香水の理由
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今日は半助さんが家に泊まりに来てくれる。
-食事会があって、その後になっちゃうけどいい?
そんな通知が朝に来た。
-大丈夫です!
スタンプ付きで返事をした。
そしてその夜。
半助さんがやってきた。
てっきり日を跨いだ後にやって来るのかと思っていたから、インターホンの音に、遅めの食事を取っていた私は慌てて炬燵を出る。
玄関へすっ飛んでいき、鍵を開ければ、疲れ切った顔の半助さんがいた。
「ごめんね、遅くなっちゃって」
「いえ…むしろ早いくらいで……それよりお疲れじゃないですか。無理に来なくても」
ずしりと私の頭に彼の顎が乗る。
「来たかったんだ。朱美の家に行くっていうご褒美がなければ、今日は乗り切れなかった」
「重いですって」
「もっと触れたい」
そう言って強く抱きしめられ、触れるだけのキスをされる。
そして、
半助さんから漂ってきた、ほの甘い香水の香り。
私は固まる。
甘い香りが鼻腔からなかなか抜けてくれず、脳が痺れたままだった。
腕を解いた半助さんは靴を脱いであがろうと
するが、一向に玄関前で立ち尽くし、リビングへ行かない私を不思議そうに見ていた。
「どうした?」
「いえ……あの、」
聞くべきか。
きっと疚しいことなどないだろう。
半助さんのことだ、ちゃんとした理由があるはずだ。
平気で他の女のところに行って、素知らぬ顔で私に会うなんてするわけがない。
今の半助さんが演技でないならば、だが。
「今日は大変だったんですか?」
側面から探りを入れてみる。
リビングへ通じる短い廊下を歩きながら私が尋ねてみれば、半助さんは待っていましたと言わんばかりに「そうなんだ」と、なんとも悲壮感漂う返事が返ってきた。
「今日は学園の食事会という名の宴会だったんだけど、そこで主任の先生の………趣味に付き合わされてさ」
「趣味?」
私が聞き返すと半助さんは「うん」と頷いただけで、上着を脱ぎながら炬燵に入り、黙ってしまった。
「みかん、一個貰っていいかな?」
「どうぞ」
「今ご飯食べていたの?」
炬燵のテーブルに置かれた私のうどんを見て、半助さんは少し驚いていた。
「今まで仕事してた?」
「そうです。いつものことですよ」
「体壊しちゃうよ」
あ、話をそらされてしまう。
ヒントは学年主任の先生の趣味。
そして香水。
キャバクラとか、クラブとか…そういう夜のお店に行くのが趣味なのだろうか。
二次会で行ったとか。
スーツ姿の半助さんのポケットを私は凝視する。
長い髪の毛とか付いてないか、もしくは名刺を入れていないだろうか。
「何?」
みかんの皮を剥きながら半助さんが困ったように私を見ていた。
「あの半助さ…」
「うどん延びちゃうよ。早く食べないと」
「は、はい…」
まさか話をそらされた?
しばらく私のうどんを啜る音だけが響く。
みかんを一つ一つ時間をかけて食べる半助さんは、テーブルの上に置いたままの雑誌を読んでいた。
「仕事で使うやつ?」
「そうです」
ふーん、と頬杖をつきながら眺めている。
それほど熱心に読んではいなくて、頁全体に目を通せばぺらりと紙をめくっていた。
気のせいかな、いつもどこか跳ねている前髪は整えられていて、艶っぽい。
忙しくてそこまで気が回らないんだ、なんて言っているけれど、今日は(いつもよりは)整えられている。
まるで、誰かに会うために。
うどんを食べ終わり、私は炬燵を出て器を流しへ持っていく。
意を決して私はキッチンから半助さんを見下ろす。
「別にいいですよ、職場でのお付き合いもありますし」
教師とはいっても、それは学校の中で。
敷地から出れば半助さんも男の人だ。
綺麗でお話が上手な女の人に会って話をしたいときもあるだろう。
付き合いで、とか言いつつ楽しんでいたって、それはそれでしょうがない。
女物の香水と、学年主任の先生の趣味というヒントから、
その先生は男で、趣味は夜のお店通い。
と、既に私の中で決めつけてしまっている。
お茶を入れるために電気ポッドのスイッチを入れ、その間にうどんや鍋を洗いながら、私は続ける。
「…朱美」
「でも………」
止めたくても頭の中で勝手に描かれる、知らない女の人と触れあったり、笑いながら話す半助さんの姿。
こんな歳になって子どもみたいに泣きたくない。
視界が滲んで、シンクと蛇口と水の区別が付かなくなってくるけれど、私は洗い物を続ける。
「朱美っ…」
半助さんは炬燵から出て、私を後ろから抱きしめる。
「違うよ!だから泣かないで」
半助さんはいつも僅かなヒントで答えを掴む。
私の態度と僅かな言葉で意図を読み取ったのだろう。
「嘘だ……だって…女物の香水がする時点で…」
丼を濯ぎながら私はせせら笑うふりをする。
「信じてくれ………」
抱きすくめる先生の温もりが背中から伝わるけれど、受け入れることができない。触れてくる度に忌々しい甘い香りが伝わってくるのだから。
