揺れる星々が、今度はクロムの瞳のなかで穏やかな光を見せた。

「あいつ、その左、そのつぎはあれ、あとはもう見てろよ」
「おありがてぇ。見せてもらおうじゃねえか」

 先ほどの野心溢れるぎらつきは、いつのまにか鳴りを潜めていた。いまのクロムは至極(しごく)冷静だった。目的の星をひとつずつ指差しながら、口元に笑みを浮かべている。
 風が強くなってきた。池の水がゆらゆらした波を作るが、航路に変更は無い。
 俺の目にも、クロムが見ているのと同じ、彼方(かなた)宇宙への道が見えていた。


 北極星の手前まで、途切れることなく旅路は続いた。

「最後くらいは、届かせてえよな」

 これで終(しま)いだぜ、と言いながら、クロムは空っぽの拳を握り込んだ。そのまま、空に向かって思い切り腕を振る。
 同じタイミングで、一筋の流星が夜の宇宙を渡った。

「ヤベー! 見たかいまの!」
「あぁ見たぜ、バッチリな」

 空まで届いたんだぜ、おれが投げたやつがよ! とクロムがはしゃぐ。釣られて俺の顔も綻(ほころ)ぶ。本当はただの偶然だと、二人ともが当たり前のように理解していた。

 馬鹿らしいなと思いながら、それでも、どうしようもない焦燥感から、一時(いっとき)だけでも解放されたかった。心のどこかで無意識に望んでいた。
 休息のため、と止めた足に纏(まと)わりつくぬかるみから、ほんの少し抜け出す時間を。
 藻掻(もが)いている。科学使いらしからぬ拙い遊びに、それらしい話を混ぜて、自分を誤魔化しながら。
 ほかの連中に見せられない弱みを、さらけ出すための秘密の場所で。


 クロムの旅が終わってほどなくして、空には深い雲がかかった。観るものも燃やすものも無くなり火を消した後、いつの間にやら眠ってしまっていた。
 俺たち二人を呼ぶコハクの声が、遠くのほうからかすかに聞こえる。

 満天の星を覆い隠していた分厚い雲は、すっかり遠くへ過ぎ去っていた。夜を終えたばかりの空は、うっすらと朝焼けの色に染まっている。
 葉のすき間を抜けた日射しが、森のなかに梯子(はしご)を下ろす。空気中の塵が光の粒のようにチラチラ舞っていて、寝ぼけた瞳には少しまぶしい。
 やわらかな朝露の匂いが、そっと俺たちをくすぐった。

 あぁ、夜が明ける。
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