歌声に誘われて
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忍術学園で働くようになってひと月ばかり。
まだ日が昇りきらないうちに起床し、手早く小袖を着て、冷たい井戸の水で顔を洗い、食堂のおばちゃんの手伝いに行くという流れに慣れた頃。
食堂に行く前に体力づくりのためランニングを取り入れることにした。
動きやすさのため、事務員のおばちゃんから忍び装束をいただき、それを着て走っている。
朝起きたばかりの時間なら、忍たま達の朝練の前だから、私が校庭を一周しても邪魔にはならない。
ランニングを始めたばかりの頃は、4年の綾部くんの落とし穴に落ちまくり、その度に土井先生や6先生達に助けられ、恥ずかしいし申し訳ないしで、散々だった。
今でも穴の場所は見破れないが、私を憐れんでか綾部くんが手加減してくれているようで、最近は落ちていない。
そうなると、澄みきった空気のなか、誰もいない校庭を走るのは気持ちが良かった。
誰もいないと気持ちが大胆になって、ついつい歌を歌ってしまう。
自分のいた世界の流行の歌だったり、乱太郎君達が歌う歌だったり。
今日は何を歌おうか、楽しみながら迷っている自分がいた。
最近はもっぱら、某洋画の訓練中の軍隊がランニング中に歌う歌だ。歌詞までは覚えていないが、その分、替え歌をして楽しんでいる。
「いーつになったら帰れるかー」
(いーつになったら帰れるかー)
ワンフレーズずつ、教官の後に訓練兵が倣って歌う。走っているのは私一人のため、心の中で復唱している。
「学校友達何してるー」
「でもでも最近思うのはー」
「忍術学園楽しいぞー」
新緑眩しく、風薫る季節。
ランニングで火照る体を優しく撫でてくれる風を、私は胸いっぱいに吸い込んだ。
心は、早く元の世界に帰りたい気持ちで一杯だったはずなのに、新しい気持ちが芽生え始めている。
この風のように優しくて、現れたかと思えば颯爽と駆け抜けていくあの人が、そうさせたのだろう。
「みんながみんな優しいしー」
「おばちゃんの料理が旨すぎるー」
あの人だけではない。一年は組を始め、忍たま達、くノ一教室の生徒達、山田先生、山本先生、食堂のおばちゃん、小松田さん…。
朝起きると、やっぱり夢ではなかった、とガッカリしていたのが、今日の朝ご飯は何だろうと思ってしまっている。
朝食作りを手伝いながら、お腹が鳴ってしまって、おばちゃんにいつも笑われてしまう。
机を拭き終えた頃、いつもあの人がやってきて「おはよう」と共に笑顔を見せてくれる。
今、私の頬が紅いのは走っているからだけではない。頬の紅さを誤魔化すように私は、すこし大きな声で歌う。
誰に対して誤魔化しているのか自分でも分からないが。
「忍術学園楽し………あぁぁ!」
大きめに歌った時に限って落ちる。
学園一のトラッパーが掘った穴に吸い込まれ、重力のまま下へと落ちていく…はずだったのだが。
「大丈夫かい!?」
さすがは忍者である。
コンマ以下の出来事さえも対応できてしまう。
聞き慣れた声と共に、私の腕を掴み、落ちかかった私の体を穴の外へと引っ張り上げ、引き寄せられる。
誰が助けてくれたのかは、解りきっている。
「土井先生…!?」
「全く…綾部も綾部だが…伊瀬階さんも伊瀬階さんだ…」
もしかして怒っているのだろうか?
先生は目を合わせようとせず、背中を向けたままだ。
「次…からは、…く、くノ一教室の周りを、走った方が、いい…」
先生の声は、低く、何か詰まっているような声だ。肩が少し震えている。
私は察した。
「先生、もしかして笑ってらっしゃる」
「……」
「先生」
土井先生は、じゃあまた食堂で、と言って風のように走り去っていった。
そして、学園の遙か向こうで、爆発したような豪快な笑い声が聞こえてきた。
「歌、聴かれてた……」
私は恥ずかしさのあまりしゃがみ込み、頭を抱えた。
笑うなんてひどい。今日の昼ご飯に練り物を入れることをおばちゃんに提案しよう。