切実な半助さんの声に心は揺れるが、何がどう違うのだろうか。
私が「なんだ、そうだったんですか」となるような展開がこの先待ち受けているとは到底思えなかった。
洗い物を終えた私は無言で半助さんの腕を解いて炬燵へ向かう。
「朱美………」
背を向けて座ったから分からないけれど、半助さんはキッチンから取り残され、独りぽつんと立っているのだろう。
半助さんは無言で近づき、私の隣に座る。
私は目を合わせず、テーブルの木目を見つめていた。
視界の端では、半助さんは自分のスマホを操作している。
「………これを、見てくれ」
半助さんの顔は真剣そのもの。
「なぜ女物の香水が私からするのか、気になっているんだろう?」
私は小さく頷く。
「……答えはここにある」
半助さんの精悍で顔立ちは徐々に泣きそうなものへと変わっていった。
彼のスマホの画面は、一つの画像が映し出されている。
「…は?」
思わず声が出る。
面長で少し顎が割れた、半月型の目つきの女装した中年男性の姿がまず目に入った。
なぜ女装した中年男性と一目で分かるのかというと、女装した中年男性と言い表す以外にないからである。
うっすら見える鼻下と顎の髭剃り後。
毒々しい真っ赤なルージュ。
長髪の鬘。
そして膝丈のタイトスカートから見える膝下は、骨張っていた。
そんな女装した中年男性はセクシーポーズを決めている。
「な、なん、なんなんですか……これ」
半助さんは片手で顔を覆っていたまま無言を貫いていた。
「ん?あれ?」
私はあることに気がついて声を上げれば、半助さんはピクリと肩を振るわせた。
その毒々しい何かの隣で顔を赤らめて俯いているワンピース姿の女性がいる。
しかし女性にしては肩幅はあるし、スカートの裾を握りしめている手は節くれ立っていて。
その鼻筋とオレンジベースのルージュが引かれた唇の形に見覚えがあって。
「………」
半助さんは顔を真っ赤にさせて、涙目で私を見つめている。
……その反応と、写真の中の見たことのある女性。
則ち、そこに写っているのは女装姿の半助さんである。
中年男性の女装コンセプトがオフィスレディならば、半助さんはアパレル店員だろうか。
「え?えー………えー?」
情報量が多すぎる画像に、私はただただ混乱するばかりだ。
私は涙目の半助さんに質問しながら頭を整理することにした。
「これって、今日の写真ですか?」
「……あぁ」
「この人って半助さん?」
「……………はい」
「この時に香水を?」
「……………うん」
「ちなみにこの人は?」
強烈な存在感を放つ中年男性を指差せば、半助さんは目を逸らす。
「………学年主任の先生だよ」
「なぜ女装を」
長い沈黙が続く。
やがて半助さんは真っ赤になりながらポツリポツリと明かしてくれた。
この時期の宴会では、教員達は一発芸を披露しなくてはならないらしい。
以前この家にゲームをするために訪問して来た、あのおじいちゃん…つまり、目の前の学園の長である大川さんの提案とのことだった。
「うわー、めんどくさ……」
心からの感想だった。
「それで女装したんだ……香水は学年主任の先生の拘りで、強制的に付けられたんだよ………もう、いいだろう」
半助さんはそう言ってスマホの画面を消した。
彼に掛ける言葉はたくさんある。
でも真っ先に浮かんだのは、
「話したくなかったですよね…こんなこと」
「同情的な目で私を見るな!」
半助さんは泣きそうなまま声を荒げた。
彼の女装は、完全な女性には見えないけれど、恥ずかしがっている所が妙にそそられる、不思議な色気が漂っていた。
しかし、そんな趣味などない彼にとっては、「色っぽいですね」とか「似合ってますよ」なんて感想は迷惑以外何物でも無いだろう。
それよりも言うべきことは
「疑ってしまって、ごめんなさい」
炬燵から出て正座して頭を下げた。
「いや。疑うのも当然だと思うよ。………そもそも恋人が宴会で女装していただなんて、想像できないだろう?」
自棄的な笑みを浮かべる半助さんの目には光が消えていた。
「だからお疲れだったんですね」
「そう」
おいで。と優しく囁かれ、半助さんの隣に腕を引かれて導かれる。
それほど大きくはないテーブルの一辺に、二人が入ると身動きが取れない。
「狭くないですか?」
「その分朱美に触れられる」
肩に半助さんの頭が寄りかかる。
「疲れた。慰めてくれるかい……」
そんな風に囁かれたら、慰める方法を考えてしまう。
頭を撫でたりとか、頰にキスをするなどのレベルではなさそうなものをきっと彼は期待している。
含みを込めた囁きだった。
考えているうちに半助さんは私を押し倒し、激しいキスを始めた。
「ん……はぁ……」
「早く……朱美」
唇が離れても尚、熱っぽい瞳と共に囁かれれば、私は小さく頷くしかなった。
そして後日。
あの強烈な中年男性が、利吉の父親だと知り、二度目の衝撃を受けることになったのである。