8 改めてよろしく
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「異世界から来た食堂のお手伝いさん兼事務員兼雑用係の伊瀬階朱美さん!こちらこそよろしくお願いします。」
まどろみの中、私は昨晩のことを思い出していた。
「素敵な笑顔ですよ」
「キレたり爆笑してくれたり、俺、そっちの朱美さんのがいいな」
私を受け入れてくれた。
その喜びが胸一杯に広がり、一人微笑む。
「今日は格好良かったぞ」
土井先生の言葉に、胸がドキリとする。
先生からかけられる言葉がだんだん崩れている事にも気がつき、微笑みはニヤニヤへと変わる。
「伝子さんと仲がいいのは、妬けてしまうな」
胸の高鳴りに、私は目を開けた。
障子越しから差してくる光は、クリーム色だった。
聞こえてくるのは鳥のさえずり。遠くからは生徒達の元気な声。
私は飛び起きた。
寝坊した。
急いで着替え、食堂へと走る。
何浮かれてんだ全く。
走りながら私は私を罵る。
受け入れてもらえて安心して、緊張の糸が切れてしまったのだろうか。
やるべき務めを怠るなんて信じられない。
苛立ちのあまり「あぁもう!」と一人叫ぶ。
教員長屋を出た所で、足場が無くなり、もはや懐かしい浮遊感を感じた。
ドスン
瞬時に移り変わった景色。
包まれる土の匂い。
そう。私は穴に落ちたのだ。
忘れていた。
ここ最近は土井先生と共に食堂まで歩いていたから落ちることは無くなったけど、私を狙っている落とし穴問題はまだ解決されていないということを。
私は馬鹿みたいに口をポカンと開けて、空を見上げた。
寝坊したうえに落とし穴にハマった。
こんなにも不運が重なるなんてどういうことだろう。
「おやまぁ」
ひょっこりと紫の頭巾が覗いてきた。
見かけない顔だった。
「あ、あの、四年生…かな?申し訳ないんだけど、助けてくれないかな?」
彼は「はぁ」と曖昧な返事をして、手を差し伸べた。
四年生というと13歳くらいだというのに、私を穴から顔色一つ変えずに軽々と引っ張り出せるのだから、忍者って凄い。
掴んだ手は、端麗な顔に似合わず固くてゴツゴツしていた。
「ありがとう。名前を聞いてもいいかな」
「四年い組、綾部喜八郎です」
無表情のまま答える彼。
私は耳を疑った。
「ん?綾部喜八郎くん?」
「そうですけど?」
私は数回瞬きをして、彼をまじまじと見る。
食堂のおばちゃんからも、土井先生からも、食満くんからも聞いた、あの落とし穴を掘った張本人の、綾部喜八郎くん本人なのだろうか。
「穴掘りが得意な?」
「得意というか、特技というか、趣味ですかね」
感情を削ぎ落としたような声色で語る綾部君。
私を狙って落とし穴を掘る綾部君。食満くんに相談したら、それを止めるには彼と直接話してみるしかないという結論になり、私は綾部君を探し続けたけど全然見つからなかった。
それがやっと会えたのだ。
会えたら言ってやる事をばっちり決めていたはずなのに、いざ本人を前にすると口から出てこない。
というのも、彼の飄々とした態度に肩透かしを食らったからだ。
上下関係がしっかりしているこの学園で、食満くんからも食堂のおばちゃんからも、私を陥れるのをやめてほしいと注意してくださっていたのに掘り続けた人物だ。食堂で見かけたら私からも注意しようとしていたのに、私が洗い物しているときに限って来るという避けっぷり。
おばちゃんも来たら呼び止めておくと仰っていたけど、捕まえられず。
もっとやんちゃで、不良っぽくて、悪意たっぷりで穴を掘っている姿を想像していたのに。
だから私を見て、しまった、という顔をして逃げることも想像していた。
私の中の綾部君はそんな人物像だった。
なのに、実際はまるで違う。
彼のアーモンド型の無表情な瞳が私を写す。
何を考えているのか分からない。
そこで私は寝坊したことを思い出す。
早く食堂に行かなくては。
しかしせっかく綾部君に会えたのに。
「あ、あの綾部君、食堂まで歩きながら話さない?」
「いいですけど?」
すると彼は早足で歩き出したので、私は慌てて追いかける。まずい、主導権は向こうに持っていかれている。食堂に着く前に話を付けなければと、急いで尋ねる。
「綾部君って、もしかして私を狙って穴を掘ってた?」
「はい」
「どうして?」
「貴女が何者か知りたかったからです」
「だから穴に落としたの?」
「はい」
「ごめんね。ちょっと意味がわからないな」
いけない。彼の飄々とした雰囲気に翻弄されている。彼は前を向いたまま答えている。
「落ち方を見て色々考えてました」
「例えば?」
「貴女は落とし穴を見破れないし、着地もいまいちだからくノ一ではない」
「うん、そうだね。他は?」
「何も」
「え」
私は思わず立ち止まる。しかし彼は立ち止まらない。
彼と話すとまるで宇宙に漂っている気持ちになる。重力を失い、当てもなく彷徨う感じだ。
理解できない。
ならば無理に理解せず、私の要求を伝えようと、気持を切り替え、彼に追いつく。
「なら、もう掘る必要はないんじゃないかな」
私のことは昨日で分かったはずだ。
「そうですけど」
「私は忍者じゃないし、運動神経もあまり良くないから、怪我するかもしれないし。怪我したくないし」
「怪我するような掘り方はしませんよ」
そんな手加減できるものなのか。
彼の腕前に感心してしまった。
「それでもやめてもらいたいな」
「あとは貴女の落ち方が面白かったから掘っていただけです」
「え」
つまり最初の数回以降は、私の落ち様を楽しむために掘っていたわけか。
怒りが湧いてきてもいいのに、頭の中は相変わらず宇宙の中で、むしろ太陽系を抜けようとしていた。
「伊瀬階さんが立ったまま穴にハマったのを見て感動してしまいまして」
この時彼は初めて私を見た。
ウェーブした髪が揺れる。
瞳は相変わらずアーモンド型のまま形を変えていないのに、彼の透き通るような声は弾んでいた。彼なりに笑っているのだろうか。
立ったまま落ちたときとは…きり丸君のバイトを手伝った時だろうか。
「だから、頻度は減らしますけど、これからもよろしくお願いします」
彼は立ち止まりぺこりと頭を下げた。
「え…ちょっと待って」
「食堂に着きましたので。では」
「ちょっと!」
彼は素早く去って行った。
追いつけるはずもなく、私は彼の背中を呆然と見送るしかなかった。
確かに、食堂の勝手口にたどり着いていた。
「あら朱美ちゃん。ゆっくり眠れた?」
「食堂のおばちゃん!」
私は弾かれたようにおばちゃんに向き直る。
勝手口から出てきた笑顔のおばちゃん。
声色や表情からして、その言葉は皮肉なのではなく、心からの優しさからくる言葉だった。
それが更に申し訳なく感じて、私は平謝りする。
おばちゃんはそんな私を豪快に笑い飛ばす。
「いいのよ。昨日は色々あったでしょ?だからゆっくり休んで。ほら、朝ご飯食べちゃいなさい。今日も忙しい日になるわよ」
私の肩を掴み勝手口の中へと押しやる。
勝手口から厨房を経て、膳を貰う側へと移動すると、そこにいた忍たまとくノ一達は一斉に私を見た。
「あら、忙しいのは今からね」
おばちゃんは笑いながら呟いた。
でも実は既に大変な目に遭っていた事は言わなかった。