2 長い一日
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絹のように心地よい春の風が、私とヘムヘムの頬を撫でていく。
昼下がり、二人で学園長の庵の縁側に座り、お茶を飲んでいた。
「ヘムヘムぅ…」
「うん。美味しいね」
「ヘムぅ~」
「ホント。暖かくて気持ちいい……」
何で犬と会話できているんだろう私は。
ヘムヘムは「ヘムヘム」としか鳴けないのに、何を言おうとしているのか、何となく不思議と分かるのだ。
いや待て、何を寛いでいるのだ私は。
この奇妙な世界で私は何を寛いでいるのだ。
今日は朝が早かったし、午前中は歩きっぱなしだったし、お昼ご飯は美味しかったし。疲れと満腹感と麗らかな春の午後が、私とヘムヘムをのほほんとさせているのだ。
私は空を見ながら、朝からの出来事を振り返った。
今日の始まりは、陽も出ぬうちに起こしに来たヘムヘムの顔から始まった。
ヘムヘムの顔を見て、やっぱり夢じゃなかったんだ、という落ち込みも、ヘムヘムの早く準備しろという催促によって追いやられた。
いつも早起きしていたつもりだったけど、それよりももっと早い時間だった。
電気なんて当然ないから薄暗い部屋の中で小袖に着替へ、庵までヘムヘムと向かった。
二本足で歩くヘムヘムの後ろ姿に感心しながら着いていく。
東の空は白みを帯び、沈もうとしている月は微かに金色の光を放っていた。知らない世界でも月と太陽はあって、朝と夜は繰り返しているのだなと、当たり前の事なのかもしれないが、それが不思議に感じた。
「失礼します」
障子を開けると、黒装束がたくさん座っていて、一斉に私を見た。そのビジュアルのインパクトの強さと、たくさんの視線が注がれた驚きで飛び上がりそうになった。学園なのだから、ここにいるのは先生や事務員さんなのだろうか。
一番奥には学園長が、入ってすぐの場所に土井先生と山田先生が座っていた。少しでも面識のある人を見ると、安心する。
土井先生と目が合うと、口元だけ少し笑ってくれた、ような気がした。
「ヘムヘム、ご苦労。朱美ちゃん、そこに座りなさい」
学園長の声で、ヘムヘムは学園長の隣に、私は促されるまま、誰にも座られていない座布団の上に正座し、学園長と向かい合う形になった。両側にはズラリと黒装束の人達がいるなか、桃色の装束に白髪のおばあちゃんと、割烹着姿のおばちゃんが座っているのが目についた。
そういえば、山本先生が見当たらないがどこだろう。
学園長は咳払いの後、私を紹介していただいた。
「先ほど説明したように、昨日、学園前で倒れていたのが、この朱美ちゃんじゃ。身寄りがなく、銭も無いため、ここで働いてもらうことにしたんじゃ。…朱美ちゃん。」
皆の視線が再び私に向けられ、尻込みしてしまう。見慣れた土井先生に反射的に視線を合わせると、優しく微笑み返された。
「頑張れ」と言っているようで。春の陽射しを受けて雪が溶けていくように、私の固くなってしまった心がじんわりと暖かくなっていくのを感じた。
私は深く息を吸った。
「伊瀬階朱美です。この度は、学園長のご厚意により、忍術学園で働かせていただくことになりました。右も左も分からぬ状況で、皆さんに何かとご迷惑をかけてしまうかと思いますが、皆さんのお役に立てるよう頑張りますので、どうぞよろしくお願いいたします」
バイト初日の挨拶をまた数百年前のような異世界で言うとは思わなかった。
丁寧にハキハキと話し、深々と頭を下げた。
正真正銘、右も左も分からない状況のなか、元の世界に戻れるまでお世話になるのだから、第一印象を少しでも良くしておかないと、という打算的な気持ちと、土井先生への見栄だった。
昨晩は、あんな情けない姿を見られてしまったけれども、私はこんなにもしっかりしている。というちっぽけな子供じみた見栄だ。
「そんなに畏まらないで朱美さん」
