ビタースイートドーナツ
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ビタースイートドーナツ
これはデートなのだろうか。
いや、ただの買い物だ。気負う必要はない。
学園長のガールフレンドから頂いた小袖に、いつもより丁寧に梳かして下ろした髪。
だから特別なオシャレなどしなくてもいいが、身だしなみは大切だ。
それだけじゃ足りないわ!と、この場に伝子さんがいたら、紅を付けたり可愛い小物などを持たせたりしてくるのだろう。
部屋の中でその時が来るまで部屋の真ん中で独りで正座して待っている。
大変シュールな光景だ。
一緒に行く相手が他の人ならばこんなに緊張はしない。きっと時間まで読書なり勉強なりしていたはずだ。
けれども相手が土井先生ならば、待っている間は何も頭の中に入ってこない。
今日は先生と町へ買い物に行くのだ。
安藤先生との勝負に負けて、一年い組と先生方にアンドーナツを作るための材料を買いに行くのだけれど、土井先生にその事を話したら着いていくと言ってきかなかった。
五回くらい断ったとき、
「君は本当に私を頼ってくれないんだな」
と悲しげに潤んだ瞳で言われて慌てて了解すると、先生は一転してニッコリと笑って「じゃあ次の休校日に」と、颯爽と去って行った。
してやられたというわけだ。
哀車の術だ。
「伊瀬階さん、支度はできてるかい?」
その声に弾かれたように立ち上がり、戸を開ける。
そこには忍び装束ではない、小袖袴の先生。見慣れぬ姿にそれだけで心はときめきと緊張が混ざって鼓動が速くなる。
風薫る季節。
正門を出て、並んで歩く。
若葉を撫ぜた風が土井先生の髪を揺らす。
気持ち良さげに目を瞑る先生に目をそらせない。好きだと認めて、先生のことを見ていたい気持ちが強まっていく。
けれどもこちらに視線を向けられれば、私は慌てて目を逸らす。
何とも意気地がない。
「晴れて良かった」
「そうですね。そういえば先生って最近は洗濯されてます?」
この天気なら、朝に干した小袖と装束は乾くだろうと思ったことからの疑問だった。
先生の忙しさを考えると洗濯する暇があるのか疑問だった。山田先生は利吉さんによって奥さんに洗濯物を届けられているけれど、土井先生はどうしているのだろう。
「うーん、なかなかする時間が無くて」
「まとめて洗いましょうか?」
「そこまでしてもらうのは悪いよ」
苦笑する土井先生。
なんだか恋人気取りみたいで恥ずかしくなって食い下がる勇気を出せず、「そうですか」と言って、その話題を終えた。
その後も、ぽつりぽつりと、いつものように何でもない会話をしているうちに町に着いた。
市場は相変わらず活気づいていた。
通りの両側には食材から小物まで、様々な物が売られていた。
店の傍を通れば売り子達が引き留めようと声をかける。
「奥さん、ちょっと見てみなよ!安いよ!」
「旦那さん、奥さんに買ってやったら喜ぶよ!」
私達が夫婦に間違われていることに戸惑いを隠せない。先生をチラリと見れば、店主達に愛想笑いを浮かべ、通り過ぎていく。
お店の人達の言葉と先生の態度に私だけ一喜一憂している。
そっと零す溜息。
活気溢れる市場の中、私だけが沈んでいた。
「伊瀬階さん」
土井先生は市場を抜けた先にある茶屋を指した。
「ここの茶屋のところてんが美味しいんです。この間出張の帰りに寄ったんですよ。それで伊瀬階さんと入りたいなと思っていて。どうですか?」
その一言で、心の鬱々としたものは吹き飛んで快晴になる。我ながら単純である。
「出張の帰りにって、なんだかサラリーマンみたい」
「何ですかそれは」
「何でもないです」
向かい合わせの席は食堂でなんとか慣れているはずなのに、場所が異なるだけで心拍数が跳ね上がるものなのだと気が付く。
テーブルが食堂のより小さいからか、距離が近い。
「ところてん、懐かしいです」
