30 空を見て君を想う
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春の気配が色濃くなってきた。
陽の光が山間から広がっていく前から、虫達は鳴き出す。
朝方は掛け物から出ることを躊躇われるものの、前ほどではない。
束の間の春休み。
半助さんときり丸と過ごす最後の一時。
朝食の片付けを終え、早々に正門前へ向かえば、山田先生も半助さんも乱太郎くん達もそこで待っていたから、私は駆け出す。
「お待たせいたしました」
皆、笑顔で迎えてくれた。
「じゃあ出発しよう」
「はーい!」
半助さんの一声に三人は元気よく答えた。
山田先生に手を振り、学園を後にした。
三人はそれはそれは元気よく歌を歌っていた。
そんな三人が微笑ましくて背中をずっと見ていれば、隣の半助さんまで歌い出す。
歌詞は繰り返し歌う彼らの歌を聴いてて覚えたのだろう。
三人を支えるような、主張をしない抑えた歌声。
それに気づいたきり丸は振り向いて私を見た。
私も歌えと、目がそう言っていた。
みんな歌が上手いから余計に躊躇う。
首を振って応えれば、乱太郎くんもしんべヱくんも半助さんも視線で促してくる。
口パクしてれば早々にバレて、半助さんに背中を叩かれたから、渋々小声で歌う。
春の空はパレット上で水を少し足しすぎてしまったような水色を思わせる。雲一つ浮かんでいないのに、滲んでいるような、さっぱりとしない色だ。
みんなに支えられて、迷子になりがちな私の旋律が何とかまともになった頃、一本松が見えてきた。
「では、また学園でお会いしましょう!」
「パパにカステラとか金平糖とか、美味しいお菓子をいーっぱい頼んでおきましたからね!」
乱太郎くんもしんべヱくんも前を見ずに後ろ歩きをしながら遠ざかっていく。
危ないよと叫んでも、転ぶことなく手を振りながらこちらを向いたまま小さくなっていった。
彼らが見えなくなって、半助さんもきり丸も私も頷いて、家路についた。
半助さんときり丸の家に着き、私は息を大きく吸う。
「ただいま…!」
半助さんは眩しそうに目を細めて私を見ていたけれど、きり丸はニヤニヤしている。
「なーんでそんなに顔が真っ赤なんすか」
「うるさい。ほら掃除するよ」
私は荷物を置くなりさっさと手拭いを取り出して口元を覆う。
「私は大家さんに挨拶してくるよ」
「行ってらっしゃーい」
半助さんが家を出て、きり丸と二人で窓を開け、家中の埃を払っていれば、隣のおばちゃんがやって来た。
「おかえり朱美さん、きり丸。元気だった?」
「はい!」
このご近所付き合いも好きだった。
おばちゃんに限らず、皆、押しが強かった。
正しく井戸端会議をしては、半助さんの事を根掘り葉掘り聞かれたり、夏は暑さに嘆いたり、冬は水の冷たさに顔を顰め合ったり。
「夕飯、用意しといたわよ。また大家さんと一緒に食べましょ」
「ありがとうございまーす」
「いつもすみません。そうだ……」
きり丸と二人で選んだおばちゃんへのお土産を渡す。驚きながらも顔を綻ばせたおばちゃんに、きり丸と私は目を合わせて笑い合った。
大家さんも呼んでの夕食時に、私は故郷に帰ることを告げた。
「……そう、なの………」
「また戻ってくるのだろう?」
困惑の色を隠せない二人に、私は首を振る。
重い沈黙。
炭櫃の中の火の音だけが響くのみだった。
半助さんもきり丸も淡々と箸を進める。碗の中の具を食べ終え、汁を飲んでいた。
突然、おばちゃんは手をパチンと叩いた。
途端に空気は元に戻った様に感じる。
「まあ、生き別れの妹さんに会えたんだものね。良かったわ!」
「困ったことがあったら、遠慮無く尋ねてきなさい。半助よりは用立てできるからな」
大家さんの気遣いに私は深々と頭を下げた。
「きり丸、おかわりは?」
「いただきまーす」
笑顔で隣のおばちゃんにお椀を差し出すきり丸。
二人は不自然なほどに、半助さんときり丸にそれ以上の話題を振らなかった。
その夜は、窓から見える星を眺めて宇宙の話をしてあげた。
