笑って
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私は今、絶賛落ち込み中だ。
何度も思い出しては溜息がこぼれる。
裏庭を歩いていたらとてもいい場所を見つけた。
雲一つ無い天気。
カラッとしていて気持ちのいい天気だけれども、今の私にとっては忌々しい天気だ。
そんな中、茂みに覆われていて、それでいて座り心地の良さそうな苔が生えている、陰気さ漂う奇跡的なスポット。傍には背の低い木も寄り添うように生えているから、朗らかに照りつけてくるお天道様の光も遮ってくれるし、寄りかかれる。
今私が求めていた場所。
そっと茂みに入り、座る。
晴れやかな日なのに、いや、こんな日だからこそ、影は濃くなる。
薄暗くて、ひんやりとしていて、静かで落ち着く。木にそっと寄りかかり、目を閉じる。
静寂に身を任せて、疲弊した心を休ませる。
こんな時は笑ったり泣いたりするより、何も考えないでじっとしていたい。
それなのに、足音が近づいてくる。
それも一人ではない。
誰だろう。
そっとしておいてほしいのに。
「……あの」
頭上から降ってくる声。
見上げれば井桁模様の忍び装束達……一年ろ組のよい子達だった。
どうしてこんな所に私が。そんな目で見ていた。
代表で伏木蔵くんが私に話しかけてきていた。
「ぼく達……ここで日陰ぼっこをしたくて……」
ああそうか。
教科担当の斜堂先生の影響なのか分からないが、一年ろ組のみんなは日陰が好きなのだ。
「ここ、お気に入りの場所なんです」
彼らはここの常連さんらしい。
だが新参者にもここの雰囲気をゆっくりと味合わせてほしい。
「……一緒じゃ……だめ?」
私はなるべく端に体をずらした。
これならみんな入るのではないだろうか。
「………」
返ってきたのは沈黙。
この沈黙はNOという意味だろう。
年上に対して断る言葉を選んでいる様子だ。
「………だめ……?」
けれども私は粘る。
彼の瞳をじっと見つめた。
彼の瞳の中に映る私を見つめるくらいに。
彼もまた同様にじっと私を見つめている。
私達の間に、鳥のさえずりが響き渡る。
「……はい……」
伏木蔵くんの回答は至ってシンプルだった。
とぼとぼと裏庭を歩いていると、溜息が聞こえてきた。
私のではない。
周りを見渡せば池のほとりにまたもや井桁模様の忍装束が二人。
あれは、一年い組の左吉くんと伝七くん。
いつも自信に満ちあふれている彼らが俯いて座っていた。その背中は、いかにも落ち込んでいますといったように丸まっていた。
私の気配に気付いたのだろう、彼らはゆっくりと振り返り、会釈した。
その瞳は年相応の甘えたげな潤んだものだった。
今はその期待に応えられるか分からないけれど、声をかけるべきだろう。
「どうしたの?」
にっこりと笑顔を作って隣に座る。
「伊瀬階さん……こんにちは」
「実は……」
彼らが落ち込んでいる理由は実に可愛らしい。テストの出来が彼らにしては良くなくて、安藤先生に叱られてしまったらしい。
「安藤先生をガッカリさせてしまった」
「本当は100点を取りたかったのに」
点数が良くなかった理由は分からないが、落ち込む理由はよく分かる。
「私も勉強したのに点数取れなかったときは落ち込んだなあ」
懐かしい元の世界での出来事。
元々得意ではなかった教科でも、努力に見合わない点数が返ってきた時は落ち込んだものだ。
「でもね、安藤先生はガッカリしてないと思うな」
安藤先生がどれだけ一年い組のみんなを気にかけているか、身をもって知っているから。
「きっと心配しているんだよ。だから次のテストで100点を取ればきっと大丈夫」
微笑みかけると、彼らの顔は僅かに明るさを取り戻す。
「……伊瀬階さん。ありがとうございます」
「伊瀬階さんも何か悩まれているのですか?」
「うーん、まあ、悩みというか…落ち込んでるんだよね」