「そうなんだ」
微笑ましそうに私を見る土井先生。
その様子は、恋人といるというより、年下の従姉妹とか妹を見ているような視線で。
年の差が恨めしかった。
でも私の世界ならともかく、この時代なら年の差婚だって騒がれることないし、私の年齢で未婚は珍しい方だろう。
その瞳の中から可能性を探るけど、そもそも恋愛のいろはも分からない私が、一流の忍者である先生の心の在処を探るなど無謀極まりないことだった。
黒蜜がかかったところてんのほのかな甘みとさっぱりとした喉越しは、胸の鼓動に突き動かされて疲弊した私を優しく労ってくれた。
ところてんを食べたのはいつぶりだろう。
「おいしい?」
からし酢と醤油を足したところてんを食べている土井先生。箸を持つ指の長さに目がいってしまう。
授業をする土井先生を初めて見た時を思い出す。チョークを持つ先生の指が印象に残っていた。
「はい。おいしいです。先生はどうですか」
中学英語のような応対をしてしまったなと思ったけれど、出てしまった言葉は戻らない。
「うん。おいしい」
先生はニッコリ笑う。
「この間は黒蜜だったから、からし酢の方も食べてみたかったんだ」
私の手が止まったのを先生は目ざとく反応して、慌てて首を振る。
「伊瀬階さんと食べに行きたかったのが嘘というわけではないからね」
からし酢はどんな感じですか?と先生のを分けてもらう勇気も、それなら私もそちらを食べたいからまた連れてってくださいと言う可愛げもなかった。
「私も今度、からし酢と醤油のやつ、食べてみますね」
それが私の答えだった。
土井先生は曖昧に笑う。
「誰と行くの?」
「独りで」
「………独りだと外出届は出せないな」
「そうなんですか?」
上級生ならともかく、下級生や異世界から来た私は治安的に危険だから許可できないそうだ。
では、土井先生、また連れて行って下さい。とはやはり言えなかった。
「ヘムヘムとなら外出届出してくれますか?」
「そう来るか……」
土井先生はがっくりと肩を落とす。
何故残念そうなのか。期待しそうになる自分を戒める。
「では、そろそろ行こうか」
懐から銭を出そうとする土井先生に、私は慌てる。
「私が払います」
「いや、私が払う。誘ったのは私だし」
「いえ、そもそも私の用事で町に来たわけですし」
「いや、その用事も元々はうちの生徒が原因のことですし」
「いえ、あくまで私と安藤先生の勝負でしたから」
両者睨み合う。
元の世界のバイトでよく見た光景。
お会計で揉め合う人達みたいだ。こんなに睨み合ってはいなかったけれど。
「まったく頑固だな君は」
「先生こそ」
「こういう時は年上が奢るもんだ」
「じゃあ奢りじゃなくて別会計で」
「なんでそうなるんだ」
こういう時だけは、ときめきを忘れて口はよく動く。
まったく可愛げがない。
お店の人は珍しげに私達のやりとりを眺めていた。
「奥さん。ここは旦那さんに払わせてやんなさいよ」
「奥さんじゃありません。これ、お代です」
お店の人の助け船を斧で叩き割る。
むしろ私に向けて話しかけてきたチャンスを逃すまいと、お店の人の手首を掴み、金を握らせた。
「ま……まいど、どうも」
早足で次による店へと向かう。
土井先生はジト目で私を見てくるが無視した。
私達の争いはここで終わらなかった。
材料を買い終え、忍術学園へ帰ろうとしたその時。
「荷物は私が持つ」
「いえ、このくらい持てます」
「学園まで道のりは長いんだぞ?」
「いえ大丈夫です」
「大丈夫じゃない」
「このくらいスーパーの買い物で慣れてます」
「すーぱー……。まあいい、君が強情なのは今に始まったわけじゃない。ここでジャンケンしよう。君が負けたらあそこの木まで運んでいい。それを繰り返していこう」
「小学生のランドセル運びみたいですね」
「だから何だそれは」
概念はあったかもしれないけれどジャンケンって言葉はこの頃からあったのか…?