最初に反応してくれたのは、桃色の装束を着たおばあちゃんだった。
私が顔を上げ、おばあちゃんを見ようとすると、そこには山本先生が座っていた。
私は、そこに山本先生が何故座っているのか、先ほどのおばあちゃんはどこか。という2つの疑問に混乱していると、山本先生は何とも小悪魔的な、同性の私でも誘惑されてしまいそうな笑みをこぼした。
「ようこそ忍術学園へ。改めて挨拶するわ。山本シナです。くノ一教室の担任よ」
「困ったことがあったら、何でも聞いて下さいね」
シナ先生は、またしても桃色装束の優しそうなおばあちゃんへと変身した。
黒装束の美女と桃色装束のおばあちゃんは、もしかして同一人物なのだろうか。
もはや芸術的な早変わりを目の当たりにし、私がポカンと口も目も開きっぱなしにしていると、皆はそんな私の反応を微笑ましく見ていた。
それからは順番に、先生方の自己紹介が始まり、この中で一番年が近い事務員の小松田さんの挨拶が終わると、学園長は立ち上がった。
「さて、この後は全生徒を集めての朝礼じゃ。朱美ちゃん、また挨拶を頼む」
「は、はい」
先生や事務員さんだけでもこんなにいるのに、もっと大勢の前で話さなければならないのかと思うと、気が重くなった。
「そんなに緊張しないで伊瀬階さん。生徒達はみんな良い子ばかりですから」
私の緊張を察したのか、土井先生が声かけてくれた。
「は組の連中は遅刻しないといいのですがね」
頬がつやつやとした、美味しそうな名前の…確か一年い組の安藤夏之丞先生が、ネチネチとした表情と声で土井先生に話しかけてきた。口ぶりからして、それは心配しているのではなくて、嫌味を言っているのだと分かる。
土井先生は、何か言い返そうとしたのだが言い返せず、歯を食いしばって堪えている様子だ。山田先生が「確かにな」と溜息をつきながら呟いたことから、図星で言い返せる言葉が見つからなかったのだろう。
この集まりで、土井先生は先生達の中で1番若いことが分かった。その分、色々気苦労が絶えなさそうだなと思ったのは、バイトの中で私が一番年下で、しかもあの日は嫌な先輩と一緒のシフトだったからだ。
年上の人に失礼なことかもしれないが、大変だなぁと、同情していると土井先生と目が合った。
土井先生は少し照れたような困ったような笑みを浮かべ、山田先生と庵を出て行った。
昨日の厳しい顔とも優しい顔とも違う表情で、何故かどぎまぎしてしまった。
朝礼は、そこに集まっているのは私よりも年下の子達なのだと思うと少し気が楽になった。
学年によって、装束の色が異なっていて、台の上から見渡すと面白い。水色の装束の子達が1番背が低いし、顔立ちも幼いから、その子達が1年生なのだろう。
おばあちゃんのシナ先生と同じ桃色の装束を着た子達もいて、それがくノ一教室の子だというのもすぐに分かった。
みんな、物珍しそうに私を見ていた。
「伊瀬階朱美です。ちょっとした事情で、しばらく忍術学園で働かせていただくことになりました。よろしくお願いいたします」
話の途中、こっそりと水色の装束の三人組が、1年生の列の中に加わっているのが見えた。
もしかしてあの子達がは組なのかなと思い、安藤先生の予想が的中してしまったし、土井先生はまた嫌味を言われるのだろうかと心配してしまった。
別に恋人でも家族でもないけど、私を気遣ってくれた人が嫌な思いをするのは、嫌だった。
その後は、ヘムヘムと庵の掃除をした。
学園長はと言うと、自慢の盆栽の手入れをしていた。
埃を払ったり、渡り廊下を雑巾がけしたりしたが、さほど汚れていないのは、ヘムヘムがマメに掃除しているからだろうか。
遠くから生徒達の声が響いてきて賑やかだった。
スマホの電源はつかないし、時計も無いから分からないけど、掃除が終わったのは、お昼までまだ時間があるというのは体感的に分かる。
「もう終わったのか。ご苦労じゃった」
