ケーキとビール
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「ごめんね~。だって恥ずかしくて……あはは。え?それはちょっと……向こうもそういうの嫌がるから……そう、うん」
ワンルームマンションで、こっそり話せる場所はトイレかバスルームしかないけれど、一緒に棲んでいるのが忍者なのだから、どこへ行こうと聴かれそうな気がするから、逃げも隠れもせずに壁に寄りかかって友達からの電話を受けている。
半助さんはといえば、気を遣っているからか少し離れたところで文庫本を読んでいる。少し離れているといったって、ワンルームなのだからたかが知れているけれど。
「あ~、うん…試験後の?行ける……と思う」
まもなく試験が始まる。それが終われば夏休みだ。
試験最後の日に、みんなと飲もうと約束をしていたことを思い出す。
ちらりと半助さんを見れば目が合うが、彼はすぐに小説の世界へと戻っていった。
「え……?うん、ごめん。そうさせてもらう」
窓を見ればカーテンの隙間から西日が差し込んでいた。眩しさに目を細め、カーテンを閉じた。
「うん、じゃあまた明日」
スマホの通話終了ボタンを押せば、半助さんは顔を上げた。
「確かに、朱美の友達に私を紹介させるのは遠慮願いたいが、試験後は遠慮しないで遊びに行ってくればいい」
いきなり話し出す半助さんに、脳がついていかない。
まるで私の聴覚と思考を共有していたのか。
友達との会話が筒抜けで、私が悩んだことを的確に答えてくれていたのだ。
驚きのあまり、通話終了ボタンを押したまま固まってしまった。
「朱美は可愛いなぁ」
文庫本をしまい、ニコニコしながら立ち上がり、私を抱きしめる半助さん。
この世界に来てから、超豪速ストレートな愛情をぶつけているような気がしてならない。
「私は戦慄して動けないんですが」
最早その笑顔すら怖い。
「朱美の返事でおおよそ想定はできるよ」
二年も離れていたからなのか、一流の忍者の凄さを忘れてしまったというのだろうか。
「試験後は遊びというか……飲みに」
「…?朱美は未成年だろう?」
お酒はハタチになってから。
そんなCMを見たからか、半助さんの時代には関係ない決まり事もご存知だった。
「えーーっと……」
「何だ?」
「ここ数日のゴタゴタで言い忘れましたが……」
「ああ」
「既に誕生日を迎えてハタチになりました」
「ん?」
日本にとって明治時代に根付いた文化なのだから、彼には当然馴染みがないだろう。
しれっとその文化を話せば、半助さんは慌てた。
抱きしめてくれた彼の手は、私の両肩をがしっと掴んだ。
「た、誕生日……終わっちゃったのか……?!」
この世の終わりだ。とでも言いたげな様子だ。
目を見開き、心底悲しそうに顔を歪ませている。
この様子だと、誕生日という文化を既に知っているようだ。
「もうすぐだと言ってたが……本当にすぐだったのか?!」
私の肩をがくがくと揺らす。
「まぁ、そうですけど」
がっくりと項垂れる半助さんは心底悔しそうな呻き声を上げていた。
私はただただ困惑するばかりだ。
「朱美の時代は、誕生日にお祝いをするのだろう?」
彼はのっそりと重い頭をあげた。
ほんの数秒間で憔悴しきった顔に変わり果てていた事にも驚きだけれど、誕生日祝いの事を知っていることにも私は驚いた。
「君が大学に行っている間、色々この世界を勉強しているんだよ」
「昨晩は、子ども向けアニメを見ていて号泣してましたもんね」
昨日、大学から帰ってきたとき、パソコンの画面からは、念願のルーベンスの絵を見られた少年と駆けつけてくれた親友の犬と共に天へ昇っていくシーンが流れていた。
振り返った半助さんの顔に私は驚きのあまりバッグを落としたのだった。
「馬鹿にしてるのか…?」
半目で睨んでくる半助さんに私は必死で首を振る。
私だってあの長編アニメを幼い頃叔父と観たが、最終回は二人揃ってさめざめと泣いたものだった。
「そういう映像作品もだが、この間は書店にも行って、色々見てきたんだ」
色々。
なぜか顔を赤らめた半助さんに、私は妙な直感が働いた。
「あ。いやらしい本とか見たんでしょう」
ビキニ姿のお姉さんが表紙を飾る雑誌は沢山ある。
「あのなぁ……」
半助さんの手は私の肩から頬へと移ると、この間の仕返しと言わんばかりに引っ張られた。
「一度しか言わんからよーく聞くように」
満面の笑みを浮かべる半助さんは容赦が無い。
「この時代の薄着の女性を見て、私は確かに困惑してしまう」
「ほらぁ」
「話は最後まで聞く」
更に引っ張られ、じりじりとした痛みが生じたので私は黙ることにした。
「その後に考えるのは君もそういう格好をすることがあるのか心配になりヒジョ~に気になってしまうんだ………分かったか?」
ぱっと手を離されたので、私はじんじんと痛む両頬を擦った。