なんて考えている場合ではない。
またもや両者睨み合う。
私は右手を集中させる。
三択から選ぶべきものを選ぶ。
土井先生も私を鋭く睨む。
かけ声と共に、居合い斬りのように拳を出す。
「よし、私の負けだ。その荷物貰うぞ」
言うなり私の手から荷物を奪う。
約束の木まで辿り着き、再びジャンケンをするも負ける。
その次もまたその次も。
次第に運ぶ距離も長くなり、忍術学園まで辿り着いてしまった。
私は今更ながら気付く。
「先生……後出ししてました?」
「今更気付いたのか?」
そんな事で反射神経の無駄遣いをしないでほしい。まったく大人気ない。
そのまま早足で食堂まで運ぶつもりらしく、私は走って追いかける。
「では作ろうか」
「え」
調理場に荷物を置いた土井先生はそんなことを口走る。
「ちょっと待ってくださいよ、そこまでして頂くのはちょっと!」
「ここまで来たからこそ、手伝いたいんだが」
「本当に申し訳ないですから!大丈夫ですから!」
土井先生は眉を八の字にして潤んだ瞳で私を無言で見つめる。だが二度目は通用しない。
「そんな目をしても駄目です」
「どうしても?」
「だめです」
「伊瀬階さんの世界のお菓子を作るなんて、なかなか無い機会だから造りたいだけなんだけどなぁ」
案の定、潤ませた瞳は瞬きをして涙を引っ込ませ、不満そうな顔をする先生。
「……………先生、お暇なんですか?」
「その言い方は傷つくんだが」
「すみません。先生はお忙しくないんですか?」
「言い方変えただけで傷つくには変わりないぞ」
「すみません」
一年は組の授業の準備や諸々で忙しいのに、買い物を手伝っていただいたのだ。さすがにこれ以上はお手を煩わせるわけにはいかない。
「仕事は大方片付いている。だから問題はない」
最近は吉野先生の指示のもと、学園全体の事務に従事していることが多い。けれど、一年は組の授業の準備の手伝いもそれなりにしている。だから分かる。先生は嘘を言っていると。
無言で疑いの視線を土井先生に突き刺すと、土井先生は苛立たしげに「あーもう!」と、頭を乱暴に搔く。
「本っっ当に君は強情だなぁ!」
先生の苛立つ姿なんて初めてだったから、私は少し怖じ気づく。けれど、引くわけにはいかなかった。
「わ、私は、ただでさえお忙しい先生には仕事を終えて、休んでもらいたいだけです!」
どうしても伝えたいこと。
気圧されまいとしたからか、思った以上に大きな声を出してしまった。
「いつも手伝ってもらっているし、今回は生徒の勉強まで見てもらったんだ、少しは君の役に立ちたいってことが分からないのか!?」
私よりも更に声高に話す土井先生に、今度こそ言葉が紡げなかった。
「私に休んでほしいという気遣いは本当に嬉しい。でも、君が私にそう思うように私だって…」
言葉が萎んでいく土井先生。
沈黙が落ちる。
どうして土井先生だとこうなってしまうのだろう。抱いている感情を優しさに変換できないのだろう。
一緒に作ればいいのに。
手伝ってもらえばいいのに。
先生は大人だ。私よりもずっとずっと。
体力もあるし、仕事をするペースも間違わないだろう。私一人が何を躍起になっているのだろう。
「………ごめんなさい」
それにこうなってしまっては「じゃあお願いします」なんて言えない。
出る言葉は謝罪のみ。
本当に可愛げがない。
土井先生は溜息と共に笑みを浮かべた。
仕方が無い、という顔だ。
「私の負けだ。ゆっくり休むとするよ」
「………はい」
あーあ。
土井先生は行ってしまう。
素直に手伝っていただければよかったのに。
先生は私の頭に手を乗せた。
「頑張って」
そして手が離れる。
私の傍を通り過ぎる。
厨房を出て、受け取り側へと歩く。
そして、
カウンターに頬杖を付いた。
先生はそこから動かない。
あたたかい目をして、私を見ている。
沈黙が落ちる。
「先生?」
「作らないのかい?」
再び沈黙が落ちる。
「休まれるのでは?」
「ここでね」
眉を寄せる私。
にっと口角を上げて笑みを浮かべる先生。
「手伝わないし、ここで休む。文句はないだろう?」
