黎明を走って
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きり丸はちらりと朱美を見上げた。
きり丸の視線に気付き「なに?」と彼女は尋ねてみるも、きり丸は視線を逸らした。
「なに」
「別にぃ」
土井先生にまたフラれたって本当?
なんて言えるわけがない。
たまたま食堂の傍を通ったら、担任の半助の「ごめん」と朱美の泣き声と「大嫌い」。
それを聞いたのは六年生と五年生。
話はどんどん広まり、ついに一年生の自分にまで下りてきた。
一年は組は大騒ぎだった。
だってそれを聞いたのは教科の授業を終えたばかりだったから。
大嫌い!と言われた半助は、いつもと変わらない様子ではなかったか。
休校日。
きり丸は朱美と共に杭瀬村に向かっていた。
大木先生の近所に住む体調を崩した奥さんが心配で、子守と家事をしに行くのだ。
もちろんタダで。
子守が苦手だから付き合って欲しいと言われ、しぶしぶ付いていったきり丸だったが、それを知った一年は組一同は大絶叫だ。
あのドケチのきり丸が、タダなのに、子守と家事手伝いをしに行くのだから。
「さすがの俺だって弱ってる奥さんから銭なんて貰えねぇよ」
朱美か、または望みは薄いが大木から貰うつもりだ。
そして半助との事を聞くつもりだった。
だから付いていくのだ。
遠くの山々は燃えるような紅に染まっている。
朱美もきり丸もその鮮やかさに息を呑んだ。
「すっごいね」
「紅葉狩りの客に弁当売ったら儲かるだろうなぁ」
「そうだね。きり丸くんらしい」
きり丸の言葉に笑いながらも頷く彼女は、声は笑っているのに、瞳は寂しさに溢れていた。
彼女はきっと半助のことを考えているに違いない。きり丸は内心溜息を付いていた。
食堂でも、外廊下ですれ違っても、彼女は笑顔で挨拶を返してくれるものの、心からのものではないことくらい気づいている。
失恋と聞いてくノ一教室の生徒達は、さぞ半助に怒りを向けるのでは無いかと思ったが、そうはならなかった。
放課後ですれ違った時の事だ。
「なんで朱美さんを振ったんですか!?って詰め寄ろうとしたのに」
「朱美さんが、土井先生は悪くないからやめてって……」
ユキは頭を抱え、トモミは溜息を付いた。
「でも、朱美さんの気持ち。シゲはよく分かりましゅ」
しんべヱと喧嘩をしたとき、ユキやトモミ達に彼の悪口を言われると、苛立ちが募るのだという。
「でも、だからと言って……あんな思い詰めた表情で言われても……!あーもう~!どうすればいいのかしら!」
「もどかしいったら無いわ!」
笑ってほしい。
それも心から、思い切り。
彼女の正体が明かされた時、朝礼台の上で見せてくれたような眩しい笑顔を。
それが一年は組とくノ一教室の願いだった。
いや、きっと学園の者は皆、そう思っているはずだ。
きり丸は彼女の一日を振り返る。
朝早くから食堂の手伝いをして、
その後は吉野と小松田と共に事務仕事をする。
人一倍働いたうえに勉学もこなす彼女を、教師達は嫌うはずがない。
そして委員会の仕事にも、暇さえあれば手伝いをしに来てくれる。計算も出来て、何故か生首フィギュアを怖がることなく興味深そうに見ている彼女は、上級生からも重宝がられていた。
この間も図書館の書棚整理を手伝いに来てくれたし、その後も、怪士丸と久作の宿題を手伝ったり、雷蔵に忍術について教えを請うていた。
しかし、図書委員会委員長 中在家長次だけは違っていた。うっすらと笑みを浮かべ、朱美を見ていたのだ。
すなわち、彼女に対して怒りを抱いているのだ。
「ねえ、きり丸くん」
「へ?な、なんすか?」
名を呼ばれ、きり丸は意識を今へと慌てて引き戻した。
「私、長次くんに嫌われてるよね」
「ええ?!そんなことないと思いますけど?」
彼女もこの間の書棚整理の時のことを思い出していたのだろう。
朱美は視線を前に向けたまま、静かに続けた。
「嫌われて当然だと思うよ」
「………嫌われてるというか、怒ってるというか」
そう濁せば、頭を乱暴に撫でてきた。
「なんすか突然!」
「可愛い後輩を悲しませているわけだから、嫌われて当然なんだよね」
その可愛い後輩とやらがきり丸を指している事くらい、きり丸は分かっていた。
悲しみを湛えながら微笑む彼女を、きり丸は、綺麗だなと思ってしまった。
こんな風に寂しく笑う彼女は、どこか大人びていて、きり丸の知っている彼女では無い気がした。
彼女は足を止めて、きり丸に向き直ると、頭を勢いよく下げた。
「きり丸くん……約束破って、ごめんなさい!」
「ええええ!!」
きり丸は驚くしかなかった。
突然頭を下げられて、きり丸は困惑するばかりだ。
「頭上げてくださいよ~。いきなりどうしたんすか」
「土井先生に会いたくなくて……。土井先生ときり丸くんの家に行くって約束したのに」
「もういいですってば。行きづらくなったお気持ちはよお~く分かってるつもりですから」
「でも……!」
「でもも、鹿も、カカシも、出茂鹿之助でもないっすよ」
デモシカノスケとは何だろうと思いつつも、朱美は口には出さなかった。
「そのかわり、朱美さんの残りの時間、ぼくのアルバイトをいっっぱい手伝ってくださいね?!あと、今日の分のお駄賃も!」
彼女と共に過ごせる日は、もう少ない。
だから悔やんでいる暇など無いのだ。
「申し訳なく思うなら、ちゃんと手伝ってくださいよ!?」
腰に手を当てて睨んでくるきり丸に、朱美の目尻から涙が滲んだが、ぐっと堪え、笑顔を作った。
「うん…………」
願わくば、心から笑ってほしいけれど。
きっとその笑顔を引き出せるのは、自分達ではないのだろう。
きり丸が歩き出せば、一歩遅れて朱美も歩き出す。
「あ、宿題の手伝いはいいっすから」
「え~?ちゃんと勉強しなさいよー」
「だって勉強教えてるときの朱美さん怖いし」
「真剣に教えてるの」
杭瀬村まであと少しだ。