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「おや?伊瀬階さん」
仕事で使った大量の書物を事務室から図書室まで運ぶ最中、外廊下で土井先生から呼び止められる。
後ろから声をかけられても、おや? の 「お」の時点で土井先生だと分かって、心臓は一気に加速するのだ。
「はい?」
努めて冷静に。なんでもないように。
しかし愛想良く。
「ずいぶん沢山の本を…図書室に行くのかな?」
「…はい」
「重いだろう。私も持つよ。ちょうど図書室に行くところなんだ」
そう言って本を持とうと近づくので、私は後退ってしまった。
「い、いえ!大丈夫です」
「ついでだから」
焦るのは二つの理由。
理由一つ目。土井先生を見るだけで鼓動が大変なことになるのに、近づかれたら更に大変なことになって心臓がこの胸を突き破りかねないから。
理由二つ目。忙しい土井先生の手を煩わせたくないから。一年は組の補習やきり丸くんのバイトの手伝いで土井先生に休日など無い。
ついでだと仰っているけど、私に構わずサッと図書室へ行き、サッと職員室に戻れば良い。
「どうぞ、私に構わず」
「そうもいかないさ」
ああ、こうしている間にも先生の貴重な時間が浪費されていく。それはいけない。
「あれ?朱美さんじゃないっすか」
まさかきり丸くんの声を聞いて「助かった」なんて思う日がくるとは思わなかった。
「あ、それ俺が運びますよ」
「いくらで」
「伊瀬階さん?!」
図書委員だとしても、彼がタダ働きするとは思えなかったから口を衝いて出た言葉だった。
「うーん」
きり丸くんは私と土井先生を交互に見た後、耳打ちしてきた。
「……内職手伝ってくれるなら」
「はあ?」
「……朱美さんが手伝ってくれないなら土井先生に頼みますよ?」
ニヤリと私を見上げてくるちゃっかり小憎。
「……分かった」
「じゃ、お持ちしまーす」
私から本を奪い、きり丸くんはまさしくすたこらさっさといった調子で図書室へと消えていった。
しかしそこでしまったと思う。
土井先生と二人きりになってしまった。
「伊瀬階さん、その…」
「し、失礼します!」
そう言って私も土井先生にお辞儀をしてすたこらさっさと事務室へ急ぐのだった。
ーーー
彼女はいつもそんな調子だった。
毎日忙しそうな彼女を手伝いたくて声をかけるも、絶対に手伝わせてくれない。
そしてそんな時、誰かがやってきて、その誰かが彼女の仕事を手伝うのだ。
食い下がっても尚、首を縦に振らなかった彼女は、それなのにその者の申出には応えるのであった。
分かってはいる。
彼女の気持ちや思いやりを。
しかしこうも露骨な態度を取られると流石に落ち込んでくるのだ。
さっきだってきり丸がやってきて、私に運ばせてくれなかった彼女の本をいとも簡単に奪い去って行ったのだ。
ちなみに私と彼女の間に現れる誰かには、共通点がある。
必ず彼女に内緒話をするのだ。
すると彼女の顔はパッと輝いて頷くか、苦虫をかみつぶしたような表情を浮かべて頷くのだ。
一体何なんだ。
聞こうと思えば聞けるが、常に気を研ぎ澄ませているわけでは無い。
しかし今回は「内職」と言う言葉だけは聞こえてきた。
つまり、内職を手伝うことを交換条件として本を運ぶというきり丸。そんな条件に頷く彼女のことが理解できなかった。
私なら無条件で手伝うというのに。
君の助けに、なりたいのに。
そうだ。
この間だって…
ーーー
洗濯機が恋しい。
麻製とはいえ、忍装束の手洗いは大変だった。
水を吸って重くなった装束を洗濯板ですり合わせるのも疲れるし、絞るのも一苦労だ。
「伊瀬階さん」
「……はい」
どきーん、
なんて擬音があるが、私の胸の中でまさしくそんな音が鳴った。
「手伝いますよ」
そう言って私の傍に座り、桶の中にある装束の上衣を手に取ろうとしたから、私は取られまいと彼の手から遠ざけた。