「他にお手伝いできることありますか?」
「うーーむ…そうじゃ!ヘムヘム、朱美ちゃんに学園を案内してやりなさい」
そうして、ヘムヘムと学園内を歩くことになったのだが…堂々と歩くヘムヘムと、その後ろをキョロキョロと落ちつき無く見回しながら歩く。
「ヘム!ヘムヘムムム!」
「うん。ここが正門だね」
昨日同様、正門の前には小松田さんが掃き掃除をしていたが、私達に気がつくと手を止めて挨拶してくれた。
「伊瀬階さん、ヘムヘム。こんにちは」
「こんにちは、小松田さん」
人懐こい笑顔で話しかけてきた事務員の小松田さん。
事務員としてお手伝いする時が来るかもしれないので、一緒に働く人が、気さくで優しそうな小松田さんで良かったと、内心ホッとしていた。
ヘムヘムに案内してもらっていることを伝えると、
「そっか。一緒に案内したいけど、ちょっと用事を頼まれちゃってて……分からないことがあったら聞いて下さいね」
そう言ってくれて、手を振って別れた。
次は校庭と教室だった。
校庭では、青色の装束を着た生徒達が手裏剣を的に投げている。確か二年生だ。私よりも年下なのに、手裏剣を投げる真剣な眼差しは、私よりも、私のいた時代の同級生よりも大人びていた。そして驚くことに、どの子も正確に的に投げていた。
私の姿を見ると、実技担当の野村先生も含め、こんにちはと挨拶してくれたので、私も挨拶を返した。
教室では、1年生達が各教室で授業を受けていた。それぞれ個性があって、教室の入口の格子窓から通りざまにチラリと見るだけでも面白い。
あの安藤先生が担任の い組は、みんな真面目に安藤先生の話を聞いているし、先生の質問にもすぐに手を挙げて答えていた。そんな い組の優秀さに、安藤先生はとても満足そうな笑みを浮かべていた。
早朝の土井先生への嫌味で印象が悪かったが、自分の生徒を誇りに思っているのだと知った。
一年ろ組の札が下がっている教室では、春の陽気はどこにいったのか。湿気と陰気さが満ちていた。それは斜堂先生と ろ組の生徒達から放たれているのだろうか。
しかも斜堂先生の声は小さくて、廊下にいる私はおろか、生徒達まで届いているのだろうか。
しかし彼らは小さく頷いたり、帳面に筆を走らせたりしているのを見ると、ちゃんと聞こえているらしい。
そして は組の教室だ。
良く通る土井先生の声は廊下にいても聞こえてくる。
「であるからして……って、コラーッ!」
突然の土井先生の怒鳴り声に私はビクリと飛び跳ねてしまった。どうやら授業中寝ている生徒を注意したらしい。
チラリと格子窓を覗くと、土井先生が素早く何かを投げていた。スコーンと気持ちのいい音がしたかと思うと、居眠りしていたであろう誰かがイテっと悲鳴をあげた。皆がドッと笑う。
「全く…じゃあ授業を続けるぞ」
土井先生は黒板に向き直り、チョークをカツカツと鳴らす。その真剣な横顔と、チョークを持つ長い指に私は動けなくなってしまった。
チラリと土井先生と視線が合い、私は覗き見していた後ろめたさからか、軽く会釈をして早足で去った。
校舎を出て、ヘムヘムは櫓に向かった。
梯子を登ると、半鐘が吊されていたのを見て、昨晩、土井先生に連れて行かれた場所だと気がつき、あの時のやりとりを思い出してしまう。
『馬鹿者!』
さきほど教室で怒っていた時とは違う、低くて私を射抜くような鋭い声。
『生きていればきっといいことがある』
『君は独りじゃない』
そして、優しく包んでくれるような暖かい眼差しと声。
私は急に恥ずかしくなって、自分の頬を両手で叩いた。
ヘムヘムはそんな私に気にもとめず、半鐘の傍に吊り下がっている紐にぶら下がった。
「?」
何をするのだろう。
黙って見守っていると、ヘムヘムは体を揺らし、勢いを付けて、半鐘に向けて頭を打ち付けようとしていた。
「ヘムヘム!?」
このままではヘムヘムが怪我をしてしまう。
止めようと思ったが間に合わない!
