二人旅行
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「じゃあ、また。頑張ってね」
「はい。先生も」
こうして食堂で半助さんと別れれば、息つく暇もない一日が始まる。
おばちゃんと朝食を作っていれば、あっという間に生徒たちはやってくる。
「おはようございまーす!!」
しんべヱくんの元気な挨拶に私も笑顔で返す。
「はいどうぞ。しっかり元気つけて授業を受けてね。真面目に」
つい付け足してしまった棘。
しんべヱくんには通じなくても後ろに並ぶ乱太郎くんときり丸にはしっかり通じていた。
「頑張りまーす………」
と、乱太郎くんは苦笑いしながら自信なさげに答えた。
「朱美さん。放課後もお休みも補習授業やアルバイトの手伝いで土井先生とお会いできなくて、いっくら寂しいからって、朝からそんな風に言わないでくださいよ」
呆れ顔のきり丸に、私こそ呆れてしまう。
「ごめんねぇ。でもこれが1ヶ月も続いているからなの。むしろそれまで何も言わなかった私を褒めてほしいんだけれど」
無言のにらみ合い。
「アルバイトはいいわ。学費のために必要だし。私も手伝う。でも、補習授業は勘弁して」
「アルバイト手伝ってくれるんですね!」
「後半部分を無かったことにするな!」
カウンターから、つい身を乗り出してしまう。
後がつかえてしまうから、きり丸とのやりとりもそれくらいにして、皆に朝ご飯を渡していれば、先生達もいらして来る。
「おはようございます。おばちゃん、伊瀬階さん」
毎日聞いているのに、飽きることなく心臓は甘くトクンと跳ねる。
半助さんは一瞬だけ恋人らしい柔らかな微笑みを向けてくれたかと思えば、すぐに先生としての仮面を被る。
「今日も旨そうだ」
練り物も無い日は、満面の笑みを浮かべて、膳を運ぶ。
その背中、後ろからでも見える痛んでハネている前髪を見送る。
「朱美ちゃん、目がキラキラしてるわよ」
おばちゃんは笑いを堪えながら呟いた。
「あはは…お恥ずかしい」
「ねえ朱美ちゃん。さっきのきり丸くんとの話だけど、二人でなかなか会えてないの?」
生徒の波が去り、後は食べ終わった食器を洗うのみとなれば、すぐ近くの机で食べている三人に聞こえぬように、おばちゃんは顔を寄せてきた。
「そうなんです」
「あらー、大変ねえ」
あの頃は色々遠慮して打ち明けられなかったけれど、今はおばちゃんに愚痴をどんどん言っている。
これは成長と呼んでいいのだろうか。
「お手伝いしようにも、私の方もなかなか忙しくて」
「吉野先生、朱美ちゃんが帰ってきて張り切ってるものね」
吉野先生だけではない。
事務仕事が終わり、土井先生の元へと教員長屋へ向かおうとすれば、色んな人に呼び止められる。
仙蔵くんからは生首フィギュアの手入れを頼まれ、文次郎くんからは帳簿合わせや、予算の相談を頼まれるし、留三郎くんからは用具倉庫の整理を。伊作くんからは薬草摘み。長次くんからは書棚整理を。八左衛門くんからは虫獣遁用の虫や獣の世話を頼まれるけれどネズミや蛇やサソリだけの世話をしている。ちなみに小平太くんは委員会に関係なく、バレーボールに誘われるから、それは身の安全を考え、審判に徹する。
「あら。火薬委員会のお仕事は手伝わないの?土井先生が顧問じゃない」
「お忙しくて顧問どころじゃなさそうなんですよ。それに火薬委員会のお手伝いは、私にはなかなかできなくて」
久々知くん達と火薬庫の管理を時々お手伝いするけれど、新たな煙玉の開発は手伝わせてくれない。
化学はもっと勉強するべきだった。
せめて教科書を持っていくべきだった。