驚いた様子で土井先生は私を見る。
近い。距離が近い。
心臓がマズイことになっている。
近いから土井先生の色んなことに気づく。
火薬の匂いがすると思ったら、それは土井先生の忍装束の匂いなんだと分かった。
本日の大いなる収穫である。
よく見れば彼の袖や襟には透明な何かがこびり付いていた。
それが何なのか、私もやられた事があるから知っている。
「しんべヱくんの鼻水…」
思わず口に出してしまった。
「え……」
私の視線をたどった土井先生は、袖や襟を見て慌てて跳び退った。
「す、すまない!」
汚い服で近づいてくるな、と解釈されたらしい。
とんでもない。
念のため、彼の鼻水が清らかであるという訳ではないことをここで言っておく。
私は慌てて立ち上がる。
「あ、あの!宜しければ、装束、洗いましょうか?」
「え……」
以前も洗うことを提案したけれど、頑として洗わせてくれなかったが、今回もそうだった。
でも、実際洗うことになったら、私の心臓はやはり大変なことになると思う。
「大丈夫だよ。それよりも水気を切るのは骨が折れるだろう。手伝おう」
そう言って、さっきよりも少し離れて私の隣に座り、上衣を取ろうとするから私は再び遠ざけた。
「朱美さん。お手伝いいたしましゅ」
ひょいと上衣を奪ったのはおシゲちゃん。
その後ろにはユキちゃん、トモミちゃん。
「おシゲちゃん!ユキちゃんに、トモミちゃん。悪いよ、大丈夫だから」
「朱美さん」
満開の笑顔のまま、ユキちゃんとトモミちゃんから耳打ちされた。
「…手伝わせていただけたら、この間の土井先生の授業のこと…」
「聞かせてあ・げ・る」
小悪魔チックな笑みを浮かべる彼女達は、本当に11なのかと疑いたくなった。
「よ、よろしく…」
私がそう言えば、土井先生は溜息を付いて去っていってしまった。
ホッとしたような、ちょっと寂しいような。
いや、これでいいのだと、我が儘な自分の心を戒めるのだった。
ーーー
くノ一教室の生徒だけではない。
先生方までそうなのだ。
山田先生ならまだしも、彼女とあまり接点のない野村先生や木下先生、あの安藤先生まで彼女の手伝いをすんなりとしてしまうのだ。
裏庭の除草作業をしていた彼女に声をかければ、案の定、固まった笑顔を浮かべて伊瀬階さんは振り返ってきた。
「お疲れ様です。お手伝い…」
「大丈夫です!」
今回は言葉を遮られてしまった。
「土井先生、補習が終わったばかりでしょう…?!夕食時まで休まれてください」
早口で言い終え、口を一文字にして私を見つめる彼女。絶対に譲らない、そんな固い意志が込められた表情だった。
「伊瀬階さんだって、夕食のお手伝いがこの後あるだろう?一緒にやって早く終わらせたほうが」
彼女のピリ付いた気配を解いてあげたくて、にこやかに歩み寄れば、彼女の張り詰めた気配は一層濃くなった。
「いいですから」
「伊瀬階さん…」
なぜ彼女はこんなにも私に頑ななのか。
好意を寄せているなら…そこまで頑なにならなくてもいいのではないか。
この言葉だけ聞けば、私が自惚れているように思えるが、普段の彼女の視線や気配から、私に好意を持っていることは明らかだった。
だからこそ、私に対する彼女の言動の矛盾が不思議でならなかった。
「伊瀬階くん」
近づいてきた気配はやがて私と伊瀬階さんの間に降り立つ。
野村先生だった。
くい、と眼鏡を押し上げながら、私に挨拶をした後、伊瀬階さんに耳打ちをする。
彼女の顔はぱっと明るくなり「お願いします!」と頭を下げていた。
「土井先生。ここは私と伊瀬階くんがやりますから」
「だから、早く休まれてください」
そう言って二人は仲良く除草作業を始めた。
大木先生がいかに卑怯な男か、話し始めた野村先生を伊瀬階さんはくすくす笑いながら聞いていた。
取り残されたようにぽつんと一人立つ自分が、ものすごく寂しい存在に思えたのだった。