一年生に話すのは少し躊躇うけど、誰かに話したかったのかもしれない。
「私、土井先生に怒られちゃったんだ」
それは今日の午前中。
学園長先生のお使いで小松田さんと町で買い物を済ませた帰り道のことだった。
道の途中の小さなうどん屋さんに寄って、美味しいうどんを啜っていると、店の壁に貼られた「パートさん大募集」と書かれた紙に目を奪われた。
パートって……。本当にこの世界は謎だ。
しかもアットホームな職場です、とか、初心者大歓迎!とか、やりがいのあるお仕事です!とか。
ここ、本当に異世界で、私の世界で言えば数百年前の時代だよね。
それはさておき、かなり時給がいい。
私の視線に気付いたお店の奥さんが話しかけてきた。
「そのチラシ、ドクタケ城の求人なのよ。あのドクタケ城だけど、パートの待遇はいいらしいのよ。あたしの友達も時給の良さに惹かれて行ってみたら…」
ドクタケ城。
忍たま達や先生方からよく聞くお城の名前だけど、戦ばかりする悪い城だと言う。それは忍術学園だけの評価ではないようだ。
そんな悪い城のパートなら、さぞかし劣悪な環境で働かされるのだろうと思ったのだけれど、うどん屋の奥さんの言う、友達からの話によればそうでもないらしい。
作業中にお茶を出してくれたり、こまめな休憩を勧めてくれるし、教えてくれるスタッフ達はサングラスをして怖そうだけれども、とても親切に教えてくれるらしい。
アットホームな職場です、という文言は本当らしい。
「それでこの時給……いいですねぇ」
本心からでた言葉だった。
「伊瀬階さん、まさか応募しちゃうの!?」
小松田さんは焦っている様子だった。
私はわざと真剣な表情を作る。
「だって小松田さん……今の職場で働くより給料いいですよ?しかもみんな優しいって」
「ぼくもドクタケ城に就職しようとしたことがあったけど…忍術……今の所で良かったと思うよ」
小松田さんの過去を知って驚いたけれど、危うく忍術学園と彼の口から言いそうになっていたので、私は慌てて人差し指を口の前で立てた。
忍者が忍者であることを人に知られてはならないなら、忍術学園も大っぴらに話さない方がいいだろうと思ったからだった。
「本当ですか?確かに今の所に不満は無いですけど、……でもこの時給は魅力的……」
「何を言っているんだ」
心底呆れたような声が降ってきた。
その声の主である土井先生が、私の前に立って見下ろしていた。その瞳の冷たさに私の心はヒリついた。
愚かな者を見るような、軽蔑しているような目だった。
「あ、土井先生。出張のお帰りですか?」
のほほんと尋ねる小松田さんに場の空気は少し和む。これだから彼は凄い。
そんな彼に土井先生は苦笑いしながらそうだと答えると、再び厳しい表情に戻る。
「待遇がよければ、例え戦好きの城でも君はそこで働くのか」
先ほどまで美味しいと感じていた口の中のうどんは全く味がしなくなり、ただの固形物と成り変わる。
いつもは親しみさえ感じる「君」と呼ぶ先生にとてつもなく距離を感じた。
慌てて口の中の物を飲み込んで立ち上がり、否定する。
「そんなことありません!ただ……」
「ただ……なんだ?」
低く鋭い声だった。
ただ、給料が凄くよかったので冗談を言っただけです。とはとても言えない雰囲気だ。
土井先生の迫力に圧されて言えなかった。
隣で小松田さんのうどんを啜る音がいやに大きく聞こえる。
土井先生が怒っている。
それも、生徒が廊下を走った時に注意をするような、教師としての叱り方では無かった。
叱る事は誤ったことを正すためのものだ。
でも今は違う。
倫理的に許されないことをした者への軽蔑を込めた怒りを孕んでいるようだった。
そんな土井先生を前に、自分は卑しくて下劣な人間なのではないかという思いが芽生えた。
