時速90kmのまどろみ
夢小説設定
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
テーブルの上に置かれた丼を私はまじまじと見る。
黄と橙が混ざった溶き卵の艶。
透き通った玉ねぎ。
それらと衣を纏い丼に鎮座する豚カツが、湯気を上げながら「さあ食べろ」と私に言っている。
「この世界で料理研究家として第二の土井先生になれるんじゃないですか?」
「なに?」
よし、虚を突かせた。
「いただきます」
私は手を合わせた。
いざ向かい合わせに座れば羞恥が湧いてきて、「はい、あーん」など耐えられない。
素早く箸を取り、一切れを口に運べば、じゅわりと卵と玉ねぎと肉の旨味が一気に押し寄せてきた。
豚カツの下で今か今かと出番を待つ白米を掬い、口の中でカツ達と再会させれば、極上の四重奏が鳴り響く。
「おいしいです」
「だろう?」
存分に四重奏を堪能したところで私はようやく感想を口にすれば、半助さんは得意気に胸を張った。
彼にしては珍しい反応だ。
「君のために愛情を込めて作ったんだ。美味くて当然だろう」
なるほど。
「はい、あーん」の機会を失った代わりに私を照れさせる…そういうことか。
「レシピがあるとはいえ、苦労したんだぞ」
「う…」
「半熟の卵とじとか…」
違う。照れさせる作戦ではなく、罪悪感を募らせるつもりらしい。
半助さんはわざとらしく大きな溜息をついた。
「こんなに苦労したのに、一人で食べちゃうんだもんなぁ」
湿度を纏った視線が私を苦しくさせる。
「苦労されたからこそ、食べさせていただくという苦労をかけさせたくないのですが」
「あーあー、そういう事言うか君は!」
珍しく甲高い声で叫ぶ半助さんは年の差を感じさせない。
いいんだいいんだ、と体育座りをして背を向ける半助さんに私は驚きつつも苛立った。
そこまでしたいか。
そこまで「あーん」をやりたいか。
「わかりました!じゃあどうぞ!してください!」
私は半助さんに投げやりに箸を差し出した。
チラリと首だけこちらを振り返り、私を見る半助さんの目尻には涙があった。
「……私は、朱美が熱で辛いだろうと思って食べさせたかっただけで……そんな風に言われたら別に」
「はぁあ?」
口を尖らせてブツブツ言う半助さんの姿に私の苛立ちは最高潮に達した。
と、同時に、目の前の人物が本当に土井半助さんなのだろうかと思い始めた。
一体どうしたというのだろう。
分かりやすく拗ねる半助さんの姿に、彼こそ熱があるのではないかと疑いたくなった。
「半助さん…?」
彼に差し出した箸を一旦机に置いて立ち上がり、テーブルの反対側に歩み寄った。
「……」
長身で整った顔立ちの彼が膝を抱えている姿は少し滑稽だ。
だがその滑稽さすらも胸が甘い音を立てるのだから、彼を溺愛しているにも程がある。
彼の前に正座すれば、涙目で私を見てくる。
「もう少しで一緒に帰るんだろう?」
聞き逃しそうなほどの囁きだった。
一緒に、帰る。
間違いなく彼はそう言った。
「だから思い切り恋人らしいことをしたくなったんだ」
ふっと寂しそうに笑うその姿は、やっぱりいつもの半助さんだった。
「帰ればずっと一緒だ。でも二人きりで飯を食べることも、一緒の布団で寝ることも…無い」
彼の言葉に私の胸も寂しさで揺れた。
共に生きていける。
それだけでいいはずなのに、もっと一緒にいたいと願う私達は欲張りだ。
彼の言葉に、季節を先取りするような冷たい風が胸の中に吹き込んできた。
「さ、食べよう」
半助さんはくるりと私から背を向けて、テーブルに向かって正座した。
「風邪なのに、変なことを言ってすまなかった」
「あ…」
彼の背中が寂しかった。
私も元の場所に座れば、半助さんは手を合わせて「いただきます」と言った。
半助さんの一口は大きくて豪快だけれど、不思議と上品だ。
「うん。我ながらよくできてる」
にっこりと微笑む彼の笑みに胸が痛い。
「あ、あの……」
私の声に半助さんはキョトンとした。
もう彼にとって「あーん」はどうでもいいらしい。
その態度が私を躊躇わせたが、ここで挫けてはいけない。
私だって恋人らしいことを
したい。
おずおずと箸を彼に差し出した。
「食べさせて………ください」
半助さんは一度目を大きく開いたけど、目を細めて微笑んだ。
「いざやろうとすると…照れるな」
そう言いながらも頬を緩ませながら私の箸を使って、私の丼からカツを掴む。
「しかも粥ではなく、かつ丼だもんなぁ」
苦笑しながら私の前にカツを差し出した。
「朱美、はい、あーん」
確かに照れる。
口を開き、ぱくりとカツを食べた。
顔が熱いのはカツの熱さだけではない。
何処を見て食べればいいのか分からなくなり、私は俯いて咀嚼する。
ふっ。
彼の息遣いに視線を前に向ければ、そこには、意地悪な笑みを浮かべ私を見て小刻みに肩を震わせていた。
「ぶっ、くく……」
まだ咀嚼しているから何も言い返せない。
「いやぁ、朱美は可愛いなぁ」
気づくべきだった。
知っているはずだった。
忍者は手段を選ばない。
目的を遂行するためには、どんなこともする。どんなに惨めに思われても、どんな辱めを受けても、目的を遂げれば良いのだ。
アカデミー賞並の彼の演技力に改めて感心すると共に、最高に腹立たしかった。
「ま。きり丸の前でやったっていいんだがな。朱美さえよければ」
にんまり笑いながら、次の一口を用意してくれている半助さんを睨む。
「半助さ…」
「はい、あーん」
私の抗議を遮って差し出されるカツの半切れ。
「忍者嫌い…」
捨て台詞の如く言い放ち、半切れを口にする。
嫌いな忍者が作ってくれた愛情たっぷりのかつ丼は、それでも美味しかった。