また別の日では、トイレの落とし紙を補給するために学園内を走る彼女を見つけては、手伝いを申し出るもやはり断られた。
木下先生が彼女に耳打ちをし、「ではあちらの厠に」と落とし紙の一部を木下先生に渡しながら指示をし始めるのを見て、すごすご退散したのだった。
またまた別の日では、休校日だというのに自室にて、来るべき転校生や新入生のために忍たまの友を黙々と写していた。
戸が開きっぱなしなので、外廊下から私は彼女に声をかけた。
「わざわざ休校日にやらなくても」
「手習いにもなりますから」
「私も手伝う」
「いえ。それだと上達しませんし」
彼女は視線は机に落としたまま。
伊瀬階さんとの間に沈黙の幕が下りるが、それは私達の隔たりにも思えた。
「伊瀬階さん」
その幕を引き裂き、私は一歩、部屋の中に踏み入れた。
が、その時
「おやぁ?土井先生に伊瀬階さん?」
ねっとりとした声。
振り向けば、つやめいた頬。
彼女も私も同じ顔をしていた。
「休校日だというのに、何をされているのですか?」
「安藤先生」
「そういう安藤先生こそ。休校日は家にお帰りになるのに、なぜいらっしゃるのでしょうか」
筆を置き、立ち上がる伊瀬階さん。
いつにも増して饒舌な彼女の瞳は、好戦的に煌めいていた。
「よくぞ聞いてくれました。一年い組の補習のためですよ」
「おやぁ?優秀な一年い組の子達がですか?」
あ、少し似ている。
なんて思っている場合じゃない。
「伊瀬階さん。補習は授業が遅れているから行うだけのものではないんですよ」
自分で言っておいてなんだが、胃が痛む。
「そうです。先日教えた術をもっと深く知りたいと言ってきましたので、先ほどまで教えていたのですよ」
くどくどと一年い組の話をする安藤先生の話を渋い顔で聞く私だが、改めて一年い組の授業の進み具合を知り、更に胃が痛み、手で押さえていれば伊瀬階の視線を感じた。
気遣うような、心から心配している表情。
彼女に心配されてしまうのは、何だか恥ずかしさと申し訳なさがあった。
「あー、そういう話は左吉くん達から聞きたいので、もういいですから。安藤先生も、土井先生もお帰りください」
帰るのは私もなのか。
「伊瀬階さんは何をされているのですか」
「手習いを兼ねた忍たまの友の複写ですよ」
「貴女こそわざわざ休校日だというのに。日頃、一年は組の補習のプリントやら一年は組の授業の準備やらでお忙しいでしょうに」
私をチラチラみる安藤先生の視線のいやらしさに、握りこぶしを作って堪える。
「いえ、小松田さんのやらかしで忙しいんですよ。何でもかんでも一年は組に結びつけて嫌味を言わないでください」
しれっと言う彼女。
しかし安藤先生だってその位で黙るような方ではない。
きっと更なる嫌味を言うに決まっている。
だって表情が活き活きとしているもの。
「なら、私も手伝いましょう」
「い?!」
「え?!」
私も伊瀬階さんも素っ頓狂な声をあげてしまった。
「休日出勤など久方ぶりですからねぇ。今更家に帰れませんし、たまには、いいでしょう」
「あ、安藤先生……」
「わかった。たっぷりと一年は組と土井先生の嫌味を私の隣で仰るつもりでしょう」
「伊瀬階さん!?」
それは安藤先生のみならず、一年は組のよい子達や私を貶しているような気がしてならないのだが…
ツボに入ったらしい安藤先生は、艶やかな頬を天井に向けて高らかに笑った後、伊瀬階さんに耳打ちする。
すると伊瀬階さんは勢いよく安藤先生を見た。
「人には四つの肩は無い……四肩ない…仕方ないですね」
言ったのが伊瀬階さんだというのだから驚きだった。
安藤先生も私も一瞬だけ呆気にとられてしまった。
「なんですかその知性のないギャグは。いいでしょう、私からオヤジギャグとはどのようなものか、そちらも徹底的に教えるといたしましょう」
「あ、それはいいです」
そちらも?