もしも目覚めた場所が忍術学園ではなくて、どこにも働けなくて…そんな状態でこんな求人広告を見たら、私はどんな所だろうと飛び込んで行ったかもしれない。
そんな考えがよぎったのだ。
続きが言えない私に先生は盛大な溜息をついた。
「……もういい」
私の答えを待たずに、先生は踵を返して忍術学園の方向へと歩いていった。
その声には一切の感情が無かった。
その言葉は先生が私の前に建てた高い壁だった。
寄せ付けまいとする、拒絶の意思を感じた。
それでも後ろ姿はいつもと変わらない凛とした佇まいで。それが余計に怖かった。
嫌われてしまった、なんて甘いものではない、失望されたのではないか。
指先の温度が失われていく。
私の一言で、もう先生は私を見てくれない。
二度と微笑んでくれないのかもしれない。
取り返しのつかないことをしてしまった。
不安はどんどん膨らみ、途方もない大きさに成長する。
私はヘナヘナと長椅子にへたり込んだ。
「あー、美味しかった。あれ?伊瀬階さん、食べないの?伸びちゃうよ?」
小松田さんの明るさに救われながら、私は味のしないうどんを何とか胃の中に収めたのだった。
話し終えると、左吉くんと伝七くんは気まずそうに黙ったままだった。
引いてる。明らかに引いてる。
金に汚い女、とかきっと思ってる。
ドクタケ城の評判を考えれば、冗談でも言っちゃダメな事を言ってしまったのだから。真面目な彼らにとっては、引くに決まっている。
「そりゃー土井先生怒りますよ」
背後からの声に私は飛び上がる。
「乱太郎、きり丸、しんべヱ」
左吉くんと伝七くんはしかめっ面だ。
三人は私の話を聞いていたようだ。
「せめて冗談ですよって言っとくべきっすよ。まあ、どやされますけど」
言えなかった一言を言うべきだったのだと気付かされ、後悔で押しつぶされそうになった私は頭を抱えた。
「土井先生に嫌われたかもしれない…」
「そんな大袈裟な…」
「嫌ってなんかないですよ、きっと」
「本当?」
「信じてくださいよ。ぼく達、土井先生のプロっすよ?」
何のプロだ…と突っ込む気力は無かった。
自信満々に言ってのける三人組の笑顔がこの時ほど頼もしいと思ったことは無かった。
でも、あの時の土井先生は、は組を叱る時の調子ではなかった。もっと深刻なものだ。
「そうかな…。どうしよう…なんであんな事言っちゃったんだろう」
「小松田さんなら笑って流してくれそうですもんね」
「まぁー聞かれた相手がマズかったっすね」
三人組のお気楽さが眩しい。
左吉くんも伝七くんも私と同じ事を思ったのだろう。大袈裟な溜息をついていた。
「まったく。は組はお気楽でいいな」
「伊瀬階さんのお気持ちを全く分かってない」
そんな風に言ってくれるのだから、二人は引いてはいないのだろうか。この期に及んで、左吉くんと伝七くんの顔色を窺う自分が嫌になる。
「お気持ちったって……朱美さんは土井先生に嫌われたくないんですよね?なら、謝りに行くしかないんじゃないっすか」
「ここで悩んでいたって事態は変わりませんよ朱美さん」
「その後で美味しい物食べましょ、朱美さん」
何を思い浮かべたらそんなに涎が出てくるのだろう……涎を啜るしんべヱくんに笑ってしまった。
笑うと急に視界が開けてくる。
そうだ、こんな所でウジウジしてたって何も始まらない。
「私……土井先生とまた笑顔でお話したい……。もし無理でも、嫌な人間だって誤解されたままでいたくない……」
もしも嫌われたままだったら…そうしたら私はこの罪を一生背負って生きていこう。
もしかしたら無責任な発言をしたことで学園を辞めざるを得ないかもしれない。そうしたら、元の世界に帰るまでひっそりと慎ましく生きていこう。
そして帰る直前に忍術学園に、今までお世話になりましたって手紙を書こう。
「あのー朱美さん?すごい顔されてますよ」
「なんだがすごくスケールの大きい想像していませんか?」
「聞いてないみたい」
「なんだか悲壮感が凄い……」
