白墨
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突然の豪雨に慌てて近くの建物の中に入った。
自動ドアが開き、ヒンヤリとした空気と共に紙の匂いが私達を迎えてくれる。
この世界は虫の声は聞こえないのに、音に溢れている。
たいがい店の中に入れば音楽が鳴っているのに、ここは静かだった。
大きなガラス窓を叩く雨音だけが響いていた。
店内にはこの世界の様々な筆記用具が並べられている。
ボールペンだとか、シャープペンだとか、消えるボールペンだとか消しゴムだとか。
勿論、私にとって馴染み深い筆と墨も売られている。
「そうだ。ちょっと買い物してきますね」
試験間近の彼女はそう言うと手を離して、店の奥まで行ってしまったので、私は目の前の棚に飾られたシャープペンを手に取った。
親指でカチカチ押せば、先端からは芯が出る。
これを見るのは初めてじゃない。
使い方も知っているのは、忍術学園で彼女が使っているのを見たことがあるし、使ったこともあるからだ。
初めて見たのはいつだったろうかと記憶をたどれば、彼女の正体がまだ皆に知れ渡る前の頃だと思い出す。
部屋を尋ねれば、受験勉強をしているのだと答えていた。
戸の隙間から見える彼女の世界の勉強道具に興味がわいて、つい「見てもよろしいですか?」と言ってしまったのを思い出す。
そんな私の問いに、彼女は驚きと緊張が混ざりながら頷いたのだった。
あの頃の互いの距離を探り合っていた初々しさが懐かしかった。
「ふふ」
買い物を済ませた朱美が笑いながら近づいてきた。
「なんだい?」
「シャープペンを弄ってる半助さんが面白くて」
カチカチと親指でペンの端を数度押しては、長く出てしまった先端の芯を、試し書きのために用意された紙の上に押しつぶすようにして芯をしまう。その繰り返しをしていたのを、彼女は見ていたようだ。
「そこに何か書いてくれませんか?」
「実はもう書いたんだ」
試し書きの紙を見た彼女は再び小さく笑った。
「なんで『双忍の術』なんですか」
「つい」
彼女の世界に来てしまった日、双忍の術を明日は復習させようと思っていたのだ。
「土井先生らしい」
彼女が忍術学園を去る日、私は彼女に頼まれてノートに私の名前を書いたが、あのノートを彼女はまだ持っているのだろうか。
「そうだ。あの時のノート、まだ持ってますよ」
目が合う。
同じ事を考えていた事が嬉しくて、私が静かに微笑めば、彼女も微笑みを返してくれる。
彼女は再び「そうだ」と言って、私の腕を引いて店の奥へと連れて行く。
連れて行ってくれた先は、白墨が積まれたコーナーだった。
「ほぉ」
思わず声が出たのは、実に色とりどりのチョークの箱が積まれていたから。
赤、黄、青、緑、紫と……色鉛筆やクレヨンと変わらない種類の多さに驚いたのだ。
私の驚きに応えるように、色の多さを自慢する手書きの広告が付けられている。
授業だけではなく、飲食店のメニュー表や、雑貨屋の店頭広告など、様々な用途に使えることも謳っていた。
「試し書きも出来ますよ。先生」
その目の輝きは、私がチョークを手に取るのを待っていた。
「うん」
数ある試し書き用のチョークから手に取ったのは、馴染み深い白。
ありきたりの選択に朱美は少しだけがっかりした様子だった。
「白だといつも使ってるじゃないですか」
「ついね」
「でもやっぱりその方が『土井先生』らしい」
「そうかい?」
「例えTシャツとデニムでも。忍装束の半助さんが見える」
顔を赤らめて私を見る彼女の瞳は、どこまで澄んでいて、あの時のままだった。
試し書き用の黒板に今日の日付を書いてみたが、その間、彼女の視線を痛いほど感じた。
「それでは授業を始める………なんてね」
はにかみながら私を見る彼女に、年甲斐もなく胸の中は甘酸っぱさでいっぱいになって、騒がしくなる。
うぬぼれかもしれない。
彼女のそんな表情を見る度に、私は彼女に精一杯愛されているのだと感じるのだ。