「そ、そこだと立ったままですし……休めないのでは」
「休めるさ」
「休めません」
「何も座ったり寝たりすることが休むことではないだろう?私は、料理する君を見物することで休むとするよ」
この人には敵わない。
意中の人の視線に晒されるなか作るアンドーナツは、ぎこちないことこの上なかった。
先生が見えないようにカウンターに背を向けて作業をしても、余計に気になるだけで。
先生の厚意には素直に甘えよう。
手痛い経験により、私は学習した。
これはデートなのだろうか。
いや、ただの買い物だ。気負う必要はない。
学園長のガールフレンドから頂いた小袖に、いつもより丁寧に梳かして下ろした髪。
だから特別なオシャレなどしなくてもいいが、身だしなみは大切だ。
それだけじゃ足りないわ!と、この場に伝子さんがいたら、紅を付けたり可愛い小物などを持たせたりしてくるのだろう。
部屋の中でその時が来るまで部屋の真ん中で独りで正座して待っている。
大変シュールな光景だ。
一緒に行く相手が他の人ならばこんなに緊張はしない。きっと時間まで読書なり勉強なりしていたはずだ。
けれども相手が土井先生ならば、待っている間は何も頭の中に入ってこない。
今日は先生と町へ買い物に行くのだ。
安藤先生との勝負に負けて、一年い組と先生方にアンドーナツを作るための材料を買いに行くのだけれど、土井先生にその事を話したら着いていくと言ってきかなかった。
五回くらい断ったとき、
「君は本当に私を頼ってくれないんだな」
と悲しげに潤んだ瞳で言われて慌てて了解すると、先生は一転してニッコリと笑って「じゃあ次の休校日に」と、颯爽と去って行った。
してやられたというわけだ。
哀車の術だ。
「伊瀬階さん、支度はできてるかい?」
その声に弾かれたように立ち上がり、戸を開ける。
そこには忍び装束ではない、小袖袴の先生。見慣れぬ姿にそれだけで心はときめきと緊張が混ざって鼓動が速くなる。
風薫る季節。
正門を出て、並んで歩く。
若葉を撫ぜた風が土井先生の髪を揺らす。
気持ち良さげに目を瞑る先生に目をそらせない。好きだと認めて、先生のことを見ていたい気持ちが強まっていく。
けれどもこちらに視線を向けられれば、私は慌てて目を逸らす。
何とも意気地がない。
「晴れて良かった」
「そうですね。そういえば先生って最近は洗濯されてます?」
この天気なら、朝に干した小袖と装束は乾くだろうと思ったことからの疑問だった。
先生の忙しさを考えると洗濯する暇があるのか疑問だった。山田先生は利吉さんによって奥さんに洗濯物を届けられているけれど、土井先生はどうしているのだろう。
「うーん、なかなかする時間が無くて」
「まとめて洗いましょうか?」
「そこまでしてもらうのは悪いよ」
苦笑する土井先生。
なんだか恋人気取りみたいで恥ずかしくなって食い下がる勇気を出せず、「そうですか」と言って、その話題を終えた。
その後も、ぽつりぽつりと、いつものように何でもない会話をしているうちに町に着いた。
市場は相変わらず活気づいていた。
通りの両側には食材から小物まで、様々な物が売られていた。
店の傍を通れば売り子達が引き留めようと声をかける。
「奥さん、ちょっと見てみなよ!安いよ!」
「旦那さん、奥さんに買ってやったら喜ぶよ!」
私達が夫婦に間違われていることに戸惑いを隠せない。先生をチラリと見れば、店主達に愛想笑いを浮かべ、通り過ぎていく。
お店の人達の言葉と先生の態度に私だけ一喜一憂している。
そっと零す溜息。
活気溢れる市場の中、私だけが沈んでいた。
「伊瀬階さん」
土井先生は市場を抜けた先にある茶屋を指した。
「ここの茶屋のところてんが美味しいんです。この間出張の帰りに寄ったんですよ。それで伊瀬階さんと入りたいなと思っていて。どうですか?」
その一言で、心の鬱々としたものは吹き飛んで快晴になる。我ながら単純である。
「出張の帰りにって、なんだかサラリーマンみたい」
「何ですかそれは」
「何でもないです」
