海へ
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「ここってさ、昔は合戦場だったらしくて。落ち武者達の霊が出るらしいよ」
太陽が沈み夜が訪れても、闇は生まれない。
街灯や遠くのビル街の明かりや、山の向こうへと続く高速道路を走る自動車のヘッドライトとテールランプが、白々と夜を照らすのだ。
友人の言葉に皆は「やだ」とか「やめろよ」と批難するなか、私は呟いた。
「でもさ、もし落ち武者が現れたとしても、落ち武者にとっては、髪を染めてカラコンしてる今の人たちを見たら、それこそ化け物って驚くよね」
「朱美って本当に」
「冷静だよね」
あ。このやりとり。
瞬時に私は、遙か五百年以上前の、かの世界のことを思い出し、鼻の奥がツンとした。
大学1年の夏休み。
同じ学科の友達と海に行き、ホテルに泊まったその夜のことだった。
少し散歩をしようと外に出たものの、気がつけば人気の無い寂しいところまで歩いてきてしまった。
「さすがホラー映画で耐性ついてるだけあるよね」
「いや、別にそういうわけじゃ」
かつて体験した闇を思い起こす。
塗り込めた真闇のなか、手燭の光を頼りに、校舎まで歩き、一年は組の教室で怪談をした夏の日。
月の光に心底ほっとしたものだった。
別にお化けがでるのではないかとビクビクしていたわけではない。
くせ者と出くわしたらどうしようと思っていたのだ。
季節は変わり、凍える真冬の夜へと私の記憶は旅をする。
彼の体温と、火桶の熱は今でも思い出せる。
「落ち武者の霊?見たことあるよ」
「ええ?!半助さんって霊感とかあるんですか?」
事もなげに言う半助さんに私は声を上げた。
「怖くないんですか?」
「命がけで戦い、散っていった者を何故恐れなければならん。安らかに眠れるよう祈るしかないだろう」
半助さんの真剣な眼差しに、興味本位で聞いたことを私は恥じた。
死と隣り合わせの世界。
明日の命も、戦で、病で倒れるかもしれない世界。
半助さんは、たくさんの死を見てきたのだろう。
「伊瀬階さん」
呼ばれて、私はまたしても半助さんを思い出していたのだと気がつく。
刺すような真冬の夜から、現実の包まれるような蒸し暑さにしばし混乱してしまう。
「なに?」
「皆、もう先に行ってるよ」
皆の背中が遠い。
共通科目でも同じ授業を取る彼は、そんな私に気がついて戻ってきてくれたらしい。
「あ。ごめん、ぼーっとしてて」
彼は、小さく笑った。
「こんなころでぼーっと出来る伊瀬階さんはやっぱ大物だわ」
「なにそれ」
「さっきだって、ここが曰く付きだって話してたのに」
スマホのライトで闇を照らしているのを見て、この時代はいつだって光に満ちあふれているのだと思い知らされる。
人気も車通りも無いこの道。
建物もなく、電柱しかないここは薄暗い。
海が近いから、潮騒の音がよく聞こえた。
ああそうだ。
半助さんと海に行きたかったな。
きり丸と乱太郎くんとしんべヱくんとで行ったら、とても楽しいんだろうな。
「空が」
彼の声にまたしてもはっとする。
慌てて空を見上げれば、家では見ることのできない、いくつもの星々が見えた。
「めっちゃ星が見える」
「本当だ」
「でもだめだ。撮れない」
スマホを構えてシャッターを切るも、星々を画面に閉じ込めることはできなくて、彼は残念そうに笑っていた。
「目に焼き付けておくしかないね」
「綺麗なのになぁ」
「もっと暗かったら、もっと綺麗だよ」
「見たことある風な口ぶりじゃん」
「うん。ある」
「沖縄とか?」
室町時代で。
とは言えず、叔父達と沖縄に行ったことにした。
「そっかー。あ、沖縄いいな。来年は沖縄まで行っちゃう?」
「いいね。でもみんなバイトばかりになって、授業さぼっちゃいそう。授業料払ってるんだから、ちゃんと受けないと」
彼は愉快そうに「出た」と言う。
「伊瀬階さんって、ほんと、視点が先生っていうか。親っていうか」
「……偉そうですみません」
同い年の友達に言う言葉ではないことは知っているが、つい心配になって溢してしまう。
「いや。違くて」
慌てて手を振る彼。
「大人びてるよね伊瀬階さん」
きっと、あの世界を体験しなければ感じ取れなかったであろう人の機微。
彼は今、とても緊張してる。
そして、私を見つめる瞳の熱っぽさ。
「早く、皆の所に追いつこう」
私は早足で先を行く。
「ああ、うん」
彼も慌てて小走りで私に並んだ。
こんな時、月は見たくなかった。
きっと半助さんは独りで月を見ているはずだから。
皆と合流すれば、揶揄いの言葉を掛けられ、彼は少し慌てながらも笑って受け流していた。
ホテルに戻り、誰々の部屋に集まって飲もうと約束をして各自部屋に帰っていく。
私は潮騒の音が聞こえるロビーで独り、窓から見える月を見上げた。
もしも、あの世界に帰れたら。
皆で海に行こう。
海水浴ってできるのかな。
ビーチバレーってできるのかな。
夜は星を見て、
そして
波打ち際で、月を見よう。
「そうしましょう。半助さん。きり丸」
私以外、この二人の名も顔も分からない世界。
こみ上げてくる気持ちに蓋をしようと、私は近くのソファに腰を下ろして、そっと目を閉じ、かの日々を思い出していた。
思いが通じた夏の夜を。
初めて名前で呼んでくれて、受け止めるだけで精一杯だったあの夏の日々を、私は瞼の裏で辿るのだった。
-せっかく恋人になったんだ、名前で呼んでほしい。
「半助さん」
何度も呼んだつもりだった。
でも。
もっと呼んで、貴方の笑顔を見たかった。