くくちくん
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放課後の食堂内で、火薬委員会顧問の半助と委員長代理の兵助は簡単な打ち合わせを行っている。
今月の決算と来月の打ち合わせの日取り程度のものだからすぐに終わるはずだった。
半助はこの後、一年は組の三人組の補習だし、兵助も鍛錬の時間に充てたかった。
報告を終え、二人は腰を上げようとしたその時だった。
「あ。土井先生。久々知くん」
朱美が食堂に入ったことで、半助の意志はぐらつく。
ただでさえ多忙な日々の中、彼女との時間は貴重なものだった。学園内ですれ違えば、簡単な挨拶を。周りに誰の気配もなければ唇を奪う。
「打ち合わせですか?お疲れ様です。お茶をお淹れしますよ」
「いや、もう終わり…」
「ありがとうございます。いただきます!」
けれども忍術学園の教師として、欲に流されてはいけない。ましてや上級生の前でそんな痴態を晒せない。半助は断ろうとしたが、兵助がそれを遮った。
頷いて厨房に入って準備をする朱美を横目に、兵助は半助を見て微笑んだ。
毎度、打ち合わせの時間さえ合わせるのが大変な火薬委員会顧問。この後、下級生の補習をしなくてはならないことくらい知っている。彼女との時間さえも取れないことも知っている。
多少遅れても構わないだろう。
だから彼女にお茶を淹れてもらおう。
そして自分はさっさと退出しよう。
兵助はそう思って席を立ったが、「あ、そうだ久々知くん」と呼び止められた。
「な、何でしょう?」
「私気付いたんだ」
顧問をちらりと見れば、彼は不思議そうに彼女を見ていた。
「私……久々知くんだけ久々知くんって呼んでる」
「は?」
思わず間抜けな声を上げてしまった。
顧問も声こそあげていないが、自分と同じ顔をしていた。
「名字で呼んでるんだよね」
「え、ええ………」
兵助も知らないわけではなかった。自分を含め、他の五年もそれに気がついたとき、理由を考えたものだった。
半助 と 兵助 で字面も響きも被るから。
きっと夜に呼び間違えないように、あえて名字で呼んでいるに違いない。
これは三郎の意見だ。
皆、首を捻っていたが。
しかし、半助と似ている。と、かつて彼女から見た目を指摘されたことを踏まえれば、そうかもしれないとも兵助は思っていた。
まさか今ここで答えを聞けるとは思わず、兵助は好奇心で再び腰を下ろしてしまった。
「兵助くんのがいい?それとも久々知くんのままでもいい?」
「ええと……朱美さんは希望があるのでしょうか?」
うん。と彼女は小さく頷いた。
カウンターの向こうでは茶を湯呑みに注ぐ音が聞こえてくる。
「久々知くん、がいいな」
「それは何故」
忍者の勘というやつだろうか。
「それはね」
この先の彼女の答えが物凄くくだらないものに思えてきて、兵助はむしろ身構えた。
向かいに座る半助を見れば、彼も険しい表情で彼女を見ていた。
「響きが面白いから。くくちくんって」
彼女は薄く笑いながら、お茶を運んできた。
しかもリアクションに困っているこのタイミングで彼女はこちら側に来てしまった。
「『く』が五分の三もあって。面白くて」
「五分の三…」
彼女の言葉を反復するしかない。
「ふふ」
そんな風に微笑まないでほしいと、兵助は内心懇願した。
半助はといえば、固まっていた。
そうであろう。恋人がまさかそんな事でおかしみを感じていて呆れているのだろうが、それを表に出せないでいるのだ。
「さて。では私はこれで」
そう言ったのは半助でも兵助でもなく、朱美だった。
「この後、作法委員会のお手伝いなんです。あ、湯呑みはそのままで結構ですから。では失礼します」
一息で言ってのけて、丁寧に頭を下げ、勝手口から出て行ってしまった。
半助も兵助も無言のまま、茶をすすった。
義務のように茶を飲んだ。
ことん、と湯呑みを置いたのは同時のタイミングで、兵助は思わず半助を見れば、半助も兵助を見ていた。
半助に何と言えばいいのだろう。
生首フィギュアも恐れない彼女の不可思議な部分が再び垣間見えた一時だった。
「久々知……」
「はい!」
勢い良く返事をしたものの、顧問の表情が段々と幼くなっていくのを感じたから、兵助は困惑する。
「……そんなに思われて。羨ましいよ」
殴られたような衝撃だった。
「は?」
思ったことと言葉にしたものが一致した瞬間だった。
彼は今、何と言ったのか。
「なんでもない。片付けておいてくれ」
半助は顔を背ける立ち上がり食堂を出て行った。
一人残された兵助は、感情を露わにした顧問の表情と言葉を何度もリピートしていた。
これは、三郎達に言えば大喜びする「ネタ」であろう。
そして次の日から彼らに「くくちくん」と呼ばれるのであろう。
「……いいや、言わない」
兵助は湯呑みを二つ持ち、厨房の中へと入った。
彼女はそのままで良いと言ったが、茶を淹れてもらった上に片付けさせるのは気が引ける。
水を張った流しに茶を浸した時だった。
「ああああ!くくちくーん!」
勝手口から朱美が現れた。
絶望と言い表すに相応しい、悲しみに染まった顔を浮かべながら兵助の手元を見つめていた。
「もしかして……湯呑みを洗うところだった……?」
「ええ……そうですが?」
「別にいいのに」
朱美は厨房に入り、悲しげに水の中に沈む湯呑みを見つめていた。
「どっちか分かる?」
「はい?」
彼女は何を聞きたいのだろうか。
「土井先生の湯呑み。どっちか分かる?」
肌が粟立つのは久しぶりだった。
伝子さんの投げキッスを見て以来だった気がする。
「………お聞きになってどうするのですか?」
兵助は、それでも笑みを浮かべている己の精神力を内心褒め称えていた。
朱美は眩い笑みを浮かべた。
再びこの世界を訪れた彼女と対面した時は、美しくなって驚いたものだ。だから、微笑まれるとドキリとしてしまうが、今は種類の違うドキリが兵助を襲う。
きっとこの先の答えは、聞かない方がいい。
尋ねたのは兵助だが。
「どんな風に、どんな表情で飲んでいたのかなあ、なんて想像しながら洗ったりしたくて……」
ふふ。と彼女は再び微笑む。
「…こっちですよ」
片方を指さして、兵助は頭を抱えながら勝手口から食堂を後にしたのだった。
半助からは妬まれ、朱美からは惚気られ。
勝手してくれ。
付いていけない
ふらつきながら兵助は鍛錬に向かうのだった。