向かい合わせの席は食堂でなんとか慣れているはずなのに、場所が異なるだけで心拍数が跳ね上がるものなのだと気が付く。
テーブルが食堂のより小さいからか、距離が近い。
「ところてん、懐かしいです」
「そうなんだ」
微笑ましそうに私を見る土井先生。
その様子は、恋人といるというより、年下の従姉妹とか妹を見ているような視線で。
年の差が恨めしかった。
でも私の世界ならともかく、この時代なら年の差婚だって騒がれることないし、私の年齢で未婚は珍しい方だろう。
その瞳の中から可能性を探るけど、そもそも恋愛のいろはも分からない私が、一流の忍者である先生の心の在処を探るなど無謀極まりないことだった。
黒蜜がかかったところてんのほのかな甘みとさっぱりとした喉越しは、胸の鼓動に突き動かされて疲弊した私を優しく労ってくれた。
ところてんを食べたのはいつぶりだろう。
「おいしい?」
からし酢と醤油を足したところてんを食べている土井先生。箸を持つ指の長さに目がいってしまう。
授業をする土井先生を初めて見た時を思い出す。チョークを持つ先生の指が印象に残っていた。
「はい。おいしいです。先生はどうですか」
中学英語のような応対をしてしまったなと思ったけれど、出てしまった言葉は戻らない。
「うん。おいしい」
先生はニッコリ笑う。
「この間は黒蜜だったから、からし酢の方も食べてみたかったんだ」
私の手が止まったのを先生は目ざとく反応して、慌てて首を振る。
「伊瀬階さんと食べに行きたかったのが嘘というわけではないからね」
からし酢はどんな感じですか?と先生のを分けてもらう勇気も、それなら私もそちらを食べたいからまた連れてってくださいと言う可愛げもなかった。
「私も今度、からし酢と醤油のやつ、食べてみますね」
それが私の答えだった。
土井先生は曖昧に笑う。
「誰と行くの?」
「独りで」
「………独りだと外出届は出せないな」
「そうなんですか?」
上級生ならともかく、下級生や異世界から来た私は治安的に危険だから許可できないそうだ。
では、土井先生、また連れて行って下さい。とはやはり言えなかった。
「ヘムヘムとなら外出届出してくれますか?」
「そう来るか……」
土井先生はがっくりと肩を落とす。
何故残念そうなのか。期待しそうになる自分を戒める。
「では、そろそろ行こうか」
懐から銭を出そうとする土井先生に、私は慌てる。
「私が払います」
「いや、私が払う。誘ったのは私だし」
「いえ、そもそも私の用事で町に来たわけですし」
「いや、その用事も元々はうちの生徒が原因のことですし」
「いえ、あくまで私と安藤先生の勝負でしたから」
両者睨み合う。
元の世界のバイトでよく見た光景。
お会計で揉め合う人達みたいだ。こんなに睨み合ってはいなかったけれど。
「まったく頑固だな君は」
「先生こそ」
「こういう時は年上が奢るもんだ」
「じゃあ奢りじゃなくて別会計で」
「なんでそうなるんだ」
こういう時だけは、ときめきを忘れて口はよく動く。
まったく可愛げがない。
お店の人は珍しげに私達のやりとりを眺めていた。
「奥さん。ここは旦那さんに払わせてやんなさいよ」
「奥さんじゃありません。これ、お代です」
お店の人の助け船を斧で叩き割る。
むしろ私に向けて話しかけてきたチャンスを逃すまいと、お店の人の手首を掴み、金を握らせた。
「ま……まいど、どうも」
早足で次による店へと向かう。
土井先生はジト目で私を見てくるが無視した。
私達の争いはここで終わらなかった。
材料を買い終え、忍術学園へ帰ろうとしたその時。
「荷物は私が持つ」
「いえ、このくらい持てます」
「学園まで道のりは長いんだぞ?」
「いえ大丈夫です」
「大丈夫じゃない」
「このくらいスーパーの買い物で慣れてます」
「すーぱー……。まあいい、君が強情なのは今に始まったわけじゃない。ここでジャンケンしよう。君が負けたらあそこの木まで運んでいい。それを繰り返していこう」
「小学生のランドセル運びみたいですね」
「だから何だそれは」
概念はあったかもしれないけれどジャンケンって言葉はこの頃からあったのか…?