途端、カァン!と半鐘が鳴り響き、私は思わず耳を塞いだ。
傍で鐘の音を聴いたため、音が耳の奥まで刃のように突き刺さり、痛い。
「ヘムヘム……大丈夫!?」
ヘムヘムは平気な顔をして立っていた。どんだけ石頭なのだろう。
どうやら、彼が鳴らす半鐘が、この学園のチャイムの役割をしているようだ。
今の鐘の音は授業終了の時間を告げるものなのだろう。校舎や校庭の方から子ども達が歩いてくるのが見えた。
櫓から降りて、次に案内してくれたのは食堂だった。近づくにつれ、味噌や炊きたてのご飯の匂いがしてくる。
そうか、もうお昼の時間なんだ。
そう気がついた途端、私のお腹は鳴り始める。
食堂を覗くと、たくさんの生徒が列を作り、食堂のおばちゃんが世話しなくランチを用意していた。ヘムヘムと一緒に列に並ぶ。
皆は私を興味津々で見ているけど、話しかける言葉に迷っているようだった。
訳ありで学園に働くことになった私に対して、気軽に話しかけてもいいのか、悩んでいるようだ。私の後ろに並んでいる生徒が、
「いやでも地雷を踏んで気まずくなったら嫌だし」
と小声で話しているのが聞こえたが、忍なのだからそこは忍んでほしい。
「あら朱美さん。何にする」
私の番になり、カウンター越しの食堂のおばちゃんはにこやかに話しかけてきた。入口に張り出されていたメニューはAとB以外読めなかったが、前に並んでいる皆の注文内容を見ていたから大丈夫。
「えーと、A定食でお願いします」
「はい、どうぞ」
お盆を受け取る。具沢山の味噌汁とつやつやの白米の湯気が、焼き魚の油が、視覚にも嗅覚にも私の胃を刺激する。思わず声をあげてしまった。
「お残しは許しまへんで」
そんな私が面白かったのか、笑いながら言うおばちゃんに「残しません!」と、真面目な顔で言うと、更に笑われてしまった。
「えっと…食べ終わったらお片付け、手伝わせてください」
「あらいいのよ、初日から無理しないで」
「早く色々なこと覚えたいので」
「なら、よろしくね」と、笑顔のおばちゃん。この人も優しそうで良かったと、心底安心した。
「ヘム!」
「ん?ヘムヘムは学園長にお昼を持って行くの?」
こくこくと頷くA定食を持ったヘムヘム。更に、食堂の席と私とを交互に指さして「ヘムヘム」と鳴いた。
「私はここで食べてけって…?」
こくり、と頷くヘムヘム。
「う、うん。分かった。じゃあ片付けが終わったら庵に行くね。案内してくれて、ありがとう」
そうしてヘムヘムと別れたのだけれど…急に一人になって戸惑ってしまう。
みんな知らない人ばかりだし、席もまばらに空いてるから座りづらいし…。こういうとき、「一緒に食べよう」と声をかけられない私の小心っぷりが憎い。
盆を持って突っ立たままでいると、
「あっ!朱美さーん」
入口に一番近い席に座っている水色の装束を着た三人組が手を振っている。
あの三人組…眼鏡の子に、つり目の子、ちょっと丸い子…とても特徴的だから覚えている。
朝礼で遅れてきた子達だ。
人懐こそうな笑顔で、空いている向かい側の席を勧めてくれているので、ありがたくそこに座ることにした。
彼らは一年は組の乱太郎君、きり丸君、しんべヱ君と言うらしい。
「は組ってことは、土井先生のクラスかな?」
「「「そうでーす」」」
声をぴったりと揃えて答える三人。微笑ましくて、口元が綻ぶ。みんなの好きなメニューは何かとか、授業で何をやってるのかとか、他愛もない話題で盛り上がっていたが、話題は、私が学園で働く理由になった。一年生とはいえ忍者のたまご。私は気を引き締めた。
「俺達が裏裏山のランニングから帰ってきたら、朱美さんが倒れてたの見つけたんすよ」
ランニング…きり丸君の口から出た突然の横文字に突っ込みたくなったが、その時のことを思い出し、私ははっとした。
その時、私は制服だったし、革靴だったし、リュックだって背負ってたはず。この世界では見慣れない物だ。そこを突っ込まれたらどうしようと、一人でパニックになった。
そうだよ学園長。異世界から来たこと皆にはまだ秘密にするっていっても、は組の皆が見ちゃってたんじゃないの!?