「決死の覚悟をされてるようだ…」
私は心を決めて教員長屋へと歩み始めた。
でも、何て切り出せばいいのだろう。
最初の言葉は何て言えばいいのだろう。
今から緊張して、口から心臓が飛び出てしまいそうだ。
思わず足を止めた。
「あーーもう!まだるっこしい!こういうのは勢いっすよ勢い!!」
そう叫ぶと私の背中を強く押し始めたきり丸くん。そして両腕を乱太郎くんとしんべヱくんが掴んで引っ張る。
上体が強引に前に進むから、慌てて足も追いかける。
後ろからは左吉くんと伝七くんが慌てて呼び止める声が聞こえたけれど、次第に遠くなっていって、聞こえなくなった。
そんなこんなであっという間に教員長屋に辿り着いてしまった。
「山田先生は出張でご不在ですから」
「今のうちですよ」
「わかった、わかったから押さないで引っ張らないで!」
「だめです!」
部屋の前まで押してくるのだから困った。
心の準備をする間もなく連れてこられてしまった。
「こらっ、騒がしいぞ!」
開く戸と土井先生の声。
同時に背中を押す手と両手を引っ張る手は消えていた。こんな時だけ忍らしいんだから。
ぱちりと土井先生と目が合い、私の心拍数は更に上昇する。
先生がキョトンとしているのは騒がしい廊下にいたのが私一人だからなのか。
「伊瀬階さん……?」
「あ、あの先生!……私……さっきのこと、謝りたくて」
先生の声も表情もいつもと変わらない様子だったのだけれど、私は先生の答えを待たず、しかも部屋の前で本題に入る。
「私、かなりタチの悪い冗談を言ってしまったと思います……いえ、冗談でも言っていいことではないですよね。ドクタケ城のあの求人って、きっと戦の準備のためのものでしょう?それなのに私、軽い気持ちで、忍術学園よりいいな、なんて言ってしまって……本当はそんな事、思ってないです……だから……だから……厚かましいかもしれないですが……嫌わないで……いえ、嫌いのままでもいいです。でも、私の本当の気持ちだけは伝えたくて……。本当に、本当に申し訳ありません!」
着地点が見つからない。
謝ることすらまともに出来ない自分が嫌になる。
「えぇぇ?!」
勢いよく頭を下げる私に土井先生は慌てた様子だった。その大声に驚いてビクリと体が跳ねた。
「伊瀬階さん……ちょっと落ち着いて。なんでそうなるの」
先生は苦笑いしている。
「頭を上げて」と囁く声はとても柔らかくて温かかった。
「君を嫌いになんかなってないし、君が冗談で言っていることくらい分かってる。そんなに思い詰めなくても……」
「だって、『もういい』って……」
「君がそんな冗談を言うことに驚いて本気で怒ってしまって…私も引っ込みがつかなくなってしまったんだ。そこまで思い詰めていたなんて知らなかったよ……すまない」
頭には心地よい重み。
先生の大きな手の平が、私の髪を撫でる。
私はぎゅっと目を瞑る。
そうでないと涙が出てしまうから。
「なーんだ、謝る必要なんてなかったじゃないすか」
縁側の下からきり丸くん達が這い出てきた。
突然のことに涙など引っ込んでしまう。
「やっぱり朱美さんの考えすぎだったんですよ」
「良かったね、朱美さん」
土井先生は三人が隠れていたのが分かっていたのか、特に驚いた様子も無く呆れた様子で「お前達…」と呟いていた。
「というか謝るのは土井先生なんじゃないすか」
ジト目で先生のことを睨むきり丸くんに、乱太郎くんとしんべヱくんも頷く。
「先生のお言葉で傷つかれたようですし」
私は首を振る。
「ううん。私が悪いの」
すると先生も首を振る。
「いや、伊瀬階さんを傷つけてしまったんだ。私が悪かったよ」
それは私が勝手に傷ついただけだ。
先生は悪くない。私は再び首を振る。
「なんで先生が謝るんですか、私が悪かったんですってば」
「いやいや、君が謝る理由がよく分からん。私が」
「いやいやいや、私が」