なんて考えている場合ではない。
またもや両者睨み合う。
私は右手を集中させる。
三択から選ぶべきものを選ぶ。
土井先生も私を鋭く睨む。
かけ声と共に、居合い斬りのように拳を出す。
「よし、私の負けだ。その荷物貰うぞ」
言うなり私の手から荷物を奪う。
約束の木まで辿り着き、再びジャンケンをするも負ける。
その次もまたその次も。
次第に運ぶ距離も長くなり、忍術学園まで辿り着いてしまった。
私は今更ながら気付く。
「先生……後出ししてました?」
「今更気付いたのか?」
そんな事で反射神経の無駄遣いをしないでほしい。まったく大人気ない。
そのまま早足で食堂まで運ぶつもりらしく、私は走って追いかける。
「では作ろうか」
「え」
調理場に荷物を置いた土井先生はそんなことを口走る。
「ちょっと待ってくださいよ、そこまでして頂くのはちょっと!」
「ここまで来たからこそ、手伝いたいんだが」
「本当に申し訳ないですから!大丈夫ですから!」
土井先生は眉を八の字にして潤んだ瞳で私を無言で見つめる。だが二度目は通用しない。
「そんな目をしても駄目です」
「どうしても?」
「だめです」
「伊瀬階さんの世界のお菓子を作るなんて、なかなか無い機会だから造りたいだけなんだけどなぁ」
案の定、潤ませた瞳は瞬きをして涙を引っ込ませ、不満そうな顔をする先生。
「……………先生、お暇なんですか?」
「その言い方は傷つくんだが」
「すみません。先生はお忙しくないんですか?」
「言い方変えただけで傷つくには変わりないぞ」
「すみません」
一年は組の授業の準備や諸々で忙しいのに、買い物を手伝っていただいたのだ。さすがにこれ以上はお手を煩わせるわけにはいかない。
「仕事は大方片付いている。だから問題はない」
最近は吉野先生の指示のもと、学園全体の事務に従事していることが多い。けれど、一年は組の授業の準備の手伝いもそれなりにしている。だから分かる。先生は嘘を言っていると。
無言で疑いの視線を土井先生に突き刺すと、土井先生は苛立たしげに「あーもう!」と、頭を乱暴に搔く。
「本っっ当に君は強情だなぁ!」
先生の苛立つ姿なんて初めてだったから、私は少し怖じ気づく。けれど、引くわけにはいかなかった。
「わ、私は、ただでさえお忙しい先生には仕事を終えて、休んでもらいたいだけです!」
どうしても伝えたいこと。
気圧されまいとしたからか、思った以上に大きな声を出してしまった。
「いつも手伝ってもらっているし、今回は生徒の勉強まで見てもらったんだ、少しは君の役に立ちたいってことが分からないのか!?」
私よりも更に声高に話す土井先生に、今度こそ言葉が紡げなかった。
「私に休んでほしいという気遣いは本当に嬉しい。でも、君が私にそう思うように私だって…」
言葉が萎んでいく土井先生。
沈黙が落ちる。
どうして土井先生だとこうなってしまうのだろう。抱いている感情を優しさに変換できないのだろう。
一緒に作ればいいのに。
手伝ってもらえばいいのに。
先生は大人だ。私よりもずっとずっと。
体力もあるし、仕事をするペースも間違わないだろう。私一人が何を躍起になっているのだろう。
「………ごめんなさい」
それにこうなってしまっては「じゃあお願いします」なんて言えない。
出る言葉は謝罪のみ。
本当に可愛げがない。
土井先生は溜息と共に笑みを浮かべた。
仕方が無い、という顔だ。
「私の負けだ。ゆっくり休むとするよ」
「………はい」
あーあ。
土井先生は行ってしまう。
素直に手伝っていただければよかったのに。
先生は私の頭に手を乗せた。
「頑張って」
そして手が離れる。
私の傍を通り過ぎる。
厨房を出て、受け取り側へと歩く。
そして、
カウンターに頬杖を付いた。
先生はそこから動かない。
あたたかい目をして、私を見ている。
沈黙が落ちる。
「先生?」
「作らないのかい?」
再び沈黙が落ちる。
「休まれるのでは?」
「ここでね」
眉を寄せる私。
にっと口角を上げて笑みを浮かべる先生。
「手伝わないし、ここで休む。文句はないだろう?」
「そ、そこだと立ったままですし……休めないのでは」
「休めるさ」
「休めません」
「何も座ったり寝たりすることが休むことではないだろう?私は、料理する君を見物することで休むとするよ」
この人には敵わない。
意中の人の視線に晒されるなか作るアンドーナツは、ぎこちないことこの上なかった。
先生が見えないようにカウンターに背を向けて作業をしても、余計に気になるだけで。
先生の厚意には素直に甘えよう。
手痛い経験により、私は学習した。