それは?
一体どんな会話をしたのだろう。
気になる私をよそに伊瀬階さんは机を出し始めていた。
「土井先生。大丈夫ですから。ゆっくりお休みください」
「だそうです。ま、せいぜい今日くらい、休まれたらいかがです?」
二人の間にはいつも火花が散っているはずなのに、今日は大変仲が宜しいようだった。
勝手にしてくれ!
そう言いたかった。
おかげで滞納していた家賃も支払うことが出来たのだけど。
だが悲しい。
あまりにも悲しい。
なぜ彼女は私に だけ 頼ってくれないのだ。
……胃が痛む。
家から学園に戻り、教員長屋に向かう途中、山田先生と会った。
沈痛な面持ちの私を見てぎょっとした後、声をかけてくれたのだった。
「どうした半助!」
色々限界だった私は、一緒に自室に戻るなり山田先生に打ち明けてしまった。
ちなみに夕食の準備の時間だからか、隣の部屋は誰もいなかった。
「あー……それか」
山田先生はそんな彼女の様子は既にご存知らしい。しかも、知っているのはどうもそれだけではないようだ。
「分かっているとは思うが、伊瀬階くんは半助のためにだな」
「だとしても、ああも露骨な態度をとられたら私だって傷つきます」
胃がキリキリする。
「そもそも、なぜ他の先生方や忍たま達が伊瀬階くんの手伝いができるかというとだな……」
「はい……!」
山田先生の言葉を前のめりで待った。
何かやり方があるなら倣いたい。
必死すぎる私に驚きながら、山田先生は口を開いた。
「手伝わせてくれれば、半助の情報を教えるとか、半助が助かるぞと言ってるんだよ」
は?
私は固まる。
「きり丸なら、半助に手伝わせるばすの内職を。くノ一教室の生徒達はおそらく先日の火薬の授業の半助について。野村先生も安藤先生も、この学園に来たばかりの土井先生の様子を教えることを条件に手伝うと仰ったんでしょうなぁ」
私は尚も固まる。
山田先生はといえば顎先の髭を触りながら、更に続けた。
「強引に手伝おうとすれば手伝えるんだが、条件を出したときの伊瀬階くんの反応が面白くて、皆ついつい条件を出してしまうんだろう……半助、大丈夫か?」
気が付けば床に突っ伏していた。
「それなら直接土井先生にお聞きすればいいのに……面倒な人だ」
「利吉」
戸の外から利吉くんの声がした。
戸を開き、呆れかえったような表情をしたまま、彼は私達の傍に座る。
ついでに洗濯済みの衣服が入った包みも下ろしていた。
「ちなみに私の場合、嬉々として押しつけてきますがね。全力で逃げて、彼女が悔しがる様を堪能するんですよ」
「お前な」
ニヤリと笑う利吉くんだが、その言葉さえ私の胃を刺激する。
彼女は、彼に対して本当に遠慮がない。
利吉くんは私を見て慌てた。
「土井先生…しっかりしてください!……ますますあの娘が憎たらしくなってきました」
「おいおい」
いつの間にか用意した茶を啜りながら山田先生は苦笑する。
「ま、伊瀬階くんも半助を思っての行動なのだろうが」
「結果的に苦しめてるじゃないですか!」
「利吉、怒鳴るな」
「ところで父上、次の休みは」
「帰らん」
いつもの通り、山田親子の「帰れ帰らない」喧嘩が始まったので、巻き込まれないうちに私はそっと部屋を出たのであった。
ーーー
夕食の時間が終わり、伊瀬階さんは独りで食器洗いをしていた。
食堂のおばちゃんが手首を痛めたから、彼女が休むよう促したのだ。
配膳と片付けを一人でこなす彼女は、額に汗を浮かべながらも笑顔を絶やさなかった。
「ごちそうさま」
遅めに食堂に来て夕飯を食べた私は、意を決して食器を乗せた盆を持って、厨房の中にいる彼女の傍までやって来たのだった。
不思議そうに私を見上げる伊瀬階さんだったが、すぐに頬を染めて目を逸らす。
