11 ギクシャク
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朝露が葉の上を滑り落ちて音もなく土を濡らした。
新緑の香りを乗せた風が土井の前髪を揺らす。
けれども半助の心は鉛のように重く、厚い雲に覆われている。
隙あらば心の中で先日のことを反省する。
大人気なかった。
過去の話をして、明らかに様子が変わった彼女。
休むように勧めても頑として聞かず、青白い顔のまま事務の仕事をこなしていた。
触れてはいけない彼女が抱える何かに触れてしまったのだと悟った。
後ろめたさを感じつつも、覚束ない足取りで歩く彼女の後を付けた。その状態のまま倒れたり、綾部の落とし穴に落ちたら怪我をしてしまうからだ。
しかし彼女は、何かを見つけると走り出す。
思い詰めた表情の彼女は息を切らしながら、そこへ目指す。
利吉だった。
彼女はどうしても利吉に会わねばならなかったらしい。
利吉ならば心配することはない。
優しい彼ならば、彼女の抱える問題を解決してくれるだろう。
ホッとするも、自分の足は動こうとしなかった。
早く立ち去らねば。
これ以上、自分が立ち入るべきではない。
そうこうしているうちに、彼女の口から紡がれる彼女の過去。
知りたくないといえば嘘になる。
しかし、積極的に聞き出すことなどする気もないし、彼女が打ち明けるのを待つというスタンスでもなかった。
彼女が大切に抱えているものは、そのままでいい。
それでも、その箱の中にしまい込んだものを見るのは自分が最初でありたかった。
という気持ちさえ、その瞬間になるまで気がつかなかった。
そしてこんな時はいつも考えてしまう。
彼女の殻を破るのはいつだって他の者で自分では無かった。
山田伝蔵やは組のよい子達。そして、彼女にとって今日出会ったばかりの利吉だ。
この悔しさや寂しさはきっと親心からくる気持ち。
そう言い聞かせる。
そしてその寂しさや悔しさを彼女の前で見せてはいけない。
それなのに気持ちの整理は一向につかないのだ。
夕食時に彼女の顔を見たくなくて、早々に外で食べて来てしまった。その間、モヤモヤした気持ちに整理をつけた。
はずだった。
それなのに、夕食の片付けを終えた彼女を見て、引っ込めた気持ちが再び顔を上げる。
おまけに彼女に心配され、泣かせてしまった。
涙を見せたくない彼女は、何でも無さそうに涙を拭う。
そんな彼女を何とかしたくて、話をしたくて…部屋に引き込んでしまった。
部屋に招き入れたといっても、何かしたわけではない。いや、みっともない本音をさらけ出してしまった。
彼女の自分への思いは知っている。
自分もその思いと同じ形のものを持っている。
だけど、その形を合わせて一つの形にさせることを考えてはいない。それさえも彼女と同じであることは知っていた。
無意識のうちに作り上げた境界線。
それが彼女の殻を破れなかった原因なのかもしれない。
「遠慮しないでほしいと言ったくせに…」
思わず声に出してしまった。
自分だって彼女にしていたのだった。
まもなく彼女が長屋から出てくるだろう。
あの日までは心地よいと感じていた彼女との時間も、今は気まずくて仕方が無い。
何でもなかった風に振る舞う自分と、明らかにギクシャクしている彼女。
以前の彼女に逆戻りだ。
時が解決してくれるのだろうが、根本的な解決にはならない。
きっとこの先、自分の心が抑えられなくて、表に出てしまったら彼女はきっとまたギクシャクしてしまうだろう。
もしも。
もしも口づけなどしてしまった日には、彼女はもう戻らないかもしれない。
その一、自分の心を殺すこと。
その二、もはや打ち明けてしまうこと。
解決策はこのどちらかだ。
その一は、これまで実践しているのに殺しきれていないのだから困ったものだ。
その二など論外だ。打ち明けたところで、彼女を困らせてしまうだけであろう。何よりいつか元の世界に戻るときが来たとき、自分が耐えられない。
彼女は徐々に、だが確実に生徒達と打ち解けている。笑顔で話しかけたり冗談を言う彼女。
羨ましい。
そこに秘めた気持ちが混じっていないものだとしても、羨ましかった。
「……おはよう……ございます」
彼女が来た。
「うん。おはよう」
「お待たせしました……」
「待ってないよ。じゃあ行こうか」
視線は落とされ、表情は固かった。
半助は彼女のペースに合わせてゆっくりと食堂に向かって歩き出した。