「…わかりました」
「全く…!この時代のお洒落をする伝子さんを想像して気持ちを鎮めている私の身にもなってくれ」
「伝子さんはセクシー系より清楚系のが似合うと思」
「君の伝子さんの評価の高さは一体何なんだ」
私の言葉を遮って、やめてくれと懇願するように言う半助さんが不思議でならない。
「とにかく……朱美が不安に思うことは何も無いんだからな!?分かったか?」
ジト目で私の額を突く半助さんに、私はなんとなくムッとする。
「半助さんがむっつりなのがよーく分かりました」
そう言ってやれば、半助さんの目が一瞬にして笑みが消えた。
これは少し怒っている証拠。
「君は分かってて喧嘩を売ってるな?」
ついでに声も冷ややかだった。
「すみません。とりあえず誕生日の話に戻しましょう」
「もともと話を反らしたのは君だろう?!全く!」
半泣きで突っ込んでくる半助さんは、一年は組とのやりとりを思い起こさせ、私は嬉しくなってしまった。
「私にばかり遠慮して」と、彼は私によく言うが、そんな半助さんだって私に遠慮している。
だから、こんなやりとりが出来るのを実は嬉しく思っているのだ。
「そう。書店なりサブスクで見る映画なりで誕生日を祝うという文化を知ったのだ」
「なるほど」
サブスクという言葉が迷いなく出てきたことに驚きつつも私は頷いた。
「現在、金銭を稼ぐことが出来ないから、君に贈り物やバースデーケーキとやらを買うことが出来んのが悔やまれる」
「半助さん…」
不意に塞がれる唇。
そこから深い口付けへと変わる。
突然のそんな雰囲気に私は気持ちが付いていけず、半助さんの肩をやんわりと押した。
「なんだ…?」
「今は…ちょっと……」
「残念」
くすりと笑いながら耳元で囁くのだから参る。
「そ、その代わり、一緒にケーキを買いに行きません?」
「君のお金だろう」
「自分へのご褒美というやつです。それに、半助さんがケーキ食べるとこ…見てみたいですし」
「なんだその理由は」
「それに、一緒にお酒を飲みたいですし」
「………ほう?」
大学もアルバイトも無い日。
少し遅れた私の誕生日祝いをすることになったのだった。
「そうだ。そういえば」
半助さんは思い出したようにポンと手を打った。
「友達と飲みに行くとしても、何が『悪いね』なんだ」
私は固まる。
その話題がぶり返されるとは思わなかった。
黙っていれば彼は怪しんでしまうだろう。
出掛ける準備をしながら私は口早に答えた。
「早めに帰るってことです。さ、出掛けましょう」
「私が来なかったら遅めに帰ったわけだな?」
半助さんの声が冷たくなった。
数値にすれば、おそらく今流れているエアコンの設定温度より遥かに低い。
「あの友達と……」
玄関へ向かおうとした私を遮るように、壁に手をついた半助さん。
視線の冷たさに私は心がきゅっと縮む。
知らないわけではない。
友達のうち一人が自分にそれなりの好意を抱いてくれていることを。
一流忍者の鋭さは忘れてしまったのかもしれないけれど、一流忍者の傍にいたのだから、それなりの鋭さは磨かれていた。
視線、言葉使い、そして周りの友人達の動きから、なんとなく気が付いていた。
私が気が付くのだ。
彼が気が付かない訳がない。
そしてそれが面白くないと感じていることくらい分かっている。
半助さんが私の気持ちを疑っているわけではないのも知っている。
そして、それとこれとは違うという事も。
もしも私が半助さんの立場だったら……たぶん「行かないで」と言ってしまうかもしれない。
やはり行くのをやめよう。
当日、急にバイトが入っただの、体調が悪いだのなんだのと理由をつけて帰ろう。
そう思ったところで、半助さんはふっと悲しげに笑いながら「ごめん」と頭をぽんぽんと軽く叩かれた。
さきほどまで漂っていた陽気さは消え去り、エアコンの稼働音だけが聞こえるのみだった。
「あと少しでこの世界と別れてしまうんだ。友達と楽しんでおかないと」
「私……会えなかった二年間、ずっと、ずっと半助さんのこと……」
胸が張り裂けそうだった。
何を言っても言い訳がましくなってしまう。
それでも伝えたかった。
「私もだよ。ずっと君だけを想っていた」
柔く優しく抱きしめられる。
「朱美」
髪を指で梳きながら囁かれれば、ぞくぞくとして、体の中に疼きが広まってしまう。
「出掛ける前に……やっぱり、いいかな?」
熱っぽい視線。
少し拗ねたような表情。
そんな風に見つめられたら頷くしかない。
「は、い……」
途端に両手を壁に貼り付けられ、荒々しい口付けをされてしまう。
首筋に降られる唇に、呼吸がいとも容易く荒くなる。
くすりと彼の笑みが降ってきた。
額を合わされ、端整な顔立ちがすぐそばにある。
「『今はちょっと』じゃなかったのか?」
「………それ言うのはずるいですよ」
何もない日は始まったばかりだが、出掛けるのはもう少し後になりそうだ。