28 愛を込めて
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正しく光陰矢の如しだった。
三学期に入り、あっという間に懐中時計の文字が一つ消えた。
残る文字は、11と12。
眺める度に胸が締めつけられる。
小松田くんから懐中時計を渡されたときは、一つも欠けていなかったというのに。
そっと溜息を付けば、部屋の中だというのに白い息が出る。
足の腫れもとっくに治り、土井先生とのランニングも再開している。
「伊瀬階さん」
戸越しに半助さんの影が見えた。
私は時計をしまい、戸を開けた。
「おはようございます」
彼と目を合わせるには少し上を向かなければ
ならないと気づいたのは、この世界に来て少し経ってから。
その位、半助さんと目を合わせることが躊躇われたのだ。
その時の彼はどんな表情をしていたのだろう。
知りたいけれど、時は戻らない。
真冬の朝は時が止まったようだ。
朝と言ってもまだ薄闇だし、裸になった木々も、校庭の砂粒までも、凍てつく空気に包まれて眠っているようだった。
二人分の砂利を蹴る音が響く。
始めたばかりの頃は、校庭を半周する頃に息が上がり、半助さんから呆れられたものだった。
今は何とか1周半は息が保てている。
隣を走る半助を横目で見れば、すぐに目が合って微笑まれる。
忍の特性のせいで、彼の横顔さえ盗み見れないもどかしさもあるけれど、薄暗い冬の朝、愛しい人の微笑みを独り占めできるのは悪くない。
寒さで耳も手足もかじかむから、こうやってランニングをして体を温めるのは健康的だ。
この後の朝食作りも、野菜を切るのに手間取らない。
気が付けば校庭を四周していて、そろそろ肺が限界だった。
「よし、あと一周して終わろう」
「……」
喋れば息を余計に使う。
私は非難めいた視線を送るだけに留めた。
半助さんは一体何周すれば私のようにヘロヘロになるのだろう。
三桁は軽くいくのだろう。
「お疲れさま」
「あ、り……がとう、ごさい、ました」
真冬なのに汗が止まらない。
私は座りこんでしまう。
半助さんは汗ひとつかかずに私を見下ろす。
見上げれば手を差し伸べてくれていた。
「ほら、一旦部屋に戻ろう」
私は手を掴むと、引っ張り上げられる。
温かい手。
ずっと私に差し伸べてくれていたこの手も、もっと早く掴みたかった。
この手の温もりをもっと早く知りたかった。
後悔しても仕方が無い。
だから、躊躇いなく掴む。
そして離さない。
「……離さないの?」
いつまでも握ったままでいるから、苦笑する半助さん。
「たまには手を繋いで歩きたいですし」
「嬉しい申し出だけれど…まぁ既にその辺に生徒がいてだな…」
朱に染まった頬をぽりぽりと搔く半助さんを見て、私はにやりと笑う。
「構いませんよ。私は」
「……どうした?やけに積極的だな」
ここ最近、ようやく気づいたことが一つ。
いつも私をからかう半助さんだけど、先手を打てば、弱々しい彼を見ることができるのだ。
正しく先手必勝だ。
ただし、私だって猛烈に恥ずかしい。
この恥ずかしさを胸に納めておかなければ、あっという間に関係性が覆される。
昨日は上手くいったのだ。
夜の演習小屋ではこちらから抱きついて口付けをすれば真っ赤になって慌てふためくし、行為に及ぶ際には、愛の言葉を呟けばあっという間に余裕がなくなる彼だった。
人に対してこんなにも積極的な態度をとれる私に、私が一番驚いている。
色んな彼を見たい。
もはや執念と呼ぶに相応しいほどの好奇心と意地がそうさせているのかもしれない。
「いいよ」
「え」
彼はにこりと微笑み、繋いだ手の甲に唇を落とす。
関係性が覆された瞬間だった。
「は?え?……半助さん……?」
「ほら、行こうか」
「あ、……は、はい」
半助さんは優しく私を引っ張る。
走り終えたばかりの落ち着かない鼓動は再び速度を上げる。
あちこち周りを見渡して、誰が私達を見ているのか探していると、半助さんの肩が震え出す。
「まだ誰もいないよ。実は」
「……」
振り返った彼は余裕たっぷりの微笑みを浮かべていた。
「仕返し」
そう囁いて触れるだけの口付けをされた。
やっぱり彼には敵わない。
本当に悔しい。