君の世界
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夜中、朱美の起きる気配に、半助も目を醒ます。
厠か、喉が乾いたのか。
彼女が立てる僅かな物音に、目を閉じたまま耳を傾ければ、すぐ傍にあるテーブルに座り出した。
日付が変わるまで行われた情事を思い出す。
理性など弾け飛び、思うままの言葉を紡いでいた彼女は、幾度も果てて、そのまま眠りに落ちていったのだった。
そんな彼女が真夜中に何をしているのか。
半助は薄目を開けて彼女を見た。
この時代は、たとえ真夜中でも灯りを失うことは無い。
部屋の電気の照度は落として薄暗いのに、彼女の顔は光に照らされ、浮かび上がっているのが見えた。
どうやら半助に向き合うように座り、パソコンを触っているようだ。
出席簿とさして変わらない大きさの未来のカラクリ。そこからは書類の作成のみならず、インターネットという仮想の空間のなかであらゆる手段で世界と繋がれるもの。
真剣な眼差しの彼女を凝視する。
喜怒哀楽のどの表情にも当てはまらない、初めて見る顔だった。
彼女の指は、キーボードという文字を打つための板の上で、凄まじい速さで踊っていた。
ブツブツと呟く言葉の中には、聞き慣れない言葉が紡がれていた。
それは彼女が大学で学んでいることなのだろうと半助は推察できた。
あまりにも真剣で、こちらを見る気配などないから、半助は薄目を辞めてまじまじと見ることにした。
書棚から分厚い本を引っ張り出し、ページをめくっては読み込み、再びキーボードに指を滑らせる。
明日に提出するものなのだろうか。
それならば、執拗に抱いてしまったことを申し訳なく思う。
…悔いは無いが。
はたと目が合ってしまった。
「うわっ!?」
裏返った声と共に朱美の体は小さく跳ねた。
「ごめん、驚かせるつもりは」
半助は慌てて上体を起こした。
「い、いえ。やはり起きてらしたんですね」
『やはり』。
一年間、忍びという存在を学んだ彼女は、僅かな物音にも察知できるのを知っていた。
「明日中にメールで提出する論文がありまして…」
言いながらも、キーボードを走る指は止まることは無かった。
半助は布団から起き上がり、隣に座る。
眩い画面からは、彼女が作ったのであろう文章が映し出されていた。
さっと目を画面に走らせれば、彼女の生真面目な性格が伝わる。
忍術学園にいた頃には分からない、彼女の学問への姿勢が見えて、半助の頬は緩んだ。
どんな形でも、彼女の知らない一面を窺えるのが嬉しい。
「あっ。今、笑いましたね…見ないでください」
朱美は背中でパソコンの画面を隠し、拗ねたように半助を睨む。
笑われたと思ったのだろう。
「半助さんは先に寝ててください」
「さっきまでの事を思うと眠れなくてね」
「そーいうのいいんで。早く……」
頬が朱に染まった彼女は、半助を布団の方へと押しやる。当然、動かせるわけは無い。
「邪魔はしない。私も起きていていいかな?」
「……」
何故黙るのか。
「私も起きていた方が遠慮無く部屋の電気を付けられるだろう」
そう言って部屋の電気の照度を上げれば、朱美は観念したように溜息を付いた。
「分かりました。好きな本でも読んでてください」
彼女の書棚は、大学で使う書物が殆どだったが、漫画と小説もそれなりにあった。
未来の絵巻物とも言える漫画を取り出せば、なんとものっぺりとした顔の忍者の絵が描かれていた。忍び刀は背中に差していた。
なんだこれはと声には出さず、そっと本棚に戻した。
その他に、不思議な材質の薄い箱が複数格納されていた。
取り出せば美男美食が並んだもの、見知らぬ生物が牙を剥いているもの、おぞましい形相の人形がこちらを睨んでいるもの…。
おそらく彼女の叔父上のものだろうか。
半助にとって未来の物であるが、彼女にとっては新しい物ではないように思えた。
勝手に開けていいものか一瞬躊躇したが、自由に見て良いと既に許可をもらっている。
音を立てぬように開ければ、戦輪のような、しかし戦輪よりも薄い銀色の円盤が収まっていて、部屋の光により、虹色の光を放っていた。
後で使い道を彼女に聞くことにして、手の平サイズの書物を適当に選んで取り出し、読むこととした。
彼女の邪魔にならぬように、壁際に移動して、頁をめくれば、浜辺から海の中へと沈むように物語の中へと浸かっていった。
キーボードを叩く音と、時折聞こえる紙をめくる音。
朱美はチラリと半助を見た。
文庫本を手に読む姿は、知性に溢れていて、惚れ惚れしてしまう。
彼は近代の推理小説を読んでいるが、内容自体はさておき、物の名前や描写などは、はたして理解できているのだろうか。
中身を思い出せば、現代技術がそれほど登場しないことを思い出し、安堵する。
これが電車の時刻表を活かした推理小説だったら、頭がハテナだらけになるに違いない。
半助の形の良い瞳は上下に動き、端まで辿り着けば頁をめくる。
朱美はそんな彼を見て、授業の準備をするために机に向かって書物を読む姿を思い出した。
今でも思い出せる。
墨と紙の匂いに溢れた部屋。
古ぼけた木目の床。
すこし黄みがかった障子。
もうすぐ、帰れるのだ。
「こら」
頭に当たる、紙の感触。
いつの間にか近くに寄った半助が、文庫本で朱美の頭を乗せるように軽く叩いたのだ。
「ぼーっとしてるけど宿題は終わったのかい?」
「宿題じゃありません。課題ですー。後は読み返すだけですー」
「減らず口を叩かない。まだ終わってないなら集中しなさい」
「はい」
半助に注意された。
まるで彼の生徒になれたようで、それがたまらなく嬉しい。
朱美はニヤついてしまう口を引き締め、最後の仕上げに取りかかることにしたのだった。