†恋に非ず†
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「恋じゃないの」
雪が積もってひんやりとした空気の中
彼女はそれに負けないくらい冷たい声でそう言った
隣にいた俺は一瞬くわえたタバコを取り落としそうになり、辛うじて口の端でそれを留める
「恋じゃないの」
もう一度
今度は満面の笑みで言われ
俺は今度こそタバコを口から取り落とした
「…はぁ…」
本日何度目かのため息
付き合ってる彼女…橘から『恋じゃないの』と言われ気分は超ブルー
恋じゃないと言われた事よりも『じゃあ何?』と即座に聞き返せなかった自分が情けない
火をつけたタバコからゆっくりと上る煙をぼんやりと見ながらそんな事を思った
「どうしたハボック!ついに橘にフラれたか?」
執務室に入ってきた大佐は冗談ともつかない言葉を発して俺の背中を叩いた
「…‥そんなとこッスかね‥」
吐き出したため息と共に添う言えば、後ろを通り過ぎようとした大佐の足がピタリと泊まった
「‥ふむ」
「…何スか…」
嫌な予感を胸に尋ねれば、大佐の回答はほぼ予想通り
『先ほど廊下で橘から食事の誘いを受けたのはそのせいか』
言われて俺は、更にどん底へ突き落とされた気分になりながらも、橘を探して駈け出していた
橘は国家錬金術師でそりゃ大佐とは仲が良い
でも
二人っきりでの食事はいつだって断っていた
それなのにっ‥
「橘っ!!」
廊下を歩くその後ろ姿を見つけ、乱暴にその肩を掴んだ
小さな悲鳴があがって振り返った彼女は困惑していた
「っ…びっくりした…どうしたの?」
びっくりしたのは俺の方
その言葉を飲み込んで、俺は彼女を見つめた
「…どうしたの、ジャン」
いつもと変わらない橘に何故だか苛立つ
彼女からは何も確証が取れてないのに
落ち着けよ、俺
「‥大佐と‥食事に行く…って‥」
罵声を飲み込んでかろうじて言葉にする
「うん」
しかし橘は即答
「研究の相談があって…」
‥研究…?
「なぁに~?浮気だと思ったの~?」
声にならなかった俺に、橘はニヤついて
「だったら昨日そう言ってくれれば良かったんじゃねぇの」
って苦し紛れ
「昨日帰った時点で行き詰まったのよ…。私、ジャンに一々行動報告しなきゃいけない訳?」
怪訝そうな声にツキンと胸が痛む
昨日の言葉ももれなくリバース
―恋じゃないの―
「ジャン、安心して?」
俺の頬に彼女の手が触れる
「私、貴女が好きよ」
少し背伸びして触れた唇
橘の感触
でも
俺の中では
何か
今までのソレと違っていた
次の日、大佐は上機嫌だった
理由は‥聞きたくない
橘は遅番で昼出勤
お昼は一緒に、と誘われていたが気分が乗らない
でも断ったら終わりな気がして
なんか妙な意地で了解した
「一応、サンドイッチとか作ってみたの」
司令部から程近い公園の芝生の上
目の前に並べられたバスケット
「こっちが紅茶で、こっちがコーヒー」
おって出された魔法瓶2本
「大佐がね、手料理の一つでも食べさせてやれって」
期待して喜んだ所に岩で頭を殴られた気分
昼に待ち合わせてからかれこれ『昨日、大佐が‥』と何度聞かされた事か
折角の手料理にも大佐の影がチラついて余計な物に見える
「ジャン?」
「ん、あぁ‥食べる」
ふ、と橘の顔を見れば目の下の酷いクマ
「‥酷い顔してるでしょ…ごめんね、ほら、査定の発表が近いからさ」
目の下を擦りながら橘は笑った
擦った指には絆創膏
綺麗に並べられてはいても具材がアンバランスなサンドイッチ
「サンキューな、頑張ってくれて」
橘の頭を軽く撫でれば嬉しそうに笑った
橘は決して料理が得意ではない
錬金術の難しい…なんたらリウムとかをどうしたらどうだとか小難しい事は出来ても、料理の化学式を結ぶのは苦手だ
そう
サンドイッチを作ってきてくれた
それだけで感謝すべき事
「味はね、大佐にも味見してもらったから保証済み」
この余計な一言さえなければ
「大佐に先に食べさせたんだ?」
「ここに来る前、昨日の相談のお礼に渡したらすぐに食べてくれて」
狭量な男って自分で思って
それでもいいから、橘の口から『大佐』って言わしたくねぇ
「すごく美味しいって、ジャンも喜ぶだろうって言ってくれたから…‥ジャン‥?」
でもそれは無理で
査定の研究が佳境に入るまででも、橘の口からは大佐の名前がチラチラ出ていた
同僚だから仕方ないって
でもさ
気づいてくれてもよくねぇか?