今頃、庵で昼食中の学園長の元に走って問い詰めたい。
いや、私もその提案をされた時は何も疑問には思わなかったけど。
「その時の朱美さん……」
「え……うん、その時の私…?」
きり丸君が真顔で私の顔をじーっと見つめた。
「お金…お金……って寝言言ってましたよ」
その時、私は昔のコントみたいに長椅子から転げ落ちたかったけれど、持っている味噌汁を無駄にするわけにはいかない。
というか、お金って寝言を言っていた自分自身に驚きだ。
「そーそー」と、しんべヱ君と乱太郎君が頷きあう。
「金、必要なんすか朱美さん」
「朝会で言ってた、ちょっとした事情って、お金が必要ってことですか?」
「お金が必要なら、バイトの鬼のきりちゃんに相談すれば大丈夫ですよ」
あぁ、うん。
元の世界ではとにかくお金を稼がなくちゃ!と息巻いてたけど。
こっちの世界でもお金はあった方がいいから嘘ではないし、ここはきり丸君達の話のとおりにしよう。
「そうなの。お金がどうしても必要で。何かわりの良いバイトがあったら教えて?」
一年生は10歳と聞いた。10歳でもアルバイトをしなければならないきり丸君について、私は深く聞かないでおこうと思った。
「わりの良いバイトなんてそうそう無いっすよ」
「そうだよねー」
「それに、俺のバイトを紹介したら、俺の取り分減っちゃうじゃないっすか」
この10歳児、しっかりしてる。
ともあれ、倒れる前のいきさつや服装に話題を振られないで良かったと、私は内心胸をなで下ろした。
「午後は何の授業があるの?」
「山田先生の実技の授業です」
「確か、裏裏山でやるんだよね」
授業の前に遊びたいのか、残りのご飯を掻っこみ、片付け始める三人に、いってらっしゃいと言って見送った。
やがて食堂は空きはじめた。
ゆっくりしすぎてしまった。
私もそろそろ片付けないと。
そう思って立ち上がったところ、
「伊瀬階さん」
今度は色白で羨ましいほどの真っ直ぐな髪を束ねている深緑の装束を着た生徒に話しかけられた。確かこの色は六年生。さっきまで一年生の乱太郎君達と話していたこともあって、最上級生は貫禄すら漂っていた。厳しい時代のなか、忍者の修行をしてきた者の顔は、既に一人前の大人だった。
「私は六年い組、立花仙蔵と申します。一年は組の生徒から、昨日、貴女が学園の前で倒れていたことを聞きましたが……」
「う、うん」
自己紹介もそこそこに、聞きたかったことを切り出す仙蔵くん。その様子から、単なる世間話をするために話しかけてきたのではないのだと知る。
朝礼の時、皆には学園の前で倒れていた、ということはあえて話さなかったのは、根掘り葉掘り質問されるとボロが出てしまうだろうから。でも、一年は組の生徒に聞けば分かってしまう。
だけど、こんなに早く知られてしまうとは、上下の繋がりが結構強いのだなと関心した。
仙蔵くんの空気が少し張り詰めているような気がした。
「今しがた、乱太郎達とお金に困っているとも話されていましたが」
「うん」
「お気を悪くされたら申し訳ありませんが、その割に、髪や手が荒れていませんし、肌もそれほど焼けていない事が気になりまして」
言葉こそ丁寧だけど、彼の視線や纏う空気が警戒を帯びている。
ここで、貴方も結構色白ですよね?と言いたいけれども、ここで茶化せる大胆さは持ち合わせていない。