「いやいやいやいや、私が」
「いやいやいやいやいや」
「いやいやいやいやいやいや」
勝手に謝り合っててくださいよ。
そんなきり丸くん達の声が聞こえた気がしたけれど、構ってる余裕は無かった。
記憶力ゲームの如くお互い「いや」を一つずつ足して否定していくのに忙しいのだから。
疲れ切った私達は荒い息をしながら無言で睨み合う。
「まったく強情だな」
「先生こそ」
………ぷ。
同じタイミングで吹き出した。
せき止めていたものが消えて、一気に流れ出すように私達は笑い合う。
先生が笑ってくれた。
それが私にとって思った以上に安心してしまい、涙が溢れてきた。
笑いすぎて泣いてしまった、という装いでそっと指で涙を拭うけど、なかなか止まってくれなかった。
まずい。
そう思って先生に背を向ける。
先生のことだ、きっと私が泣いていることなんかお見通しだ。
面倒くさい奴だと思っているに違いない。
勝手に傷ついて、謝ってきて、泣いてしまう、面倒くさい奴だと。
それなのにくすりと笑う声が聞こえてくる。
「君を嫌うはずがない。だからこっちを向いて……笑ってくれないか」
「違うんです……だって私……」
先生の声は、どこまで優しい。
その優しさに素直に身を任せられない自分がいた。だから私は面倒くさいのだ。
「倒れていた所が忍術学園の前じゃなくて、違うところだったら………きっと喜んで受けちゃうだろうなって思ってしまって……そんな奴ですよ、私……」
「うん」
土井先生はやんわりと私の肩を掴んで、先生の方へと向き直させる。
「でも君のことだ。そこで真面目に働いて、ドクタケ城の奴らと仲良くなってしまうんだろうな。そうならなくて、良かった」
先生は笑う。
陽射しを受けた新緑のように眩しい。
私が抱えていた不安を事もなげに溶かしてしまう。
「だから、笑って」
そんな風に囁かれたら、笑えない。
只でさえ肩を掴まれていて、心臓が慌ただしくしているというのに。
ギュウウウ。
突然、腹の虫が鳴る。
私のお腹の虫が。
空気を読まずに、豪快に。
土井先生は目を丸くしていた。
「す、すみません……安心したら、お腹が」
私は後ずさって先生の手から離れた。
穴があったら入りたい。
後ろに綾部くんの落とし穴でもないだろうか。
背中の汗が止まらない。
今は違う意味で心臓が慌ただしく動いている。
先生はというと、手で口を抑えて、懸命に何かに耐えていた。
「いいですよ。笑ってくださって」
私が観念したように言えば、先生はそれはそれは豪快に笑った。
「おやおや、あんな所で堂々と……」
豪快に笑う一年は組の教科担当の土井と、真っ赤になりながら俯く伊瀬階を、安藤は教員長屋から少し離れた場所で眺めていた。
自分の隣には、担当する優秀な一年い組のなかでも特に優秀な忍たま達、左吉と伝七。
つい先ほど二人に会ったら「ぼく達、次のテストは頑張ります!」と元気よく宣言してくれた。
キツく叱ってしまった。後悔はしていないが、優秀であるが打たれ弱いところが彼らにはある。きちんと立ち直れるだろうかと心配していたが、その頼もしい笑顔を見て、それが杞憂だと分かる。
「そういえば伊瀬階さんも落ち込んでいまして…」
そのついでに教えてくれた彼女のこと。
心配ないとは思うが、様子を見に来たところ、ご覧の有様である。
「どうやら無事に解決したみたいですね」
俯いていた彼女は「笑いすぎです!」と、とうとう大声をあげていた。
その様子に左吉も伝七も安心したように、笑顔を浮かべていた。教え子の笑顔とはなんと可愛いものだろう。
「左吉と伝七も。そして伊瀬階さんも元気になってなにより。これぞまさしく」
こんなこともあろうかと、懐に閉まっていた物を二人に渡す。
二人の表情はそれを見てやや硬くなった。
「こ、これはエンドウ豆……」
「半被の絵………」
そう。
「半被にエンドウ。ハッピーエンドです」