俺がどんな気持ちかって
「‥なぁ、橘」
「なに?」
「何で‥そんな大佐の話ばっかなんだよ」
「ぇ‥」
顔
見られたくない
「そんなに大佐の話してた‥?」
「無自覚かよっ‥」
プツリと何かがキレて
これから情けない事を言おうとしている自分を止める術も知らぬまま
俺は
橘への罵声を吐きながら、心のどこかで自分に幻滅していた
何を言ったのかすら覚えていない
ただ
橘が折角作ってくれたサンドイッチには一切手をつけず
驚いた顔をした橘の瞳から涙が流れて
それを見て冷静になったバカな自分が橘の静止や謝罪を全部無視してその場から逃げ出した
その事実だけがハッキリと脳裏に焼き付いていた
それから俺は
王道の如く謝るタイミングを逸して
自分のフラストレーションを持て余す日々を送った
橘を探している日は休みだったり
見かけた時はこっちが忙しかったり
山盛りになった灰皿に短くなったタバコを押し付ければ
「バカね」
と隣の机から声がした
「ホンッと‥そうッスね」
新しいタバコに火をつけて吐き出せば
煙りさえも俺を嘲笑うように俺の回りを漂った
思えば
俺は彼女の気さくなトコに惚れたんだった
男女関係なく
部下にも分け隔てなく
誰に対しても平等で公平な彼女に
制限をつけたのは俺自身
ヤキモチ妬きなのね、なんて言って色々と控えてくれて
夜勤の時は、良からぬ事を考える俺の為に差し入れしてくれたり…
橘は橘なりに俺を想ってくれてると思えてたのに
いつから‥
物思いに耽っていた俺の思考を遮って電話が鳴った
ホークアイ中尉が取ったのを司会の端で見て、耽っていた間に出来た灰を落とす
結局、恋愛なんてタバコみたいにジリジリ燃えていつかは灰になる
そんなもんなのかと
それが数時間前の話
彼女は
緊急手術室の中
命が
消えかけている
そんな状態
中尉が電話を取って、ほおけてた俺に受話器を差し出した
電話越しの誰かが言うには、査定の発表過程で何らかの錬成に失敗し彼女が意識不明の重体だって事を告げられた
ホントなら
すぐに
病院へ行って
橘のすぐ傍で回復を祈って
目覚めたら一番にその瞳に映したい
『‥彼女が目覚めたら…また連絡ください‥』
チン、と受話器を置いた音が部屋に響いて
ホークアイ中尉と目があった
「‥いいの?」
「…イイんスよ‥俺に祈る資格なんてない」
「…‥そう」
そう言って彼女は俺から視線を逸らした
それから今に至る
片付けた書類が他部署へ持ち去られて真っさらになった机に足をかけ
雨が降り始めて窓を叩く音を聞きながら、タバコの煙のゆく先を見つめた
情けないことこの上ない自分をどうする事も出来ず‥
そんな時、執務室の扉が乱暴に開かれた
「ハボック!何をしている!?」
コートも髪も濡らした大佐が怒鳴りながら俺の腕を掴んだ
「大佐?ちょっ‥」
「バカ者がっ!」
部屋から引きずり出されるように大佐に腕を引かれ、俺はただ困惑する
彼女のとこになら
行きたくない
「橘が目覚めた」
何を俺は言えばいいのか解らなくて
彼女が目覚めた事
橘が死ななかった事
喜びたい気持ちと
逃げ出したい気持ち
それしかなかった
病院に着く頃には雨は上がっていた
夕日が窓から差し込んでいる
ある部屋の前で大佐が立ち止まり、その扉を優しくノックした
「‥はい‥?」
中から聞こえたのは橘の不安げな声
「私だ、ロイ・マスタングだ。入ってもいいかね?」
「大佐?どうぞ!」
うって変わって明るくなった声に俺の胸がツキンと痛んだ
個室の病室の中には橘が横たわるベッドと来客用のイス
既に届いたお見舞いの花達
「大佐、何度も来てくれて嬉しいです」