「会えないのは辛いわねぇ」
「辛すぎます」
頼られるのはとても光栄なことだ。
しかし手伝うことで半助さんとの時間が減っているのも事実。
ただでさえ一年は組関係で半助さんは忙しいから、二人きりの時間は朝と夜の僅かな一時しかない。
腕を組みながらおばちゃんと唸っていれば、半助さんが空いた食器を持ってきてくれた。
「ごちそうさま」
「ありがとうございます」
「お粗末様」
半助さんは食堂を出たかと思えば、いつの間に裏に回ってきたのか、勝手口から顔をのぞかせていた。
「伊瀬階さん、ちょっと」
笑顔で半助さんは食堂の外へと手招きするので、勝手口を出れば、半助さんは壁にもたれて額に手を当てて溜息をついた。
「何を話してるんだ、おばちゃんと」
「聞こえてました?」
「忍者を甘く見ないことだ」
半助さんの視線はどこか非難がましい。
この流れは私が謝るべきなのだろうか。
しかしそれはおかしい。
「ごめん」
と思ったら半助さんが手を合わせて頭を下げてきた。
「なかなか時間を作れなくて」
あの頃は、夜はいつも学園の外れの演習用に使う小屋で会っていたが、今はなかなか使っていない。
というのも、私も半助さんも日々の疲れからか、致した後に寝落ちしたことが何度かあったからだった。
これではいけないと自制しているのだ。
「時間は作るもの…といいますが、なかなか作れませんよね」
少しくらいサボっても……なんて発想は、半助さんは至らない。
昔も私はそうだったけれど、今はどんどん手を抜こうと思っている。だって小松田くんと給料変わんないし。時間外手当なんてないし。
「いかん!このままじゃだめだ!」
勢いよく肩に手を置かれたから私は驚く。
肩に手を置かれた行為にではなく、朝の学園で私に触れてきたことに驚いたのだ。
「なんとかしよう!今度の休みまでには絶対に何とかする!」
半助さんの目は揺るぎない力強さが宿っていたが、その「何とかする!」は一体どうやって何とかするのだろう。
「だから!朱美も手伝ってくれ!」
「当たり前です!どんどん申しつけてください」
一体何を手伝えばいいのだろう。
あの三人組をとっ捕まえて宿題をさせるのか。
それともあの三人組の補習を私がやればいいのだろうか。
もしかしたらあの三人組が授業中に眠らないように教室の後ろで見張っていればいいのだろうか。寝たらハリセンで叩けばいいのだろうか。
「で、何でしょう…!」
半助さんは至極真剣な顔になる。
「ここで今キスをしてくれ」
私の頭の中に鱚が跳ねる。
朝っぱらから。
それもすぐそばにおばちゃんも、生徒たちもいるここで。
接吻をしろと。
「え……?」
「今なら大丈夫だ。早く」
少し焦り気味の半助さんがいた。
「それだけ?他に…」
「早くっ」
私の言葉を遮る半助さんは、ちらちらと視線をさまよわせていた。もう少しで誰かがここを通るのだろう。
意を決して背伸びをすれば、半助さんも顔を近づけた。
触れるだけの。
と思えば、腕を回され体が密着する。
「っ……んん」
半助さんの舌が侵入し、私の腔内をなぞってくる。
朝から妙な気持ちになってきてしまう。
もう少し。
味わいたい。
彼の袖を掴む。
そう思ったら半助さんは体を勢いよく離し、にっこりと笑う。
「ありがとう!」
まるで子どものような、無邪気な笑み。
先程まで口づけをしてきた男とは思えなかった。
頭をくしゃりと撫でられ、半助さんは風のように去って行った。
「……もう!」
好き勝手してくれて全く憎たらしい。
跳ねた前髪が激しく揺れている様まで見ていて腹が立ってくる。
けれども。
走り去る半助さんの耳は少し赤かった。