29 桜咲く場所へ
夢小説設定
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
この数日間、放課後はきり丸達の宿題につきっきりだった。
何が大変だったかといえば、勉強を教えることはもとより、私の顔を見た瞬間、彼らは訪れる危機を察して逃げ出してしまうことだった。
三人には誠に申し訳ないけれど、その都度通りかかる上級生にお願いして捕まえてもらった。
ちなみに三郎次くんは積極的に手伝ってくれたし、左門くんは「手伝います!」と言ってはあらぬ方向へと走り去っていったし、小平太くんは鬼ごっこを楽しむかのように余計にややこしくしてくれた。
「残り少ない日を土井先生と過ごしたいお気持ちは分かりますが…」
「なら補習なんてやらなきゃいいじゃん」
「ぼくお菓子食べたい」
忍たま長屋の部屋で文句を垂れる三人を無視して、宿題を出すように促せば
「おれ達に宿題教える暇あったらその分先生と過ごせっつーの」
「聞こえてる」
わざとか。と思うくらいの声量で乱太郎くんに耳打ちにしていたきり丸。
「もう少しすれば宿題やれやれ言う奴はいなくなるんだから、勘弁して?」
冗談めかして言ったが、三人は真顔になった。
一転して訪れた重い空気。
しんべヱくんに至っては、鼻水は垂れに垂れて、つぶらな瞳がうるうるしている。
「えーっと……」
私は何とかこの空気を変えたかった。
「次の休校日の土井先生とのお出かけは、お菓子を作るためなんだ。その日の午後、一年は組のみんなと食堂へおいでよ」
そう言えば、まずはしんべヱくんが涎を垂らして目を輝かす。その涎に二人は苦笑しながらも、明るさを取り戻してくれたのだった。
「そんなわけで、もしかしなくても一年は組のよい子達がやって来ますので」
「想定事項が確定事項になったわけだ」
休校日に至るまでの日々を、半助さんと手を繋ぎながら話せば、彼はくすりと笑う。
訪れたばかりの春は、陽射しは暖かくとも風はひんやりして心許ない気持ちにさせた。
まだまだ冬の気配が色濃く残っている。
しかし、ちらほらと見かける桃の花は確実に季節は進んでいることを教えてくれた。
「三人に嫌なこと言っちゃいました…」
「授業態度も変わってないから大丈夫だろう」
「あの子達、強すぎでしょう」
繋いだ手は町に着く少し前に離した。
忙しなく行き交う人々の中に交わり、通りに並ぶ店を見て回る。
団子屋に寄ってそれから材料を買おうとしたが、その前にと半助さんは店を見て回ることを提案してきたのだ。
なんともデートらしい。
口元が綻んでしまう。
以前は気恥ずかしくて仕方が無かった夫婦として声をかけられること。
私は一人であたふたしていたけれど、半助さんは涼しい顔をしていたっけ。
「私だって照れていたよ」
「本当ですか?」
「なぜ疑う」
念願の、正真正銘の、デート。
でも恥ずかしさがやってきて、可愛い巾着や帯紐を見ても、私は足を止めなかった。
「真っ赤だぞ」
ははは…と曖昧な笑いをこぼす。
「本当は何か買ってやりたいんだが……」
「悪いですよ」
「そういうところは変わらないな。何か欲しい物はないのかい?」
それは単なるプレゼントではない。
帰った後も彼を想うための贈り物として。
「私は……」
半助さんは私の言葉を待つ。
「半助さんの、筆が欲しいです」
すこし目を見開いた後、笑みを浮かべた半助さん。
「朱美らしい」
「どういうことですか」
「遠慮しなくていいのに」
「そういう訳じゃないですよ」
決して高いわけではない彼の給与を案じたのではない。いや、それもあるけれど。
帰ってからも彼を思い起こす物がいい。
半助さんに手習いをしてもらったこと。
共にテストの採点をしたこと。
彼と過ごした時間の殆どが、そんな日々だったから。
その時間を共にした彼の筆が欲しい。
そして私が使った筆を今度は彼が使って欲しい。
ぽつりぽつりと理由を述べれば、半助さんは目を細めて私の手を握る。
「それも含めて朱美らしい」
「じゃあそういうことで、団子屋さんに行きませんか?」
「あぁ」
半助さんは力強く頷いた。