「なんだ、星って本当にキラキラ光ってるわけじゃないんすね」
「残念ながら。でも宇宙の物は高く売れるかもね」
「こらこら」
今度はきり丸が星の話をしてくれた。
兵庫水軍の方達から教わったスマル……昴の話だった。
スマルの話もためになったけれど、まず、水軍と仲が良いことに驚いた。
「何気に一年は組のみんなって顔広いよね」
「実戦には強いですから」
「勉強も頑張ってくれ」
半助さんの言葉に私は「あっ」と声を上げた。
「なんすか急に」
「朱美?」
不思議がる二人をよそに、私は自分の風呂敷からある物を取り出し、きり丸の傍に正座した。
真剣な表情の私に、半助さんもきり丸もつられて真顔になって正座したから、それがおかしくて笑うのを堪えるのが大変だった。
「きり丸。これ、あげる」
「あげるぅ?!」
テンションが一気に上がった彼だが、包みを開ければ固まる。信じられない、そんな顔をして私を凝視する。
紐に通され束ねられた貨幣が数束。
私がこの一年間で貯めたお金だった。
銭が大好きなきり丸でも、この量には困惑するらしい。
「私には必要ないから。だから、きり丸…学費に使ってもいいし、将来のためにとっておいてもいいし。好きに使って」
「朱美…」
「朱美さん……」
半助さんにも話さなかったから、彼もどうするべきか考えあぐねている様子だった。
「どうする?」
きり丸は困り果てていた。
「半助さんに預かってもらう?」
「うぅ……」
きり丸にあげたお金だ。例え保護者である半助さんでも渡すことは彼にとって躊躇われるのだろう。
「でもそれがいいと思うな」
私は半助さんに視線を合わせれば、彼もゆっくりと頷いた。
二人してきり丸を見れば、黙って俯いたまま彼は頷いたのだった。
半助さんときり丸の家で過ごす日々はあっという間だった。
特別に何かしたわけでも、どこかへ出掛けたわけではない。
夏休みと冬休みと変わらず、きり丸のバイトを手伝いながら家事をこなす日々だった。
赤ちゃんをお世話したり、犬の散歩をしたり、近所の方々の洗濯を引き受けたり。
「朱美さん、赤ちゃんの扱い上手くなりましたね」
「きり丸に鍛えてもらったからね」
おれが育てた。と言いたげに胸を張るきり丸。赤子を抱いていなかったら小突きたかった。
ちょうどその時、赤ちゃんのおしりあたりの肌着が湿っぽくなったので、きり丸と共におしめを取り替えることにした。
「朱美さんの世界のおしめってどんなの?」
「うーん、CMでしか見たことないけど……」
「しーえむ?」
背中モレしないとか、ムレないとか、12時間サラサラとか…思い出せる限りのうたい文句を言えば、きり丸と半助さんは目を輝かせた。
「なるほど、洗わないで済むのは助かる」
「いいなー」
当たり前のように豊かさと利便さに溢れた世界。
お風呂もゆっくり入れるし、好きなお菓子も久しぶりに食べられる。
そう。
私はそんな世界に帰れるのだ。
半助さんもきり丸も私も俯いた。
しかし赤ちゃんの大きな泣き声に我に返って、二人は立ち上がる。
「飴湯を作ってこよう」
「じゃあおれ、おしめ洗ってきまーす」
「お願いします」
私も赤ちゃんを抱いて、ゆっくり立ち上がって、体を揺らす。
「よしよーし」
目を合わせて体を揺らす。
けれども赤ちゃんは顔をくしゃくしゃにさせて、割れんばかりの大音量で泣いている。
飴湯を人肌にする間、半助さんが「かしてごらん」と、代わりに抱っこしてあやせば、赤ちゃんは安心したように泣き声を納め、しれっとした顔をしている。
魔法のような彼の所業は、何回見ても感動するし、何回見てもコツが分からない。
ふと彼と目が合う。
赤子を抱いた半助さんと並べば、まるで家族みたいで。きり丸がそこに加われば、更に家族みたいで。
あり得ない未来を想像し、胸が締めつけられたから、私は急いで首を振って考えを追い出した。
代わりに楽しいことを考えた。
「私が見た山田一家の夢…。北石さんも利吉さんもきり丸も私も赤ちゃんだった頃、伝子さんに抱っこされていたんだろうなぁ」
半助さんもきり丸も、世にも恐ろしいものを見る目で私を見ていた。