全く分かりやすい。
水に浸かっている食器も、洗い終えて積み上げられた食器も沢山あった。
食堂には、もう私達二人しかいなかった。
私は無言で自分の食器を水に浸し、他に浸かっている食器を洗い始めれば、伊瀬階さんは慌てる。
「ここは大丈夫ですから……先生は部屋に戻って」
「君は机を拭いてくれないか」
「あ、あの、土井先生?」
彼女の言葉を遮り、私は指示をとばす。
しかし頑として食器を洗う手を止めない彼女に私は溜息を付いた。
「君に露骨に避けられて私は胃が痛い」
ようやく彼女は手を止めた。
「避けるなんて……そんなっ」
「そんなつもりじゃなくても、あれだけ露骨に態度を変えられたらそう思うよ」
淡々と、責めるわけでも無くかといって無関心ではないように。
生活態度について指摘する教師のように…いや、私は教師なのだが、そんな風に彼女に言い聞かせた。
「私を気遣ってくれるのは嬉しい……だが」
話している間も、私は食器を洗い続ける。
「こうやって手伝いをしながら君と話す時間も……大切にしたい」
今度こそ彼女は像のように固まって動かなくなる。
いや、像ならばそんな真っ赤な顔はしない。
悪いことをした。
間違いなく誤解を招く表現だ。
いや、誤解ではないのだけれど。
おせっかいな隣人として一線を越えるつもりはないのに、自分から越えるような事を言ってどうするのだろう。
だがそこで私も慌てれば、間違いなく二人の距離は縮まってしまう。
「とにかく、私はダメで、生徒や他の先生方には手伝わせるのは、まるで私を除け者にしているようで傷つくんだ」
最初からそう言えば良かったなと思いながらも、先ほどの言葉も私の下心のない本音だった。
「ほら、机を拭いてきてくれ」
手拭いを渡せば、受け取る彼女の手は震えていた。
「は、はい」
声も震えている。
「でも……先生」
この期に及んで何を言い返すのかと彼女を見れば、
「それならば……私も先生のお手伝いの時、時々お話をしても、よろしいでしょうか?」
ポカンとしてしまった。
それが否定の意味として受け取ったのか、彼女は慌てて首を振る。
「すみません!何でもないです」
確かに彼女はいつも黙々と小テストの採点やら、補習の手伝いをする。
私が話しかければそれなりに話してくれるものの、彼女から話しかけはしなかった。
まさか、それも気を遣ってのことなのだろうか。
「……当たり前だ」
「す、すみません!」
否定の上塗りだと思われたらしく、今度は私が慌てて否定する。
「ち、違う。もっと話しかけていいってことだってば!」
「あ…そっちの意味で……す、すみません……」
どのみち謝らせてしまった。
しかし、はにかんだような笑みを浮かべていた。
あぶない。
そういう彼女の表情を見ると心の均衡が崩れそうになる。
「ほら。はやく拭いてきてくれ」
だから私は食器洗いに集中した。
「はい」
彼女の声は心なしか軽やかだった。
足早に厨房を出て、机を拭き始める彼女の背中を見て私は頷いた。
これでいい。
このままでいい。
ーーー
それなのに。
組み敷かれても微笑む彼女をまじまじと見つめる。
二年経った彼女はとても綺麗になっていて。
けれども少し照れたように笑えば、あの頃の面影が見え隠れする。
彼女の世界の彼女の部屋で、二人の思い出をぽつぽつと話せば、あの時の匂いも夜闇の深さも、鳥や虫達の鳴き声も蘇るようだった。
やがてどちらともなく口付けを交わし、これから始まる情事に鼓動が騒がしくなる。
彼女を今宵も曝いてやろうと、押し倒し、組み敷いたのだった。
「半助さん」
「なんだい?」
「今なら遠慮なんてしませんから」
「私もだ」
深い口付けを。
貪るような、遠慮の無い口付けをするのは、私だけではなかった。