そう言って大佐を迎えた橘の頭には包帯
体を起こす事もできず、ベッドの自動装置がゆっくりと彼女の上体を起こした
「さっきは花を持って来なかったからね。動けない分目で楽しまなければ病院は暇だろう」
そう言って花束を彼女に見せた
「ありがとうございます!可愛い‥」
花を受けとって微笑む彼女を見つめながら
俺が酷く場違いな気がして
何故ここに足を運んでしまったのか、と後悔さえした
黙って今帰れば…なんて思って一歩後退した時、彼女と目が合ってしまう
何を言おうか足りない頭をフル回転させている間が何秒あったのか、橘の視線はその数秒間で大佐へと戻り
「大佐…あの、あちらの方は‥?」
と迷い無く言った
「ハボック少尉だ。ジャン・ハボック‥私の部下だ」
大佐がそう言うと、彼女はもう一度俺を見つめると何かを探るようにジッと見つめる
「た‥大佐…?」
訳が解らず
目眩さえ覚えて俺はその視線から逃れるかのように大佐を呼んだ
正確には
視線は逸らせないままに
「記憶喪失だ。自分が国歌錬金術師であった事等は覚えているが、周りの人間の事は一切覚えていない」
「マジ‥スか…」
嘘みたいな現実に思わず膝が笑う
「一時的な物かどうかは検査次第、という事だが…‥ハボック、私は花瓶に水を入れてくる。彼女の話し相手になってやれ」
そう言って大佐は、橘が握っていた大佐の手をやんわり解いた
解かれた橘は不安げな顔をして大佐を見つめたが、大佐は『大丈夫だ』と言って部屋を出て行ってしまった
余程俺より恋人らしく
橘も俺より大佐を頼って
たった今までの数分
俺は俺の幼稚さに呆れるくらい傷ついていた
「どうぞ‥座って」
促されて俺は曖昧な表情でさっきまで大佐が座っていたイスに座った
「‥私、貴方の事なんて…?」
弱々しい声
知らない者を見つめる視線
「…ジャンだ‥」
「ジャン…」
橘が俺の名前を呼ぶ
これだけで
どんなに幸せか
チンケな嫉妬とコンプレックスで彼女を傷つけて
いっそ、俺と会わなきゃ良かっただなんて
こんな事になって
後悔する
「ジャン…手‥握って…?」
目から雫が零れそうになって
情けない気持ちで
すがるような気持ちで
包帯が巻かれた手を両手で握って額を押し付けた
華奢な手から伝わる温度にまた涙腺が緩みそうになる
「…じゃ‥ないの…」
「‥ぇ…?」
途切れた言葉を求めて顔を上げれば、彼女は俺を見つめていた
「…橘‥?」
ピクリ、と体が揺れる
何かを探すように視線が彼女の手を握りしめた俺の手を見つめた
「どこか‥痛むのか…?」
聞いても彼女は答えない
「‥どうした‥?ドクターをっ‥」
「いやっ!」
手を離そうとした俺の手を掴んで彼女が叫んだ
そしてまた暫くしてから俺を見つめて
ゆっくりと口を開く
「‥…恋じゃ‥ないの…」
あの日の言葉と同じ
あの日と同じ
いや
少しぎこちない笑顔
聞きたくなくて
顔が引き攣る
「恋‥じゃ…ないの」
もう一度
「じゃあ何な…―」
「愛してるの」
耐え兼ねて
叫びそうになった俺の言葉を辿って
橘は静かにそう言った
「ジャン‥ハボック…に、恋してるんじゃないの…私」
情けない顔をしてると解っていて
微動だに出来なかった
「愛してるの」
その言葉と
今までに見た事のない笑顔に
俺の全てが
釘付けになって
あの日すぐ聞かなかった事に後悔して
何もかも
遅かったのだと
実感して
最後の意地で止めてた涙が
とめどなく
溢れた
END
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悲恋指定だったので中途半端ですがここまでで。
2010/3/4 瑠鬼