乱太郎君達のやりとりで油断していたけれども、不審に思うのが当たり前だ。
きっと本当の事情を知らない先生達も、表には出さないけれど、私が何者なのか知りたいに違いない。好奇心ではなく、不信感から。
しかし、それほど近くで見られていなかったのに、会話も聞かれ、髪や手まで細かく観察されていたことに驚きだ。
「私は頼るあてもなく、山の中で迷い、学園の前で倒れてしまいました。でも、そうなってしまった理由は言えません」
私の言葉に、仙蔵くんは眉をひそめた。
切れ長の目が印象に残る仙蔵くんの整った顔立ち。こんな場面でなければ、見とれていたかもしれない。
「でも、怪しい者じゃないです。シナ先生からも怪しまれて調べられましたし。じゃなければ雇われないです……でしょう?」
自ら怪しい者ではないと言う怪しい人はいないと思うけれど、身の潔白を証明するには、こう言うのが一番かなと思った。
シナ先生の名前を出せば、少しだけど警戒を解いたように見えた。完全に気を許してくれたわけではなさそうだけど。
「突然、失礼しました」
「ううん。気になって当然だと思うよ」
仙蔵くんがお辞儀をすると、ストレートな髪がさらさらと流れる。さらさら、という音が聞こえてきそうなくらいだ。
「何かあったら遠慮無く尋ねて下さい。では」
「ありがとう」
仙蔵くんは口元だけの笑みを浮かべ、食堂を出て行った。
ふぅ、と体の中にある緊張とともに息を吐き出した。
食器洗いを終え、テーブルを拭いていると、轟音と地響きがした。
驚く私をよそに、夕食の仕込みを始めている食堂のおばちゃんは「あらまぁ」と悠長な声をあげた。
「おばちゃん…今のは!?」
慌てて机の下に隠れる私を、おばちゃんは「大丈夫よ」と安心させるように笑いかけた。
「今のはそうねぇ、たぶん……」
おばちゃんは食堂の勝手口から外を覗くと「あぁやっぱり」と苦笑い。
「六年の仙蔵くんと一年は組のしんべヱくん、喜三太くんね」
何故立ちのぼる煙だけで分かるのか。
先ほど会った仙蔵くんとしんべヱ君の名前が出てきて、私は慌てて厨房側に周り、勝手口から外を見た。
見えたのは立ちのぼる黒煙。
まさか、何かが爆発してしまった?
それならば、しんべヱ君達が巻き込まれてしまったのか。
「待ぁぁぁてぇぇぇぇ」
遠くから聞こえる怒鳴り声と悲鳴。
そして轟音再び。
煙と3つの影。
「お前らは…!いつもいつも!!」
影の正体が分かったとき、私はあっけにとられた。
全身煤けて、髪もぼさぼさになりながらも何かから懸命に逃げているしんべヱくんと、もう一人の下級生。そしてその二人を鬼のような形相で追いかけている……仙蔵くん。
自慢のサラサラヘアーは見る影もなく、乱れまくり、透けるような白い肌も薄汚れてしまっている。
「またあの二人が仙蔵くんの宝禄火矢を爆発させたのね」
「火矢…、爆発…!?」
私が驚いていると、おばちゃんの口から、人参、タマネギと同じテンションで現実離れした単語が並びだしたので再び驚く。
「さ、支度しなきゃ」
未だ爆発音と怒声と悲鳴が鳴り響く中、おばちゃんは踵を返して、厨房へ向かった。
「わ、私もそろそろ行かなきゃ…」
あれは何でも無いことなんだ。
そう思い込むことにした。
先ほどまでのクールで麗しい仙蔵くんを、あそこまで豹変させる は組の生徒はただ者ではない。
私は頷きながら、庵へと歩き出した。