18 夏休みといえば
夢小説設定
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
溜息が溢れる。
何度目の溜息だろう。
10を超えたあたりで、きり丸は数えるのをやめた。
夏休み
朝から晩まで
アルバイト
の予定だったのに。
朱美ときたら、今日はアルバイトするなと言われ、きり丸の首根っこを掴んで「宿題やろ」と誘ってきた。
夏の真っ青な青空が格子の窓から見える。
赤ん坊の泣き声が聞こえてくれば子守のアルバイトを、物売りの声が響く度に売り子のアルバイトを。
銭儲けのために走り出したくなる。
それなのに何故…。
頬杖をついて窓を眺めてると、「こら」と彼女が叱ってきた。
彼女のことは好きだ。
だから、夏休みは一緒に過ごせることはもちろん、いつの間にか土井と彼女が恋仲になったことを知ったときは、とても嬉しかった。
しかしこういう時の彼女にはゲンナリだ。
更に、彼女は土井に対してデートを要求せず、自分と宿題をやることを優先する。土井に助けを求めても、彼は自分の担任なのだから、助けることなどしない。
「ちゃんとやるんだぞ。引き受けた内職はやっとくから」
そう言って、一番奥の部屋では二人で勉強し、炭櫃のある部屋では土井が黙々と内職をしていた。
「これじゃあ学費が稼げないじゃないっすか」
恨みがましく彼女を見る。
「今日一日で宿題をおわせば問題ない。計算してみたら大丈夫だった」
「くぅ~!」
涼しげに言う彼女は、何やら訳の分からない文字で埋め尽くされた文を読んでは、彼女の世界の筆記用具で何かを書いていた。
「朱美さんはこんな日に勉強してちゃ勿体ないって思わないんすか?」
朱美は顔を上げ、きり丸を見た。
あのね、と口を開く彼女の顔は真剣そのものだった。
「元の世界に戻ることが分かった以上、勉強もしとかなきゃいけないの。戻ってからしくしく泣いてばかりいたって、給料は貰えないし、大学にも行けないの。ただでさえ学校に行ってないし、受験勉強の時間も確保できてない以上、空いてる時間に勉強しなきゃマズいの」
一息で言い切る彼女。
鬼気迫る表情に気圧されたが、言っている意味の八割は理解できなかった。
「戻って一年経ってたらと想像したらヤバいって思ったの。浪人決定なの。私は大学に入って就職したいの。その学費も稼がなきゃならないの。戻った時、叔父さん叔母さんも従兄弟もすごーく心配してるだろうし、もしかしたら警察沙汰になってるかもしれないの」
きり丸はチラリと土井の背中を見た。
戸は開けっ放しだから、この話は聞こえているはずだ。しかし、土井は振り返ることなく黙々と作業していた。
「だから勉強するの」
「今はどんなお勉強を」
「英語。外国の言葉の勉強」
「何て書いてあるんすか」
「はやく自分のやりなさい」
「そう書いてあるんすか?」
「違う。きり丸くんはきり丸くんの宿題をやってって言ってるの」
やれやれ。
彼女が元の世界に帰ることを知ったときの悲しさが最早懐かしい。
「ん?」
先ほどの彼女の言葉に引っかかりを覚えた。
「叔父さん叔母さんと暮らしてるんすか」
ギロリと睨む朱美。いいから宿題をやれ、という事なのだろう。
首をすくめて、問題用紙に視線を落とした。
土井に問いたい。
彼女のどこがいいのかと。
窓からは相変わらず、赤ん坊の泣き声や、物売りの声がしていた。
こうしている間にも銭稼ぎの機会が失われていく。
「親は事故で亡くなったから、叔父さんの家に住んでるの。それだけだよ」
視線を上げずに口だけ動かず彼女の表情からは何も読み取れなかった。
朱美と出会って間もない頃、彼女と話すと寂しい気持ちになったことを思い出す。潮騒しか聞こえない浜辺に一人佇むような、そんな寂しさ。
自分に近いものがあるような気がしていたが、それは気のせいではなかったようだ。
何て声を掛ければいいのか分からないで黙っていると、彼女は頬杖付いてきり丸を見た。
「疑問が解決したなら、さっさと宿題をやろう。それこそ稼いだ学費が無駄になっちゃわない?」
きり丸の問題用紙を指でトントンと叩くジト目の朱美。
「終わったら遊びに行こう。私だってこんな日は遊びたいよ」
「じゃあ今すぐ遊びに行きましょうよ」
「さっきの話聞いてた?」
くすっ。
隣の部屋から聞こえた笑い声に、きり丸は振り向く。
「お前達はほんとに仲がいいな。きり丸、無駄話してないで集中しろ」
「はあい」
どこが。そう言い返したかったけれど、生温い返事をして、きり丸はしぶしぶ筆を進めたのだった。